私はベッドに入っていたはず。誘拐、な訳ないか。私は普通の家庭の普通の高校生だから。お金持ちの家庭の子でも、すごくかわいい子でも、天才とか頭のいいひとでもない。だから誘拐じゃない。なら、何だろう。とりあえず、この壁だらけの場所から出ないと。
「おはよう!」
「うわっ!?」
綺麗な女性。綺麗なショートの黒髪に美人系の顔で変わった民族衣装なのかな、ズボンと上着。それに立派で美しい斧。斧!?いや、怖っ!
「鬼ごっこスタート!」
「えっ」
「ほらほら、早く逃げなよ?」
女の人(といっても多分20代)が斧を振った。あんなに重そうな斧を片手で?これはやばい。なんかもう殺されそう。非日常のオンパレード。でも、とりあえずは逃げないと。走り出すと女性はは
「30数えるから、精一杯逃げてね!」
なんて言った。意味が分からないけど、とにかくやばい。でも。ここは迷路。あの人はきっとこの迷路がどうなっているのか知っている。私は知らないのに。でもこうなってしまったんだから、仕方がない。私はバスケ部。体力には自信があるし、逃げられる。
 なんて思った。それが間違いだった。現役バスケ部エースに追いつけるほど、あの人は速い。あの立派な斧を持ったまま、追いかけてくる。しかも、迷路のゴールも見当たらない。詰んだ。それでも。少しでも生きたいと思うから、生き永らえたいと思うから、走る。しばらくは息を切らさずに走れる。家にいた時の最後の記憶がベッドに入ったところだから、今は夜のはず。朝になれば少しは良くなるはず。いやでも待てよ、ここは結構明るいな?でも何か変わるはず。というかそろそろお腹すいたな。え?もう?そんなにすぐにはお腹すかないと思うけど。実は結構時間が経っているのかな?とすれば。もうすぐ朝のはず。ベッドに入ったのは十一時。今の時期なら夜明けは四時ごろだ。とすると最長五時間くらい。でも多分、二、三時間は寝ていたから、あと二、三時間で夜が明ける。
 ところが。むしろ逆にここに影がさした。やっと分かった。ここは建物じゃない。ナニカの中だ。この位置からでも歯がよく見えるから間違いない。生きていて、意思があって、そして___モノを食べるナニカ。この場合のモノは、私だ。
 「待って!私は誰に食べられるの?」
単に気になっただけ。死ぬ前に何に食われるかくらい、知りたいし。でもあの人は外に出ようと壁に乗っていたのに、飛び降りた。私を軽々と抱え上げて外に飛び降りる。そこにいたのは箱だった。ファンタジー系のゲームなんかに出てくるモンスター、ミミック。宝箱に擬態して人間を喰うあれ。でもここにいるのは何だか可愛らしかった。大きすぎるせいか、怖いどころかむしろ可愛く見える。
「アメちゃん、食べる?」
ポケットから飴玉を出す。
「それ、何?」
女の人の方が聞く。
「お菓子」
安全という意味も含めて、一つ食べて見せる。それから女性に二つ渡す。彼女は一つを食べると、目を見開いて驚いた。
「おいしい」
もう片方の包み紙を開けてミミックの口(さっきまで私がいたところ)に放り込む。そのまま口が動いて、飴玉を食べる。
「おいしーい」
子供のような高い声が響いた。どうやらこの声はミミックの声らしい。目が細められ、笑っている。満足してくれたみたい。しかし目大きいな。でも、なんて美味しそうに食べるんだろう。
「飴玉はこれで全部だけれど、スマホと材料があれば、他のお菓子も作れますよ」
こんな風に美味しそうに食べてくれる人(じゃないけれど)のためにお菓子を作りたい。
「そうだね、じゃあお願いするよ」
意外とあっさり女の人は頷いて、微笑んだ。
 あの日から半年。私はフィナンさんミミちゃんさんと暮らしている。主な私の仕事は料理とお菓子作りだ。フィナンさんは私の部屋からスマホを取ってきてくれたので、時折テンプレートを増やすこともできる。そう、ここは謎にWi-Fiがつながる。スマホの充電はフィナンさんが毎晩行ってくれている。ミミちゃんさんの食事は基本的にモンスターの肉で私が作る。あの日にはいわゆる異世界があると信じたけど、実際にみるとやはり迫力がある。遠くからこちらを見ていたライトウルフ。光輝く美しいオオカミだった。フィナンさん曰く、美味しくはないのだとか。逆に美味しいというのが、ビッグボア。その名の通り、大きな猪。フィナンさんが解剖してくれるので、生姜焼きなどの豚肉料理にする。こんな調子でモンスター料理とお菓子作りに励む。
 元の世界に戻りたいとは思わない。私の家の主人は叔母夫婦で、二人とも私の両親を嫌っていた。叔母夫婦は自分たちの子供には甘かったが、私には厳しかった。その影響で従兄弟たちは私を笑い、蔑んでいた。しかし、一番上の従姉だけは唯一私に優しくしてくれた。だから、彼女には事情を知ってほしかった。それで一週間ほど前にフィナンさんに連れてきてもらった。彼女にこの世界を信じてもらい、私は幸せだと知ってもらえた。それがすごく嬉しかった。時折来てくれるから、その時は私の腕の見せ所。こここそが、私のいるべき場所なんだと、分かった。