●一週間後、図書館のカウンター(放課後)
本日は図書当番の空子と啓介。
あの日から一週間経ち、二人が付き合っているという噂も未だどこかで囁かれている。
しかし本人たちに確認しようとする人がいないため、否定する機会は少なかった。
カウンターで作業する啓介が、空子に声をかける。
啓介「青宮さん。佐々木くんと仲直りもまだなのに、俺と一緒にいるの気まずいよね……」
空子「え?」
啓介「ほら、噂が一人歩きしてるから。そういう目で見てくる人いるから」
噂があっても、同じ図書委員としてカウンターに並んで座る二人。
地味な自分と噂になってしまった空子を、啓介は不憫に思っていた。
しかし空子は、噂に関しては何も気にしていない様子で答える。
空子「心配してくれてありがとう。私は大丈夫だよ」
啓介「でも……」
一週間前のあの日は、結局琥珀に弁当を渡せなかった空子。
幼なじみの関係は今も秘密のままで、それを疑う者は今も誰一人いない。
そんな中で空子と啓介が噂になっていることに、啓介が複雑な心境を抱える。
空子「“青宮さんの人間関係は青宮さんが決めるもの”って言ってくれたの、仲野くんだよ?」
啓介「っ……」
空子「私は自分で選んでここにいるから……」
啓介「……うん。俺も」
噂なんかに惑わされない空子と啓介が、健気に微笑みあった。
けれど空子には、まだ解決していない問題がある。
空子「……琥珀とも、早く仲直りできたらいいんだけど」
啓介「家は隣同士なんだよね?」
空子「うん。でもインターホン押しても出なくて、メッセージも未読のままで」
(あれから家にも来ないし、朝の電車も時間をずらして避けられてる)
学校には来ているらしいけれど、この一週間琥珀と鉢合わせることがない。
空子(私と仲野くんの噂も知っている様子だったし)
(それで琥珀をますます怒らせちゃったのかも……)
深いため息をついた空子が、ポツリと本音を漏らす。
空子「……早く噂がなくなるといいね」
凪のような学校生活とは程遠い現状から脱したい空子。
それを聞いた啓介はカウンター下の拳を握りしめ、意を決して話しはじめる。
啓介「……青宮さん」
空子「ん?」
啓介「俺、青宮さんに嘘ついた……」
啓介の突然の告白を聞いて、空子は作業する手を止めた。
隣に座る啓介に視線を移すと、苦悩の表情をする横顔が確認できる。
啓介「……実は、俺にも昔、仲の良い幼なじみがいたんだ」
空子「え……?」
啓介「でも大きな喧嘩をして以降、関係は悪化したまま何年も経ってる」
以前空子が幼なじみについて相談をした際、啓介は“いない”と答えていた。
現在の関係は悪化している事情も合わせて、空子は今の琥珀との関係と少し重ねる。
啓介「幼なじみだった子は女の子だったんだけど」
空子(琥珀と私みたいだ)
啓介「小学六年生の時、地味な俺との仲を同級生に揶揄われて幼なじみが言ったんだ。“もう啓介と仲良くしない”って」
悲しげに話す啓介。しかし空子はその幼なじみの気持ちが少しだけわかった。
恥ずかしさのあまり、つい思っていないことを言ってしまう乙女心のようなもの。
それは、今の啓介も理解していた。
啓介「多感な時期で、幼なじみも嫌な気分になったんだと思う。けれど俺も当時は傷ついて、それからずっと仲違いに……」
空子「そっか、そんなことが……」
啓介「今はもう、お互いに大嫌いな存在になっちゃった」
啓介が諦めの笑みを浮かべる。
幼なじみといっても、色々な形や悩み、苦労がある。
空子と琥珀のように長く続く幼なじみの関係もあれば、啓介が経験したような終わり方もあるのだ。
啓介「青宮さんと佐々木くんには、そうなってほしくないな」
空子「……仲野くん」
啓介「って、勝手に願いを押し付けられても困ると思うけど……」
メガネの位置を直しながら話す啓介に、空子は首を振って感謝の念を伝える。
空子「ううん、そんなことない。すごく心強いよ」
啓介「……よかった」
空子「それと私も、仲野くんと幼なじみの子がもう一度分かり合えるように願うね」
互いに幼なじみとの関係が悪化している二人は、カウンターで関係修復の成功を願い合う。
●啓介の自宅近く、公園前の歩道(日没前)
図書当番を終え、校門前で空子と別れた啓介は薄暗い道を徒歩で帰宅中だった。
ほど近い自宅マンションまであと少し。
マンション前の公園に差し掛かった時、公園内から聞き覚えのある声がした。
啓介がそっと視線を向ける。
啓介(げ……)
公園のブランコに座る涼音と、同じ学校の制服を着た数人の姿が見えた。
呆れる啓介が、見なかったことにしたいと願う。
すると他の人物が街灯に照らされて、涼音と一緒にいるのが同じクラスのメンバーだとわかる。
友人の里菜、廉、そして琥珀もその輪にいた。
啓介(どうしてこんなところに佐々木くんが……)
(青宮さんの家の隣だとしたら、この辺りは反対方向なのに)
ブランコ近くのベンチに腰かけて、暇を持て余すようにスマホを見ている琥珀。
そこへブランコを降りた涼音が駆け寄り、琥珀の隣に座った。
涼音「ねえ琥珀、今の話聞いてた?」
琥珀「あ? なに……」
涼音「だから〜このままみんなでファミレスでご飯食べに行こ?」
二人の会話がうっすら聞こえた啓介が、複雑な気持ちを抱える。
啓介(青宮さん、佐々木くんが帰ってないこと心配するだろうな)
(でも、そんなことは俺みたいなやつが口出しすることじゃない……)
空子と琥珀、二人の問題に首を突っ込んではいけない。そう言い聞かせて公園を通り過ぎた。
しかし、啓介の意思とは反対に足が止まってしまう。
啓介(“青宮さんと佐々木くんには、そうなってほしくない”って言ったばかりなのに)
口だけなんてカッコ悪いと思い直して、空子のためにも踵を返した。
●公園内、ベンチ
琥珀と涼音がベンチに座っている。
そこへ砂を踏む足音が近づいてきて、琥珀が顔を上げた。
啓介「……佐々木くん」
琥珀「っ⁉︎」
突然現れた啓介に声をかけられ、一瞬琥珀の眉が歪んだ。
隣の涼音も啓介の登場にひどく驚き、ウザそうな目で睨む。
啓介「突然ごめん。話したいことがあるんだけど、いいかな」
琥珀「仲野が俺に話? 全く身に覚えがないんだけど」
空子と琥珀が幼なじみだということを、もちろん啓介も知らないと思っている琥珀。
いつもの陽気な調子で返すと、啓介が琥珀に真剣な目で訴える。
啓介「すごく大事なこと。だけど、ここでは話せないから場所を変えたい」
琥珀「……」
空子が幼なじみの件を内緒にしている以上、他の人に知られるわけにはいかない。
啓介は琥珀と二人きりになる必要性を感じて、琥珀に提案する。
しかし、これからファミレス行きを予定していた涼音が黙っていなかった。
涼音「ちょっと! いきなりなんなの? 邪魔しないでよ」
啓介「君とは話していない。俺は佐々木くんに用がある」
言いながら真剣な目を琥珀に向け続ける啓介。
これほどに、啓介が意見を強く主張する姿を見たことがなかった琥珀は、ため息をついて折れることにした。
琥珀「涼音、今日は帰るわ」
涼音「え、琥珀……!」
ベンチに置いていた鞄を持って、琥珀が振り向いて啓介を見る。
琥珀「……帰りながらでいいなら、話聞くけど」
啓介「あ、ありがとう……!」
公園を出ていく琥珀のあとを、安堵した啓介がついていく。
二人に声をかけようとした涼音を、廉が咄嗟に止めた。
廉「二人にしてあげよう」
涼音「でもっ……」
廉「涼音も気付いてるだろ? 最近の琥珀が元気ないこと」
涼音「……」
陽気に話していたかと思えば、不意に何か考え込んだように静かになる。
琥珀がそうなってしまったのは、“例の噂”を知って以降な気がしていた廉。
廉「琥珀はあまり悩み事を他人に話さないから俺もわからないけど、早く元気になってほしいし」
涼音「それは、私も同じだけど……」
廉と同じ思いを持つ涼音が、むすっと頬を膨らませた。
涼音(……私じゃ、解決してあげられないこともわかってる……)
涼音が何度アピールしても、絆されることなくかわし続ける琥珀。
そんな琥珀にますます好感を持った涼音は、叶わないとわかっていた恋を諦められなかった。
涼音(でも、そろそろ気持ちにケリをつけなきゃ……)
琥珀が望んでいるのは自分ではないと、涼音が視線を落とす。
すると廉が一つ気になることを話しはじめた。
廉「ところで仲野ってこの辺に住んでるんだ? 涼音と同じだな」
涼音「っ……!」
廉「てことは、仲野と同じ中学?」
涼音「……え、いやいや、あんな地味な男……知ら、知らないし……」
腕を組んで知らん顔する涼音だが、明らかに狼狽えている。
廉(なんだ、ここにもなにやら秘密が隠されている匂いがする……)
違和感を覚えた廉の心が、少しだけワクワクしていた。
●幹線道路沿いの歩道(日没)
日が落ちて、周囲はすっかり暗くなる。
駅に向かって幹線道路沿いの歩道を進む琥珀。少し後ろを静かについてくる啓介に声をかける。
琥珀「で? 話ってなに」
啓介「……青宮さんのことだよ」
空子の名前を聞いて顔色を変えた琥珀は、足を止め振り返る。
なにを知っている?というような目で啓介を睨んだ。
琥珀「……それ、俺に関係あんの?」
啓介「うん。青宮さんにとって佐々木くんは、大切な人だから」
その言葉にグッと胸が圧迫された。
空子が啓介に自分のことを話していたと思うと、苛立ちと嫉妬と嬉しさが入れ混じって不思議な感情を抱いた。
啓介「どうしてそんな噂が流れたのかわからないけど、俺と青宮さんは本当になにもなくて……」
琥珀「……へえ、じゃあ手を握ってたってのも作り話?」
当事者の証言を耳にして少しホッとした琥珀が、さらなる疑惑を解消しようとした。
しかし啓介は正直に答える。
啓介「それは、本当」
琥珀「……は?」
再び不穏な空気が漂い、琥珀の顔が歪んだ。
空子に触れたという事実が発覚し、啓介に対して怒りを覚える。
琥珀「はは。なに、仲野ってあいつのこと好きなの?」
琥珀の誘導尋問に、啓介はしばし沈黙したのちに目を見て答えた。
啓介「……そうだね、多分、そう……」
琥珀「っ……!」
啓介「青宮さんのこと、好きだよ」
街灯の明かりに照らされる啓介の目は真剣で、琥珀の焦りが一気に加速した。