●(現在に戻る)放課後、図書館のカウンター
空子の中学時代の出来事を聞いて、啓介が憤りを覚えていた。

啓介「……振られた腹いせにって、逆恨みも甚だしい。しかも佐々木くんじゃなくて青宮さんを標的にするところが、本当に卑怯だよ」

本気で怒ってくれる啓介に、空子は小さく首を振る。

空子「……でも、私も反省したんだ。琥珀がモテるのは分かっていたから、予測して琥珀と距離をとっていれば回避できたかも」
啓介「そんなの無理だよ。それに青宮さんの人間関係は青宮さんが決めるものなんだから、そんな理由で距離をとる必要ない」

啓介のメガネの奥の瞳は、今までで一番真剣だった。
空子が築き上げていく人との関係は、空子のものだと言ってくれた啓介の言葉が胸に響く。

啓介「それに青宮さんも、俺と同じでおひとり様が当たり前になってるんだろうけど、そういう悩みは一人で抱えちゃダメだと思う」
空子「っ……」
啓介「心が病んでしまうし、壊れてしまうともっと大変だった。身近な人に話しづらいなら俺に話してくれてもいい。だから一人で抱えるのは、もうだめだよ」

言いながら切ない視線を空子に向けるも、はっとしてメガネの位置を直す啓介。
本気で心配してくれているのが伝わった空子は、心が一気に軽くなった。
安堵の表情で啓介に礼を言う。

空子「……わかった。心配してくれてありがとう」
啓介「う、うん……」
空子(仲野くんに聞いてもらって、ずっと胸にあった鉛のようなものが小さくなった)

心配かけたくなくて、琥珀や母には中学時代の話をするつもりはなかった空子。
けれど、一人で抱え込むことは負の連鎖を生むのだと啓介に教えてもらった。
そしてこれからのことを二人で考える。

啓介「幼なじみを秘密にしていた理由はわかったけど、これからどうする?」
空子「琥珀にも話して、今までどおり口裏を合わせてもらうか、正直に話すか……」

しかし中学時代の記憶がチラついて、空子は“正直に話す”ことを躊躇う。
それが表情に出ていて、啓介が空子を心配そうに見つめる。

啓介(あの感じだと、きっとまた青宮さんのところにくるだろうな……)

そう考えた啓介は、警戒心が高まった瞳を涼音が去った方に向けた。


●自宅近くの歩道、夜七時頃
電車を降りて、駅から自宅までの道を歩いている空子。外はすっかり薄暗くなっていた。
ここまでどうやって帰ってきたのかも覚えていないくらいに、先ほどの件について考え込んでいた。

空子(やっぱり、幼なじみを秘密にするなんて無理があったんだよね……)

啓介に言われたセリフを思い出す。

啓介『青宮さんの人間関係は青宮さんのもの』
空子(……それはつまり、琥珀の人間関係も琥珀のものなのに。現状、私が“秘密にして”と無理に操作してる……)

琥珀にも申し訳ないことをしていると、空子が胸を痛めたその時。

琥珀「空子!」
空子「……琥珀?」

夜道で響く声。街灯に照らされて、こちらに向かって走ってくる琥珀が見えた。
その表情は必死で、全力疾走してきたのか額に汗が滲んでいる。
勢いを弱めることなく、そのまま空子を抱きしめた。

空子「え⁉︎ ちょ……ここ外……!」
琥珀「スマホ見ろっ、心配すんだろ」
空子「……スマホ……?」

琥珀の声色からは焦りが伝わる。
放課後、帰宅時と一度もスマホを見ていなかった空子。
きっと連絡をしてくれていたんだと予想して、琥珀に謝った。

空子「ごめん。もしかして、それで迎えにきてくれたの?」
琥珀「なんかあったのかと思って……最近、不審者情報多いし」
空子「そうなの?」(全然知らなかった……)

腕の力を緩めた琥珀は、安堵の表情をする。

空子(私はいつも自分のことばかりなのに、琥珀は私のために心配して走ってきてくれる……)

琥珀との関係を適当に回答するわけにもいかないから、涼音に目撃されて問いただされた件を話さなくてはいけない。

空子(琥珀に相談しないとってわかってるのに、怖い……)

現に琥珀との関係を疑って、涼音が空子に敵意を向けていた。
もしも付き合っていることを疑っていたなら、二人が幼なじみだと知って安心するかもしれない。

空子(でも今は、それだけにとどまっていない……)
(琥珀は幼なじみの私を彼女にしたくて、私も琥珀への気持ちに気づいて……)

秘密ばかりの現状と、それに付き合ってくれる琥珀への罪悪感。
消えてくれない恐怖心と自己嫌悪で心が支配され、空子が沈黙する。
すると琥珀は、元気のない空子の手をとって夜の道を歩きはじめた。

空子「……こ、琥珀?」

突然の手繋ぎと、返事のない琥珀に戸惑う空子。
琥珀の視線は前を向いたまま、後ろの空子に話しかける。

琥珀「早く帰って飯食お」
空子「あ、うん……? え、琥珀まだ食べてなかったの?」

とっくに夕食を食べ終わっていると思っていた空子が問いかける。
すると振り向いた琥珀が、月を背に微笑んだ。

琥珀「空子と一緒に食べるご飯が一番美味いから」
空子「っ……!」

再び歩き出す琥珀は、繋いでいる手に少し力を加えた。
自分に注がれる愛情を感じて、空子が胸を熱くさせる。

空子(……日に日に、私への愛情が甘くて優しいものになっていく。こんなの、どんどん好きになっちゃうよ)

自分より大きな琥珀の手。そこから伝わる温もりに心地よい安心感と胸の高鳴りを覚えた。

空子(……だから尚更、琥珀にこれ以上心配も迷惑もかけたくない)

琥珀の気持ちも、自分の気持ちも大事にしたい。
琥珀の手をキュッと握り返した空子は、涼音の件を言い出せないままこの日を終えた。


●二週間後、学校、グラウンド(休み時間)
体育の短距離走の授業を終え、生徒たちが校舎へと戻っていく。
そんな中、髪を一つに束ねた空子が水飲み場に立ち寄った。
そこへ啓介がやってきて、声をかける。

啓介「青宮さん」
空子「あ、仲野くん。体育お疲れさま」
啓介「青宮さんもね」

二クラス合同、男女に別れて同じ内容の授業をする。
少し疲れたけれど互いにスッキリした顔で会話を続けた。

啓介「青宮さん、綺麗なフォームで走るね」
空子「え、そう? あまり褒められたことないから、恥ずかしい……」

言いながら照れる空子に、啓介の口角が緩む。

啓介(――じゃなくて!)「あれからあの人、何か言ってきた?」
空子「あの人……花城さん? それが全然見かけなくなって……」

涼音との件を問われた空子が正直に答える。
あれ以降、涼音は空子のところに姿を見せていない。
琥珀に直接尋ねたのか、それとも啓介の言葉が効いて諦めたのか。

空子(一時はどうなるかと心配したけれど、今のところ学校生活は平穏を保っている)

それも啓介のおかげだと思って、空子はすっかり啓介を信頼していた。

空子「仲野くんがビシッと言ってくれたから多分もう大丈夫みたい」
啓介「俺は別に何も……ただ、もう少し警戒しておこう」

啓介が複雑な表情で話をするので、空子も頷いて応えた。
そうして教室に戻ろうとする二人。

●琥珀の教室
その後ろ姿を自分の教室の窓から見てしまった琥珀が、冷たい視線を送っていた。
隣にいた涼音がそれに気づき、羨ましがる。

涼音「あの二人、仲良いよね〜」
琥珀「……へえ」

琥珀は無機質な声で返事をする。
近くの席に座り外を確認できない廉が、涼音に問いかけた。

廉「誰のこと?」
涼音「一組の青宮さんと仲野くん。いつも一人で行動する者同士、気が合うんだね」

楽しげに、断言的に話す涼音の声が遠くに聞こえる琥珀。

廉「仲野って、俺たちが去年同じクラスだった仲野啓介?」
琥珀「……」

廉が琥珀に視線を向けて確認するも、もうその声が届かないくらいに琥珀の中で嫉妬が渦巻く。
以前から、空子が絡むと琥珀の中にある歯車の調子が少しだけ悪くなる気がしていた廉。

廉「……涼音、もう自分の席戻ったら? 次当てられる番だよ」
涼音「やば、そうだった!」

言いながら、予習するために自分の席へと向かった涼音。
しかし琥珀には声をかけず、もう少しそのままにしておこうと気を利かせた。

琥珀(はあ……両想いだとわかっていても、全然余裕ねぇじゃん……)

すでに空子と啓介の姿がない水飲み場をじっと見つめながら、琥珀は呆れていた。
啓介と一緒にいるところを目撃しても、空子の気持ちは自分に向いている。
それが安心材料だと思っていたのに、変わらず嫉妬はするし以前よりも強力になっていた。


●帰りのSHR後、空子の教室(放課後)
自分の席で帰り支度をしている空子。
すると他のクラスの少し派手な女子生徒が明るく話しかけてきた。

女子5「青宮さん青宮さん」
空子「はい……?」

何を言われるのか少し気を張った空子に、女子生徒は唐突な質問をする。

女子5「青宮さんって彼氏いる?」
空子「っえ……、彼……?」

空子が思い浮かべたのは、もちろん琥珀。

空子(でも琥珀とはまだそういう段階じゃなくて、お互いの気持ちを知っているだけの……)

そもそも二人が幼なじみだという関係も、まだ学校では秘密にしている。
すると女子は空子の警戒に気づいて補足した。

女子5「あ、実は他校の男子とグループで遊ぶ予定してたんだけど、女子が一人行けなくなっちゃって」
空子「……そう……?」
女子5「青宮さん、暇ならどうかなーと思ったんだけど」
空子(なるほど。そういう事情なら、彼氏がいる人を誘うわけにはいかないもんね)

穴埋めのために声をかけられたと理解した空子。
また、そういう集まりには興味がないため、女子5の機嫌を損ねないように断った。

空子「……その、か……彼氏予定の人はいるから」
女子5「っ⁉︎」
空子「せっかくのお誘いだけど、ごめんなさい」
女子5「……そ、そうなんだ。なんか突然誘ってごめんねっ」

空子の返事を聞いて、女子5は驚きと焦りで逃げるように教室を出ていった。

空子(私の覚悟が決まらないから正式な彼氏ではないけれど……)

それでも、琥珀への気持ちが膨らんでいるのを自覚していた空子。
この想いをちゃんと伝える日も、多分近いと思っていた。

●学校、人気の少ない廊下の隅
しかし廊下の隅にいた女子5が、スマホに文章を打ち込んでいた。
身内で楽しむグループチャットに、最新情報を投稿した。


●帰宅後、空子の家、リビング(夕方)
雨雲が空を覆っていて、家の中もどんよりとしていた。
一時間前に帰宅していた空子は、リビングに置いたままの洗濯後の衣服を畳んでいた。
床に腰を下ろし、琥珀のTシャツを丁寧に畳んでは積み上げる。

空子「琥珀、遅いな……」

そろそろ夕食の時間という頃。傘を持っているかわからない琥珀を空子が心配する。
そこへガチャっと玄関の扉が開く音がして、空子は鍵を持っている琥珀が帰ってきたと思った。
リビングのドアが開き、帰宅したばかりの琥珀が無表情に立つ。

空子「……おかえり、琥珀」
琥珀「……」

小雨に濡れた前髪の間から冷ややかな目が見えた。
返事のない琥珀に、空子は違和感を覚える。

空子「琥珀?」

琥珀は鞄を乱暴に床へ置いて、呼びかけに応じないまま空子の元に向かう。
そして無防備な空子に何の断りもなく、少し強引に抱きついた。

空子「⁉︎ え、こは……?」
琥珀「……」

畳んで積み上げていた衣服に空子の手が当たって、音もなく崩れる。
琥珀にぎゅーっと強く抱きしめられて、今までにないほどの密着度を味わう。
首に顔を埋める琥珀の吐息が熱く、濡れた髪の雫が首を滴る。空子の鼓動が加速した。

空子「ねえ、どうし……ちょっと、っ……」

状況が飲み込めず混乱する空子は、とりあえず琥珀の肩を押し返そうとした。
その行為が自信喪失して弱っていた琥珀に火をつける。

空子「っ!」

空子の白い首根に唇を這わせた琥珀。
初めての感覚に襲われた空子。体に電流のようなものが一気に走った。
何度も首周辺にキスをされ、力では敵わない空子が大きな声をあげる。

空子「やっ……琥珀っやめて!」

ようやく動きを止めた琥珀は、空子の首に顔を埋めたまま声を発する。

琥珀「……なんで。……俺のこと、好きなんだろ?」
空子「え……」

その声はいつもの琥珀の声ではなく、少し震えていて弱々しかった。
ただ事ではない空気を察して、空子も困惑する。

琥珀「だったら証明して。全部受け入れてよ。空子のためならなんでもできる俺みたいに……」
空子(こ、琥珀……?)

顔を上げた琥珀は不安げな瞳をしていて、その頬は熱を帯び赤く色づいている。

琥珀「空子からキスして」
空子(っ!)

琥珀の要求に、空子は胸をドクンと鳴らし苦しいくらいに締め付けられた。