○5月の後半の土曜日朝。マックにて
なつみ「うーん…別にそうは思ってて良いとは思うけどなあ。」
カフェオレを飲みながら、少し小首を傾げてそういうなつみ。
(結局陽菜、なつみ、さあちゃんは、私立文系狙いだったせいもあって3年生も同じクラス。けれど皆んな放課後は塾が忙しいしく、ゆっくりと話す暇もなくて、久しぶりに朝マックしながら話そう!という事になった。)
陽菜心の声『…とはいえ、この後A大学のオープンキャンパスに行こうと言うことになっているんだけどね。』)
さぁちゃん「ヒナが努力してるのは、はたから見ててもよくわかるけど…それはほら、私やなつみが事情を知ってるからだしね。ヒロにいからしてみたら、急にヒナが離れてくって不安になったのかも。」
さあちゃんがエッグマックマフィンをパクリと頬張る。
(陽菜心の声『そう…なのかな。
今まで、負担をかけ過ぎてたから、少し自分ごとに集中できるようになってヒロにい的に楽になるって思ったのにな…。』)
なつみ「中々難しいよね…こう言うことって。」
うーんとなつみが腕組みをして空を仰ぐと、そこにヌッと現れた大きな人影。
早川「…お前ら、マジ仲良いな。朝マックかよ。」
なつみ「あ、早川、おつかれ。」
さぁちゃん「おはー」
陽菜「おはよ。」
早川「なつみもさあもヒナもさ…俺の扱い。」
苦笑いしながら、隣の席に座る早川の後ろから、「おはよー」となつみとさあちゃんの彼氏も現れる。
その後ろからは…おずおずと逃げ越しの可愛い小柄な女の子。
(陽菜心の声『あれ…あの子って…バレンタインの日に早川に挨拶していた子だよね。』)
目をぱちくりしてその子を見た陽菜に気づいた早川が、「そっか、ヒナは知ってるかもな。」とその子を自分の方に手招き。
早川「俺の一存で一緒に行ったら良いかなって連れてきた。高梨若菜。
2年生だけど、俺より頭いいし。相央大学狙いだって言うから。」
若菜「す、すみません!勝手についてきてしまって!」
なつみとさあちゃんが一瞬固まった後、眉間に皺を寄せたまま、早川を見る。
なつみ「…こんな可愛い子、どっから捕まえてきたのよ。」
さぁちゃん「早川…あんたもしかして…ナンパ?」
早川「はあ?!」
若菜「ち、違います!私が勝手に早川先輩を好…」
ハッとして、あわあわとし始める若菜は顔が真っ赤。そんな若菜になつみとさあちゃんは目が爛々と輝く。
なつみ「やばい!めっちゃ可愛い!」
さぁちゃん「えー何で早川?」
早川「お前ら、言いたい放題だな、さっきから。」
相変わらず苦笑いの早川は、若菜の頭をポンと撫でる。
早川「…できればね。しばらく側に居た方がいい事情があってさ。」
陽菜「休日も…」
早川「そう、休日も。」
ふーんとなつみとさあちゃんは少し目を細めてから、若菜を優しい笑顔で見る。
なつみ「私、なつみ。よろしくね!今日は楽しもうね!」
さぁちゃん「私は、さあだよ〜。ねえ、そのスカート、もしかして、あのブランドの?!私、買おうか迷ってたんだよね!色違で買ってもいい?」
なつみ「それは…双子コーデになるよ…さあちゃん。」
さぁちゃん「えー…じゃあ、なつみも買おうよ!ヒナも入れて4人でお揃い!」
なつみ「おっ!いいね、それ。」
(陽菜心の声『…さすがだな、二人とも。
ちゃんと相手の子がなじみやすいように、話をする。』)
陽菜「私はヒナです、よろしくお願いします。」
そう言った陽菜に、少しだけ若菜の瞳が揺れたような気がしたけれど、それでも嬉しそうな顔をして、「はい!よろしくお願いします!」と言う。
早川「つか、今日、『ヒロにい』はいるわけ?大学に。」
陽菜「え…どうだろう?」
早川「聞いてないの?」
早川が「珍しいね」と言わんばかりに、眉間に皺を寄せる。
陽菜「…私が今日相央大学に行くって言うと、ヒロにい来ちゃいそうだなって思って。」
早川「お前はその方が嬉しいんじゃないの?」
陽菜「そ、そりゃ…ヒロにいと大学で会えたら嬉しいけど…ヒロにいは今日は大学が無い日だし…」
早川「…お前、何か悪いもんでも食った?『ヒロにい!』って今日はテンション高くて大変そうだって思ったのに。」
陽菜「な、何それ!」
ムッとした陽菜と早川の間に、なつみがまあまあと間に入ってくれる。
陽菜「ヒナは今、『ヒロにい卒業』を目指してるからね。」
早川「…何か、嫌な予感がすんだけど、一応詳細を聞こうか。」
ー事の次第をかいつまんで説明すること数分ー
「あー…」と微妙な顔をする、早川となつみとさあちゃんの彼氏達。
さぁちゃん「何その微妙な顔。」
さあちゃんが、ムウっと私の代わりに口を尖らせる。それをさあちゃんの彼氏がまあまあって宥めて撫でる。
さぁちゃん彼「や…うん。その…さ…そう言っちゃ何だけど、ちょっと“ヒロにい”が気の毒だって思ってさ。」
気の毒……。
早川が、コクリとコーヒーを一口飲んで少し渋い顔をした。
早川「お前がそう考えてるって、ヒロにいは直接聞いてないんだろ?なのに、急にヒナが自分から離れ始めたら、何が何だかわからなくて不安になんだろうなーって。」
なつみ「いや、待ってよ!だって、きっかけを作ったのは、『ヒロにい』の友達じゃん!」
今度は、なつみがブウっとほっぺたを膨らますと、今度はなつみの彼氏がまあまあと宥めてる。
日常の光景と言わんばかりに、早川はそのやりとりを見てからまた私に目線を戻した。
早川「まあ、旅行が原因かなって思ってはいるんだろうけど、あの人のことだから。つか、あの人、絶対望んでないと思うんだけど、お前が離れていくの。」
(陽菜心の声『…それは、わかってる。だから、余計にすとんと来たんだと思う。
羽純『解放してあげて欲しい』
羽純さんの言葉が。
生まれた時から長い時間を一緒に居る私とヒロにい。きっとお互い一緒に居ることが当たり前すぎて、距離感が麻痺している所があるのかなって…塾に通い始めて、西山さん始め、色々な人と出会って世界が広がって思ったんだよね…。
私の感覚もそうだけど、きっとヒロにいもそうなんじゃないかって。
今、私を気にかけて、大切にしてくれているのも、距離感が麻痺しているからなのかな…って…』)
何となく沈んだ陽菜の前で、ふうと早川が息を吐く。
早川「…お前さ。もっとちゃんとあの人の事考えてあげた方が良いと思うよ。つか、信じてあげた方が良いと思うけど。」
(陽菜心の声『信じる……?』)
陽菜「私…ヒロにいの事、疑ってないよ?」
早川「や…そうじゃなくてさ…距離感とか、そんなん、ハタから見る印象なんてただの野次馬じゃね?って俺は思ってて。関係性なんて、本人達にしかわからないんじゃねーかなって。その…羽純って人の話より、『ヒロにい』の言葉をもっと聞いたらどうかなって思うわけよ。」
陽菜「……。」
早川「あー…まあ、ネガティブな言葉のが、響くようにできてるもんな、人間て。でもさ、これもはたから見ててだから、印象になっちゃうけど…お前と『ヒロにい』って、最強じゃん。」
陽菜「最強…。」
早川「そ、最強。」
陽菜「そう…なの?」
早川「…自覚なしかよ。まあ、それならやっぱお前のやってる事も意味があるかもな。『最強』の意味を自覚できる過程ってことで。」
なつみ「早川がマジで良い事言ってる!」
さぁちゃん「絶対、若菜ちゃんの前だからカッコつけてるんでしょ!」
若菜「は、早川先輩はずっとこんな感じで…的を得た良い事をたくさん話してくれます。」
なつみ「早川のカッコつけ!」
早川「お前ら…俺を下げんな、勝手に。」
なつみとさあちゃんが、早川を讃えて、早川は苦笑い。
早川「そろそろ行く?」
若菜ちゃんの飲んだカフェオレのカップと自分のカップを持って立ち上がり、ゴミ箱に捨てにいく早川。
それを慌てて若菜ちゃんが追いかけて行った。
さぁちゃん「…いい感じ過ぎない?」
なつみ「だよね。」
含み笑いのさあちゃんとなつみに私も何となく目線を二人に向ける。
陽菜『休日も?』
早川『そう。』
(陽菜心の声『…あの子、早川が好きそうだったもんね。
早川は『彼女』とは言わなかったけれど、どんな関係であろうと休日も好きな人が一緒に居ようと言ってくれたり、実際に一緒に居てくれたりするのって、絶対嬉しい。』
)
◯陽菜回想〜休日〜
裕紀『ヒナ、まだ寝てんの?』
『ヒ、ヒロにい?!なんで?』
『いや、おばさんが『起こしてきて』って…何その寝癖。』
ふはって楽しそうに笑いながら、優しく私の髪を直す裕紀。その指の感触を思い出す陽菜。
(陽菜心の声『…今までずっと、ヒロにいは土日にちょくちょく遊びに来てくれていた。
幼馴染で親同士が仲良しだから、昼間に会えなくても、夕方とか夜とか…来てくれたり、おばさんを通して「うちに来て」と呼び出してくれたり。
たくさん会えてたのは、多分ヒロにいが私に会おうとしてくれていたから。
その感情が、恋愛であれ、幼馴染であれ、そこにはヒロにいの私への愛情があるのは間違いない。
だって、会おうと思って行動しなければ会えないわけで。
ヒロにいは私に会うために時間を作る努力をしてくれていたんだって思う。
…今でも。』)
皆んなでマックを出て歩き出した所で、若菜ちゃんを挟んで、早川と並んで歩く陽菜。
陽菜「…早川。」
早川「んー?」
陽菜「やっぱり今からでも私、ヒロにいに学校見学行ってくるってメッセージする。」
早川「ああ、そうして“あげて”。」
陽菜「…“そうしてあげて”?」
早川「引っかかんなよそこ。とにかく送れよ、絶対!」
何となく陽菜と早川の間で恐縮し、歩速が遅くなってきていた若菜の後に周り背中を押し出す早川。
早川「若菜!遅れ出してる。本ばっか読んで足が鈍ってんじゃね?」
若菜「っ!だ、大丈夫です…」
早川「あ、また担ごうか?」
若菜「へ、平気です!」
急に早足で…というより逃げ足で走り出した若菜ちゃんを面白そうに「待てって。転ぶぞ」と追いかける早川。
陽菜心の声『『また担ぐ』って…どんなシチュエーションで、担いだんだろうか。』
笑いながら話す二人を見て頬が緩む陽菜。
陽菜心の声『…よし。私もヒロにいにメッセージだ。』
スマホを取り出し、メッセージを打ち始める陽菜。
陽菜スマホ:“ヒロにい、おはよう!
今日は、A大学のオープンキャンパスに行ってくるね!また帰ったら連絡します。”
陽菜心の声『シンプルだけど…いいかな、これで。』
送信をしてスマホをカバンにしまうと、みんなの背中を追いかける陽菜。
(陽菜心の声『…別に、ヒロにい卒業は、疎遠にするってこととイコールではないはず。』)
なつみ『うーん…別にそうは思ってて良いとは思うけどなあ。』
ふとなつみの言葉を思い出す。
(陽菜心の声『これから先、長く一緒に居たいからこそ、恋人としての距離感を見つけないといけないんだって…何となく思って、気持ちが前向きになり、足取りも軽く行った相央大学のオープンキャンパス。』)
○相央大学学食
公開授業のいくつかを見学しお昼ご飯の時間。
見渡せるほどの大きな食堂に、いくつかのブースに分かれて、それぞれメニューを渡すカウンターになっている。
なつみ「学食のメニュー、どれが美味しいんだろう…」
さあちゃん「待って!あっちにカフェもあったよ!主食少し控えめにして、デザートも食べないと!」
なつみとさあちゃんが、お財布を握りしめて目を輝かせる。
早川「…お前ら、朝マック結構な勢いで食ってただろ。」
早川が苦笑いすると、なつみとさあちゃんは、「あれは、朝食じゃん!もうとっくに消化したし!」と猛抗議。
ぷうっとほっぺたを膨らます二人を、デレデレ顔で、まあまあと言いながら、それぞれ本人達が食べたそうな所へと連れていく、彼氏達。
早川「…あいつらマジで尊敬するわ。なつみとさあの扱い神すぎねえか?」
陽菜「早川…あれが、単なる扱いが上手いって感じに見える?」
早川「だな。すげーだらしねえ顔してんだけど、あいつら。」
4人の背中を見送りながら早川と陽菜が二人で含み笑いしている様子を若菜が、一歩引いた所で見ている。それに気がついた陽菜。
陽菜「若菜ちゃん!何食べる?」
若菜「あ…いえ…私は…」
早川「若菜、俺カツカレー大盛り食べたいから、行くぞ。」
さもそれが当たり前かのように、早川は若菜ちゃんの手を握って歩き出した…けれど。
若菜は、顔真っ赤にして、慌てている。
若菜「っ?!?!?!はやっ、は、は、」
早川「…ハムカツもあんじゃね?コロッケカレーもあるみたいだから。」
若菜「ち、違っ…て、て、」
早川「…天丼?」
(陽菜心の声『絶対わざとやってるよね…。
早川だって、なつみとさあちゃんの彼氏に負けてないと思うけど、何その楽しそうなデレデレ顔。』)
陽菜「……。」
二人のやり取りを少し後ろから見ていたら、何だか、とても裕紀に会いたくなった陽菜。
(陽菜心の声『ヒロにい…今日私が前もって話してたら、「んじゃ、昼飯でも一緒に食う?」って言ってくれたかな……。』)
そんな風に思った自分にハッとして、いけない!とふうと少し息を吐き出す陽菜。
(陽菜心の声『事後報告だけど、ちゃんと知らせたんだし。帰ってからヒロにいに会った時にオープンキャンパスの話をするのも楽しみだよね。』)
注文のタッチパネルでメニューを見ながら、大学どう?って前に聞いた時、「かきあげげそばは絶品」そう開口一番に言っていた裕紀を思い出す陽菜。
(陽菜心の声『…ヒロにいの好物、食べてみたかったんだよね。』)
思わず頬を緩ませながら、“かきあげそば”をタップ。
数量決定の画面に切り替わって確定を押そうとした瞬間に、隣から少し丸めの指がプラスの部分をタッチして、確定をそのまま押した。
驚いて横を見る陽菜。そこには「俺もかきあげげそばで」と口角をきゅっとあげて笑っている裕紀。
陽菜「え…ど、どうして…」
裕紀「ほら、ヒナ、並んでるからとりあえず行くよ。」
びっくりして固まっている陽菜をよそに、裕紀はサクサクお支払いをして、陽菜の背中を押し移動させる。
裕紀「ヒナ、こっちだから。」
そう言って、陽菜の手を引く裕紀。
(陽菜心の声『う…わ……。だ、大学の中で、ヒロにいと手を繋いでる。』
“A大学のキャンパスでヒロにいと手を繋いで歩く”という夢にまで見たシチュエーション。
もちろん、それは自分が大学生になってという事だったけど。
ど、どうしよう…嬉しすぎて、涙きそう…というか、視界がぼやけてきた。
私、相央大学に入りたい!』)
強く想い過ぎたからだろうか、鼻の奥がツンとして、本当に涙が溢れてきてしまって、思わずギュッと目を瞑る陽菜
裕紀「…どした?ヒナ。お腹空きすぎて、泣いてんの?」
陽菜「ち、違うし!」
ハハって笑いながら、手を繋いだまま、麺類カウンターの所でパネルを見ている裕紀の横顔。
陽菜心の声『相央大学に入れば、こんな光景が日常茶飯事になる…。
うん、やっぱり絶対入らなきゃ!
絶対、ヒロにいと大学通ってお昼一緒に食べたい!』
陽菜「…ヒロにい。」
裕紀「んー?」
陽菜「私、今日から24時間勉強するから」
裕紀「いつ寝んだよ、それ。」
陽菜「寝ない!勉強しかしない!」
裕紀「や…そこまですると、逆にコスパ悪くない?」
ククッと笑いながら、繋いでない方の手のひらで陽菜の頭をポンポンと撫でる裕紀。
裕紀「…でも、ヒナが同じ大学入ったら、こんな感じで昼飯食ったりすんだね、きっと。それはそれで楽しみかも。」
陽菜「っ!!」
(陽菜心の声『ヒロにいが楽しみって言った!
これは、本当に今まで以上に頑張らなきゃ。よし、しっかり美味しいお蕎麦の味覚えて帰って、受かったらまた食べなきゃ!』)
陽菜「おそば大盛りで!」
裕紀「や、注文のパネルでやらないとダメだから、ヒナ。」
苦笑いの裕紀をよそに、張り切ってお蕎麦を受け取って、みんなで取った席まで戻る陽菜。なつみとさあちゃん、その彼氏達と若菜ちゃんが一瞬固まる。
陽菜心の声『あ…そっか…知らない人連れてきちゃったもんね。』
陽菜「えっと…」
陽菜心の声『なんて紹介すれば良いんだろう。皆、話だけは聞いてくれてるから、知ってる人ではあるから…。』
陽菜「……“ヒロにい”です。」
そう言った陽菜に、裕紀は、ふはっと笑い、早川は「おい」と呆れ顔。
けれど、裕紀はそれで、ここに居る人達が自分が陽菜にとってどういう存在なのか知っているとわかった。
裕紀「突然、すみません。俺、A大学2年の相沢裕紀です。ヒナがいつもお世話になってます。今日は土曜日なんですけど、オープンキャンパスの手伝いに来ていて…一緒にメシ食わせてもらって大丈夫ですか?」
全員年下なのに、丁寧に話し、少し小首を傾げて微笑む柔らかオーラ満載の裕紀。そんな裕紀になつみとさあちゃんだけではなくて、その彼氏達も、ポーッとなってる。
唯一、目を細めてシラッとした顔している早川。
早川「…そのイケメンオーラなんとかなりません?」
裕紀「イケメンは、“ハヤカワくん”でしょーが。ねえ、えっと…あなたが『若菜』ちゃん?」
若菜「えっ?!は、はい…」
早川「お、若菜、恐れてんじゃん。イケメンオーラが通じないんだ。すげーな。」
裕紀「いや、だからさ…」
早川の前に座る陽菜と裕紀。陽菜はトレーをおきながら、ポンポンと会話をする裕紀と早川に違和感を抱く。
陽菜心の声『…何だろう。
いつの間にこんなに仲良しになったんだろうか。』
小首を傾げた陽菜に、早川は、「あ、そっか。」と思い出したような顔をする。
早川「お前にまだ言ってなかったっけ。俺、今、バイト一緒なんだわ、『ヒロにい』と。」
(陽菜心の声『え?!うそ…そんなの聞いてない!』)
裕紀「お前に"ヒロにい"って言われたくない。」
早川「や、そこは、話の流れでしょーよ…。変なトコで引っ掛かんないでくださいよ…。」
また、仲良く喋り出した二人に、「ちょ、ちょっと待って!」と制する陽菜。
陽菜「どういうこと?!」
早川「あー…ちょっと相沢さんに聞きたい事があってさ。でも連絡先わかんないし、バイト先まで会いに行ってさ…失礼かとも思ったんだけど。」
裕紀「うん。失礼だわ、かなり。」
早川「いや、そこは本当に申し訳ないと…」
裕紀「でも、店長が新しいバイトに!って、そのままスカウトしちゃうって言うね」
含み笑いの裕紀に、早川は罰が悪そうにしている。
早川「まあ、押しかけて迷惑かけたわけだし…断りずらいじゃん。バイトでもすっかなーって思ってたタイミングだったし。」
裕紀「いや、でも異例中の異例だよ?あそこ、高校生お断りだから。」
早川「聞きましたよ。俺のガタイと声が好きだーって…すげえ言われました店長に。」
早川と本当に楽しそうに会話をしている裕紀。
陽菜心の声『親しい知人や友人と話す時の表情だな…なんて思ったけれど、羽純さんや由里香さんと話していた時みたいなモヤモヤした感じはない。
むしろ、楽しそうにしているヒロにいに、何だかこっちまで嬉しくなる。
これは、相手が早川だからなのかな…。』
その後、ポーッとしていたなつみやさあちゃんや、その彼氏達もみんなでワイワイ話が盛り上がり、相央大学についての話や、裕紀と早川のバイト先の話とか、色々な話をしていたら、お昼休みが終わって13:30を回っていた。
○学食を後にして、向かった中庭。
裕紀「ヒナは午後はどうすんの?次の講義何か受けてくの?」
陽菜「うーん…色々見られたし、とりあえずは大丈夫かな…」
他の人達も「色々話聞かせてくれてありがとうございました!」と裕紀に満面の笑みで挨拶。
(陽菜心の声『どこにいても、ヒロにいは人に好かれるよね…男女問わず。年齢問わず。
それって、すごい事だよね。』)
陽菜「ヒロにい…友香里「ヒロ!居た!」
家に帰ったら、また会えるか陽菜が裕紀聞こうと思った矢先、その言葉を聞き覚えのある少しハスキーな女性の声が遮る。
友香里「もー!全然LINEが既読にならないんだもん。探したよ!」
陽菜心の声『友香里…さん……と、その後ろから羽純さん…。』
陽菜の顔色が一気に曇ったのを隣にいた、なつみとさあちゃんんが感じ取る。笑顔が消え警戒の表情になる。
友香里「あれ?!ヒナちゃんじゃん!久しぶり!そっかーオープンキャンパス来てたんだ。…って本当にA大学にするの?!」
羽純「ゆ、友香里…ほら、色々な大学を見て決めてるんじゃない?ね?ヒナちゃん?」
友香里「えー!今の時期で決まってなかったらやばくない?あ、でも良い機会かもね!」
「良い機会……??」と少し小首を傾げた陽菜に、満面の笑みを向ける友香里。
友香里「良かったら、ウチらの担当している所も見に来てよ!」
裕紀「や、わざわざ来なくて良いでしょ、別に…」
裕紀が、陽菜と友香里さんの間に入る。
友香里「えー…何、ヒロ。もしかして、羽純との仲良しぶりを見られたくないとか?」
羽純「ちょ、ちょっと…友香里…」
羽純が嗜めても友香里は特に気にせず陽菜の方を見て普通のことのように話を続ける。
友香里「ヒロはさ、羽純とニコイチだから。もうね、私ら周りは二人一緒に居るのが当たり前な所があるの!彼女としてどんなもんか見ておいた方が、今後の為になるんじゃない?」
陽菜心の声『…笑顔ではあるけれど、どう考えても、敵意のある表情。』
裕紀「友香里何言ってんだよ。俺は別に羽純と…羽純「ごめんね、ヒナちゃん!」
裕紀が友香里に文句を言おうとしたら、羽純が言葉を被せる。
羽純「…こんな話されたら嫌だよね。ほら、友香里…行こ。ヒロも、ごめんね。でも当番14時〜でしょ?行こうよ。」
裕紀「…別に羽純が謝ることじゃないでしょ。」
友香里「あー!また、ヒロは羽純だけそうやって!ヒロは本当に羽純は特別だよね〜。羽純が好き過ぎる!」
裕紀「や、だからさ…お前が勝手に言っただけで、羽純は何も言ってないだろうが。」
陽菜心の声『ヒロにい…旅行の時と同じだ。
羽純さんの”特別”を否定しない。というか、「好き」って部分も。
そして…羽純さんは守ろうとする。
無意識…なのかな。そうなんだろうな、きっと。』
裕紀は友香里さんに呆れふうとため息をつくと、一度陽菜の頭にポンと手のひらを乗せる。
裕紀「…ヒナ、帰ったら連絡するから。」
陽菜「うん…。」
それしか言えず、「またね」と去っていく裕紀を見送るしかできない陽菜。
友香里「相央大学は入らない方がいいと思うな〜。毎日、羽純とヒロの仲良しぶり…というか、ラブラブぶりを見ないといけなくなるわけだし。」
友香里がその後を飄々とそう言って去っていく。
友香里『それって重たくない?!』
さっき学食で裕紀と手を繋いで霞んだはずの友香里さんの言葉がまたズシンと重たくのしかかる陽菜。
なつみ「何、あいつら!」
さあちゃん「話聞いてただけの時もムカついてたけど、実際聞くと、100倍ムカつくんだけど!」
なつみとさあちゃんがキーっと怒り出す。
それに彼氏達も宥めずに、今度は、「…あれはないわ。」と苦笑い。
炎上しているなつみとさあちゃんを早川がまあまあと宥めて「用事も済んだし、とりあえず帰らねえ?」と門に向かって歩き始めた。
陽菜や他の人達もそれに従ってトボトボと歩き出したけれど。
陽菜心の声『…皆明かに私を心配して、無言になっちゃった…申し訳ないな…。』
気まずい空気をどう払拭しようかと考えながらも、どうしても気持ちが上がってこない陽菜。このままじゃダメなのにと気持ちが余計に苦しくなった時だった。
西山先生「おっ!会えた!山本さん!」
明るく、落ち着いた声が前から聞こえてきて思わず顔を上げる陽菜。
陽菜心の声『あ…西山先生。』
黒縁メガネは変わらず。サラッとした黒髪を真ん中分けしているのも同じだけれど、パーカーにジーンズというラフな格好が、いつもジャケットを着ているのとは違ってそれはそれでカッコよく見えて、陽菜は思わずドキンとする。
西山先生「山本さん、今日オープンキャンパス来るって言ってたから、もしかしたらーって思ってさ。」
陽菜「今日…大学だったんですか?」
西山先生「そう、今日はね、“強くなるための修行”。」
おどけるように、力こぶを作ってみせる西山先生にふふっと思わず頬が緩む陽菜。
陽菜「土曜日も授業なんて大変ですね。」
西山先生「まあね、でも山本さんに会えたし、悪いことばっかりじゃないかも。」
いつもと同じテンションでサラリとそう言われて、ドキンとまた鼓動が強く跳ねる陽菜。
陽菜「ま、またそんな事言って…。」
西山先生「や、ほんと、ほんと。山本さん、法学部もおいでよ。次の講義、俺と一緒に出られるし。」
陽菜「そうなんですか?」
西山先生「うん、まあ…いかにスパルタかわかっちゃうから、ドン引きかもしれないけど。」
陽菜「そ、そんなに大変なんですか…法学部って…」
ふふふと柔らかく笑う西山先生は、吹いてくる春の風のように穏やか。
西山先生「皆さんも、どうです?結構、A大学の土産話になるかもよ。オープンキャンパス参加者は途中退室できるから、お気軽にどうぞ。」
そう言って、笑顔をみんなに向ける西山先生。
さあちゃん彼氏「…俺、行ってみたいかも!」
さあちゃんの彼氏がそういうと、なつみも「あ、私も!」と言い出す。
なつみ「実は、尻込みしていたんです。なんとなく…私にはレベルが高いだろうなって…。」
少し苦笑いのなつみに、西山先生は「そんな事ないよ」と言ってなつみとさあちゃんの彼氏にもニコッと笑う。
西山先生「“興味がある”と思うことは、見聞きしといて損はないと思うよ。実際に話に聞くよりも、自分で見て感じる方が自分の経験として蓄積されるわけだから。」
さあちゃん「確かに!私も行きたい!」
なつみ彼氏「俺も、行きたくなったかも。」
さあちゃんとなつみの彼氏も加わって、行こう!と笑顔。それに、おずおずと若菜ちゃんも「わ、私も…」と手をあげると、早川も「確かに、巷で有名なA大学法学部の講義は見ておいた方が良いかもな」と若菜ちゃんの頭に手を乗せる。
それを見た西山先生が、また私の方に向き直った。
西山先生「山本さんはどうする?」
言葉少なくそういう西山先生。
(陽菜心の声『…いつもそうだ。私がどっちの選択をしても、西山先生は「そうだね」とか「じゃあ、どうしよっか」って良い方に導いてくれようとする。
そんな西山先生が、どんな風に講義を受けているのか、見てみたいかも。』)
なんとなく、いつも生徒のこと、周囲のことを考え目を配っている西山先生が学生になるとどんな表情をするのか、知りたくなった陽菜。
陽菜「…私も行きます!」
ハイッと手を高らかにあげると、西山先生は、面白そうに「いいね〜」と言い、「じゃあ、案内するからついてきて」と歩き出す。
それについて歩き出した陽菜の横になつみとさあちゃんが並んだ。
なつみ「西山先生、めっちゃかっこいいじゃん!」
さあちゃん「『山本さんに会えてラッキー』って言ってたね!」
陽菜「や、それはね、いつもの西山先生のノリというか…」
キラキラと目を輝かせる二人に思わず苦笑いする陽菜。早川がその隣に並ぶ。
早川「…個別指導の先生って距離感近いんじゃねえの?ある程度さ。」
なつみ「え?!なに、早川ヤキモチ?!西山先生がイケメンすぎて?」
早川「はあ?そんなわけねーじゃん…って、まあ、あの人はなんつーか大人だけどさ…」
罰が悪そうに…頭をかきながら、隣に居た若菜ちゃんの頭をまたポンと撫でる早川。
早川「…どうせなら、ああいう人に勉強教わりたいなってのはあるよな、若菜。」
若菜「そ、そう…ですね…。」
何故かずっと考えこみながら、下を向いて歩いていた若菜。法学部の講堂の入り口まで来た所で、ドアから順番に入っていく、早川に続いて陽菜も入ろうとしたら、一番後ろに居た若菜が「あの、ヒナさん」と若菜を引き留めた。
若菜「あの…。なんとなく講義を見る前の今、話すのが良いかなと思って…。」
陽菜「何?」
キョトンと小首を傾げた陽菜に、若菜の可愛い二重の目の中で黒目が少し潤みを増す。それに呼応するように、若菜は一度、唇をキュッと結んでから、意を決したかのように表情を少し引き締めて口を開いた。
「私、ヒナ先輩のこと知っていたんです。いつも早川先輩の隣に居たので。ヒナ先輩は早川先輩の横にいて、とっても楽しそうで。それを含めて、早川先輩に憧れてました。そうやって人を笑顔にできる、素敵な人なんだな…って。
実際に、早川先輩と話をするようになって、自分が思い描いていた人だったなって思ったら、すごく嬉しくて。私、見る目があったんだって。
私だけじゃなくて、意外と…人って、見る目があって自分の目で見ている世界が正解なんじゃないかな…って思うようになりました。
だから、きっと…ヒナ先輩もご自身の目で見て感じているままで良いのでは無いかと思います。」
目を見開きつつ、少しキョトンと小首をかしげる陽菜に、「すみません!生意気言って!」と顔を真っ赤にする若菜。
若菜「だ、だって!あの…く、悔しくて…あの…さっきの…わ、私は…違うって思うから。」
涙目になっている若菜ちゃんに、陽菜もツンと鼻の奥が痛くなる。
(陽菜心の声『友香里さんの「この大学には来ない方がいい」と言う言葉も、ヒロにいが羽純さんを特別だって言うのを否定しなかったことも、消えたわけではなかったけれど。
うん…そうだ。
私がこの目で見ている世界はきっと、私にとっては正解なんだ。それを信じられなくなったら…きっと色々な事が歪んで、自分にとっての正解がわからなくなってしまう。
これから、もう一つ講義を受けるけど。しっかりこの目で見て感じなきゃ、新しい世界を。』)
嬉しくなり思わず若菜ちゃんにガバッと抱きつく陽菜。
陽菜「若菜ちゃん、ありがとう!」
若菜「っ!」
早川「おい、こら。襲うな。」
若菜が入って来ないことに心配した早川が出てきて、陽菜と若菜ちゃんを引き離そうとしたけれど、それを私が腕に力を入れて阻止。
陽菜「若菜ちゃん!また一緒にどっか行こうね!いつにする?」
早川「おい、受験生。」
陽菜「早川はもういなくても平気だよね!」
早川「…聞け。お前は受験生だ。つか、若菜。嫌なら嫌って言わないと。」
若菜「い、嫌では無いです…」
陽菜「聞いたか!早川!」
早川「はいはい。わかったから、講堂に入ってくれ。」
早川が陽菜に呆れながら、若菜に抱きついたままの陽菜と抱きつかれたままの若菜を押して講堂の中へと誘導した。
○相央大学講堂の中
どことなく、ピンとした空気が感じられる。
受講生だけではなく、オープンキャンパスの参加者の人もいるけれど、どの人も話はしても、控えめというか、強い意志を持っているような気がして。それは、西山先生も同じに陽菜には感じられる。
(陽菜心の声『相変わらず優しい笑顔で私達に、「ここら辺座れば?」と見学しやすいところを案内してくれて、私の隣に自分は腰を下ろしたけれど。
いざ講義が始まると、目つきが真剣そのもので鋭ささえ感じる…。』)
講堂無いで繰り広げられる講師からの問題とそれに応える学生達。
講師から、何か問題を出されると、それに即座にサラサラと引き締まった顔で答えていく西山先生。
(陽菜心の声『すごい…法律家を目指す人って、こんな感じなんだ。』)
その西山先生の雰囲気にだろうか、それとも授業全体の雰囲気にだろうか、何故だか鼓動は高鳴って、授業自体に自然とのめり込んでいく陽菜。
もちろん、内容なんてほとんどわからない感じではあるけれど、講師の人もオープンキャンパスの人がいるからとわかりやすい事例なんかも出してくれて、本当に真面目なほとんど笑いもない授業ではあるけれど、結局90分間、夢中になって聴講してしまう。
(陽菜心の声『きっと、若菜ちゃんの言葉を聞く前の私だったら、少し腰が引けていたかもしれない。ここまで集中して講義を体感できたのは、若菜ちゃんの言葉があったから。
そして、講義が終了した時に思ったこと。
“集中して勉強している時に似ている高揚感だった。”』)
西山先生「山本さん、どうだった?」
陽菜「は、はい…その…凄かったです。」
ポーッとしながら、反射的にそう答えた陽菜に西山先生はいつも優しい笑顔。
西山先生「そっか。山本さんには刺激になって良いかなって思ってたから、その予感が当たってよかった。」
陽菜「…刺激。」
西山先生「そう、山本さんて、ほら周囲の言葉をしっかり受け止めるし、普段はマイペースかもしれないけど、いざ勉強に入るとシビアでも食らいついてく感じじゃん。だから、合ってそうだなって思ってたんだよね、法学部の講義。」
「じゃあまた塾で」と去っていく西山先生。ドア付近で他の受講生に話しかけられて、楽しそうに話し始める。
その後ろから、今まで講師をしていた先生もその輪に入って、何やら談笑が始まった。
陽菜心の声『…講義中は皆真剣なのに。授業が終わると先生も含めてあんなに仲が良いんだ。』
陽菜にはその雰囲気も、メリハリもすごく魅力的に見えて。家に帰った後も、ずっと、法学部の講義と西山先生の真剣な横顔だけが、頭の中を占めていた。
○大学見学に行った土曜日の夜、陽菜の部屋。
裕紀「…何だ、居るじゃん。」
自分の部屋の中、ローテーブルに両肘ついて、顎を乗っけてぼーっとしていた陽菜の隣に裕紀が覗き込むように座ってて、陽菜の頭をなでなでしていたことにハッと気が付く陽菜
陽菜「あ…ヒロにい…」
裕紀「やっと思い出してくれた?俺のこと。」
陽菜「な、何それ…」
「また連絡する」と言われていたのをすっかり忘れていたことに、罪悪感が込み上げて、思わずムッと唇を立てて、誤魔化す陽菜。
(陽菜心の声『私の頬を覆い、優しく笑うヒロにいの顔が、どこか寂しさを纏っている気がするのは、忘れていた後めたさによるものだろうか…。』)
…けれど。
そんな裕紀の表情を間近で見ていても、何故か脳裏に西山先生の真剣な横顔が残っている陽菜。
(陽菜心の声『どうしちゃったんだろうか…私。
ヒロにいのことを忘れたことなんて一度もなかったし、ヒロにいと会っている時にヒロにい以外の人のことを考えるなんてこと、なかったのに。』)
裕紀の顔が陽菜に近づきふわりと唇同士が触れ合う。
裕紀「ヒナ。あれからすぐに家に戻ってきたの?」
裕紀の言葉にドキンと鼓動が跳ねて、ドキドキと忙しなく動き始める陽菜。
(陽菜心の声『な、何で…?
別に…悪いことをしていたわけでもないのに。』)
陽菜「…法学部の講義を受けた。」
裕紀「おっ!どうだった?」
陽菜「何て言うか…凄かった…あっという間だった。」
裕紀「へ〜…。ヒナ、凄いね。」
おでこをくっつけて柔らかく笑う裕紀に、チクリと気持ちが痛む陽菜。
陽菜心の声『何でだろう…“西山先生に会って、誘われて…それで一緒に講義を受けた”って言えない。
でも…良いのかな。これで。
だって、ヒロにいも、羽純さんと何して、どう言うふうに接しているかなんて、私に話をしたことはない。
お互い、知らない方が良いこともあるのかもしれない。
それが…大人ってことなのかも。でもそれって…何だか寂しい…感じがする。』
裕紀とこんなに近くにいるのに、距離を感じて思わずそのまま手を持ち上げて、ぎゅっと裕紀を抱きしめる陽菜。
裕紀「どした?ヒナ。」
陽菜「……。」
裕紀のくふふと柔らかく笑う声が、耳元でする。
陽菜心の声『安心…する…な…やっぱり。
私…どうしたら、大人になって、ヒロにい卒業が叶うんだろう。
距離を感じてこんな風に甘えてたら、いつまで経っても無理だよね…。』
“ヒナさんの目で見て耳で聞いて感じたことが、正解なんじゃないかって思います”
ふと若菜の言葉を思い出す陽菜。
(陽菜心の声『私が…見聞きして、感じたこと。』)
裕紀の温もりに包まれ目を閉じる陽菜。その鼓動がより聞こえてきて余計に安心を覚えた。
(陽菜心の声『“ヒロにいと居ると、何よりも安心する。嬉しいや、私。それは…ずっと昔から変わらない。今も、その感覚はそのまま。』)
”お前と”ヒロにい”って最強じゃん”
早川の言葉も思い出す陽菜
(陽菜心の声『…この感覚が最強ってことなのかどうかはわからないけれど、少なくとも私にとっては、かけがえのないものだよね。』)
気持ちが、とても落ち着いて穏やかになったら、また鮮明に思い出した、今日の法学部の講義。
陽菜心の声『私、またあんな講義を受けたい。
もっともっと…たくさん。』
裕紀に回している腕にぎゅっと思わず力を込めた。
陽菜「…もう少し他の大学も見てみようかなって思ってる。」
陽菜の言葉に裕紀が陽菜の頭を撫でる手のひらがぴくりと反応する。
裕紀「そう…なんだ。」
陽菜「うん。今日、相央大学に行って講義を受けてたくさん刺激をもらったの。私、法学部を目指したいかも。でも、大学受験だから併願も考えたいなって。だからね?私自身が、『これだ』と思う所をちゃんといくつか見つけて受験したい。」
裕紀「…なるほどね。」
また、陽菜の髪に裕紀の指がゆっくりと通されて、丁寧に頭を撫で始める。
陽菜「…どう、かな。どう思う?」
裕紀「そうだね。良いと思うよ。つか、ちゃんと寝る時間作るなら、だけど。24時間勉強は禁止です。」
陽菜「わかった。多分、大丈夫。」
裕紀「多分って。」
相変わらず楽しそうに機嫌良さげにふふっと笑っている裕紀に、もっとぎゅっとくっつく。
裕紀「…ヒナ、苦しいって。」
陽菜「だって…」
裕紀「何よ。」
陽菜「充電」
ふはっと吹き出した裕紀に、今までなら膨れっ面で「また面白がって!嫌い!」って言って怒ってたのに、今日は何故か、そうはならない陽菜。
さらにぎゅっと力を入れると、「ヒナ、やばい!息できない!」って楽しそうな声が上から降ってくる。
陽菜「ヒロにいが悪い。私の充電邪魔しようとした。」
裕紀「いや、邪魔はしてないでしょ…別にさ。」
陽菜「……。」
裕紀「…ヒナ、何なら今日一緒に寝る?一晩かけて充電します?」
陽菜「…………………お父さんとお母さんいるから無理。」
裕紀「すげー考えた!」
陽菜「考えてない!」
「もう終わり!」って離れようと陽菜が腕を緩めたら、今度は、裕紀の腕が陽菜をぎゅっと抱き寄せる。
そのまま、キスを何度か繰り返す。
裕紀「…受験頑張ったら、またどっか行く?」
陽菜「うん!今度はね、バイトして、北海道に行きたいの!」
裕紀「おっ!いいじゃん。三食丼食わないと。味噌ラーメンも。」
陽菜「旭山動物園も行きたい!シマエナガに会いたい!」
裕紀「…『白い妖精』って呼ばれてる鳥だよね、それ。シロクマじゃないんだ。」
陽菜「シマエナガ!」
裕紀「分かったって。」
コツンとおでこをつけた先の裕紀は本当に楽しそうで、柔らかい笑顔でそれに陽菜も柔らかい笑顔。
早川『信じてあげたら?』
若菜『ヒナ先輩の感じたままで。』
早川と若菜ちゃんの言葉がまた浮かぶ陽菜。
陽菜心の声『…羽純さんとヒロにいがどんな関係でどうお互い接しているなんてわからない。けれど、ヒロにいが私といて、こうやって笑ってくれてるって言うのが、私の目に映っているヒロにいだから。』
○陽菜回想櫻燈庵の枝垂れ桜の下
裕紀『そこに他意はないよ。つか、絶対あり得ない。ヒナ以外に邪な気持ちなんて抱かない』
裕紀『俺が一番嫌だと思うこと知ってる?ヒナが居なくなること。』
真剣にそういう裕紀を思い出す陽菜。
○再び陽菜の部屋。
陽菜、変わらずひろきの腕に包まれ、穏やかに微笑みながら目を閉じる。
陽菜心の声『信じよう、ヒロにいの言葉を…ヒロにいを。』
なつみ「うーん…別にそうは思ってて良いとは思うけどなあ。」
カフェオレを飲みながら、少し小首を傾げてそういうなつみ。
(結局陽菜、なつみ、さあちゃんは、私立文系狙いだったせいもあって3年生も同じクラス。けれど皆んな放課後は塾が忙しいしく、ゆっくりと話す暇もなくて、久しぶりに朝マックしながら話そう!という事になった。)
陽菜心の声『…とはいえ、この後A大学のオープンキャンパスに行こうと言うことになっているんだけどね。』)
さぁちゃん「ヒナが努力してるのは、はたから見ててもよくわかるけど…それはほら、私やなつみが事情を知ってるからだしね。ヒロにいからしてみたら、急にヒナが離れてくって不安になったのかも。」
さあちゃんがエッグマックマフィンをパクリと頬張る。
(陽菜心の声『そう…なのかな。
今まで、負担をかけ過ぎてたから、少し自分ごとに集中できるようになってヒロにい的に楽になるって思ったのにな…。』)
なつみ「中々難しいよね…こう言うことって。」
うーんとなつみが腕組みをして空を仰ぐと、そこにヌッと現れた大きな人影。
早川「…お前ら、マジ仲良いな。朝マックかよ。」
なつみ「あ、早川、おつかれ。」
さぁちゃん「おはー」
陽菜「おはよ。」
早川「なつみもさあもヒナもさ…俺の扱い。」
苦笑いしながら、隣の席に座る早川の後ろから、「おはよー」となつみとさあちゃんの彼氏も現れる。
その後ろからは…おずおずと逃げ越しの可愛い小柄な女の子。
(陽菜心の声『あれ…あの子って…バレンタインの日に早川に挨拶していた子だよね。』)
目をぱちくりしてその子を見た陽菜に気づいた早川が、「そっか、ヒナは知ってるかもな。」とその子を自分の方に手招き。
早川「俺の一存で一緒に行ったら良いかなって連れてきた。高梨若菜。
2年生だけど、俺より頭いいし。相央大学狙いだって言うから。」
若菜「す、すみません!勝手についてきてしまって!」
なつみとさあちゃんが一瞬固まった後、眉間に皺を寄せたまま、早川を見る。
なつみ「…こんな可愛い子、どっから捕まえてきたのよ。」
さぁちゃん「早川…あんたもしかして…ナンパ?」
早川「はあ?!」
若菜「ち、違います!私が勝手に早川先輩を好…」
ハッとして、あわあわとし始める若菜は顔が真っ赤。そんな若菜になつみとさあちゃんは目が爛々と輝く。
なつみ「やばい!めっちゃ可愛い!」
さぁちゃん「えー何で早川?」
早川「お前ら、言いたい放題だな、さっきから。」
相変わらず苦笑いの早川は、若菜の頭をポンと撫でる。
早川「…できればね。しばらく側に居た方がいい事情があってさ。」
陽菜「休日も…」
早川「そう、休日も。」
ふーんとなつみとさあちゃんは少し目を細めてから、若菜を優しい笑顔で見る。
なつみ「私、なつみ。よろしくね!今日は楽しもうね!」
さぁちゃん「私は、さあだよ〜。ねえ、そのスカート、もしかして、あのブランドの?!私、買おうか迷ってたんだよね!色違で買ってもいい?」
なつみ「それは…双子コーデになるよ…さあちゃん。」
さぁちゃん「えー…じゃあ、なつみも買おうよ!ヒナも入れて4人でお揃い!」
なつみ「おっ!いいね、それ。」
(陽菜心の声『…さすがだな、二人とも。
ちゃんと相手の子がなじみやすいように、話をする。』)
陽菜「私はヒナです、よろしくお願いします。」
そう言った陽菜に、少しだけ若菜の瞳が揺れたような気がしたけれど、それでも嬉しそうな顔をして、「はい!よろしくお願いします!」と言う。
早川「つか、今日、『ヒロにい』はいるわけ?大学に。」
陽菜「え…どうだろう?」
早川「聞いてないの?」
早川が「珍しいね」と言わんばかりに、眉間に皺を寄せる。
陽菜「…私が今日相央大学に行くって言うと、ヒロにい来ちゃいそうだなって思って。」
早川「お前はその方が嬉しいんじゃないの?」
陽菜「そ、そりゃ…ヒロにいと大学で会えたら嬉しいけど…ヒロにいは今日は大学が無い日だし…」
早川「…お前、何か悪いもんでも食った?『ヒロにい!』って今日はテンション高くて大変そうだって思ったのに。」
陽菜「な、何それ!」
ムッとした陽菜と早川の間に、なつみがまあまあと間に入ってくれる。
陽菜「ヒナは今、『ヒロにい卒業』を目指してるからね。」
早川「…何か、嫌な予感がすんだけど、一応詳細を聞こうか。」
ー事の次第をかいつまんで説明すること数分ー
「あー…」と微妙な顔をする、早川となつみとさあちゃんの彼氏達。
さぁちゃん「何その微妙な顔。」
さあちゃんが、ムウっと私の代わりに口を尖らせる。それをさあちゃんの彼氏がまあまあって宥めて撫でる。
さぁちゃん彼「や…うん。その…さ…そう言っちゃ何だけど、ちょっと“ヒロにい”が気の毒だって思ってさ。」
気の毒……。
早川が、コクリとコーヒーを一口飲んで少し渋い顔をした。
早川「お前がそう考えてるって、ヒロにいは直接聞いてないんだろ?なのに、急にヒナが自分から離れ始めたら、何が何だかわからなくて不安になんだろうなーって。」
なつみ「いや、待ってよ!だって、きっかけを作ったのは、『ヒロにい』の友達じゃん!」
今度は、なつみがブウっとほっぺたを膨らますと、今度はなつみの彼氏がまあまあと宥めてる。
日常の光景と言わんばかりに、早川はそのやりとりを見てからまた私に目線を戻した。
早川「まあ、旅行が原因かなって思ってはいるんだろうけど、あの人のことだから。つか、あの人、絶対望んでないと思うんだけど、お前が離れていくの。」
(陽菜心の声『…それは、わかってる。だから、余計にすとんと来たんだと思う。
羽純『解放してあげて欲しい』
羽純さんの言葉が。
生まれた時から長い時間を一緒に居る私とヒロにい。きっとお互い一緒に居ることが当たり前すぎて、距離感が麻痺している所があるのかなって…塾に通い始めて、西山さん始め、色々な人と出会って世界が広がって思ったんだよね…。
私の感覚もそうだけど、きっとヒロにいもそうなんじゃないかって。
今、私を気にかけて、大切にしてくれているのも、距離感が麻痺しているからなのかな…って…』)
何となく沈んだ陽菜の前で、ふうと早川が息を吐く。
早川「…お前さ。もっとちゃんとあの人の事考えてあげた方が良いと思うよ。つか、信じてあげた方が良いと思うけど。」
(陽菜心の声『信じる……?』)
陽菜「私…ヒロにいの事、疑ってないよ?」
早川「や…そうじゃなくてさ…距離感とか、そんなん、ハタから見る印象なんてただの野次馬じゃね?って俺は思ってて。関係性なんて、本人達にしかわからないんじゃねーかなって。その…羽純って人の話より、『ヒロにい』の言葉をもっと聞いたらどうかなって思うわけよ。」
陽菜「……。」
早川「あー…まあ、ネガティブな言葉のが、響くようにできてるもんな、人間て。でもさ、これもはたから見ててだから、印象になっちゃうけど…お前と『ヒロにい』って、最強じゃん。」
陽菜「最強…。」
早川「そ、最強。」
陽菜「そう…なの?」
早川「…自覚なしかよ。まあ、それならやっぱお前のやってる事も意味があるかもな。『最強』の意味を自覚できる過程ってことで。」
なつみ「早川がマジで良い事言ってる!」
さぁちゃん「絶対、若菜ちゃんの前だからカッコつけてるんでしょ!」
若菜「は、早川先輩はずっとこんな感じで…的を得た良い事をたくさん話してくれます。」
なつみ「早川のカッコつけ!」
早川「お前ら…俺を下げんな、勝手に。」
なつみとさあちゃんが、早川を讃えて、早川は苦笑い。
早川「そろそろ行く?」
若菜ちゃんの飲んだカフェオレのカップと自分のカップを持って立ち上がり、ゴミ箱に捨てにいく早川。
それを慌てて若菜ちゃんが追いかけて行った。
さぁちゃん「…いい感じ過ぎない?」
なつみ「だよね。」
含み笑いのさあちゃんとなつみに私も何となく目線を二人に向ける。
陽菜『休日も?』
早川『そう。』
(陽菜心の声『…あの子、早川が好きそうだったもんね。
早川は『彼女』とは言わなかったけれど、どんな関係であろうと休日も好きな人が一緒に居ようと言ってくれたり、実際に一緒に居てくれたりするのって、絶対嬉しい。』
)
◯陽菜回想〜休日〜
裕紀『ヒナ、まだ寝てんの?』
『ヒ、ヒロにい?!なんで?』
『いや、おばさんが『起こしてきて』って…何その寝癖。』
ふはって楽しそうに笑いながら、優しく私の髪を直す裕紀。その指の感触を思い出す陽菜。
(陽菜心の声『…今までずっと、ヒロにいは土日にちょくちょく遊びに来てくれていた。
幼馴染で親同士が仲良しだから、昼間に会えなくても、夕方とか夜とか…来てくれたり、おばさんを通して「うちに来て」と呼び出してくれたり。
たくさん会えてたのは、多分ヒロにいが私に会おうとしてくれていたから。
その感情が、恋愛であれ、幼馴染であれ、そこにはヒロにいの私への愛情があるのは間違いない。
だって、会おうと思って行動しなければ会えないわけで。
ヒロにいは私に会うために時間を作る努力をしてくれていたんだって思う。
…今でも。』)
皆んなでマックを出て歩き出した所で、若菜ちゃんを挟んで、早川と並んで歩く陽菜。
陽菜「…早川。」
早川「んー?」
陽菜「やっぱり今からでも私、ヒロにいに学校見学行ってくるってメッセージする。」
早川「ああ、そうして“あげて”。」
陽菜「…“そうしてあげて”?」
早川「引っかかんなよそこ。とにかく送れよ、絶対!」
何となく陽菜と早川の間で恐縮し、歩速が遅くなってきていた若菜の後に周り背中を押し出す早川。
早川「若菜!遅れ出してる。本ばっか読んで足が鈍ってんじゃね?」
若菜「っ!だ、大丈夫です…」
早川「あ、また担ごうか?」
若菜「へ、平気です!」
急に早足で…というより逃げ足で走り出した若菜ちゃんを面白そうに「待てって。転ぶぞ」と追いかける早川。
陽菜心の声『『また担ぐ』って…どんなシチュエーションで、担いだんだろうか。』
笑いながら話す二人を見て頬が緩む陽菜。
陽菜心の声『…よし。私もヒロにいにメッセージだ。』
スマホを取り出し、メッセージを打ち始める陽菜。
陽菜スマホ:“ヒロにい、おはよう!
今日は、A大学のオープンキャンパスに行ってくるね!また帰ったら連絡します。”
陽菜心の声『シンプルだけど…いいかな、これで。』
送信をしてスマホをカバンにしまうと、みんなの背中を追いかける陽菜。
(陽菜心の声『…別に、ヒロにい卒業は、疎遠にするってこととイコールではないはず。』)
なつみ『うーん…別にそうは思ってて良いとは思うけどなあ。』
ふとなつみの言葉を思い出す。
(陽菜心の声『これから先、長く一緒に居たいからこそ、恋人としての距離感を見つけないといけないんだって…何となく思って、気持ちが前向きになり、足取りも軽く行った相央大学のオープンキャンパス。』)
○相央大学学食
公開授業のいくつかを見学しお昼ご飯の時間。
見渡せるほどの大きな食堂に、いくつかのブースに分かれて、それぞれメニューを渡すカウンターになっている。
なつみ「学食のメニュー、どれが美味しいんだろう…」
さあちゃん「待って!あっちにカフェもあったよ!主食少し控えめにして、デザートも食べないと!」
なつみとさあちゃんが、お財布を握りしめて目を輝かせる。
早川「…お前ら、朝マック結構な勢いで食ってただろ。」
早川が苦笑いすると、なつみとさあちゃんは、「あれは、朝食じゃん!もうとっくに消化したし!」と猛抗議。
ぷうっとほっぺたを膨らます二人を、デレデレ顔で、まあまあと言いながら、それぞれ本人達が食べたそうな所へと連れていく、彼氏達。
早川「…あいつらマジで尊敬するわ。なつみとさあの扱い神すぎねえか?」
陽菜「早川…あれが、単なる扱いが上手いって感じに見える?」
早川「だな。すげーだらしねえ顔してんだけど、あいつら。」
4人の背中を見送りながら早川と陽菜が二人で含み笑いしている様子を若菜が、一歩引いた所で見ている。それに気がついた陽菜。
陽菜「若菜ちゃん!何食べる?」
若菜「あ…いえ…私は…」
早川「若菜、俺カツカレー大盛り食べたいから、行くぞ。」
さもそれが当たり前かのように、早川は若菜ちゃんの手を握って歩き出した…けれど。
若菜は、顔真っ赤にして、慌てている。
若菜「っ?!?!?!はやっ、は、は、」
早川「…ハムカツもあんじゃね?コロッケカレーもあるみたいだから。」
若菜「ち、違っ…て、て、」
早川「…天丼?」
(陽菜心の声『絶対わざとやってるよね…。
早川だって、なつみとさあちゃんの彼氏に負けてないと思うけど、何その楽しそうなデレデレ顔。』)
陽菜「……。」
二人のやり取りを少し後ろから見ていたら、何だか、とても裕紀に会いたくなった陽菜。
(陽菜心の声『ヒロにい…今日私が前もって話してたら、「んじゃ、昼飯でも一緒に食う?」って言ってくれたかな……。』)
そんな風に思った自分にハッとして、いけない!とふうと少し息を吐き出す陽菜。
(陽菜心の声『事後報告だけど、ちゃんと知らせたんだし。帰ってからヒロにいに会った時にオープンキャンパスの話をするのも楽しみだよね。』)
注文のタッチパネルでメニューを見ながら、大学どう?って前に聞いた時、「かきあげげそばは絶品」そう開口一番に言っていた裕紀を思い出す陽菜。
(陽菜心の声『…ヒロにいの好物、食べてみたかったんだよね。』)
思わず頬を緩ませながら、“かきあげそば”をタップ。
数量決定の画面に切り替わって確定を押そうとした瞬間に、隣から少し丸めの指がプラスの部分をタッチして、確定をそのまま押した。
驚いて横を見る陽菜。そこには「俺もかきあげげそばで」と口角をきゅっとあげて笑っている裕紀。
陽菜「え…ど、どうして…」
裕紀「ほら、ヒナ、並んでるからとりあえず行くよ。」
びっくりして固まっている陽菜をよそに、裕紀はサクサクお支払いをして、陽菜の背中を押し移動させる。
裕紀「ヒナ、こっちだから。」
そう言って、陽菜の手を引く裕紀。
(陽菜心の声『う…わ……。だ、大学の中で、ヒロにいと手を繋いでる。』
“A大学のキャンパスでヒロにいと手を繋いで歩く”という夢にまで見たシチュエーション。
もちろん、それは自分が大学生になってという事だったけど。
ど、どうしよう…嬉しすぎて、涙きそう…というか、視界がぼやけてきた。
私、相央大学に入りたい!』)
強く想い過ぎたからだろうか、鼻の奥がツンとして、本当に涙が溢れてきてしまって、思わずギュッと目を瞑る陽菜
裕紀「…どした?ヒナ。お腹空きすぎて、泣いてんの?」
陽菜「ち、違うし!」
ハハって笑いながら、手を繋いだまま、麺類カウンターの所でパネルを見ている裕紀の横顔。
陽菜心の声『相央大学に入れば、こんな光景が日常茶飯事になる…。
うん、やっぱり絶対入らなきゃ!
絶対、ヒロにいと大学通ってお昼一緒に食べたい!』
陽菜「…ヒロにい。」
裕紀「んー?」
陽菜「私、今日から24時間勉強するから」
裕紀「いつ寝んだよ、それ。」
陽菜「寝ない!勉強しかしない!」
裕紀「や…そこまですると、逆にコスパ悪くない?」
ククッと笑いながら、繋いでない方の手のひらで陽菜の頭をポンポンと撫でる裕紀。
裕紀「…でも、ヒナが同じ大学入ったら、こんな感じで昼飯食ったりすんだね、きっと。それはそれで楽しみかも。」
陽菜「っ!!」
(陽菜心の声『ヒロにいが楽しみって言った!
これは、本当に今まで以上に頑張らなきゃ。よし、しっかり美味しいお蕎麦の味覚えて帰って、受かったらまた食べなきゃ!』)
陽菜「おそば大盛りで!」
裕紀「や、注文のパネルでやらないとダメだから、ヒナ。」
苦笑いの裕紀をよそに、張り切ってお蕎麦を受け取って、みんなで取った席まで戻る陽菜。なつみとさあちゃん、その彼氏達と若菜ちゃんが一瞬固まる。
陽菜心の声『あ…そっか…知らない人連れてきちゃったもんね。』
陽菜「えっと…」
陽菜心の声『なんて紹介すれば良いんだろう。皆、話だけは聞いてくれてるから、知ってる人ではあるから…。』
陽菜「……“ヒロにい”です。」
そう言った陽菜に、裕紀は、ふはっと笑い、早川は「おい」と呆れ顔。
けれど、裕紀はそれで、ここに居る人達が自分が陽菜にとってどういう存在なのか知っているとわかった。
裕紀「突然、すみません。俺、A大学2年の相沢裕紀です。ヒナがいつもお世話になってます。今日は土曜日なんですけど、オープンキャンパスの手伝いに来ていて…一緒にメシ食わせてもらって大丈夫ですか?」
全員年下なのに、丁寧に話し、少し小首を傾げて微笑む柔らかオーラ満載の裕紀。そんな裕紀になつみとさあちゃんだけではなくて、その彼氏達も、ポーッとなってる。
唯一、目を細めてシラッとした顔している早川。
早川「…そのイケメンオーラなんとかなりません?」
裕紀「イケメンは、“ハヤカワくん”でしょーが。ねえ、えっと…あなたが『若菜』ちゃん?」
若菜「えっ?!は、はい…」
早川「お、若菜、恐れてんじゃん。イケメンオーラが通じないんだ。すげーな。」
裕紀「いや、だからさ…」
早川の前に座る陽菜と裕紀。陽菜はトレーをおきながら、ポンポンと会話をする裕紀と早川に違和感を抱く。
陽菜心の声『…何だろう。
いつの間にこんなに仲良しになったんだろうか。』
小首を傾げた陽菜に、早川は、「あ、そっか。」と思い出したような顔をする。
早川「お前にまだ言ってなかったっけ。俺、今、バイト一緒なんだわ、『ヒロにい』と。」
(陽菜心の声『え?!うそ…そんなの聞いてない!』)
裕紀「お前に"ヒロにい"って言われたくない。」
早川「や、そこは、話の流れでしょーよ…。変なトコで引っ掛かんないでくださいよ…。」
また、仲良く喋り出した二人に、「ちょ、ちょっと待って!」と制する陽菜。
陽菜「どういうこと?!」
早川「あー…ちょっと相沢さんに聞きたい事があってさ。でも連絡先わかんないし、バイト先まで会いに行ってさ…失礼かとも思ったんだけど。」
裕紀「うん。失礼だわ、かなり。」
早川「いや、そこは本当に申し訳ないと…」
裕紀「でも、店長が新しいバイトに!って、そのままスカウトしちゃうって言うね」
含み笑いの裕紀に、早川は罰が悪そうにしている。
早川「まあ、押しかけて迷惑かけたわけだし…断りずらいじゃん。バイトでもすっかなーって思ってたタイミングだったし。」
裕紀「いや、でも異例中の異例だよ?あそこ、高校生お断りだから。」
早川「聞きましたよ。俺のガタイと声が好きだーって…すげえ言われました店長に。」
早川と本当に楽しそうに会話をしている裕紀。
陽菜心の声『親しい知人や友人と話す時の表情だな…なんて思ったけれど、羽純さんや由里香さんと話していた時みたいなモヤモヤした感じはない。
むしろ、楽しそうにしているヒロにいに、何だかこっちまで嬉しくなる。
これは、相手が早川だからなのかな…。』
その後、ポーッとしていたなつみやさあちゃんや、その彼氏達もみんなでワイワイ話が盛り上がり、相央大学についての話や、裕紀と早川のバイト先の話とか、色々な話をしていたら、お昼休みが終わって13:30を回っていた。
○学食を後にして、向かった中庭。
裕紀「ヒナは午後はどうすんの?次の講義何か受けてくの?」
陽菜「うーん…色々見られたし、とりあえずは大丈夫かな…」
他の人達も「色々話聞かせてくれてありがとうございました!」と裕紀に満面の笑みで挨拶。
(陽菜心の声『どこにいても、ヒロにいは人に好かれるよね…男女問わず。年齢問わず。
それって、すごい事だよね。』)
陽菜「ヒロにい…友香里「ヒロ!居た!」
家に帰ったら、また会えるか陽菜が裕紀聞こうと思った矢先、その言葉を聞き覚えのある少しハスキーな女性の声が遮る。
友香里「もー!全然LINEが既読にならないんだもん。探したよ!」
陽菜心の声『友香里…さん……と、その後ろから羽純さん…。』
陽菜の顔色が一気に曇ったのを隣にいた、なつみとさあちゃんんが感じ取る。笑顔が消え警戒の表情になる。
友香里「あれ?!ヒナちゃんじゃん!久しぶり!そっかーオープンキャンパス来てたんだ。…って本当にA大学にするの?!」
羽純「ゆ、友香里…ほら、色々な大学を見て決めてるんじゃない?ね?ヒナちゃん?」
友香里「えー!今の時期で決まってなかったらやばくない?あ、でも良い機会かもね!」
「良い機会……??」と少し小首を傾げた陽菜に、満面の笑みを向ける友香里。
友香里「良かったら、ウチらの担当している所も見に来てよ!」
裕紀「や、わざわざ来なくて良いでしょ、別に…」
裕紀が、陽菜と友香里さんの間に入る。
友香里「えー…何、ヒロ。もしかして、羽純との仲良しぶりを見られたくないとか?」
羽純「ちょ、ちょっと…友香里…」
羽純が嗜めても友香里は特に気にせず陽菜の方を見て普通のことのように話を続ける。
友香里「ヒロはさ、羽純とニコイチだから。もうね、私ら周りは二人一緒に居るのが当たり前な所があるの!彼女としてどんなもんか見ておいた方が、今後の為になるんじゃない?」
陽菜心の声『…笑顔ではあるけれど、どう考えても、敵意のある表情。』
裕紀「友香里何言ってんだよ。俺は別に羽純と…羽純「ごめんね、ヒナちゃん!」
裕紀が友香里に文句を言おうとしたら、羽純が言葉を被せる。
羽純「…こんな話されたら嫌だよね。ほら、友香里…行こ。ヒロも、ごめんね。でも当番14時〜でしょ?行こうよ。」
裕紀「…別に羽純が謝ることじゃないでしょ。」
友香里「あー!また、ヒロは羽純だけそうやって!ヒロは本当に羽純は特別だよね〜。羽純が好き過ぎる!」
裕紀「や、だからさ…お前が勝手に言っただけで、羽純は何も言ってないだろうが。」
陽菜心の声『ヒロにい…旅行の時と同じだ。
羽純さんの”特別”を否定しない。というか、「好き」って部分も。
そして…羽純さんは守ろうとする。
無意識…なのかな。そうなんだろうな、きっと。』
裕紀は友香里さんに呆れふうとため息をつくと、一度陽菜の頭にポンと手のひらを乗せる。
裕紀「…ヒナ、帰ったら連絡するから。」
陽菜「うん…。」
それしか言えず、「またね」と去っていく裕紀を見送るしかできない陽菜。
友香里「相央大学は入らない方がいいと思うな〜。毎日、羽純とヒロの仲良しぶり…というか、ラブラブぶりを見ないといけなくなるわけだし。」
友香里がその後を飄々とそう言って去っていく。
友香里『それって重たくない?!』
さっき学食で裕紀と手を繋いで霞んだはずの友香里さんの言葉がまたズシンと重たくのしかかる陽菜。
なつみ「何、あいつら!」
さあちゃん「話聞いてただけの時もムカついてたけど、実際聞くと、100倍ムカつくんだけど!」
なつみとさあちゃんがキーっと怒り出す。
それに彼氏達も宥めずに、今度は、「…あれはないわ。」と苦笑い。
炎上しているなつみとさあちゃんを早川がまあまあと宥めて「用事も済んだし、とりあえず帰らねえ?」と門に向かって歩き始めた。
陽菜や他の人達もそれに従ってトボトボと歩き出したけれど。
陽菜心の声『…皆明かに私を心配して、無言になっちゃった…申し訳ないな…。』
気まずい空気をどう払拭しようかと考えながらも、どうしても気持ちが上がってこない陽菜。このままじゃダメなのにと気持ちが余計に苦しくなった時だった。
西山先生「おっ!会えた!山本さん!」
明るく、落ち着いた声が前から聞こえてきて思わず顔を上げる陽菜。
陽菜心の声『あ…西山先生。』
黒縁メガネは変わらず。サラッとした黒髪を真ん中分けしているのも同じだけれど、パーカーにジーンズというラフな格好が、いつもジャケットを着ているのとは違ってそれはそれでカッコよく見えて、陽菜は思わずドキンとする。
西山先生「山本さん、今日オープンキャンパス来るって言ってたから、もしかしたらーって思ってさ。」
陽菜「今日…大学だったんですか?」
西山先生「そう、今日はね、“強くなるための修行”。」
おどけるように、力こぶを作ってみせる西山先生にふふっと思わず頬が緩む陽菜。
陽菜「土曜日も授業なんて大変ですね。」
西山先生「まあね、でも山本さんに会えたし、悪いことばっかりじゃないかも。」
いつもと同じテンションでサラリとそう言われて、ドキンとまた鼓動が強く跳ねる陽菜。
陽菜「ま、またそんな事言って…。」
西山先生「や、ほんと、ほんと。山本さん、法学部もおいでよ。次の講義、俺と一緒に出られるし。」
陽菜「そうなんですか?」
西山先生「うん、まあ…いかにスパルタかわかっちゃうから、ドン引きかもしれないけど。」
陽菜「そ、そんなに大変なんですか…法学部って…」
ふふふと柔らかく笑う西山先生は、吹いてくる春の風のように穏やか。
西山先生「皆さんも、どうです?結構、A大学の土産話になるかもよ。オープンキャンパス参加者は途中退室できるから、お気軽にどうぞ。」
そう言って、笑顔をみんなに向ける西山先生。
さあちゃん彼氏「…俺、行ってみたいかも!」
さあちゃんの彼氏がそういうと、なつみも「あ、私も!」と言い出す。
なつみ「実は、尻込みしていたんです。なんとなく…私にはレベルが高いだろうなって…。」
少し苦笑いのなつみに、西山先生は「そんな事ないよ」と言ってなつみとさあちゃんの彼氏にもニコッと笑う。
西山先生「“興味がある”と思うことは、見聞きしといて損はないと思うよ。実際に話に聞くよりも、自分で見て感じる方が自分の経験として蓄積されるわけだから。」
さあちゃん「確かに!私も行きたい!」
なつみ彼氏「俺も、行きたくなったかも。」
さあちゃんとなつみの彼氏も加わって、行こう!と笑顔。それに、おずおずと若菜ちゃんも「わ、私も…」と手をあげると、早川も「確かに、巷で有名なA大学法学部の講義は見ておいた方が良いかもな」と若菜ちゃんの頭に手を乗せる。
それを見た西山先生が、また私の方に向き直った。
西山先生「山本さんはどうする?」
言葉少なくそういう西山先生。
(陽菜心の声『…いつもそうだ。私がどっちの選択をしても、西山先生は「そうだね」とか「じゃあ、どうしよっか」って良い方に導いてくれようとする。
そんな西山先生が、どんな風に講義を受けているのか、見てみたいかも。』)
なんとなく、いつも生徒のこと、周囲のことを考え目を配っている西山先生が学生になるとどんな表情をするのか、知りたくなった陽菜。
陽菜「…私も行きます!」
ハイッと手を高らかにあげると、西山先生は、面白そうに「いいね〜」と言い、「じゃあ、案内するからついてきて」と歩き出す。
それについて歩き出した陽菜の横になつみとさあちゃんが並んだ。
なつみ「西山先生、めっちゃかっこいいじゃん!」
さあちゃん「『山本さんに会えてラッキー』って言ってたね!」
陽菜「や、それはね、いつもの西山先生のノリというか…」
キラキラと目を輝かせる二人に思わず苦笑いする陽菜。早川がその隣に並ぶ。
早川「…個別指導の先生って距離感近いんじゃねえの?ある程度さ。」
なつみ「え?!なに、早川ヤキモチ?!西山先生がイケメンすぎて?」
早川「はあ?そんなわけねーじゃん…って、まあ、あの人はなんつーか大人だけどさ…」
罰が悪そうに…頭をかきながら、隣に居た若菜ちゃんの頭をまたポンと撫でる早川。
早川「…どうせなら、ああいう人に勉強教わりたいなってのはあるよな、若菜。」
若菜「そ、そう…ですね…。」
何故かずっと考えこみながら、下を向いて歩いていた若菜。法学部の講堂の入り口まで来た所で、ドアから順番に入っていく、早川に続いて陽菜も入ろうとしたら、一番後ろに居た若菜が「あの、ヒナさん」と若菜を引き留めた。
若菜「あの…。なんとなく講義を見る前の今、話すのが良いかなと思って…。」
陽菜「何?」
キョトンと小首を傾げた陽菜に、若菜の可愛い二重の目の中で黒目が少し潤みを増す。それに呼応するように、若菜は一度、唇をキュッと結んでから、意を決したかのように表情を少し引き締めて口を開いた。
「私、ヒナ先輩のこと知っていたんです。いつも早川先輩の隣に居たので。ヒナ先輩は早川先輩の横にいて、とっても楽しそうで。それを含めて、早川先輩に憧れてました。そうやって人を笑顔にできる、素敵な人なんだな…って。
実際に、早川先輩と話をするようになって、自分が思い描いていた人だったなって思ったら、すごく嬉しくて。私、見る目があったんだって。
私だけじゃなくて、意外と…人って、見る目があって自分の目で見ている世界が正解なんじゃないかな…って思うようになりました。
だから、きっと…ヒナ先輩もご自身の目で見て感じているままで良いのでは無いかと思います。」
目を見開きつつ、少しキョトンと小首をかしげる陽菜に、「すみません!生意気言って!」と顔を真っ赤にする若菜。
若菜「だ、だって!あの…く、悔しくて…あの…さっきの…わ、私は…違うって思うから。」
涙目になっている若菜ちゃんに、陽菜もツンと鼻の奥が痛くなる。
(陽菜心の声『友香里さんの「この大学には来ない方がいい」と言う言葉も、ヒロにいが羽純さんを特別だって言うのを否定しなかったことも、消えたわけではなかったけれど。
うん…そうだ。
私がこの目で見ている世界はきっと、私にとっては正解なんだ。それを信じられなくなったら…きっと色々な事が歪んで、自分にとっての正解がわからなくなってしまう。
これから、もう一つ講義を受けるけど。しっかりこの目で見て感じなきゃ、新しい世界を。』)
嬉しくなり思わず若菜ちゃんにガバッと抱きつく陽菜。
陽菜「若菜ちゃん、ありがとう!」
若菜「っ!」
早川「おい、こら。襲うな。」
若菜が入って来ないことに心配した早川が出てきて、陽菜と若菜ちゃんを引き離そうとしたけれど、それを私が腕に力を入れて阻止。
陽菜「若菜ちゃん!また一緒にどっか行こうね!いつにする?」
早川「おい、受験生。」
陽菜「早川はもういなくても平気だよね!」
早川「…聞け。お前は受験生だ。つか、若菜。嫌なら嫌って言わないと。」
若菜「い、嫌では無いです…」
陽菜「聞いたか!早川!」
早川「はいはい。わかったから、講堂に入ってくれ。」
早川が陽菜に呆れながら、若菜に抱きついたままの陽菜と抱きつかれたままの若菜を押して講堂の中へと誘導した。
○相央大学講堂の中
どことなく、ピンとした空気が感じられる。
受講生だけではなく、オープンキャンパスの参加者の人もいるけれど、どの人も話はしても、控えめというか、強い意志を持っているような気がして。それは、西山先生も同じに陽菜には感じられる。
(陽菜心の声『相変わらず優しい笑顔で私達に、「ここら辺座れば?」と見学しやすいところを案内してくれて、私の隣に自分は腰を下ろしたけれど。
いざ講義が始まると、目つきが真剣そのもので鋭ささえ感じる…。』)
講堂無いで繰り広げられる講師からの問題とそれに応える学生達。
講師から、何か問題を出されると、それに即座にサラサラと引き締まった顔で答えていく西山先生。
(陽菜心の声『すごい…法律家を目指す人って、こんな感じなんだ。』)
その西山先生の雰囲気にだろうか、それとも授業全体の雰囲気にだろうか、何故だか鼓動は高鳴って、授業自体に自然とのめり込んでいく陽菜。
もちろん、内容なんてほとんどわからない感じではあるけれど、講師の人もオープンキャンパスの人がいるからとわかりやすい事例なんかも出してくれて、本当に真面目なほとんど笑いもない授業ではあるけれど、結局90分間、夢中になって聴講してしまう。
(陽菜心の声『きっと、若菜ちゃんの言葉を聞く前の私だったら、少し腰が引けていたかもしれない。ここまで集中して講義を体感できたのは、若菜ちゃんの言葉があったから。
そして、講義が終了した時に思ったこと。
“集中して勉強している時に似ている高揚感だった。”』)
西山先生「山本さん、どうだった?」
陽菜「は、はい…その…凄かったです。」
ポーッとしながら、反射的にそう答えた陽菜に西山先生はいつも優しい笑顔。
西山先生「そっか。山本さんには刺激になって良いかなって思ってたから、その予感が当たってよかった。」
陽菜「…刺激。」
西山先生「そう、山本さんて、ほら周囲の言葉をしっかり受け止めるし、普段はマイペースかもしれないけど、いざ勉強に入るとシビアでも食らいついてく感じじゃん。だから、合ってそうだなって思ってたんだよね、法学部の講義。」
「じゃあまた塾で」と去っていく西山先生。ドア付近で他の受講生に話しかけられて、楽しそうに話し始める。
その後ろから、今まで講師をしていた先生もその輪に入って、何やら談笑が始まった。
陽菜心の声『…講義中は皆真剣なのに。授業が終わると先生も含めてあんなに仲が良いんだ。』
陽菜にはその雰囲気も、メリハリもすごく魅力的に見えて。家に帰った後も、ずっと、法学部の講義と西山先生の真剣な横顔だけが、頭の中を占めていた。
○大学見学に行った土曜日の夜、陽菜の部屋。
裕紀「…何だ、居るじゃん。」
自分の部屋の中、ローテーブルに両肘ついて、顎を乗っけてぼーっとしていた陽菜の隣に裕紀が覗き込むように座ってて、陽菜の頭をなでなでしていたことにハッと気が付く陽菜
陽菜「あ…ヒロにい…」
裕紀「やっと思い出してくれた?俺のこと。」
陽菜「な、何それ…」
「また連絡する」と言われていたのをすっかり忘れていたことに、罪悪感が込み上げて、思わずムッと唇を立てて、誤魔化す陽菜。
(陽菜心の声『私の頬を覆い、優しく笑うヒロにいの顔が、どこか寂しさを纏っている気がするのは、忘れていた後めたさによるものだろうか…。』)
…けれど。
そんな裕紀の表情を間近で見ていても、何故か脳裏に西山先生の真剣な横顔が残っている陽菜。
(陽菜心の声『どうしちゃったんだろうか…私。
ヒロにいのことを忘れたことなんて一度もなかったし、ヒロにいと会っている時にヒロにい以外の人のことを考えるなんてこと、なかったのに。』)
裕紀の顔が陽菜に近づきふわりと唇同士が触れ合う。
裕紀「ヒナ。あれからすぐに家に戻ってきたの?」
裕紀の言葉にドキンと鼓動が跳ねて、ドキドキと忙しなく動き始める陽菜。
(陽菜心の声『な、何で…?
別に…悪いことをしていたわけでもないのに。』)
陽菜「…法学部の講義を受けた。」
裕紀「おっ!どうだった?」
陽菜「何て言うか…凄かった…あっという間だった。」
裕紀「へ〜…。ヒナ、凄いね。」
おでこをくっつけて柔らかく笑う裕紀に、チクリと気持ちが痛む陽菜。
陽菜心の声『何でだろう…“西山先生に会って、誘われて…それで一緒に講義を受けた”って言えない。
でも…良いのかな。これで。
だって、ヒロにいも、羽純さんと何して、どう言うふうに接しているかなんて、私に話をしたことはない。
お互い、知らない方が良いこともあるのかもしれない。
それが…大人ってことなのかも。でもそれって…何だか寂しい…感じがする。』
裕紀とこんなに近くにいるのに、距離を感じて思わずそのまま手を持ち上げて、ぎゅっと裕紀を抱きしめる陽菜。
裕紀「どした?ヒナ。」
陽菜「……。」
裕紀のくふふと柔らかく笑う声が、耳元でする。
陽菜心の声『安心…する…な…やっぱり。
私…どうしたら、大人になって、ヒロにい卒業が叶うんだろう。
距離を感じてこんな風に甘えてたら、いつまで経っても無理だよね…。』
“ヒナさんの目で見て耳で聞いて感じたことが、正解なんじゃないかって思います”
ふと若菜の言葉を思い出す陽菜。
(陽菜心の声『私が…見聞きして、感じたこと。』)
裕紀の温もりに包まれ目を閉じる陽菜。その鼓動がより聞こえてきて余計に安心を覚えた。
(陽菜心の声『“ヒロにいと居ると、何よりも安心する。嬉しいや、私。それは…ずっと昔から変わらない。今も、その感覚はそのまま。』)
”お前と”ヒロにい”って最強じゃん”
早川の言葉も思い出す陽菜
(陽菜心の声『…この感覚が最強ってことなのかどうかはわからないけれど、少なくとも私にとっては、かけがえのないものだよね。』)
気持ちが、とても落ち着いて穏やかになったら、また鮮明に思い出した、今日の法学部の講義。
陽菜心の声『私、またあんな講義を受けたい。
もっともっと…たくさん。』
裕紀に回している腕にぎゅっと思わず力を込めた。
陽菜「…もう少し他の大学も見てみようかなって思ってる。」
陽菜の言葉に裕紀が陽菜の頭を撫でる手のひらがぴくりと反応する。
裕紀「そう…なんだ。」
陽菜「うん。今日、相央大学に行って講義を受けてたくさん刺激をもらったの。私、法学部を目指したいかも。でも、大学受験だから併願も考えたいなって。だからね?私自身が、『これだ』と思う所をちゃんといくつか見つけて受験したい。」
裕紀「…なるほどね。」
また、陽菜の髪に裕紀の指がゆっくりと通されて、丁寧に頭を撫で始める。
陽菜「…どう、かな。どう思う?」
裕紀「そうだね。良いと思うよ。つか、ちゃんと寝る時間作るなら、だけど。24時間勉強は禁止です。」
陽菜「わかった。多分、大丈夫。」
裕紀「多分って。」
相変わらず楽しそうに機嫌良さげにふふっと笑っている裕紀に、もっとぎゅっとくっつく。
裕紀「…ヒナ、苦しいって。」
陽菜「だって…」
裕紀「何よ。」
陽菜「充電」
ふはっと吹き出した裕紀に、今までなら膨れっ面で「また面白がって!嫌い!」って言って怒ってたのに、今日は何故か、そうはならない陽菜。
さらにぎゅっと力を入れると、「ヒナ、やばい!息できない!」って楽しそうな声が上から降ってくる。
陽菜「ヒロにいが悪い。私の充電邪魔しようとした。」
裕紀「いや、邪魔はしてないでしょ…別にさ。」
陽菜「……。」
裕紀「…ヒナ、何なら今日一緒に寝る?一晩かけて充電します?」
陽菜「…………………お父さんとお母さんいるから無理。」
裕紀「すげー考えた!」
陽菜「考えてない!」
「もう終わり!」って離れようと陽菜が腕を緩めたら、今度は、裕紀の腕が陽菜をぎゅっと抱き寄せる。
そのまま、キスを何度か繰り返す。
裕紀「…受験頑張ったら、またどっか行く?」
陽菜「うん!今度はね、バイトして、北海道に行きたいの!」
裕紀「おっ!いいじゃん。三食丼食わないと。味噌ラーメンも。」
陽菜「旭山動物園も行きたい!シマエナガに会いたい!」
裕紀「…『白い妖精』って呼ばれてる鳥だよね、それ。シロクマじゃないんだ。」
陽菜「シマエナガ!」
裕紀「分かったって。」
コツンとおでこをつけた先の裕紀は本当に楽しそうで、柔らかい笑顔でそれに陽菜も柔らかい笑顔。
早川『信じてあげたら?』
若菜『ヒナ先輩の感じたままで。』
早川と若菜ちゃんの言葉がまた浮かぶ陽菜。
陽菜心の声『…羽純さんとヒロにいがどんな関係でどうお互い接しているなんてわからない。けれど、ヒロにいが私といて、こうやって笑ってくれてるって言うのが、私の目に映っているヒロにいだから。』
○陽菜回想櫻燈庵の枝垂れ桜の下
裕紀『そこに他意はないよ。つか、絶対あり得ない。ヒナ以外に邪な気持ちなんて抱かない』
裕紀『俺が一番嫌だと思うこと知ってる?ヒナが居なくなること。』
真剣にそういう裕紀を思い出す陽菜。
○再び陽菜の部屋。
陽菜、変わらずひろきの腕に包まれ、穏やかに微笑みながら目を閉じる。
陽菜心の声『信じよう、ヒロにいの言葉を…ヒロにいを。』



