君を知りたい膝枕



 ◇

 あれは小学三年の頃だった。俺は弟と家の近所の河川敷でボール遊びをしていたんだ。

 美咲君って女の子みたいな顔してる。
 睫毛が長くて綺麗だね。
 芸能人になれそう。

 大人はそう褒めてくれたけど、上級生の男子から目をつけられて時々イジメられていた。その日もたまたま遊ぶ場所が一緒になってしまい、帰ろうとしたものの見つかって、ボールを投げつけられた。

 汚いとか綺麗とかどうでもよくて、単純に目立つ奴が気に入らなかったんだろう。
 引っ込み思案の俺はどうしていいかわからずに逃げようとした。でも、にやにやする年上の児童に囲まれてしまった。

「キャー、助けて、とか、言ってみろよ」

 バットで小突かれ、俺は無言で泣きそうになっている弟を抱きしめた。
 その時だ。

「こらーーー! 何やってんだ!」

 見知らぬ女の子が腕を振り回しながら走ってくるのが見える。女の子は臆することなく一番長身の男子の腕をつかんで引っ張った。

「やめなよ! その子、怖がってんじゃん!」
「何だお前。誰だよ!」

 俺の弟がそこで泣き出して、腹を立てた男子が弟と俺を突き飛ばした。すると女の子が「やめなって言ってるでしょ!」と男子につかみかかり、大乱闘が始まったのだった。

 男子五人に女子一人の喧嘩で、石を投げつけられたりとシャレにならない暴力行為もあったのだが、その子は男子を泣かせて追い払った。
 喧嘩慣れしてない俺はただただ座ったまま怯えて縮こまっていて、女の子に手をさしのべられてからようやく立ち上がることができたのだった。

 女の子はほとんど無傷だったけど、膝をついた時にすりむいたようで血を流していた。

「血、血が……」
「ああ、これ? こんなの大したことないよ。傷口洗ってばんそうこうつけとけばすぐ治っちゃうからさ!」

 それよりそっちこそケガはないの? と自分のことはそっちのけで俺達兄弟の方を気にしてくる。
 お礼を言わなくちゃ、と口を開きかけたが、女の子が先に声を発した。

「今度こういうことあったら、ちゃんとお母さんとかお父さんとか先生とか、大人にしっかり相談した方がいいよ。あいつら、弱いものイジメなんてとんでもないね! こんな可愛い女の子をイジメるなんて、どうかしてるよ」

 可愛い、女の子。

 俺はすぐに訂正しようとしたが、内気なせいでなかなか声が出てこない。
 女の子は、自分はここから遠いところに住んでいて、親戚のうちに母親と訪ねてきているのだと説明した。車でもう帰るところだったが、川が綺麗だったから、母親の目を盗んで見に来たのだと笑っている。

「本当に、美人だねぇ、あなた! 可愛くてか弱い女子ってついイジメたくなる男子がいるらしいよ。気をつけて。じゃあね!」

 はきはきその子はそう言っていたが、遠くから「小春ー!」と怒り混じりの名前を呼ぶ声を聞きつけ、首をすくめた。

「お母さんだ、怒られる!」

 走り去るその小春という少女に、結局俺は声がかけられなかった。
 胸の中は嵐でも来たかのようにいろんな感情が渦巻いていて、息が乱れた。

 きっとその時、俺は小春に恋をしたんだ。初恋だった。
 無謀で優しい女の子に、一目惚れした。

 一方で、「か弱い」だの「可愛い」だのというその子から発せられた言葉にもかなり傷ついて、それ以来、自分の顔のことを誰かから言われるのが本当に嫌になった。

 弱いままでいたくなくて、どうにかして力をつけて。
 風の噂で遠藤小春とかいう喧嘩の強い中学生がいると聞いて、あの時の少女だと確信した。
 弱い者を助け、自分の身をかえりみずに強い者に立ち向かう、反逆の姫。そんな小春という同年代の女の子が、そう何人もいるとは思えない。

 同じ高校を受験して、近づけたけれど声はなかなかかけられなくて。
 あの時ケガをさせたのを、ずっとずっと悔やんでいた。
 膝はどうなっただろう。一生残る傷にでもなっていたら、本当に自分を呪いそうだ。

 同じクラスになったものの、膝をまじまじと確認する機会なんてあるわけがない。どうにかして確認したい。
 そうして、苦肉の策で、俺はこう頼んだのだ。

「膝枕、してくれない?」

 彼女の膝は傷一つなくて綺麗だった。それで俺は、勝手にやっと許されたような気になった。

 優しい小春が、二度と傷つきませんように。
 今の俺の願いは一つ。彼女が傷つかないように、守ってやりたい――。