ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

 都は日々、イベントが目白押しだ。
 その日、イザベルは皇帝主催の闘技大会の客席にいた。

 しかし今回、ジークベルトは所用があるとかで欠席。今日は世話係のメイドを連れての参加だ。
 会場は皇帝主催ということで貴族たちのいる貴賓席はもちろん、平民相手にも開放されている席を含め、満員御礼。都で闘技大会は最高の娯楽の一つでもあった。

 同じエリアにいる貴夫人たちは「殴り合いを楽しむなんて野蛮ですわ」と言わんばかりに盛り上がっている平民たちへ蔑んだ視線を注いでいるが、イザベルは一人静かに心を躍らせていた。
 闘技場はゲームでもお馴染みの場所だったからだ。あの場所に自分がいるということだけでも、ファンとしては嬉しい。

(聖地巡礼最高!)

 本当はここで攻略キャラがヒロインを巡って争うというイベントを見たかったが、残念ながら時期が違うので難しい。

「前年優勝者の入場です!」

 司会進行役のアナウンスと共に、一人の男が姿を見せる。

「えっ」

 思わず変な声が漏れてしまった。
 平民たちの大歓声、そしてさっきまで野蛮だわと平民たちを蔑んでいた一部の貴婦人たちが目の色を変えた。

 姿を見せたのは、そう、オレンジ頭とイザベルが勝手に命名した、ガルシア・ヒューム。彼が大歓声を浴びながら入場してきたのだ。

 おまけにその服装はこれから戦いに赴く人間というより、女子受けを意識しているのかどうか分からないが、やたらと己の筋肉を強調するような簡易装備だった。

 ナンパ男にとってここは技と技をぶつけ合う闘技大会ではなく、己の存在をアピールして一夜の相手を探すための狩り場なのだろう。

(神聖な戦いの場なのに、なんて不純なのよ!)

 この間の夜会のことともあいまって、怒りが再燃した。

(ゲームに出番のないモブにも劣る存在の分際で!)

 思わず、ぎゅっと拳を握ってしまう。

「さあ、今年も皇帝陛下主催の闘技大会、盛り上がって参りました! 今年の勝利の女神は一体誰に微笑むのか! 前年に引き続き王者ガルシアか、はたまた別の人間か、大注目です!!」

 司会進行が観客を煽り立てた。いよいよ闘技大会が開始される。
 参加者は腕に覚えのある者なら階級は関係ない。ただし公平を期するために魔法の使用は厳禁。使った場合はその瞬間、失格。ただ己の腕のみで競い合う。

 試合は順調に消化され、やがて一回戦最後の試合を迎える。
 イザベルから向かって左手側から現れたのは、二十代後半の男。

「うぉぉぉぉぉぉ!」

 雄叫びを上げ、剣をかかげれば、庶民の観客が声援を送る。

「いいぞ、サルティス!」
「さっさとひねり潰して、あの優男から優勝をもぎ取ってくれえ!」

 声援を聞く限り、どうやらサルティスと呼ばれた男は今回の優勝最有力のようだ。

 次いで右手側から、対戦相手が出てくる。

 瞬間、会場がかすかにどよめく。
 長身痩躯に、目の部分だけが空いた白い仮面をつけた黒髪の、おそらく男性が姿を見せた。

「おいおい、目立ちたがり屋枠かよ」
「仮面のにーちゃん、死にたくなけりゃさっさと失せろ!」

 観客から罵声が飛ぶ。闘技大会には最低一人は、いわゆる目立ちたがり屋が紛れ込む。そういう人たちが目的なのはただ注目を浴びること。端から優勝なんて目指さない。

 だから彼らはわざと外見を華美に飾り立てたりする。
 確かに仮面をつけるのは目立ちたがり屋と判断されてもおかしくない。
 しかし仮面の男は周囲からの罵声や嘲笑には一切目もくれなかった。

 そしてイザベルはその男性の姿に思わず前のめりになってしまう。

(あの服……)

「ね、オペラグラスを貸してくれない?」
「どうぞ」

 これまでオペラグラスを要求されなかったのでメイドは慌てながら渡してくれる。

「奥様、あの仮面の人を応援されるのですか?」
「……まだ分からないけれど」

 仮面の騎士がまとう黒を基調した上下は、間違いない。誕生日にイザベルがプレゼントしたものだ。

 つまり、あれは。

(どうしてジークベルトが闘技大会に参加しているの!?)

「ね、ジーク様は今日、所用で出かけてるのよね。どこに行かれたか分かる?」
「行き先は聞いておりません。ただ、家令様からそう聞いただけで」

(嘘をついてまで出場するのはなんで!?)

 確かに、ゲーム本編でジークベルトは闘技大会に参加する。しかしそれはヒロインとの友好度が50パーセントを越えたくらいに発生するイベントであって、ヒロインがまだ都にいない状況でこんなことが起こることはありえない。

(まさかジークベルトのように自分の命にさえ執着しない人が、優勝賞金を欲しがるとは思えないし)

「はじめ!」

 審判のかけ声と共に試合が開始される。

「ぶっつぶせ! ぶっつぶせ! ぶっつぶせ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」

 観客は足を踏みならし、物騒なコールを行う。
 あまりに大人数の足踏みによって、こっちのほうまで振動が伝わり、ますます貴婦人たちを辟易とさせる。

(理由はともかく、勝って欲しい!)

 ついでに言えば、あのオレンジ頭を倒して優勝して欲しい。イザベルは勝利を祈願する。

 サルティスが剣を抜くが、ジークベルトは剣の束に手をかけようともしなかった。

「うりゃああああああ!」

 サルティスがニヤッと笑い、斬りかかる。
 ジークベルトは半身になり、振り下ろされる斬撃を必要最低限の動きでかわす。

 まさかこんなにもあっさりかわされると思わなかったのだろう、サルティスは「え?」という顔をする。
 次の瞬間、ジークベルトはサルティスの首筋に手刀を叩き込んだ。

「げふ」

 サルティスの口から空気が抜けるような声が聞こえたかと思えば、白目を剥いて崩れた。

 つい数秒前まで観客の声や足踏みでやかましかったはずの闘技場内が、しん、と静まり返った。

 少し遅れて、審判が俯せに倒れたサルティスに駆け寄り、声をかけ、頬を叩く。しかしサルティスは無反応。

「しょ、勝者、仮面の騎士!」

 審判が宣言する。

「ま、マジかよ……」
「え? たった一撃だぞ」

 会場中が別の意味でざわめきに包まれた。
 ジークベルトは何事もなかったかのように、自分が出てきた右手側の門へと消えていった。

 それから怒涛のごとく、ジークベルトは勝ち続けた。
 自分の二倍ちかくあろう大男が相手でも、剣よりもリーチのある槍が相手でも、必要最低限の動きで瞬殺した。

 最初は仮面の男を目立ちたがりの雑魚枠と見なしていた観客も、次から次へと優勝候補たちを薙ぎ倒していく手並みの鮮やかさに、昂奮を隠しきれないようだった。

 一回戦では罵声がとんできたのに、準決勝ではすでに「仮面の男、いいぞー!」「愛してるぜー!」と声援が当たり前のようになった。

(すごいわ、ジークベルト! さすがは推し! 格好いい!)

 イザベルは手に汗握っていた。正直、貴賓席でお行儀良く座っているのではなく、庶民側で誰よりも大きな声で「ぶっつぶせえっ!」と叫びたくてしょうがない。それができないのが悔しい。

 そして、いよいよ決勝戦。

 左側から、ガルシアが登場すると会場中はブーイングの嵐。
 しかしナルシストなガルシアは別に気にもしていない様子で白い歯をキラッとさせながら、貴賓席の貴婦人たちに向けて愛想を振りまく。

「っ!」

 明らかに今、目が合った。じっと見つめてきたかと思えば、ニヤッと笑いかけられた。
 ぞわ、と全身の鳥肌が立ちまくる。

 そこへ、ジークベルトが現れる。

「仮面の男、今度も瞬殺を頼むぜ!」
「優勝だ! キザ野郎をぶっつぶせ!」

 今や、ジークベルトは会場中の男たちを味方につけていた。

 と、ジークベルトがこちらを見る。
 オペラグラスごしに、目が合った気がした。