ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

 イザベラから目が離せない。
 どうしてこんなにも彼女が気にかかってしまうのか分からなかった。
 ジークベルトは戸惑いを隠せない。

 昨夜もそうだった。

 そろそろ眠ろうかとイザベラを振り返ると、彼女はいつの間にか眠っていた。
 これまでのジークベルトであれば何も気にすることなくさっさと眠っていたはず。

 それが風呂上がりの上気した肌、小さな顔のラインを包み込むような目の覚めるような赤毛、そしてうっすらと鼻腔をくすぐるフローラルの香りに、この間の闘技場の控え室で経験したような動悸を覚えた。

 眠ろうとしても気持ちが昂ぶり、無理だった。
 ただ彼女の顔が見たい、と結局、朝方まで見つめ続けた。

 結局、眠らないまま、一夜を明かした。

 頭に過ぎったのは、魔法だ。

「イザベラ。お前が使えるのは付与魔法だけか?」
「え、ええ……そうですが」

 いきなりの質問に、イザベラは戸惑いながら頷く。

「魅了魔法が使えるんじゃないのか」

 獣の目でじっとイザベラを見つめる。

 男であろうが女であろうか、若者も老人も関係なく嘘をつく時の表情の動きが存在する。
 ジークベルトの瞳はその微細な動きも決して見逃すことがない。

「そんなものが使えるのなら、もっと魔力量が必要です。私にそんな高度な魔法は使えません」
「……確かにな」

「大丈夫ですか?」

 イザベラが心配そうに、ジークベルトを見つめてくる。

 見るな、という気持ちと、見て欲しいという、相反する気持ちがぶつかりあう。

「もしかしてご気分でも悪くして……」

 イザベラが近づくと、鼻腔をくすぐる甘い香りを強く感じる。
 きっと濡れたせいだろう。

 腹の底が滾った。

 イザベラがジークベルトの右頬に触れる。

「少し熱い、ですね」

 確かにジークベルトの肌は熱を帯びていた。
 ひんやりとした彼女の手に、目蓋が重たくなってしまう。

「これは、何でもない」
「……本当に?」

 ジークベルトが頷く。

 イザベラの手が離れそうになることに気付き、思わず縋るようにその手を掴んだ。

 いきなりのことにイザベラがびくっと小さく震えた。

「え、えーっと?」

 イザベラはどうしていいのか分からず、戸惑いに瞳を揺らす。

(俺は何を)

 自分自身の行動に一番戸惑いを隠せないジークベルトは慌てたようにぱっと手を離す。

「ジーク様――」

「雨がやんだ」

 ジークベルトは立ち上がった。
 日射しが差していた。

「行くぞ。余計な時間を使った」

 ジークベルトはイザベラに一切、口を挟ませまいとするかのように早口で捲し立てた。