〇理事長室
ジャージに着替える稲岡
理事長であるおばはなんだかおもしろそうに笑っている
理事長「いよいよ授業参観ね」
稲岡裕「べつに、ふだんと変わりないですよ」
理事長「あなたがそうでも、穂村さんはどうかしらね?」
稲岡裕「そういえば、なんかすっごく不安そうだったな……」
(回想)
前日の教室で頭を抱えている明日香
稲岡は不思議そうに机のそばでしゃがんで彼女の顔を見つめていた
稲岡裕「どうしたの? 頭痛い?」
明日香「ある意味、痛い」
稲岡裕「え? じゃあ保健室行く?」
明日香「そういうんじゃないの……」
明日香は深いため息を吐き出すと、稲岡の方を向いた
明日香「明日、授業参観だったの、すっかり忘れてた……」
稲岡裕「あー、そういえば担任がそんなこと言ってたね」
明日香「私の家から、お兄ちゃんが来ることになって……」
稲岡裕「お兄さん?」
稲岡は明日香の兄をすっかり忘れているようで「どんな人だっけ?」と首をかしげた
明日香「お兄ちゃん、来る気満々なんだけど、それだけでも大問題なのに」
稲岡裕「なのに?」
明日香「ユウちゃんのこと、バレないか不安なんだよ……」
すると稲岡は「あはは」と笑った
明日香「なにがおかしいのー!」
稲岡裕「だって、バレるわけないよ。女子校にボクがいるなんて思わないでしょ」
明日香「お兄ちゃん、そういう嗅覚は鋭いから……」
稲岡裕「だいじょうぶだよ、なんとかなるって」
稲岡は笑顔で明日香の頭をやさしくなでる
しかし明日香の不安そうな表情は変わらなかった
(回想終了)
〇ふたたび理事長室
稲岡裕「明日香ちゃんのお兄さんって、きっと天然だよね」
理事長「あら、タスクは忘れたの? 穂村さんのお兄さんはすっごい筋金入りのシスコンで有名よ?」
稲岡裕「あはは、まさか」
理事長「入学式でひと悶着起こしてるの。父兄はイベントに基本的に参加できるけど、彼女のお兄さんだけは授業参観と文化祭だけであとは出禁になっているわ」
理事長の言葉にさすがの稲岡も表情がこわばる
稲岡裕「ま、バレなきゃいいよな」
理事長「そう、バレないでね? 約束のためにも」
稲岡裕「はいはい」
予鈴が鳴る
稲岡は手を振って理事長室を出ていった
〇グラウンド
日焼けを気にする女子生徒が多い中、稲岡はストレッチをしてやる気満々だ
そこへ明日香がやってくる
明日香「ユウちゃん、授業受けるの?」
稲岡裕「なんで? べつに体調悪くないけど」
明日香「そうじゃなくて……」
明日香は後方を指さした
体育教師と担任が保護者を連れてくるところだ
明日香「あの、せめて目立たないでね」
稲岡裕「問題なし。だいじょうぶだよ」
稲岡は明日香の頭をポンポンとやさしくたたく
稲岡裕「心配性なんだから」
明日香「心配もするよ。だって……」
稲岡裕「だって?」
明日香はすこし顔を赤らめた
明日香「ユウちゃん、退学にされたらヤだもん……」
稲岡裕(かわいい!)
稲岡のハートがエンジェルに射抜かれる(イメージ)
しかしそんな内心を隠すようにさわやかな笑顔で「ありがとう」と言った
稲岡裕「明日香ちゃんの不安になるようなことはしないから」
明日香「うん」
すると保護者たちと教師が生徒たちと合流した
体育教師「今日は走高跳びをします! 一.一メートルからはじめます。順番にチャレンジして、自分の最高点を記録するように! 飛び方は問いません」
生徒たちはキャーキャー言いながら「飛べないよー」「高すぎるー」と言っている
明日香は(このぐらいの高さなら)と率先して飛んだ
余裕そうにはさみ飛びで飛んだ
するとほかの女子も「私も飛べそう」と一人……また一人と飛んでいく
保護者たちはどの子が飛んでも成功すると拍手を送り、失敗すると「ファイト」と声をかけていた
兄 「すみません、遅れました」
明日香「……うわ……」
明日香の兄が事務員に引率されてグラウンドへ
兄 「お、明日香! 来たぞ! 走り高跳びか! その高さなら余裕だ! 行け!」
明日香「もう飛んだけど……」
兄 「なんと! も、もう一回飛んでくれ……」
事務員が「あの、授業の邪魔はしないでください……」と制止する
兄はあわてて「すみません」と腰を低くして謝りながら保護者達に混ざる
しかしそのイケメン(しかも若い男性)に、生徒たちも母たちも目が釘付け
女子A「明日香ちゃん、あの人、明日香ちゃんのお父さん?」
女子B「そんなわけないよ! 若いもん! お兄さん? すっごいイケメンだね!」
女子C「うらやましいなぁ。ねえ、いくつ? 彼女いるの?」
途端にクラスメートから囲まれてしまう明日香
すると稲岡がその輪を割って入る
稲岡裕「ちょっと。明日香ちゃんを囲まないで? あとあのお兄さん、すっごいシスコンだからやめておいた方が良いよ」
すると女子たちは「そうなの? がっかり」とか「ユウちゃんの方がかっこいいね……」なんて調子のいいことを言う
稲岡裕「次、ボクが飛ぶけど、高さ変えてもいいですか?」
体育教師に尋ねると、教師は快くうなずいた
体育教師「いくつにする?」
稲岡裕「一.四で。それでもヨユウだけどね」
体育教師「お、強気だね。失敗しても知らないよ」
稲岡裕「ふふ、じゃあ賭けます? ボクが一発で成功したら、今日は最高評価つけてくださいよ」
体育教師「飛べたらな」
稲岡は明日香を呼んで一緒に棒の高さを変える
小柄な明日香は身長が百五十に少し足らない
この高さを稲岡は飛べるのか? と不安そうだ
稲岡裕「明日香ちゃんはボクを信じてくれないの?」
明日香「え?」
稲岡裕「明日香ちゃん、ボクが失敗しそうって思ってるよ」
そう言って稲岡は明日香のほほを軽くつねる
明日香「そ、そうじゃないけど……」
稲岡裕「なら、成功するから。信じてて」
稲岡は明日香の頭をひとなですると、助走位置についた
明日香はほかの女子生徒のもとにもどる
稲岡は棒からの距離をはかりながら、ジャンプをし始めた
そして助走……ゆっくり、徐々に勢いをつけて――背面飛び
それはそれはきれいな背面飛びを決めた
棒はわずかにも揺れず、稲岡は文字通り余裕で飛び越した
生徒も保護者達も「わー」と拍手喝采
稲岡裕「もう少し高くてもよかったかな」
体育教師「すごいな! 今からでも陸上部に入らないか?」
稲岡裕「すいません、茶道部に入るので」
体育教師「それは残念だ」
授業が終わるのを知らせるチャイムが鳴る
明日香は稲岡に駆け寄ってもじもじしてからそっと耳元に口を寄せた
明日香「か、かっこよかったよ」
稲岡裕「…………!」
稲岡はめずらしく顔を赤らめる
明日香までつられて赤くなっていると、ほかのクラスメートたちが「ユウちゃんかっこよかったー!」と駆け寄ってくる
体育教師「おいおい、とっとと片付けろー」
体育教師があきれたように一年A組の生徒たちをみている
保護者達は担任に引率されて校舎へと戻っていく
しかし明日香の兄だけがしばらく立ち止まって明日香と稲岡をジッとみつめていた
〇放課後の教室
保護者達は帰りのHRを見守り、放課後になるとそのまま教室で懇談会が開かれることになっていた
そのため生徒たちは一斉に教室を出ていく
明日香は兄が思っていたよりおとなしかったことに安どしていた
明日香「ユウちゃん、帰ろう」
稲岡裕「うん」
すると兄がずんずんとこちらに向かって歩いてくるではないか
明日香は身構えた――しかし明日香を素通りしていく兄
兄 「なあ、キミ」
稲岡裕「?」
兄は稲岡の肩をつかんだ
兄 「もしかして、明日香と同じ幼稚園にいなかったか?」
稲岡裕「…………」
兄 「名前はたしか……稲岡裕(タスク)だったかな?」
兄の言葉に、教室に残っていた生徒や保護者達がざわつく
すると明日香がすぐに割って入った
明日香「お兄ちゃん! この子は稲岡裕(ユウ)ちゃんだよ!」
兄 「稲岡、裕(ユウ)?」
兄はジッと稲岡を凝視している
さすがの稲岡も冷や汗をかきながら笑っていた
稲岡裕「……人違いじゃないですか? 明日香ちゃんとは昔からの知り合いですけど、幼稚園はちがいます」
兄 「……そ、そうか」
担任が「はーい、懇談会をはじめます!」と声をかけたため、明日香は稲岡のうでを引いて逃げるように教室を出ていった
下駄箱まで逃げるように走ると、明日香は稲岡のうでを放し、ふうと息をついた
明日香「やばい、バレそうだった……」
稲岡裕「あの兄さんすごいなー」
明日香「そんな感心してる場合じゃないよ!」
稲岡裕「でも、これでしばらくは会わないし、だいじょうぶだよ」
明日香も「そうだね」とほほ笑みながら靴箱を開くと、靴の上に白い封筒が置いてあった
明日香「手紙……?」
稲岡裕「告白?」
明日香「まさか。女子校だよ?」
稲岡裕「もしや、ボクみたいなヤカラがほかに潜んでたり……?」
明日香「やめて、こわい」
明日香は笑いながらその封筒を開くときれいな文字がつらつらと書かれていた
〈金曜日の昼休み、美術室へ来てください〉
明日香「明日の昼休み? 美術室?」
稲岡裕「わ、告白っぽい。どうするどうする?」
稲岡はなぜかワクワクしている
明日香はそんな稲岡に向かって「そんなんじゃないよ」と笑って答えるが、声のトーンが低い
明日香「でも、行くのイヤだな」
稲岡裕「じゃあ無視したら?」
明日香「それもイヤかも」
稲岡裕「うーん」
稲岡はうでを組んで悩む
稲岡裕「じゃ、一緒に行こうか」
明日香「え?」
稲岡裕「べつに一人で来てください、とは書いてないんだし。一緒に行くよ」
明日香は(それで良いのかな?)とは思うものの、不安が勝っていたため稲岡に「お願い」と頭を下げる
稲岡裕「ライバルだったらちゃんと相手の顔を見ておかないといけないし」
明日香「だから、そんなんじゃないよ、きっと」
明日香はまるで「そうじゃないように」と思っているようにつぶやく
稲岡はそんな明日香を不思議そうに見つめながら「じゃ、帰ろっか」と手をつなぐ
不安がよぎる明日香は素直にその手をにぎり返した
校舎から校門へと手をつないで歩く二人
その二人を教室の窓から見ていた兄……
