ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

 宴が終わり、レオポルドは自室に戻る。
 眠り支度を整え、カウチに深く腰かけながら酒を舐め、イザベルとジークベルトのことを考えていた。
 イザベルは緊張しながらも、その話し方には悪女とは思えぬ誠実さがあった。
 そして彼女を守る騎士のように寄り添う、ジークベルトの姿。
 それは思い返してみても、不思議だと思う。
 ジークベルトがあそこまで誰かに執着するのを、レオポルドは知らない。

 レオポルドがジークベルトとはじめて会ったのは十歳の時。
 アレクセイに引き合わせられた。
 公爵家が王家にとってどれほど大事な存在であるかは、父から聞いていた。
 皇帝にのみ従う、忠実なる猟犬。
 決して公爵家の秘密を話してはいけないと厳しく言いつけられた。
 しかしそんなことは当時のレオポルドにはどうでも良かった。
 同年代と言われて、嬉しかったのだ。
 レオポルドの周りにいるのは年上ばかり。
 それも父の意向を受け、常に監視され、心が安まることがなかった。
 同い年の子なら、楽しいんじゃないかと期待したのだ。

 しかしいざ会ってみたジークベルトは無表情で、こちらが話しかけても言葉少なに答えるだけ。
 趣味とか、そういうことを聞いても、『特にありません』と答える。
 まるで喋る人形のようだと思った。
 せっかく同い年なのに、一緒にいても楽しくない。
 それどころか気味が悪かった。
 無表情で、黙ったまま後をついてきて、じっと見つめてくる。

 ジークベルトは数日おきにレオポルドの元へやってきた。
『どうして僕のところに来るの?』
 思わず非難するように告げた。
『父上が殿下を守れと言うからです』
『いらない。ついてこないで。黙って後をついてきて、僕が話しかけてもほとんど話さない。気持ち悪いっ』
 どれだけ言っても、ジークベルトはついてきた。
 レオポルドはまるで彼が存在しないかのように無視をした。

 そんなある日、訓練中に逃げ出した軍用犬が庭園に迷い込むという事件があった。
 ここまで大勢の人間から追い回されてかなり気が立っていたのだろう。
 レオポルドに襲いかかってきた。
 護衛の誰もが突然のことに反応できない中、ジークベルトだけが身を挺して守ってくれた。
 自分の腕を噛ませ、隠し持っていた短剣で、犬を殺したのだ。
 もし彼がいなかったらと思うと、レオポルドは怖くなって泣いてしまった。
『もう平気です。殿下』
 レオポルドは腕から血を流し、いつもは無表情だった顔を痛みで歪めながら、レオポルドを抱きしめてくれた。
 泣かないで下さい、と背中をさすりながら。

 周りの大人たちは『殿下に何をしている』『血がつく!』と注意したが、レオポルドはただ突っ立っているだけで何もできなかった大人たちが偉そうに言うのを非難し、下がらせた。
 部屋まで連れて行くと侍医を呼んで治療をさせ、二人きりになった。
 恐怖のせいで今もバクバクと脈打つ鼓動を意識しながら、これまでひどい言葉を浴びせてしまった罪悪感を抱きながら、ジークベルトに礼を言った。

『……さっきはありがとう。それから、ごめんなさい』
『? 何を謝られるのですか』
『気持ち悪い、と言ってしまったから。あんなことを言うべきじゃなかった……』
『構いません。よく言われますから』
『! だ、誰から』
『殿下の周りにいる方々からです』
『もう二度と言わないように注意しておく』
『構いません。気にしていませんから。僕は皇帝に使える猟犬ですから、あれくらいのことで動じません』
『あんな風に慰められたのは初めてだったよ。抱きしめられて、背中をさすられたのは。あれもその……猟犬になるための修行で教えられたこと?』

 それまで一切揺らがなかったはずのジークベルトの顔色が変わった。
『……父上に怒られて泣いている僕に、メイドがこっそりしてくれたんです。それで、悲しい気持ちがなくなりましたので。殿下が泣いてたのを、どうにかしたくて』
『そうなんだ。お陰で助かった』
『でも、このことは誰にも言わないでください』
『言うつもりはないけれど、どうして?』
『僕に優しくするとメイドが、父上に殴られるんです。甘やかせば、優秀な猟犬にはなれない、と』
『分かった。誰にも言わない』
『ありがとうございます』

 ジークベルトは辛そうな顔をしていた。
『……もしかして、無表情だったり、ほとんど話さないようにするのも、公爵から言われたから?』
 少し迷いを挟みながら、ジークベルトはこくりと小さく頷いた。
『猟犬は表情を表に出すな、無駄口を叩くな、と』

 レオポルドは自分の認識が間違っていたことを痛感する。
 それまでジークベルトはこういう性格なんだとばかり思っていたが、そんな訳がない。
 まだ十二歳の子どもなのだから。

 レオポルドは、ジークベルトを抱きしめた。
 さっき彼からしてもらった時のように。
 ジークベルトはぴくりと小さく体を震わせる。
『二人きりの時は普通に話していいよ。誰にも言わないから』
『普通?』
『無理はしなくてもいいから、自然にしていて。一番楽な風に。レオポルドのことは忘れて』
『ですが』
『ジークベルト。僕のほうが、公爵よりもずっと偉いんだ。その僕が言ってるんだから。ね?』
『……あ、はい』

 レオポルドは少し歪んだ、不器用な笑い方をした。
 彼にとって笑うことさえ無用なことだと、長らく公爵から教育されたせいなのだろう。
 不器用だけど、それでも、とてもいい笑顔だな、と思えた。

 いつか、ジークベルトがもっと自然に、笑いたいと思えるような人がそばにいれば、と思うようになった。
 レオポルドはそういう存在にはなれない。
 レオポルドは将来の国王であり、そして、もし必要があれば、ジークベルトに標的を殺すよう命じる存在だ。
 決して彼に安らぎを与えられるような人間にはなれない。

(父上が、伯爵家の尻尾を掴もうとした結婚だったが、イザベルは悪女とはほど遠い存在のようだから……)
 このままジークベルトが幸せになってくれたら嬉しい。
 彼には幸せになる権利があるのだから。