ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

翌朝、ジークベルトと朝食を取った後、家令のサンチェスの元へ向かった。
彼は家令に与えられた部屋で、分厚い帳簿を付けているところだった。

「これは奥様」
「幾つかお願いがあるんだけど、いいかしら」
「どうぞ。そちらの椅子にお座り下さい」
「ありがとう」
「それでいかがいたしましたか?」
「一つは、今日からジーク様と一緒の寝室で過ごすことにしたからその支度をお願い」
「公爵様は……」
「確認を取ってもらってもいいけど、もちろん了承済みよ」
「かしこまりました。他には何かございますか?」
「出入りの商人を呼んで欲しいの」
「仕立て屋でしょうか、宝石商でしょうか。それとも二人とも呼びましょうか?」
「違うの。ちょっと作りたいものがあって。その材料を調達して欲しいの」
「何をなさるのですか?」
「ちょっとした商品作りを、ね」
「商品? かしこまりました。では手配しておきます」
「よろしく」

という訳で、早速やってきた出入りの商人に材料を提示する。
業者に作りたいもののイメージを伝え、何が必要かを調べてもらう。

さすがは公爵家から信任されているだけのことあって、なんとその日のうちに材料を揃えてくれることになった。
珍しい素材を使わないとはいえ、すごい。
前世の大手通販サイトも驚きの速さだ。

作るものは二つ。
保湿クリームと絆創膏。
この生活に根ざしたものであり、どちらも絶対に需要があるはずだと見込んだのだ。

保湿クリームは美容に関心のある貴婦人たちはもちろん、水仕事の多い使用人や平民など身分を問わず人気がでるだろう。

絆創膏も馬鹿にはできない。
なにせ、この世界では小さな傷を放置した結果、そこからバイ菌が入り、傷が化膿、取り返しのつかない事態になることも珍しくない。
回復魔法はあるものの、気軽に使えるのは貴族階級だけの特権。

前世の記憶がありながら、こんな地味なものに落ち着いたのは、イザベルの魔力の少なさ故である。
仮に商品作りに失敗しても材料費は安いから、公爵家に迷惑はかけないだろう。

という訳で、試作品を早速、完成させた。
蜜蝋や油を基本に、香り付けに薔薇水を使ったクリームに、付与魔法で保湿の力を与える。

魔法というのはイメージだ。
そのイメージが詳細になればなるほど、精度は上がっていく。
その点、前世の記憶というとんでもない武器を手にしているイザベラの付与魔法の精度はかなり高い。

保湿クリームを肌にぬりぬりする。
「いい香りっ」
前世の既製品にも負けないのでは、と自画自賛したくなる完成度。

次に絆創膏。
これはさすがに前世ほどの再現は難しいとはいえ、羊皮紙を基本にテープ代わりに植物の樹液をいくつか使って、ひとまず試作品を完成。
羊皮紙の部分に抗菌を付与すれば出来上がり。

二つとも、まずはメイドたちに使ってもらい、感想を教えてもらう。

そして夜。
(ついにこの時が……)

恐る恐る扉を開ければ、まず目に飛び込んできたのは圧倒されるほど大きな天蓋付きのベッド。
しかし部屋もまた驚くほど広いから、圧迫感はほとんど感じない。
(こんな部屋、テレビの中でしか見たことがない!)

まるでスイートルームだ。
ちなみにイザベルがこの世界で暮らしていた屋敷は、物置を部屋に改造した代物で、ぼろぼろのベッドが置かれているだけだった。

「何を突っ立ってる?」

はっとして振り返ると、バスローブ姿のジークベルトが立っていた。
銀髪にウルフアイの普段の彼だ。

「! き、昨日も言いましたよね、いきなり話しかけないでください。びっくりするじゃないですかっ!」
「部屋に入れないんだからしょうがないだろ」
「もっと足音を立てて下さい。今は仕事中じゃないんですから」
「癖になってるんだ、しょうがないだろ」

とりあえずイザベルは部屋に入り、ベッドに腰かけた。
ジークベルトも同じようにした。
と、彼がくんくんと鼻を動かす。

「どうされました?」
「香水か」
「いいえ。保湿クリームです」
「何だ、それは」
「手荒れを防止する薬、のようなものです」
「サンチェスが言ってたな。お前が何かを作ってるって」
「今は試作品の段階なんですけど、うまくいったら商売にできるんじゃないかと思ってます」
「金が欲しいのか? だったらサンチェスに言え。欲しいものは用意する」
「自分で稼ぐことに意味があるんですっ」

ぐ、っと拳を握る。

「身分を問わず女性には絶対、受けると思うんです。商機ありますよっ」
「女はドレスや宝飾品を欲しがるもんだろ。職人の真似事か?」
「まあ、そういう感じです。ジーク様、よろしければ、手を見せて下さい」

ジークベルトが両手を突き出す。

「あー、やっぱり少し荒れてますね」
「別にどうでもいいだろ。得物が握れればそれでいい」
「感想をもらいたいので、保湿クリームを塗ってみてもいいですか?」
「……好きにしろ。言っておくが、俺はあらゆる毒物劇物に耐性がある。何かを仕込んでいても、意味はないぞ」

そんなことは分かっている。

「私は妻なんですからそんな馬鹿げた真似はしません」

失礼します、とジークベルトの手にクリームを塗っていく。
(今、推しの手を握ってる。こんなことができるとか、最高!)

ジークベルトの手はすごく大きくて、骨張った男の人の手だ。
意識すると、頬が少し火照る。

「リンゴを潰せそうなくらい大きい手ですね」
「どうしてリンゴなんだ?」
「えーっと、何となく?」
「リンゴは知らないが、頭なら――」
「それ以上は言わないで下さい。これから眠るんですよ。変な夢を見ちゃったらどうするんですか」
「頭なら潰せる」
「どうして最後まで言うんですか!?」

ゲーム中にそういう描写があったから知っているけれど!

「……塗り終わりました。どうですか、いい香りじゃないですか?」

ジークベルトは鼻を寄せてくんくんと匂いを嗅ぐ。

「薔薇だな」
「それ以外の感想は?」
「ヌメヌメしてる。こんなもの塗って何がいいんだ」
「肌のお手入れですよ。今はそうでもないですが、秋や冬の乾燥しやすい時期は殿方も気を配られたほうがよろしいかと。あかぎれは痛いですから。ちなみに、匂いのほうはどうでしょうか」
「何でもいい」
「で、す、よ、ね。少し男性には甘すぎるかもしれませんから、男性向きのために香り付けは変えたほうがいいかもしれません」

独り言を呟きつつ、気付いたことをメモ帳に書き付けていく。

「ところで、今日お仕事は?」
「あったら、風呂に入らないだろ」
「あ、そうですね」

そこまで話して黙ると、二人の間に沈黙が落ちた。
そこでイザベラは自分が想像以上に、推しと二人きりの状況に緊張していることを自覚してしまう。
そもそも推しに限らず、男性と二人きりになるという状況そのものに不慣れなのだけど。

(……孤独を癒やすってどうしたらいいんだろ)

チラッ、とジークベルトを窺うが、彼は別に何でもないかのように、おもむろにバスローブの帯をほどく。

「な、何をなさっているんですか!?」

思わず悲鳴じみた声を上げてしまう。

「寝るんだよ」
「バスローブを脱ぐ必要はないのでは?」
「いつも脱ぐからな。……照れてるのか。だったらお前は自分の寝室へ戻ればいい」

イザベラは咳払いをする。

「照れてません。ただ、いきなりのことだったので、驚いただけで」
「だったら問題ないな」

ジークベルトはバスローブを脱ぎ始めるので、イザベラは背中を見せてベッドに横になる。
衣擦れの音が聞こえ、布団に潜り込む音を聞く。

ドキドキ、と鼓動が忙しない。

(こんな状況で、私、眠れる?)

自問してしまう。

こうして同室一日目は過ぎっていく。