暑さが増した8月。
毎日、毎日仕事を精一杯やる。

いつかの夢だった美容師ではなく、あくまでもアシスタントとしてサポートするのが私の仕事。
アシスタントというよりかは、主に受付や事務的なことをしている。
みんなが仕事をしやすいように、お客様に快適な時間を過ごして頂ける様に気を配る。

ここのところ毎日とても充実していた。

ケンジさんに話をしたあの夜から、彼の事は不思議な程にちゃんと思い出に変わっていった。
まさかこんなに変わるなんて思ってもみなかった。
同じ景色同じ音、すべてが澄んで同じことを毎日しているはずなのに全てが新しい。
心が軽くなったおかげで、今までとは違う気持ちで仕事に打ち込めた。


「アカリ!
明日の14:30に新規1名な!」

「また友達作ってきたんですか?」

「おう!」


オーナー、ケンジさんは30歳。
今から4年前に独立。

ケンジさんは飲みに行っては友達を作ってくる。
それからお客さんとして来店して下さる方も多く、そのお陰もあってかお店はいつも忙しい。

男くさい格好良さで、頼れるみんなの兄貴的存在だ。
当然腕も良く、ケンジさんの予約はいつもいっぱいだ。

私が初めて会った時には、すでに当時働いていたのサロンでも若いのに不思議と貫禄があるまさにカリスマ美容師という言葉がぴったりハマるスタイリストだった。


「アカリ、伸びてきたな。
そろそろ髪カットするか!閉店後な!」

「やった~!」


私の髪は出会ってから今までずっとそんなケンジさんが担当だ。

あっと言う間に時間は過ぎ、すっかり外は真っ暗。


「ありがとうございました!」


最後のお客さんをみんなで見送り、今日の営業は終わった。

アツシが待ってましたとばかりに満面の笑みでケンジさんのそばに駆け寄る。


「ケンジさん!飯いきましょう!」

「お~、今日うちの看板娘の髪やるからなー。
そうだな、早く終わったら顔出すよ。」

「…じゃぁ、仕方ないかぁ。とりあえずリョウさんとマコトくんと行きますか~。」

「1人で行けよ。」

「うそですってー!
意地悪言わないでくださいよーもう!」


アツシはマコトにサラッと返され、わざとゴマをするように擦り寄っていた。
気持ち悪りぃ離れろとアツシを押し返すマコトと離れようとしないアツシのこんな攻防も微笑ましい。

みんなでわいわいと会話しているのが好きだ。
笑い声が心地よい。

しばらくすると、私達以外の4人はいつものお店へ出掛けていった。


「よし!アカリやるか。」

「は~い!楽しみ~!」

「期待してろ~。」


私のスタイルはほとんどケンジさんにお任せ。
来店した女の子が私の髪をみて「あんな感じにしてください!」と言うくらい、ケンジさんが作るスタイルは本当に女の子を可愛くする。

シャキ シャキとハサミの音が静かな店内に響くなか、ずっと気になっていたことを考えていた。

どうして、本屋でバイトしてる私をお店に連れてきたのか。

あの頃は彼との事ですごく落ち込んでいて、私の顔つきは相当ヤバかったと思う。
ヘアサロンに相応しい顔では決してなかったはずだから。
「ねぇ、ケンジさん。」


鏡越しのケンジさんから何となく恥ずかしくて目線をそらした。


「懐かしいよな。アカリがそう呼ぶの。」


自然とまたケンジさんと呼んでいたことに気づかされ少し恥ずかしくなる。



「一緒に働きだした頃の事思い出すな。」


そう、その時の事。
まさに私が今聞こうとしてた事。


「あ、そうですね…。」


ちょっとの沈黙があって、ケンジさんの顔を盗み見てみる。


「あの、ずっと聞いてみたかったんですけど…。」

「なんでお前を誘ったのか?」


ニヤッと笑うケンジさん。
なんで分かるんだ…私が聞こうとしてたこと。


「…まぁ、はい。そうなんですけど。
あの時の私はケイスケと別れたあとで人相も絶対ヤバかったのに、なんでサロンで働かないかって誘われたのか…。
さっぱりなんですよね、ずっと。」


「知ってたか?お前、あの本屋で評判良かったの。」

「え~!?嘘だぁ!」

「あそこの店長とは知り合いでよ。
お前が働きだした頃、いい娘が入ったって喜んでたんだよ。客の評判も良いって。」


褒められるような働きをした覚えは特にない。
ただ、何も考えたくなくて必死で毎日バイトに出てた。
常に思い出してしまうケイスケの顔を払うかのようにがむしゃらだった。
とにかく働いた。


「確かに店に行くと仕事は頑張ってるし、接客態度も良かったよな。ニコニコして。」

「ん~、子どもの頃から愛想だけは褒められましたけど…。」

「でもなぁ。なんか気になるんだよ。
お前見てると何かある気がして。
簡単に言えば負のオーラが出てたな。」


「ぶはっ!負の!!
でしょうねぇ。あの頃はほんとヤバかったもん。」


思わず笑ってしまった。
あの頃の事を笑いながらそう言えるようになった私は成長したのかも。

そんな私を鏡越しに見てケンジさんが少し笑った。
リズミカルに鳴っていたハサミの音が一瞬やんだ。
また、ゆっくりとハサミの音が鳴ると、ケンジさんもそのハサミのリズムに合わせるようにゆっくりと話し出した。


「まぁ、それでも愛想はピカイチだったよな。
俺、その頃にはとっくに独立考えてたから、アシスタントにしようとひらめいたわけよ。
当時の顔つきは確かに眠れてないような酷い顔だったけど、ちゃんとすればイケると思ったな。」

「何気に酷いこと言いましたね。事実ですけど。」

「バカ。褒めてんだよ。
どうせならスタッフは腕はもちろん、客の見本や憧れになるようにビジュアルにもこだわりたかったからな!」


これは褒め言葉?


「あまり褒められた気がしないですけど、まぁ、ありがとうございます。」

「あまり、礼言われた気がしねぇな。」
「とにかく、お前をあのままにしとくのはダメだと思ったんだよ。
今だから言うけど、俺がアカリを何とかしないといけない気がしたってのが本当のとこだ。」


たまたま本屋で働いていただけの私を助けようとしてくれた。
まさかそんな風に思って私を引っ張って行ってくれたなんて知らなかった。

嬉しくて、でも恥ずかしくて、何か反応しよう思うけど言葉が浮かばなくて、黙ってケンジさんを見つめていた。

ケンジさんはちょっと恥ずかしかったのか、目線をどこかにそらして言う。


「もうな、真っ黒もいいとこだぞ!
お前の空気感!漆黒だったからな!
ほっとくわけにいかねぇだろ!」


と、言った。

ケンジさんが少しふざけてくれたおかげで、少しピンとした空気がふわっと和らいだ。


「アハハ!酷い!
でも…、ありがとうございます。」


また一瞬ハサミを止め、ニカッと笑うケンジさん。

あの頃からケンジさんとはよくご飯食べたり、遊んだりした。
なんだか兄妹のように。
今思えばそのお陰もあって、私はなんとか潰れずにすんだんだと思う。

またハサミを動かしながら、ケンジさんは話す。


「お前があの本屋で働いてたのも、そこの店長と俺が知り合いで店に行ってたのも偶然だよな。
だけど、こうやって長いことお前とやってきてると、あれは必然だったんだと思うようになったな。」


「必然…。そう、かも。」


「よく人生に無駄なんてないって言うけど、あれ本当かもな。
だからさ、お前とケイスケの事もお前の人生には必要なことだったって考えてみろよ。
それがあって、お前は今ここにいるんだから。」


「…うん。そうですよね。」


ケンジさんに話をしたあの日から、ケイスケの事をどんどん消化できるようになっていた。
辛いばかりの過去を思い出しても、もうこないだまでのように胸は苦しくない。

そんな毎日の中で、今日はまた大きく前進できた日だった。

そんな話をしてる間に私の髪はどんどん切れていく。
仕上がる前になると、鏡を背中にして完成まで見えないようにするのが私とケンジさんの定番だ。


「じゃぁ、今回も完成までのお楽しみな。」


そして、クルッとイスを回される。