●翌日、電車内(朝、登校時間)
学生や社会人で少し混雑している車内。
いつも通り、同じ車両には乗り込むものの、空子と琥珀は真逆の窓側に立つ。
空子が流れていく春の景色を眺める。
琥珀(……)
琥珀の視線は窓に反射した空子を見つめていて、この時間が歯痒くてまた悶々とする。
●高校からほど近い歩道
高校前の駅で降り、空子が急ぎ足で学校に向かう。その後ろを琥珀が見守るようについていく。
同じ高校の生徒が増えてきて、空子と琥珀の距離はますます遠ざかっていった。
これを一年間続けて、流石に今日は強く寂しさを覚えた琥珀。
鞄からキャラメルを取り出して口の中に放り込む。
すると歩道の合流視点で、クラスメイトの廉と会った。
廉「はよ」
琥珀「おー」
一年の時から同じクラスの二人は、互いに気を許したような挨拶をして並んで歩く。
琥珀から漂う甘い匂いに気づいて、廉が問いかけた。
廉「……キャラメル食べてる?」
琥珀「そう、チャージ中」
廉「なにを」
琥珀(……空子を)
と言いたいところだけど、幼なじみを秘密にしている今は言えるはずもなく。
それに我ながらキモい思考だとも思っている琥珀は、廉の質問をスルーした。
琥珀の無回答をあまり気にしていない廉が、少し先を歩く空子の存在に気づいて何気なく尋ねる。
廉「青宮さんと同じ電車だった?」
琥珀「っ……え?」
思わぬ質問に琥珀が一瞬キャラメルを飲み込みそうになる。
廉「朝、琥珀と会うと決まって青宮さんも見かけるから」
常に落ち着いた表情の廉は、琥珀でも何を考えているのか読み取れない時がある。
意外と観察力が長けた廉に、琥珀は空子との約束を守るため知らないふりをする。
琥珀「さあ。電車内いつも混むし、眠くてぼーっとしてるからわかんね」
廉「ふーん」
琥珀「それより明日からゴールデンウィークだな。寝放題」
あくびをしながら話題を変えた琥珀の横顔を、廉は心配そうに見つめた。
●空子の教室、自席(昼休み)
今朝、琥珀と一緒に作った弁当を広げて食べる空子。
琥珀の弁当と量は違えど、おかずメニュは一緒。
見比べられると怪しまれるだろうけれど、琥珀と空子の弁当が並ぶことは決してない。
空子(今日の卵焼き、上手にできた〜)
自分好みの味に仕上がった卵焼きを口に含み、上機嫌な空子。
すると後ろの席で弁当を食べる女子グループが、琥珀のことを話題にしていた。
女子2「二時間目の後、八組の佐々木くんがうちの教室前を通ったんだけど、目が合ったかも!」
女子3「えー? 気のせいじゃない? 誰か友達探してたとか?」
その言葉に空子の肩がピクッと反応する。
まさか自分に用事があって探してたんじゃ……という不安がよぎった空子。
空子(でも二時間目の後は職員室に行っていたから、偶然による回避発動……)
それに今まで約束を守ってきてくれた琥珀に限って、突然話しかけてくるなんてことはないだろう。
何かあればスマホに連絡が入るからと、空子は安心した。
女子2「気のせいでもいいもん。かっこよかった〜佐々木くん」
女子3「しかも性格も良いし明るくて面白いし。非の打ちどころがないよね」
背後で盛り上がる会話。しかし空子は心の中でその会話に参加していた。
空子(非の打ちどころならあります。やることが子供っぽいし、意地悪してくるし)
(昨日は彼女がいない理由を、意味不明な冗談で人のせいにしてきました)
みんなのイメージとは違う琥珀を知っている空子は、首を横に振りたくなっていた。
すると、そんな空子も知らない意外な情報が耳に入る。
女子2「あーあ、でもあの花城さんと付き合ってるんだもんなー」
空子(……えっ……⁉︎)
驚いた空子は箸で掴んでいたミートボールを放す。
幸い弁当内に落ちたが、すぐに拾おうとはしない空子。女子たちの会話はさらに続けられる。
女子3「やっぱそうなんだ。仲良いもんね」
女子2「付き合ってること隠してるらしいけど、バレバレだよ〜」
空子(……知らなかった)
(花城さんといえば、昨日すれ違った中にいた、あの可愛い人だよね?)
(確かにいつも琥珀のそばにいるけど、クラスが同じで仲良しの友達だからかと……)
他の人にはバレバレな情報を、一切気づかなかった空子。
しかも昨日の琥珀は、自分に彼女がいないのは空子のせいだと言っていた。
でも実際は隠していただけで、琥珀にはちゃんと彼女がいた。
空子(意味わかんない……)
(彼女がいるのに、なんで人のせいにしてまで“いない”って嘘つくのよ……)
徐々に腹が立ってきた空子は、もう一度ミートボールを箸で摘んで口に運ぶ。
膨れっ面で弁当を完食した。
●別教室(放課後)
昨日行われるはずの図書委員会の集まりがあるため、空子は指定の教室で待機していた。
三年生が遅れるという情報を、他の人の会話から知る。
そこへ同じクラスの啓介がやってきて、隣の席に腰を下ろした。
啓介「青宮さん、遅れてごめん」
空子「三年生がまだきてないから、大丈夫」
啓介「よかった……」
無表情ながらも安心した様子の啓介は、少し考えたのちに空子に話しかける。
啓介「そういえば、何かあったの?」
空子「え?」
啓介「午後の授業中、青宮さんが不機嫌そうな顔してるの見えちゃって……」
言いながら、啓介は授業中に眉根を寄せて不穏オーラを放つ空子を思い出していた。
自分では気づかなかった空子が、慌てて弁解する。
空子「いや、あの、多分お腹痛かった時かも」
啓介「え? 無理せず帰っても……」
空子「今はもう治ったから、大丈夫」
それを聞いてホッとした様子の啓介。しかし空子は申し訳なく思う。
空子(琥珀に腹を立てていたなんて話せないから、誤魔化すために嘘ついちゃった)
同じように、琥珀にもたくさんの嘘をつかせているはず。
なのに、彼女がいることを秘密にされたからといって、空子に怒る資格はないと反省した。
空子「ありがとう。まさか仲野くんに見られてたなんて……」
眉を下げて微笑む空子が無理しているように見えて、啓介が再び心配する。
しかし、これ以上尋ねるのもしつこいと思って顔を背けた。
窓から見える景色を眺めて、啓介が気持ちを落ち着かせる。
ただ空子には、深く聞いてこない啓介にさらに好印象を抱いた。
空子(仲野くんって、やっぱり優しい人だなぁ)
啓介の物静かで優秀で、空子と同じおひとり様で行動するところに、空子は親近感を覚える。
だからつい、会話を続けてみたくなった。
空子「……仲野くんは、幼なじみっている?」
啓介「え、幼なじみ?」
啓介の聞き返しにハッとした空子は、さらに嘘の補足を加える。
空子「この学校じゃないんだけど、私、子供の頃から一緒にいる幼なじみがいて……」
啓介「へえ……俺は、幼なじみって呼べる人いないから、羨ましい」
空子「そ、そう?」
啓介の返答に、空子が首を傾げる。
啓介「そうだよ。気が合って、心許せているから長く一緒にいられるんだと思う。そんな人なかなか見つけられないよ」
啓介の言葉は、それが当たり前だった空子に幼なじみという存在の大切さを教えてくれた。
琥珀と一緒にいる時は、素の自分でいられる空子。
空子(そうだ。琥珀は私にとって、いつも一番の理解者でいてくれる)
幼なじみであり、親友、家族のような存在。
琥珀の笑顔を思い浮かべながら、空子は改めて感謝の念を抱いた。
空子(琥珀に助けられたことも何度もある、無理なお願いも聞いてもらってる)
(でも幼なじみだからといって、全てを知っているわけじゃない)
(琥珀は彼女がいること隠していて、私は中学時代のことを隠している……)
近い存在ゆえの難しい関係に複雑な感情が込み上げて、空子は考え込んでしまった。
啓介「その幼なじみが、どうかしたの?」
空子「え、あ……ううん。仲野くんはいるのかなーって思っただけ」
申し訳なさそうに話す空子に、啓介は少し違和感を覚えた。
するとタイミングがいいのか悪いのか、三年生の委員がやってきてようやく委員会が始まった。
真剣に話を聞く空子の横顔を、啓介は何度も視線を向けた。
●校門前(放課後、夕方)
委員会を終えて、なんとなく一緒に校舎を出た空子と啓介。
校門まで会話をしながら並んで歩く。
空子「私たちの図書当番はゴールデンウィーク明けだね」
啓介「うん。返却集中しそうで怖い」
空子「だね」
学校で、一日にこんなに誰かと話すことがなかった二人。少しずつ打ち解けている自覚があった。
自然に微笑む空子に、啓介も徐々に嬉しくなっていた。
そしてもうすぐ校門に差し掛かるという時、啓介が足を止める。
啓介「……あまり答えられることは少ないかもしれないけれど」
空子「え?」
啓介「俺でよければ、またいつでも話聞くから」
そう言って、啓介が優しい表情を向ける。
無理に聞き出そうとはせず受け身でいてくれる啓介の優しさに、空子の心が温まっていく。
空子(おひとり様であることに変わりはない)
(けれど、人との関わりで見えてくるもの、得るものがあることも、今では充分わかっている)
空子は啓介と話をしたことで、久々に新鮮な気持ちを得られた。
空子(嫌われること、離れてしまうことを前提に、他人を遠ざけてきたけれど)
(仲野くんは、琥珀のように安心して話せる相手かも)
そんなふうに思いながら、空子も胸の内を少しだけ吐露する。
空子「私、誰かと話すのあまり得意じゃなかったけど。でも今日仲野くんと話せて本当によかった」
啓介「っ……」
にこりと笑顔が咲いた空子に、啓介の心臓がドキリと音を鳴らす。
空子「あ、じゃあ私こっちだから。また休み明けに」
啓介「……うん、じゃあ」
軽く手を振る空子に、啓介も控えめに手を振って背を向けた。
帰り道が逆方向の二人は、こうして門前で別れる。
空子(琥珀のことで少しモヤモヤしてたけど、仲野くんのおかげで気分が晴れてきた)
ひとまず琥珀の件は一人で考えていても仕方がない。
かといって琥珀が秘密にしていることを問いただすのも野暮だから、触れないのが正解。
そう結論を出して駅に向かって一人歩く空子。
すると角を曲がったところに、先に帰っているはずの琥珀が腕を組んで立っていた。
空子「っ⁉︎」(なんでいるの……?)
驚いて足を止めた空子に向かって、琥珀は不機嫌そうに睨んできた。