●(回想)空子と琥珀の幼少時代
空子(私がまだ赤ちゃんだった頃、今の家に引っ越してきた)
(同じ時期、隣の家に引っ越してきたのが琥珀の家族)

赤ちゃんから幼児に成長した空子と琥珀が仲良く遊んでいる。
近くにいる空子の両親、琥珀の両親に見守られている。

空子(琥珀とは兄妹のように育った。喧嘩をすることもあったけどすぐに仲直りして、また仲良く遊んだ)
(けれど大人はそうもいかないようで……私が小学一年生の時、両親は離婚)
(そしてお父さんは――)

●小学一年生時、空子の家、玄関先(夕方)
空子『……お父さん、空子引き算できるようになったよ』
空子父『ごめんな。お父さん、もう空子と一緒にいられないんだ』

大きなバッグを持つ空子の父が背を向ける。

空子(私が寝たフリした後、両親が喧嘩しているのはわかっていた)
(仲良くして欲しくて、お父さんの気を引こうとしたり顔色を窺いながら振る舞ったりした)

空子『……空子のこと、嫌いになったの?』
空子父『……』

空子の父は無言のまま、ドアを開けて出ていった。
ポツンと取り残される空子。そして涙を我慢していた瞳が静かに閉じられた。

空子(だけど、結局私の気持ちはお父さんに届かなかった。たとえ血が繋がった父さえも、離れていくものなんだと教わった)
(それ以降、同じ悲しみを繰り返さないため――私は必要以上に人と関わることを避け、おひとり様を主張するようになった)

●小学校三年生(放課後、掃除の時間)

クラスメイトのリーダー的な女子1が、箒を持つ空子に話しかける。

女子1『空子ちゃんっていつも一人でいるよね』
空子『……一人が好きだから』
女子1『じゃあ今日の掃除当番も、一人でやった方がいいね〜』

くすくすと笑う女子1が、廊下に待たせている女子グループのところに戻っていく。
そこへ別のクラスの琥珀が、いつも通りに元気よく笑顔でやってくる。

琥珀『そーらこ! 帰ろうぜ〜!』
空子『今日、掃除当番』
琥珀『え、一人で?』
空子『……』

本来、掃除は班ごとに分かれて当番制で行われる。
しかし教室内には空子一人しかいなくて、琥珀が疑問に思った。
困っている空子に、言えない事情があると察した琥珀。別の箒をロッカーから持ってきて掃除を手伝いはじめた。

空子『あ、琥珀は先に帰ってて。クラス違うんだから……』
琥珀『二人でやった方が早く終わる。早く終わらせて一緒にお菓子食べよ!』

にこっと笑顔を向ける琥珀に、空子は胸が熱くなった。

空子『琥珀……ありがと……』
(一人でいる方が気楽)
(だけど、そう思うようになる以前から一緒にいた琥珀は、一緒にいるのが当たり前だった)
(――そんな私を妬む人たちがのちに現れるなんて、この時は想像もしていなかったけれど)


(回想終了)



●現在に戻る。洗面室
壁に手をついて、空子に迫る琥珀。

空子「こ、琥珀……?」
琥珀「俺……いつまで空子を無視しないといけないの?」

言いながら、真剣な目で空子を見つめる琥珀。

琥珀「高校の合格発表の日、空子が俺に言ったよな。学校では空子()を無視してって」
空子「う、うん……」
琥珀「俺と幼なじみってことを秘密にしたいって」

空子は気まずそうに視線を落とす。
自分都合で、琥珀に負担をかけていることへの申し訳ない気持ち。
「いつまで」という終わりのタイミングを考えていなくて沈黙する。

琥珀「あれから一年経って常々思うけど、知り合い程度に挨拶するくらいはいいんじゃねぇの?」

不満そうに訴える琥珀に対して、空子も反論する。

空子「……琥珀、高校入ってますます注目浴びてるし、友達たくさんいて賑やかなグループの中心にいるし」
琥珀「だからなんだよ」

琥珀が不機嫌な時の声だとすぐにわかった空子。
こんな無理なお願いを受け入れている琥珀だけど、納得はできなくて当然。
しかし空子はそのお願いを引き下げるつもりは今のところない。
今の、凪のような学校生活を壊したくなかった。
眉を下げて微笑む空子が、琥珀を説得する。

空子「い、いまさら学校で私と関わる必要ないでしょ」
琥珀「は? そんなこと――」
空子「琥珀には琥珀の世界があって、私には私の世界があるから……」

それを聞いて、さらにムッとした表情を浮かべる琥珀。
目を細め眉間には縦線がくっきりと入り、空子は内心焦る。
気持ちを全く理解していない空子に腹が立ち、琥珀がため息を漏らした。

琥珀「はあ……俺に彼女がいない理由、教えてやろうか?」
空子「え?」(理由があったの?)

質問に答えようとする琥珀に、空子は驚きつつも理由を考えてみる。

空子(三ヶ月に一回は『琥珀が告白された』って噂が流れるけど、彼女できたとは聞かないから全部断ってるんだよね?)
(琥珀に好きな人がいるって話も聞かないし、そもそも琥珀と恋愛話なんてしたことない)
(まあ、恋愛未経験の私に話したところで、何の収穫もないもんね)
(……じゃあ、彼女がいない理由って??)

見当もつかなくて、険しい顔をする空子が唸った。首を傾げたまま動かない。
痺れを切らした琥珀は、確信に迫る一歩手前の言葉を浴びせる。

琥珀「空子のせいだからなっ!」
空子「……え。わ、私……?」
琥珀「空子が――……」

大事なところで言葉が詰まる琥珀。周囲がしんと静まり返った。
空子はなぜ?という顔のまま琥珀の言葉を待つ。

琥珀「っ……つまり……それは……」

琥珀自身も、空子に伝えたい言葉を口にしたいのにできないジレンマを抱える。
正直に気持ちを言ってしまえば、少しは幼なじみの関係から進展があるかもしれない。
しかし、距離を取られて壊れてしまう方が怖い琥珀は、いつものように冗談ぽく言ってしまった。

琥珀「昔も今も可愛い空子をずっと見てきたせいで、理想が高くなっちゃったんだよな〜」
空子「……」

すんと無表情となった空子は、じっと琥珀を見つめた。
憐れみの目、残念な子を見るような視線が琥珀に刺さる。

琥珀(す、少しは照れろよ!)

もしくは笑い飛ばせ!と思っている琥珀の方が恥ずかしくなって、焦りを覚える。
その時、空子がブレザーのポケットから何かを取り出して琥珀のブレザーのポケットに忍ばせた。

空子「絶対に行った方がいい」
琥珀「あ? 何入れ――」
空子「さっき駅前で配ってたから、すぐに予約して」

そう言い残して琥珀の腕をくぐった空子は、リビングへと向かった。
洗面室に一人残された琥珀は、ポケットに手をつっこみ空子にもらったものを確認する。
それは眼科広告のポケットティッシュだった。

琥珀(……可愛いって言っただけなのに視力疑われた……)

鈍い空子と素直になれない自分を残念に思い、項垂れる琥珀。
ふと視線を横に向けると洗面台の鏡に自分の情けない姿が映っていた。
照れ隠しとはいえ、冗談ぽく言っても空子に伝わるわけがない。

琥珀(空子は悪くない、全部俺のせいなんだよ……)

本気で気持ちを伝えるのが怖い琥珀自身の問題。
わかっているのに、長年の幼なじみという関係のせいか、そういう雰囲気にするのが難しい。

琥珀「……ダサすぎ」

琥珀は小さな声で自分自身を罵った。

●リビング
一方、リビングに戻った空子は課題の準備をしていた。
しかし、その心が少しざわついている。

空子(な、なんなの急に……あ、あれが幻の壁ドン……!)

人生で初めて体験したシチュエーションに、空子の心臓がドキドキ音を鳴らしていた。

空子(琥珀のばか、私に耐性ないことわかってあんなこと……)
(幼なじみにドキドキしてどうするのよっ)

深呼吸を繰り返して、心臓を落ち着かせようと必死の空子。
琥珀が戻ってくるまでに、早く頬の熱を下げなくてはと焦っていた。


●就寝時間前、空子家の玄関先(夜)
あれから二人で課題を済ませ、夕食も作った。
空子の母、香苗が仕事から帰宅してから三人揃って夕食を食べる。
お風呂も済ませた琥珀はラフな姿に着替えており、制服と学生鞄を抱えて隣の自宅に帰るところ。

琥珀「じゃあな」
空子「……なんか、今日は口数少なかったね」

不安げに琥珀を見つめる空子。その視線に弱い琥珀が、自制のために視線を逸らした。

琥珀(そういうところは鋭いくせに)「今日の体育、長距離走だったから疲れが出た」
空子「そうなんだ。……じゃあ早く寝なきゃ」

琥珀は適当に理由をつけると、安堵の表情を浮かべる空子。
離れがたい琥珀は名残惜しそうに空子の頭をポンと撫でた。

琥珀「空子も早く寝ろよ。おやすみ」
空子「う、うん。おやすみ」

琥珀はいつものように微笑み、玄関のドアを閉めた。
一人になった空子は、そのまま二階の自室に向かう。

空子「はーー」

ベッドに倒れ込んで大きなため息をついた。
そして琥珀に言われたセリフを思い出す。

空子「“いつまで無視しないといけないの?”って聞かれちゃった……」
(おひとり様の私が、突然人気者の琥珀と話すようになったら……周囲はどんなふうに思うだろう)
(流石に高校生になって冷やかす人はいないかな? でも琥珀を好きな女の子は今もたくさんいて――)

ふと中学時代の嫌な思い出が脳裏に浮かび、気分が悪くなって顔を顰める空子。
静かに目を閉じて、深呼吸を何度か繰り返した。

空子(あの時の出来事は、琥珀に知られるわけにはいかない)

心配かけるだけでなく“どうして今まで黙っていた?”と絶対に怒られてしまう。

空子(でも、それが“あの子”との約束だから……)
(やっぱり学校では今まで通り琥珀に無視してもらおう。そう、私はあの時学んだのよ)

そして同じことを繰り返さないために。
改めて空子は、琥珀と他人のふりを継続する決心をした。


●琥珀の自宅、玄関先
自宅に戻った琥珀も悶々とし、大きなため息と共に項垂れていた。

琥珀(はっきり言えよ俺ー!)
(ずっと前から空子が好きで、学校でも一緒にいたいんだって)
(一緒に登校して一緒に弁当食べて、放課後デートしたいんだ!)

長年の片想いを拗らせている琥珀は、すっかり臆病になっていた。
靴を脱いで階段を駆け上る琥珀。

琥珀(それに、幼なじみの俺が空子に話しかけられなくて、なんで他の男は空子と話せるんだよ!)
(一年の時に同じクラスだった、優等生の仲野啓介。特別仲が良かったわけではないけど、席が近い時はよく話していた)

その啓介が、すれ違ったあとの空子と会話していた場面を思い出す。
話の内容は聞こえなかったが、空子と会話が許される啓介に嫉妬した。

●琥珀の部屋
電気もつけず、床に鞄を置いて脱力するようにベッドへ寝転がる。
勢い余って鞄が倒れ、空子にもらったキャラメルが飛び出した。
月明かりに照らされたそれを見つめる琥珀は、改めて空子への想いを募らせる。

琥珀(俺は、空子のためならなんでもできる。“無視して”とお願いされれば、納得できなくても実行する)
(けれど、何で俺を遠ざけるようになった? 挨拶くらい、してもいいだろ……)

何度も寝返りをして、思い悩む琥珀。

琥珀(今までに何度か、幼なじみを秘密にする理由を空子に尋ねた)
(いつも決まって『凪のように生きたい』や『属性が違う』と言われる)
(それにさっきは――)

琥珀は、空子に言われたセリフを思い出す。

空子『琥珀には琥珀の世界があって、私には私の世界があるから……』

思い出してチクリと胸を痛める琥珀は、目元を片腕で覆いぽつりと呟いた。

琥珀「……つまり、空子の世界に俺は不要ってことかよ……」
(俺は、空子がいない世界なんて考えられないのに)

進展しない二人の関係に、琥珀は悶々としていた。