狼と猫が戯れるとき

昼過ぎまでホテルで怠惰に過ごしていた私達だったが、折角都会まで出たのだし、とWEBの観光名所ランキングに掲載されていた場所に赴く事にした。

天候もこれ以上にない快晴で、日が傾き始めた頃の空は絵画のように美しく、思わず言葉を失った。こんなに素晴らしい場所なのに、平日の昼間なのかと錯覚する程に人通りは少なく、2人でゆっくりと会話をしながら、夕焼けが夜景に変わるのを待った。

待っている間、周囲に建物が全く無いせいか、吹き付ける風が寒さを通り越して突き刺さるような痛みを感じさせた。

「マジで寒すぎない」

「死ぬ…」

ダウンのフードを深く被り、強風に飛ばされないようフェンスにしがみついていると、突然背中が暖かくなった。

え〜…!バックハグ?!ここで…?!
恋人でもないのに…?!
ほんとにこういう事する人いるんだ。

「ねえ、いつ俺のになってくれんの?」

「いや…、でもさ…付き合わないと出来ない事なんてなくない?」

もう何度目だ。昨日の行為の後から、数え切れないほどこの言葉を投げつけられている。

悲劇のヒロインぶる訳でも、遊び人ぶる訳でもないが、大人になってからというもの交際することにメリットを感じなくなった。交際すれば他の女の影を感じた途端に嫉妬や束縛をして、自分とは違う価値観に衝突する。そんな不必要な感情で自分のペースが乱される。経験上デメリットしか感じない。交際していなくても食事には行けるし、手は繋げるし、セックスだって出来る。どんな理由があって交際する必要があるというのだ。

「そうだけど、そういう事じゃなくて、俺の女にしたいから言ってんだけど」

俺の女って…少女漫画の男かヤンキーしか言わないけど。

日が落ちて100万ドルの夜景と言っても過言ではないほど煌めきはじめた街の灯りを眺めながら、「ふうん」と一言呟いて聞こえないフリをして、常套句だとしか思えない歪んだ私の価値観が、素直に嬉しいと思う気持ちを押さえ付けた。

「…86の音がする。あ、やっぱり86だ」

私の背後で唐突にそう呟き、振り向いて車種を確認した彼を見て、物語のはじまりのような高揚感を抱いた。

「見ても無いのに分かるの?」

「エンジン音が違うから聴けば分かる」

私が人に対して抱く恋愛的な意味での好意とは、尊敬から派生した感情だ。自分より賢いだとか、自分より仕事が出来るだとか、そういう自分には出来ない事を意図も簡単にやってのけられると、格の違いを感じさせられる。

単純に好きとか大切にしたいという言葉に気持ちが揺らぐことも勿論あるが、私は自分に出来ない事を容易くやってしまう人にときめくタイプの人間なのだ。

私はさほど詳しくは無いが車が凄く好きだ。車に詳しければ詳しいほど好感度は高い。単純な女なのだ。だから自分には出来ない「エンジン音で車種を当てる」彼を好きになってしまったのだ。好きになるきっかけなんてこんなものじゃないのか、というかこんなものでいい気がする。

もし次にまた口説くような言葉を投げつけられたら、返事をしてみようか。そうしたら彼はどんな顔でどんな反応をするんだろうか。

やっぱり女は簡単だなと思うのだろうか。

そう考えていると今日で恐らく7度目位の口説き文句が飛んできた。

「ねえ〜。早く俺のになってよ」

こんなにも直接的な求愛などされた事がないので返事の仕方もよく分からない。聞こえるか聞こえないか分からないぐらいの声量で返事をした。もし風の音にかき消されて聞こえなければ、無かったことにすればいい。

「…いいよ」

「え…?!」
「え、今なんて言ったの??!いいよって言った??!」

「…2回も言わないよ」

「言ったよね?!今言ったよね?!っしゃ…」

そう言って人目を気にする事もなく喜ぶ彼は無邪気な子供のようだった。そんな姿を目にしても尚、こんなに容姿端麗な男でも、女を落とす為にはこんなに喜ぶ演技もしなくちゃならないなんて、本当に大変だなと他人事のように思った。