女子校の王子様に求愛されています!


〇保健室のベッドの上で目を覚ます明日香
 鼻をひくひくとさせると、いい匂いがする

明日香「おなかすいた……」

 明日香がからだを起こすと、ちょうどカーテンが開いた
 養護教諭の50代の女性が目じりにしわを寄せながら笑っている

養護教諭「おはよう、穂村さん」
明日香「えっと、ここは?」
養護教諭「保健室よ。あなた、貧血で倒れちゃったのよ」

 明日香の胸元を指さす養護教諭
 みればスカーフが外されていて、制服には転々とした赤いシミ

明日香「……え? 血?」
養護教諭「転校生さんが過激な子らしいわね。あなた、おどろいて鼻血を吹き出して倒れちゃったんですって。初心ね」

 明日香は記憶をたぐりよせる

(回想)
 ろうかで稲岡にほほを触れられる明日香

稲岡裕「かわいいお姫さまになったね、明日香ちゃん」
稲岡裕「遅くなってごめんね。もう離さないよ、お姫さま?」

 顔が真っ赤になって倒れる明日香

(回想終了)

 明日香はベッドの白いシーツをぎゅっと引っ張って顔を隠す

明日香(そうだ! 稲岡さんに口説かれちゃったんだ!)

 養護教諭はブツブツ言いながら給食ののったトレーをベッドの上で渡すが、明日香の耳には何も入ってこない

明日香(でも、なんでタスクくんとの約束を知っているの? 名字も一緒だし……)
明日香(でもでも、記憶の中のタスクくんとはぜんっぜんちがうし!)

 明日香は無意識のうちにお箸を持ち、給食を食べ始める

明日香「ま、気のせいだよね。稲岡って名字ならめずらしくないだろうし、たまたまタスクくんと似てるってだけで、きっと他人の空似よ、空似」

 明日香はモグモグとご飯を食べ進める

明日香(じゃあなんで私の名前を知っていたんだろう?)

 明日香は首をかしげる。しかしすぐに切り替えた。

明日香「ま、いいか。とにかく、関わらないようにしよ……」

 すると保健室のドアが開いた。
 稲岡裕が「先生、明日香ちゃん起きた?」と声をかけているのがカーテン越しに聞こえ、明日香は飲んでいたスープをむせてしまった
 カーテンを開く音とともに、心配そうな表情の稲岡がそばに駆け寄ってきた

稲岡裕「明日香ちゃん、だいじょうぶ?」
明日香「稲岡さん……だ、だいじょうぶだよ」
稲岡裕「稲岡さん、だなんて、他人行儀に呼ばないでよ。ユウって呼んで」

 明日香は顔を赤らめる
 稲岡は明日香の口元にふれた

稲岡裕「ごはんつぶ。あわててたのかな?」

 稲岡のやさしい視線に、明日香は顔が真っ赤になってしまう

稲岡裕「さっきはごめんね。急に迫ったら、おどろくよね」

 明日香は小さくうなずいた

稲岡裕「でも、明日香ちゃんも悪いんだよ? ボクのことを思い出さないんだもん」

 稲岡は小さな声で言った

明日香「いな……ユウちゃん。私たち、今日がはじめましてじゃないの?」
稲岡裕「本当に、そうかな?」

 するとカーテンの向こうで、別学年の教師が養護教諭を呼びに来るやりとりが聞こえる

養護教諭「穂村さん、ちょっと離れるけど、まだ教室にもどらないでいてね」
明日香「は、はい!」

 養護教諭は教師とともに保健室を出て行ってしまった

明日香「…………」
稲岡裕「食欲ないの?」

 明日香は(あなたのせいで食べ物がのどを通らないんですが!)と心の内で叫んでいる

稲岡裕「……食べちゃうよ?」
明日香「いいよ」

 しかしすぐに明日香のお腹から「ぐう」と音が聞こえる
 稲岡がくすっと笑う

稲岡裕「冗談だよ。ほら、食べちゃいなよ」

 稲岡はベッドのすみに腰かけて明日香が給食を食べ終えるのをジッと待っていた
 明日香はちらちらと稲岡の方をみるが、見れば見るほど美しい生徒だと思った
 記憶の中の少年とは似ているようにも似ていないようにも思えた

明日香「ごちそうさまでした」
稲岡裕「完食したね、よかった。片付けておくね」
明日香「自分でやるよ?」
稲岡裕「ダメ。まだベッドから降りちゃダメだよ」

 稲岡は給食のトレーをカーテンの外にあるテーブルに置くとすぐにもどってきた
 そしてさきほどより近い場所に腰かけて明日香をみつめた
 明日香は視線を合わせられず、おもわず俯いてしまった

稲岡裕「なんで目をそらすの?」
明日香「だ、だって……」
稲岡裕「だって? なに?」
明日香「緊張する……から」

 すると稲岡は「かわいいね、明日香ちゃん」とささやく
 そして明日香の前髪にそっとふれた

稲岡裕「会いたかった。ずっと、会いたかった」
明日香「ユウちゃん……?」
稲岡裕「放課後、空いてる?」

 明日香は「うん」とうなずく

稲岡裕「放課後、空けておいて。話があるから」

 そう言って稲岡が立ち上がると、ちょうど養護教諭がもどってきた

稲岡裕「そろそろ教室にもどります」
養護教諭「あら、そう? 穂村さんはどうかしら?」
稲岡裕「食事は食べましたけど、まだ顔色が良くないです」
養護教諭「そう。じゃああと一時間は休ませてからもどすわ。先生にもそう伝えておいて?」
稲岡裕「わかりました。それでは失礼します」

 稲岡はカーテンをしずかにしめながら、最後のわずかな隙間から名残惜しいようすで明日香を見ていた
 カーテンの向こう側から養護教諭の声が聞こえる

養護教諭「それじゃあ穂村さん。もう少し寝てなさい。次の授業前に起こすから」
明日香「はい」

 明日香は素直にベッドにもぐりこんだ

明日香(もしかして、ユウちゃんって本当にタスクくんだったりするのかな?)

 しかし明日香は首を横に振る

明日香(まさか。ここは女子校だよ? 男の子のタスクくんが転校してくるなんて、そんなこと……)

 養護教諭のひとり言が聞こえてくる

養護教諭「それにしても、稲岡さん? 女の子なのにかっこいいわね。倒れた穂村さんをお姫さま抱っこしてここへ駆けこんできたのよ? 白馬にのった王子さま、って感じで、先生キュンッてしちゃった」

 そのひとり言に、明日香は〈稲岡にお姫さま抱っこされる自分〉を想像してまた顔を赤くする

明日香(あとで、ちゃんとお礼を言おう。そして……)

 満腹からくる眠気にだんだんと遠のく意識の中で、明日香は決意していた

明日香(あまり関わらないでくださいって。じゃないと、私の平和が崩れちゃうから……)

 〇明日香の夢の中

 明日香は夢を見ている
 まるで舞台をみる観客のように、小学生の自分を遠巻きにみている今の自分

男子「明日香ちゃん、好き!」
男子「僕と付き合ってください!」
男子「ずっと大事にするよ!」

 舞台上の明日香は真顔で首を横に振る

明日香「私には王子さまがいるから」
明日香「だからごめんなさい」

 すると途端に男の子たちの顔がオオカミに変わる

オオカミ?「許さない」
オオカミ?「僕は明日香ちゃんが好きなのに!」
オオカミ?「僕じゃダメなのか?」

 とびかかってくる三匹のオオカミにおびえる明日香――

 〇ふたたび保健室

 明日香が目を覚ますと、チャイムが鳴り響いていた
 養護教諭が顔を覗く

養護教諭「顔色もよくなったわ。最後の授業は受けてきなさいね」

 明日香は「はい」とうなずくとからだを起こした
 ひたいに浮かぶ脂汗をそっとぬぐう
 そして上履きを履くと、保健室をでた

稲岡裕「……明日香ちゃん!」
明日香「ユウちゃん?!」

 保健室前のろうかには稲岡が立っていた

稲岡裕「迎えに来たよ」
明日香「だいじょうぶなのに」
稲岡裕「ボクがしたかっただけだから」

 稲岡はうれしそうに明日香の横を歩く
 すれ違う生徒たちはみな稲岡を見ては「かっこいい」「王子様みたい」と声をひそめている

明日香「ユウちゃん」
稲岡裕「なに?」
明日香「…………」

 明日香は稲岡の顔をジッとみつめた
 やはりなつかしい気がするけれど、幼馴染の少年の成長した姿とは思いたくなかった

明日香「次の授業、なんだっけ」
稲岡裕「国語だよ。漢詩だって」

 稲岡は明日香に頼られたとばかりにうれしそうに答える
 そんな稲岡を明日香は複雑な表情でみつめていた