ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

 闘技大会の一週間後。

 日射しの目映さに目を細めるイザベラは、馬車の窓ごしに見えるどこかの風景を眺める。

「ここが、公爵領なんですね!」

 そう、イザベラはクロイツ侯爵家の領地へ、ジークベルトと共に来ていた。

 都の北部にあるせいか、暑さもだいぶやわらいで、空気もからっとしているせいか、日中もそこまで暑さを感じない。

「どこにでもある田舎だ」

 ジークベルトは腕を組み、事も無げに言った。

「それがいいんじゃないですかっ」

 自然と鼻歌をうたってしまう。

 実は、都から出るのは初めてのことだった。

 これまでイザベラは一度たりとも出たことがない。そんなことをあのイカれた伯爵が許してくれるはずもなかったからだ。

 常に監視の目が光り、指先から爪先にいたるまで神経を使い、怯えて暮らしていた。

 結婚するまで、イザベラの人生はひたすら綱渡りを強いられてきたのだ。

 伯爵が求めるレベルの学習力をつけられなければ、目当ての男を籠絡できなければ、情報を引き出せなければ――待っているのはひどい折檻。

 そんな状況で、都の外に行きたいなど望むべくもない。

 ただ本を読んでは、都をぐるりと囲んだ高い壁の向こうに広がっているであろう世界を妄想することが関の山。

 さて、どうしてイザベラがジークベルトと一緒に出かけることになったのか。

 ことのはじまりは数日前に遡る。

 眠る直前、『数日後、しばらく屋敷を留守にする』そうジークベルトから言われたのだ。

『どちらへ行かれるのですか?』

『領地だ。どうやら問題が起こったらしい』

『お一人で?』

『護衛が必要に見えるか?』

『そうではなくて。……私もご一緒してはいけませんか?』

 ジークベルトには、あのオレンジ頭を倒してもらった大きな恩があった。

 もちろん、ジークベルトはイザベラのためにやったことではないだろうが、とにかくあれには本当に感謝しているのだ。

 イザベラは妻として、そしてこのゲームのファンとして推しのためになることであれば、少しでも協力したかった。

 ヒロインと出会えば、ジークベルトは彼女に心を奪われる。

 それまでの短い時間、推しとの思い出を少しでも作りたいという下心もあったが。

『何故だ』

『ジーク様がわざわざ領地まで足を運ばれるということは、簡単な問題ではないからですよね? もしかしたら何かお役に立てるかもしれません』

『好きにしろ』

『ありがとうございますっ』

 という訳で、ジークベルトにくっついて公爵領を訪れることになった。

 都から領地までは移動門と呼ばれる、いわゆるワープゲートを使用したこともあり、およそ二日で到着できた。

 馬車を降りたイザベラたちは屋敷に入ると、出迎えてくれたのは公爵領の管理人夫妻である。

「旦那様、奥様、ようこそおいでくださいました」

「ありがとう、二人とも」

 ジークベルトはここでも本性を隠して応対する。

 管理人たちは使用人に命じて荷物を屋敷へ運ばせた。

「ご夫妻の寝室はご一緒でよろしかったのですよね」

「ああ。――早速だけど、領地の問題を確認したい。案内をお願いできるかい」

「もちろんでございます」

 管理人の夫と一緒に馬車で移動する。

 管理人が何が起こったかをかいつまんで教えてくれることによると、ここ一ヶ月で多くの作物が枯れるという事態が続いているのだという。

「報告を受け取って、すぐ専門家を手配したけれど、それでも駄目だったのですね」

「ええ。野菜、土壌、水質……専門家の方々を手配してくださったことには感謝しております。しかし、改善には至らず……。そればかりか、被害はますます増えていくばかりなんです」

 公爵家の収入は領地からの作物の販売代金も入っている。

 この状況が来年以降も続くようなことになれば、危険だ。

(うーん。もしかしたらゲームのイベントの知識が参考になるかもって思ったけど、問題はなかなか難しそう……)

 こんなイベントはゲーム内では起こらなかった。

 そうこうしているうちに、農村にたどりつく。

 馬車を降りると、村長へ会いに行く。

「公爵様、奥様。村長のソームと申します。このたびははるばるありがとうございます」

 六十代ほどの老人が応対に出た。

「ソーム。農地まで案内して欲しい」

 管理人の言葉に、村長は頷く。

 農地は村の外れにあった。

 農業をしている村人たちがいて、イザベラたちに頭を下げる。

 実際に村人たちが野菜を見せてくれる。

 生育が悪かったり、明らかに腐ってしまっていたり、悲しい事態は深刻のようだ。

(まあ、これくらいのことは専門家がとっくに調査し終えているだろうし)

 日が暮れるということで、今日のところは屋敷に戻った。

 夕食を取り終わり、お風呂に入り、寝室へ。

 ベッドでは、銀髪にウルフアイと普段の姿に戻ったジークベルトが難しい顔で報告書を読み直している。

(こういう顔が見られるなんて役得よね)

 思わず、にんまりと口元が緩む。

「何を人の顔をジロジロと見ているんだ」

 ジークベルトは書類から顔を上げないまま言った。

「!」

 さすがは気配に敏感な一流の暗殺者だけのことはある。

「何をご覧になられているのですか?」

「専門家の報告書だ」

 分厚い冊子が何冊もある。

「すごい数ですね」

「十人近く専門家を派遣したからな」

「それだけやっても何も問題が解決しなかったんですね。見ても構いませんか」

「好きにしろ」

「あ」

「どうした?」

「もしかしたらですけど、解決できるかもしれません。これはまだただの可能性にすぎないんですが」

「聞かせろ」

 イザベラは自分の考えを話してみる。

「……確かに、可能性としては、あるかもな」

「本当にそう思いますか?」

「明日、行ってみよう」

 確証はなかったが、ジークベルトに肯定してもらえると、それだけですごく嬉しかった。