ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

 翌日の早朝、イザベラはジークベルトと一緒に昨日の村を訪ねた。

 村長に事情を説明し、村人にも手伝ってもらい、問題の農地を掘り返してもらう。

 効率を高めるために付与魔法でシャベルに対して、『筋力アップ』『軽量化』を付与すると、作業の効率も俄然上がった。

 結果、三十分ほどでそれが見つかった。

「魔石です! それもかなりデカい!」

 村人が驚きの声を上げた。

 可能性の一つだったが、どうやら当たったらしい。

 魔石はその純度によって自然界へ大きな影響を与えかねない代物だ。

 通常は山にあるものだが、稀にこうして平地にも鉱脈があったりする。

 村人たちはバケツリレーの要領で次から次へと魔石を放り出していった。

 どれもこれも純度は十段階中七以上だ。

「これが土地に悪さをしていた根本原因です」

「お待ちください、夫人」

 村長が口を開く。

「何か?」

「もしこれで済むのでしたら、他のいろいろな問題というのは説明がつきません。他の農地にも鉱脈があるとは考えられないのではありませんか?」

「その通りです。そして、他の農地の被害に関しては、専門家のせいです」

 村人たちは困惑したように顔を見合わせる。

 そう、それはとてもおかしなことだ。

 驚くのも当然。

 しかしイザベラの考えではそうなのだ。

 問題をここまで深刻にしたのは、すべて専門家たちだ。

 とはいえ、彼らが悪意をもってそうしたわけではない。

「専門家というのは、どんな事柄についても自分の分野で説明してしまいがちなんです。土壌の専門家であればすべての問題の理由を土壌に、水の専門家であれば水に、害虫の専門家であれば害虫に、というふうに。

 特に今回は公爵家からの依頼です。『何もわかりません』なんて答えはできなかったはず。だから、自分の専門分野で導き出せるような解決法を、それぞれの専門家がバラバラに行ってしまったのです」

 村人たちは驚きの顔で、イザベラの話に耳を傾けている。

「最初は土壌の専門家。その指導により大量の肥料が与えられた結果、その肥料目当ての害虫が大量に涌いてしまいました。

 今度は害虫の専門家により駆除が行われた。その際に使われた薬物が地下水を汚染してしまったんです。

 土地は離れていても地下水脈は繋がっていますから、農業用の井戸水がこれで汚染されてしまいます。

 結果的に薬物の混入した水を使用したために、他の土地の野菜まで結果的に悪くなってしまったんです」

「なるほど」

「魔石をすべて掘り出し、使う水を変えれば、問題は解決するはずです」

「他の村にも急ぎ伝えます」

 管理人が言った。

「ありがとうございます、公爵様、夫人」

「私は何もしていません。すべて妻が考えたことですから」

 ジークベルトはにこやかに言った。

 イザベラは村人たちから頭を下げられ、「いや、あの……」と慌ててしまう。

 人から罵倒されることはあっても、感謝されることのなかった身としては、ここまでまっすぐな感謝をされるのは馴れなかった。

 問題も解決し、イザベラたちは馬車に乗り込んだ。

「ジーク様、少し領地を見て回りたいのですが、よろしいでしょうか?」

 イザベラは恐る恐る聞いてみる。

「問題は解決しただろ」

「そうですが、あの……もっと公爵領を見て回りたいんです。問題を調査するためではなく、楽しむために」

 ――いいでしょうか。

 そうした思いを込め、上目遣いでジークベルトの答えを待つ。

「好きにしろ」

「ありがとうございます!」

「見て回るのなら、徒歩ではなく、馬がいいだろう」

「……残念ながら馬には乗れないんです」

「俺は乗れる」

 ジークベルトは管理人に命じて馬を調達させると、身軽に飛び乗り、手を差し出してくる。

「?」

「手を」

「あ、はい」

 抱き上げられると、ジークベルトは馬を走らせた。

 気付けば、彼はいつの間にか素の彼に戻っている。

「行きたい場所はあるか?」

「どこでもいいですっ」

 ――推しと一緒ならばどこででも!

「じゃあ、適当に行くぞ」

 風を浴び、髪が靡く。

 向かったのは、森だ。

 それほど木々の密度が濃くないせいか、木漏れ日のおかげで明るい。

「ジーク様、少し馬を停めてもらえますか?」

 イザベラは手を伸ばすと、木の実をもぎった。

 林檎だ。

 艶やかな照りを浮かべ、美味しそう。

「どうぞ」

「いらない」

「でも二つ、もいでしまったので」

 ジークベルトと一緒にリンゴを味わいつつ、森を散策する。

 小鳥がさえずり、鹿や野ウサギと遭遇した。

「すごいですっ!」

「ただの野生動物だろ」

「そうかもしれませんけど、感動します!」

 呆れられるのは百も承知ながら、はしゃがずにはいられない。

 鹿も野ウサギも特別珍しい動物ではないが、自然界で見るとまた特別に思えた。

 さすがのはしゃぎぶりに、ジークベルトからは多少、呆れられてしまったかもしれないが。

 湖が見えてくる。

 湖を風が渡ると、ひんやりと涼しさが顔に吹き付けてくる。

「ここで休む」

 最初にジークベルトが下り、手を貸して貰う。

「ありがとうございます」

 イザベラは馬を下りると、水に手をひたす。

「んー、気持ちいい……」

 イザベラはその場で靴を脱ぎ捨て、水の中に足首まで浸かった。

 スカートを持ち上げ、ぱしゃぱしゃと軽いステップを踏む。

「ジーク様も一緒に入りませんか。気持ちいいですよっ」

「俺はいい」

 木の根元で座り込んだジークベルトは軽く首を横に振った。

「そう言わずに。やらず嫌いはもったいないですっ」

 本当に嫌がられるようなら無理に誘いはしなかったが、ジークベルトの様子を見る限り、本気で嫌がっていないと確信できた。

 彼の目が、そういっている。

(推しの感情なら、ばっちり分かるわ!)

 特に今のウルフアイの状態なら特に。

「おい……」

 ジークベルトの手を引く。

「濡れちゃいますから靴を脱いでください」

 呆れたように溜息をついた彼がブーツを脱ぐ。そして一緒に浅瀬に足を浸す。

「どうです」

「冷たい」

「気持ち良くありませんか?」

「水だから当然だろう」

「もう、それだけじゃないはずです。ひんやりしてますよね? これが、気持ちいいんです。特にこうして夏の暑い日は最高ですよねっ」

 イザベラはぱしゃっと水面を蹴った。

「ほらっ」

「? 何をしてるんだ?」

「今、小さくですけど、虹が見えましたっ」

 イザベラは何度も水を蹴る。

 ただそれだけなのに、イザベラは笑顔になった。

「そんなものが楽しいのか」

 ただ水を蹴って水飛沫をあげているだけなのに、まるで子どものように無邪気に笑うイザベラを、やや呆れたように見てくる。

「そりゃもう!」

 イザベラは大きく頷いた。

「ジーク様もやってみてください」

 目をキラキラさせながら見つめていると、やらないとうるさそうと思ったかどうかは分からないが、イザベラを真似するように水を蹴った。

 イザベラでは考えられない大きな水飛沫が上がった。

「虹! 見えました!?」

「確かに」

「綺麗ですよねっ」

「かもな」

「かもな、じゃなくて、そうなんですよ」

「よくお前は笑うな」

「だって笑ったほうが楽しくなりませんか? 笑う門には福来たる、ですよ」

「なんだそれは」

「あ、えー……私が考えたことわざで……ひゃっ」

 バランスを崩しそうになったイザベラを、ジークベルトが抱き寄せた。

「何があった」

「足元を魚が泳いでつい声を……」

 顔がみるみる熱を持つ。

「あ、すいません。抱きついてしまって」

「お前が抱きついたんじゃなくて、俺が抱き寄せたんだ」

「とにかく、すみません。ちょっと調子にのっちゃいました」

 イザベラは苦笑しつつ、ジークベルトから距離を取る。

(本当に幸せ。もうずっとここにいたい)

 都を離れ、フリードとの関係を完全に絶ってしまいたい。

 叶わないけれど、そう思わずにはいられない。

 イザベラはさすがにはしゃぎ疲れて、木陰で休む。

 そうしているうちに、うとうとしはじめる。

(駄目、眠っちゃ……)

 でも、水に浸かってほどよく疲れた体に、この温かな日射しはあまりに心地良すぎる。

 イザベラは結局、眠気には勝てず、眠りに落ちた。

 ジークベルトの肩にもたれるようにして。