●二週間後、学校(昼休み)
毎日二人で登下校している空子と琥珀。
少しでも一緒にいたいと思っている琥珀は、毎朝空子を教室前まで送り届けていた。
しかし、本日は一人で教室にやってきた空子。一人のクラスメイトがいち早くそれに気づいた。
女子2「青宮さん、おはよう」
空子「あ、おはよう」
女子2「今日は一人? 佐々木くんは?」
席についた空子に声をかけたのは、以前琥珀と目が合ったと喜んでいたクラスメイト。
毎日欠かさず空子を送り届ける琥珀の姿がなくて、疑問に思った。
空子「今日はお休みなの」
女子2「えー、それは残念。風邪かな?」
空子「ううん、本人は元気。ちょっと私用で……」
言いながら窓の外に視線を向けた空子。
空子(今日は真衣さんの退院日。だから琥珀が付き添うことになっている)
(真衣さんは心配かけたくないって言うけれど、琥珀は親孝行したいんだよね)
お父さんを亡くした琥珀にとって、真衣はたった一人の大切な母親。
琥珀の気持ちを理解している空子が、思いを馳せる。
すると女子2が少し気まずいような顔で話しはじめた。
女子2「あの……私、よく佐々木くんのことを話題にしてたの、聞こえてたと思うんだけどね」
空子「え? ああ、うん……?」
女子2「あれは芸能人やアイドルと同じ感覚で話していただけで、決して好きとか狙ってるとかじゃないからね?」
突然の弁明に、よくわかっていない空子がキョトンとした。
すると今度は瞳を輝かせて女子2が熱弁する。
女子2「私は青宮さんのことも密かに推してたから、二人が幼なじみで付き合ってるって知って嬉しかったの!」
空子「え……、え?」
女子2「人気者の佐々木くん×清楚で可憐な青宮さん……はあ、最高な推しカップル誕生に私の高校生ライフ幸せすぎるわ」
ノンストップに話し続ける女子2の顔がうっとりしていた。
空子が困惑していると、登校してきて間もない友人の女子3が自然と合流する。
女子3「こらこら、青宮さん困ってるよ」
女子2「え? あ、ごめん! 私また夢中に話しちゃった……」
自分の暴走を謝る女子2に、空子は首を振った。
空子「ちょっとびっくりしたけど、そんなふうに言ってもらえて嬉しいよ。ありがとう」
(おひとり様だった私が、誰かの推しになっていたなんて想像もしていなかった……)
帰ったら琥珀に報告したいと考えながら、空子が微笑む。
以前よりも声をかけやすい雰囲気を纏う空子に、女子と女子3は安堵した。
女子3「よかったら、朝礼終わったあと一緒に移動教室行かない?」
空子「え?」
女子2「そ、そうしよう! 青宮さんと佐々木くんのヒストリー知りたい!」
女子3「あんたはすぐまたそうやって……」
賑やかな会話をする二人に圧倒されながらも、嬉しさが込み上げてきた空子が頷いた。
友達ができる日も近いかもしれないと、おひとり様の卒業を予感する。
●病院前(午前)
大きめのボストンバッグを肩から下げる琥珀が、母の真衣とともに病院を出た。
そのままタクシーの後部座席に乗り込むと、琥珀が運転手に自宅住所を伝える。
走り出した車内で、真衣が琥珀に声をかけた。
真衣「一人で退院できたのに、学校休ませちゃって悪かったわね」
琥珀「別に。当然のことしてるだけだし……」
平日を退院日にしたことを、真衣が申し訳なく思っていた。
琥珀が返事をすると、窓から見える景色に目を向ける。
頼もしい息子に成長してくれたことを、真衣は心の中で喜んだ。
真衣(優しいところは、お父さんそっくりね……)
亡き夫に似てきた琥珀に、真衣が胸を熱くする。
そして話題は真衣が入院中に実施された半同居生活に。
真衣「どうだった? 空子ちゃんと仲良くしてた?」
琥珀「子供じゃねぇんだから、もちろん――」
“仲良くしていた”と返答しようとした琥珀が、言葉を詰まらせた。
琥珀(……いや、空子の気持ちがわからなくなった時、俺がいじけて避けてた期間はあったか)
「……いつも通りだよ」
咄嗟に誤魔化して顔を背けた琥珀。
すると、琥珀が何か悩んでいると勘違いした真衣ががっかりしたように言ってきた。
真衣「まーだ告白してないの? ほんっとうちの息子も意気地なしね」
琥珀「ぶっ! ……は、はあ⁉︎ 何の話だよ⁉︎」
驚愕しながら焦る琥珀。
琥珀と空子の交際を知らないはずの真衣だが、琥珀が空子を好きだという前提で話を続ける。
真衣「そういうところはお父さんに似なくていいんだから」
琥珀「いや待て、え? 父さん?」
処理したい情報が多くて琥珀は混乱した。
夫と付き合う前のことを思い出しながら、真衣が呆れ顔を見せる。
真衣「大学で知り合ったお父さんもね〜、明らかに私のことが好きなのに全っ然告白してくれなくて」
琥珀(……親の馴れ初めとか聞きたくねぇー)
真衣「一年間もうじうじしてるから私が強引にデート誘ったのよ」
琥珀(やば、俺の方がうじうじ期間、長……)
心の中で父よりひどい自分に落ち込む。それに気づかない真衣が大事なことを琥珀に伝えた。
真衣「愛する人との時間は有限だってこと、琥珀もよくわかってるんだから」
琥珀「っ……」
真衣「空子ちゃんを大切にできる自信があるなら、少しでも長く一緒にいたいなら……急ぎなさいね」
愛する家族を突然失った経験をした二人。だからこそ、大切な人との時間は少しでも長い方がいいと話す真衣。
悩んでいるのがもったいないと教えられて、琥珀が首根をかいて小さく頷いた。
●下駄箱付近(放課後)
外靴に履き替えて下校しようとする空子が、涼音に呼び止められる。
涼音「青宮空子」
空子「あ、花城さん」
相変わらず空子をフルネーム呼びする涼音が、不服そうな顔で近寄ってくる。
そして空子に一冊のノートを差し出した。
涼音「今日の授業の分を廉が書き写したノート。土日挟むから琥珀に渡しといてって頼まれた」
空子「あ、ありがとう」
琥珀が不在の本日も、いつも通り昼休みをみんなで過ごせた空子。
啓介はもちろん、琥珀のクラスメイトである涼音や里菜、廉とも打ち解けてきたと思っている。
面倒見の良い廉の人柄を再確認して、空子が微笑んだ。
涼音「それと……」
空子「え?」
涼音「……啓介、まだ教室にいた?」
幼なじみの居場所を知りたい涼音が、啓介と同じクラスの空子に尋ねた。
空子(確か今日は日直だったから……)
と視線を落として考えていると、涼音の背後に啓介が現れた。
啓介「俺がなに?」
涼音「うわ!」
突然の啓介登場にビクッと肩が跳ねた涼音が、キレ気味で文句を言う。
涼音「びっくりした! いきなり現れないでよ!」
啓介「は? 探してたの涼音の方だろ」
涼音「わ、私の背後に立たないでっ」
無茶を言う涼音に、啓介が呆れ顔で大きなため息をつく。
啓介「青宮さんさよなら、また土日明け」
空子「う、うん……さよなら」
空子と挨拶を交わした啓介は、涼音を横切って黙々と靴を履き替えていた。
その様子を、涼音は複雑な心境で見つめる。
涼音(……またやっちゃった)
(今日こそ、啓介と一緒に帰ろうと思ったのに)
(なんで私は、また同じ過ちを繰り返そうとしてるんだろう)
素直になれないせいで、啓介と一度は仲違いになった。
これでは再び同じ結末を迎えてしまうと思っていた涼音が、ぎゅっと拳を握りしめる。
空子が二人を見守る中、啓介が振り返って涼音に声をかけた。
啓介「何してるの」
涼音「……え」
啓介「帰るよ」
涼音「!」
まるで一緒に帰ることが当たり前のように呼びかける啓介に、涼音の心がキュンと鳴った。
涼音「待って……じゃ、じゃあね!」
空子「うん、さよなら」
啓介のあとを追う涼音の背中から、喜びが伝わってくる。
幼なじみ修復期間中の二人。空子は微笑みながら心の中でエールを送った。
●自宅の最寄駅前(夕方)
空子が改札口を出ると、事前に連絡を取っていた琥珀が待っていた。
互いにパッと笑顔を咲かせながら駆け寄った。
琥珀「空子、おかえり!」
空子「わざわざ駅まで迎えにきてもらってごめんね」
琥珀「早く会いたかったからいいんだよ」
琥珀が自然な流れで空子と手を繋ぐ。
琥珀は私服を着ていて、空子は制服。
いつもと違うシチュエーションに、空子が密かに胸を躍らせていた。
空子「久々に家に帰った真衣さんの様子は?」
琥珀「元気すぎてうるさい」
空子「えー、真衣さんいなくて寂しかったくせに」
楽しそうに話す空子に、琥珀がお返しの質問をする。
琥珀「空子は?」
空子「え?」
琥珀「俺のいない学校、寂しかった?」
期待を膨らませた表情で尋ねられた空子は、琥珀の質問をスルーして大事な預かり物を鞄から出した。
空子「そうそう。今日分のノート預かってきたよ」
琥珀「俺の質問無視かい」
廉が書き写して涼音が持ってきてくれたノート。それをいじける琥珀に渡した空子が、恥じらいながら微笑んだ。
空子「寂しかったに決まってるでしょ」
琥珀「っ……!」
今までおひとり様を気楽に思い、凪のような高校生活を望んでいた。
琥珀との接触を拒み、無視を要求していた空子。
それが、琥珀のいない学校は寂しいと正直に話してくれた。
感動と嬉しさが込み上げて、琥珀が思わず頬を赤くしていると空子に気づかれる。
空子「え……?」
琥珀「っ……こっち見んな」
空子「顔赤いよ、なんで」
琥珀「だから、こっち見んな」
必死に顔を背けて腕で隠そうとする琥珀を、空子が執拗に覗き込む。
同じやりとりが少し続いて、ようやく琥珀が落ち着いた。
琥珀(ちょっと前までは、俺が「可愛い」って言っても視力低下を疑っていた空子が……)
(俺に無視されても平然として、むしろそれを望んでいた空子が……寂しいって言った)
(そんなの感動するに決まってるだろ)
空子の愛を感じて琥珀が優越感に浸る。そして二人にとって大事な話をはじめた。
琥珀「空子の心の準備がまだならそう言って欲しいんだけど――」
空子「ん?」
真剣な目をした琥珀に、空子も少しの緊張が走った。
●琥珀の自宅、リビング(夜六時頃)
今夜は琥珀の家にて真衣の退院を祝う会が催された。
午後休を取っていた空子の母、香苗が腕に縒りをかけて準備していた。
ダイニングテーブルには肉料理や手巻き寿司、サラダやカットフルーツなどが並んでいる。
それを囲った空子、琥珀、二人の母親がウーロン茶で乾杯した。
香苗「退院おめでとう!」
空子「おめでとうございます真衣さん」
真衣「ありがとう! みんなのおかげでなんとか退院できました!」
香苗「何言ってるの〜、今までも家族みたいに助け合ってきたんだから」
何度もペコペコと頭を下げる真衣に、香苗が微笑みながら励ます。
空子(そうだ、お母さんと真衣さんは隣人から友人、それを超えて家族のように支え合ってこれまで生きてきた)
(そして幼なじみだった私たちも……それを超えて今は――)
空子は隣に座る琥珀に視線を向けると、ぱちっと目が合った。
そして琥珀が頼もしそうに微笑むと、母親たちに声をかける。
琥珀「あの、二人に報告したいことがあるんだ」
真衣・香苗「え?」
和やかな雰囲気の中、琥珀が真剣な表情をするので母親たちも少し緊張した表情になる。
琥珀「俺と空子、付き合うことになった」
真衣・香苗「っ!!」
息子の片想いを察していた真衣は、目を丸くしながらも感動する。
そして香苗は、口をぽかんと開けたまま言葉を失っていた。
琥珀「まだ付き合いたてだけど、早く報告したほうがいいと思った」
空子「今までと変わらず、見守ってもらえるとありがたいです……」
言いながら香苗の顔色を窺う空子。すると香苗の瞳が徐々に潤んできて、ついに涙がこぼれ落ちた。
空子「え! お母さん……⁉︎」
香苗「……あ、ごめん。違うの、これは……嬉し涙よ」
香苗は涙を拭って笑顔を向けると、その思いを語りはじめる。
香苗「空子には、子供の頃から辛い思いをさせちゃったから」
空子「……お母さん……」
香苗「人への関心が薄くて消極的で、もし空子が恋愛に希望を持ってなかったら私が離婚したせいかなって」
そんな不安を抱えていた香苗にとって、空子が誰かと恋愛するという事実は本当に嬉しい報告だった。
そのお相手が昔から知っている琥珀なら、なおさら喜びが倍増する。
香苗「琥珀くんが空子のことを幼なじみとして大切にしてくれているのはわかっていたのよ」
琥珀「っ……」
香苗「それがいつの間にか恋に変わっていたなんてね。改めて、空子のことよろしくお願いします」
香苗は琥珀に頭を下げて空子の幸せを願った。
琥珀「……はい。絶対に幸せにします」
覚悟を持った琥珀の瞳が香苗にも届く。それを見守っていた真衣も、安堵と喜びで涙ぐんでいた。
しかし空子だけは、困惑した様子で三人を宥めるように話す。
空子「も、もうみんな大袈裟だよ……、結婚するって話じゃないんだから……」
琥珀・香苗・真衣「っ⁉︎」
空子の一言で空気が一変し、三人が目を見開いて絶句する。
特に琥珀は絶望と呆れが混同した表情をしていて、それを見た真衣が笑いを堪えた。
琥珀「空子……おまえってやつは」
空子「え? な、なによ?」
頭を抱える琥珀と、その秘めた願望に気づいていない空子。
賑やかな雰囲気がリビングに漂う。
サイドボード上には琥珀の父の写真が飾られて、みんなを見守るように微笑んでいた。
●リビング(一時間後)
夕食の時間は終わったが、話は尽きない母親二人。
お酒は飲めなくても、ウーロン茶での飲み会が開催されていた。
香苗「空子と琥珀くんが結婚したら母親の私たちも家族に……!」
真衣「えー嬉しい! もういっそ隣同士の家を改装してくっつけちゃおうか!」
香苗「何それすごい! あーでも新婚夫婦の邪魔しちゃ悪いわ〜、私たち二人で同居しようよ」
真衣「いいね! その案採用!」
子供達が入っていけない話にまで発展していて、空子がいたたまれない気持ちになっていた。
そんな空子の肩を、琥珀がトンと指を突いて知らせる。
琥珀「うるさいから、俺の部屋に避難する?」
空子「あ、うん……」
盛り上がる二人を置いて、空子と琥珀は二階にある琥珀の部屋に移動した。
●琥珀の部屋
黒と白を基調としたシンプルな部屋に入る。
昔はよくこの部屋で遊んでいたけれど、もうすっかり男子の部屋と化していた。
琥珀はベッドに座って本棚に手を伸ばす。
空子がデスクチェアに腰掛けようとした時、机の上に馴染みのキャラメル箱を見つけた。
空子「一つ食べてもいい?」
琥珀「ああ、それ空箱だけど」
空子「そうなの? じゃあ捨てとくね」
言いながら箱を手に取った時、琥珀の両手がそれを包み込んだ。
琥珀「だめ。それ空子が買ってくれたから保管してんの」
空子「……え?」
琥珀「春頃、俺のためにって……」
まだ琥珀の気持ちを知る前に、空子がコンビニで買ったキャラメル。
その空き箱を、三ヶ月経った今も取っておいているらしい。
「なぜ」という顔で見てくる空子の頬を、琥珀は両手で包み込んだ。
琥珀「初心を忘れないためだよ」
空子「え……っん」
その理由を聞く間もなく、琥珀から突然のキスが降ってくる。
空子は目を閉じて必死にキスを受け入れるが、角度を変えられるたびに焦りを覚えた。
そんな中、琥珀は恋に落ちた日の記憶を呼び起こす。
琥珀(あの日からはじまったんだ、俺の独占欲は――)
空子「っ!」
琥珀の唇が空子の白い首根に移行して、少し強めに吸い付いた。
鮮やかな色の花びらが刻まれると、空子は膨れ顔で琥珀に訴えかける。
それがまた琥珀の欲を駆り立てるが、一階には母親たちがいるため我慢した。
琥珀「この前、俺の彼女になれるのは空子だけって言ったけど……」
空子「うん?」
琥珀「俺の、嫁になれるのも空子だけだから」
言葉にしないと伝わらない空子に向けて、琥珀が照れながら宣言した。
気の早い話に想像が追いつかない空子は、顔を赤くしながら困惑する。
空子「……よ、よめ⁉︎」
琥珀「だから、そのつもりで俺に愛され続けろよ」
空子「っ……」
空子の髪を指に絡めて琥珀が囁く。母親二人の後ろ盾を持つ琥珀が強気に攻めてきた。
まだ高校生の二人は、すぐに結婚というわけにはいかない。
それでも琥珀の言葉は、空子の胸にスッと浸透していった。
空子(……結婚なんて、まだまだ先の話だと思っていたのに)
(琥珀となら、そんな未来が簡単に想像できちゃう……)
空子は照れつつも、琥珀の愛に応えるように微笑んだ。
fin.