ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

出入りの商人に託した商品だが、売れ行きは好調のようだ。
保湿クリームは特に貴族の夫人たちに好評の一方、絆創膏は使用人たちに人気らしい。
貴族の屋敷から大口の注文が入るほど。

保温容器もこれまた商業的には成功した。
イザベラはジークベルトにお願いして、庭先の一角に小屋を作ってもらい、そこで品物の研究開発を行うことにして、一部のメイドにも手伝いをお願いした。

付与魔法が使える人間を雇ってもらったのだが、これまで戦闘支援にしか使ってこなかったせいか、どうしても商品の性能にムラができてしまう。
彼らには前世の記憶がある訳ではないから、保湿クリームなどのイメージがどうしても難しいのかもしれない。

そのお陰で類似品が出回っても、明らかに品質が劣っているから商売敵にはならなくて済んでいる。
むしろ類似品の存在が、本家であるイザベラの作った商品価値を底上げしてくれて、さらに売り上げが上がったのは嬉しい誤算だ。

とはいえ付与魔法が使える人間を雇っても、保湿効果の高い高級品はイザベラが結局、やることになるのは変わらないから、負担はそれほど変わらないのが現状。

そうこうしているうちに、雨季を過ぎ、六月――初夏を迎える。

ジークベルトの心に寄り添う計画だが、今月は特に大事な季節だ。
六月は彼の誕生日でもある。

商品作りに追われつつ、イザベラは彼への誕生日パーティーの計画を進めた。

「公爵様は誕生日を必要ないと言われますが」

誕生日パーティーの計画を話したサンチェスの第一声がこれ。
もちろん分かっている。

しかしジークベルトはゲーム中でヒロインに誕生日を祝われて満更でもなさそうだった。
口では「無駄なことを」と言いながら、はじめてもらうプレゼントである手作りのアクセサリーを肌身離さず大事に持っていたのだ。

「私はジーク様をお祝いしたいの。だから協力して」

そう言って、押し切った。
ジークベルトには知られないように誕生日当日まで準備は秘密裏に進める。
メイドの中でも特に口が硬いと思われる子たちにだけ話し、食材を集めてもらった。

食事も愛妻の手作り、と言いたいところだったが、目玉焼きさえ焦がす料理下手なイザベラでは無理なので諦めた。
その分、プレゼント作りに時間を割いた。
メイドの徹底的な指導を受けながら、指に細かな傷を作りつつ励んだ。

そして迎えた誕生日当日。

「ジーク様、お誕生日おめでとうございます!!」

イザベラは食堂にやってきたジークベルトに思いっきり声を張り上げた。

「……」
「あ、あのぉ……」
「びっくりしました。なるほど。最近、屋敷の中で違和感があったのはこれの計画のせいだったんですね」

食堂内にはメイドがいるからか、猫かぶりモードのジークベルトが言った。
まだ内心でどう思っているかは分からない。
何のこだわりもないジークベルトだから激怒しているということはないだろうけど、ただ煩わしいとは思っていそう。

メイドたちが食事を運んでくる。
いつも以上に豪勢な食事の数々。
おまけにデザートには甘いものが得意ではないジークベルトのためのシャーベット。

粗方食事を終えると、
「イザベラと二人きりにしてもらえる?」
とにこやかに言った。

背筋を汗の粒がたらりと流れていく。
いよいよ運命の時だ。

メイドたちが出ていくと、ジークベルトは「はぁ」と小さく溜息をこぼす。

「俺がこんなものを望んでいないことをサンチェスから聞いていなかったのか」

途端に重圧が増す。

「聞いてました」
「でもやったのか。なぜだ」
「誕生日をお祝いしたかったんです。ジーク様とこうしてお会いできたことに、本当に本当に感謝しているんです」

ジークベルトという推しがいなかったら、毎日はただただ灰色だっただろう。
前世、人にはもっと金の使い方を考えろと言われることもあったが、大きなお世話だった。
時に人は二次元に命を救われることだってある。

時代錯誤のパワハラ上司に陰口を叩く同僚、取引先は女相手だからとやたらと偉そうで――生き甲斐がなかったらどうなっていただろう。

制作陣、ありがとうと思いながら、何度、この日を祝い、SNSに誕生日の様子をアップしたことだろう。
あの時、イザベラの目の前にあったのは数百円のアクリルスタンドだったが、今は紛うことなき本人がいるのだ。

祝わない選択肢などあるはずがない。

ジークベルトは呆れたように「ハッ」とかすかに笑い、椅子の背もたれに寄りかかった。

「で、その指の怪我や、最近やたらと疲れた顔をしていたのは、この準備のせいか?」
「料理じゃないんです。料理はメイドたちにお願いしたので」
「じゃあ、何だ?」
「もちろん誕生日プレゼントですっ」
「プレゼント、ね」
「これです!」

イザベラが膝の上にずっと載せていたものを取り出した。
それはリボンをかけた一抱えサイズの箱である。
それをジークベルトの元まで運ぶ。

「開けてください」

言われるがまま、ジークベルトは開封する。

「服?」
「はい。ジーク様が任務の時に着用する仕事着です」
「これなら、いくらでも予備はある」
「いえ。これは特別製です。まず、これを見てください。いつもの仕事着には袖口や裾に刺繍が入ってませんよね。これ、私が入れたんです!」
「……道理でガタガタな訳だ」
「こ、これでも練習したんです。すみません……」
「いくら刺繍に凝ったところで、どうせ一度着れば処分するもんだぞ」
「それは全て対策済みです!」

イザベラはそばにあったワインの入ったグラスを掴むと、服へ思いっきり垂らした。
しかし垂らしたそばからワインは弾かれていく。

ジークベルトの目が驚きに瞠られた。

「何重にも耐水性の魔法をかけておきましたから、バケツ一杯の血をぶっかけられても汚れは付着しません。他にも防刃、防塵、防魔、防打、防毒、防猛毒、防腐敗、防麻痺など、戦闘時に受けるであろう様々な攻撃における耐性魔法をこれでもかと張り巡らせた最高の逸品なんです。さらにこれをご覧ください」

イザベラは袖口のボタンを指さす。

「これは貝殻から作ったボタンです。とても綺麗じゃないですか!?」
「なるほど。その目の隈はこの服に付与魔法をしていたせいか。一体どれだけ徹夜をしたんだ?」
「徹夜くらいどうってことはありません。なにせ……」

つい前世のブラック企業がいかに過酷だったかを勢いで口にしてしまいそうになり、慌てて口を噤む。

「どうした、演説はもう終わりか?」

コホン、と咳払いをする。

「という訳ですから、受け取ってください。できれば使って欲しいですが、使うかどうかはジーク様にお任せします」

「これは俺からだ」
「え?」

右手をかかげられた瞬間、くらっとした。

(あ、これ、もしかして魔法……?)

意識が暗転した。



ジークベルトは、意識を失ったイザベラを受け止めると抱き上げ、食堂を出る。
外で待機していたサンチェスが驚いたように目を瞠る。

「ジーク様、奥様はいかがなさったのですか?」
「相当、無理をしていたようだからな、魔法で眠らせた」
「……作用でございますか」
「安心しろ。強制的に休暇を取らせないと、このままさらに商品開発だなんだと取りかかりそうだからだ」

別にこいつが倒れようが何しようが、どうでも良かったが、過労死されては困る。

階段を上がり、寝室へ。
メイドを呼ぼうかと思ったが、いちいち面倒だと思い、服を脱がせた。

その体で男を虜にする稀代の悪女、イザベラという悪評に相応しく、スタイルは良く、柔らかな曲線を描いていた。
しかし執着というものなどまったくないジークベルトは眉ひとつ動かさず、夜着に着替えさせた。

寝顔をこうしてちゃんと見るのは初めてかもしれない。
普段の表情がころころと変わるのとは打って変わって、子どものように幼げだった。

「愚かな使用人風情が勝手なことをするな、猟犬に祝いなどいらん……」

ジークベルトはぽつりと独りごちる。
そう言ったのは、父のロンギヌスだ。

こっそり誕生日パーティーを開こうとしてくれたメイドを幼いジークベルトの前でムチ打ち、そして彼女が作ってくれたくまのぬいぐるみをズタズタに引き裂いた。
メイドはただただ己の非を謝罪し続けた。

誕生日など祝ってはいけない。
そんなことをすれば、自分以外の誰かがロンギヌスによって傷ついてしまう。
幼心にはひどいトラウマとなって刻まれた。

(今の今まで忘れていたのに)

「よく休め」

ジークベルトが立ち上がろうとしたその時、違和感を覚えて振り返った。
イザベラが服の裾をぎゅっと握っていた。

「おい」

裾を引っ張って手放させようとしたが、かなりきつく掴まれているようだ。

「……絶対、生き残る……」

ずいぶん面白い夢を見ているらしい。

小さく溜息をこぼし、ベッドに座り直した。