狼と猫が戯れるとき

ホテルでの荷解きや食事その他諸々を済ませて時刻が深夜1時を回った頃。

「こっち来てよ」

「うん」

四隅が縫い付けられたようにピンと張られた硬いシーツを、無理矢理引っ張りあげるようにして空間を作った。

待ちきれないんですけど、と言わんばかりの顔をして、広げた上腕をぽんぽんと叩いた。ここに頭を乗せろという意味だ。

「あ…でも腕枕はちょっと。苦手なんだよね。だからここにする。」

こちらに向かって伸びている腕の下に潜り込み、開けたばかりのピアスのせいで痛む右耳を庇うようにして左を向いた。
「え〜。俺腕枕して寝たかったのに…」不満気な表情を浮かべつつ、右手で少しの隙間も許さないと言うように引き寄せ、右耳に触れないように気を付けながら髪を撫でた。

「寒くない?大丈夫?」

「うん、ちょっと暑いくらい。あと若干苦しい…」

もっとたくさん酸素を取り込もうと顔を上げた隙に、ちらりと彼の表情を窺うと、薄いカーテンから漏れた都会の灯りに照らされて浮かぶ大きな瞳が、じっとこちらを見つめていた。瞳孔が室内の暗闇に順応して大きくなっている。きっと私の瞳孔も大きくなっているんだろう。

この空気感ってそういう事だ。
二十歳を超えた良い大人がただ抱き締めあっておやすみする訳ない。

相手からの緊張感は全くと言っていいほど伝わって来ないし、ルックス的に数え切れない程の女を抱いてきたというのが簡単に推測出来る。別に張り合う訳じゃないが自分もそれなりに数はこなしてきたはずだ。そういうのって付き合ってから3ヶ月は待たないと、とかそんな清純派でないのは自分が1番分かっているが、動物が間合いを測っただけで戦意を消失するように、ひしひしと感じる経験値の差に圧倒されていた。

誤魔化すようにぎゅっと目を瞑ると、こつんと自分の額に相手の額がぶつかるのが分かった。

「ねえこっち見てよ」

初めから、甘ったるい男女の関係が匂う様な付き合い方をしていれば良かったのだが、昼間にはパチンコ店に併設された喫煙所で、互いに狂ったように笑いながらくだらない話をして煙草を吸い、何も考えずに入った薄汚れた中華料理屋で出された料理を見て、「これ大盛りだよな…」「こんな量食えないわ」なんて会話をしていたのだ。

私は子供の頃からどちらかと言えば男勝りな性格であると思っているし、現に口癖や髪型なんかは男に近い方である。まあ近いというより寄せていると言った方がいいのだろうが。しかし身長の高さは両親から遺伝しなかったようで150半ば。現代には「ボーイッシュ」という使い勝手の良い言葉があるが、何かに分類するならそれになるのだろう。これが世間では「痛い」という扱いになるのは重々承知である。

辛うじて僕や俺という一人称を使う事無くこの歳までやってきたが、正直言えば男性という性別に憧れがある。そんな自分が1番女性というのを実感させられるのがまさにこういう瞬間だ。せめて泣き言を言わせてやりたいという気持ちがある。

彼の高い鼻が自分の低い鼻に触れてくすぐったい。脳裏で昼間の光景が思い出される。友達からいきなり恋人になったような複雑な感情だ。今更キスだなんて…という感情と、ここで躊躇して手慣れてないなんて思われるのは心外だという感情でぐるぐるになった。

相手の息遣いを感じる。残りあと何ミリだろう。チキンレースをしているような気分だ。

「ちょっと待って」

耐えきれずストップをかけた。

「なに?笑」

相手の反応から察するに、完全に悟られている。おかしい。キスって、キスって唇と唇が触れた後はどうするんだっけ、なにすればいいんだっけ…と明らかに自分が動揺しているのが分かる。

もう何度目だ、気付いたら4.5回は直前になって止めていたように思う。

「黙ってちゅーさせてよ」

何度か触れ合って、もうどうにかなりそうだ。自分からこうしてやろう、こうしたら相手はどんな反応をしてくれるだろうかなどと考える余裕なんて1ミリもなく、ただ彼の掌で転がされるだけだった。

「舌出して」

「え…」と言いながらおずおずと少し開いた口から舌先を出した。舌先が震えている。緊張してます、と言っているようだ。

「ん…」

体が勝手に痙攣する。しばらくキスなんかしてなかったせいだ。

快感に耐えられずに体を捩って逃げようとするが太腿の間に片足を入れこまれ、背中には手が添えられていてどうにも出来ない。

「ねえ、ちゅー気持ちいいんでしょ」

彼はただ純粋に快感を貪っていて、私の様子を見て楽しむ余裕まであるようだ。

あまりの快感に涙が目に浮かぶ。時間の感覚も自分がこの先どうなるのかも分からない。

「ちょ…ちょっとまって…」
「ぎゅって、ぎゅってして、」

子供が親に強請るような、それでいて悲痛な様子の私を見て、「可愛いね、いいよしよっか」と愛おしそうに抱き締めてくれた。

正常位で背中を仰け反らせた私の腰を骨張った手で掴み、「あ〜…いいね…、すげえいい」と呟いているのが微かに聞こえた。

「もっと奥、ここは?」と聞かれた。届いてはいけない場所まで届いている気がする。「こ、こわい…」他に表現のしようがなかった。

「んー?」と私の中と反応を確かめる様に、ぐっぐっと押し進めていたが、突然の刺激に驚いた私を見て動きを止めた。

「ま、まって、そこ…、それ…トイレ行きたくなるから…」

「これ、トイレ行きたくなっちゃうの?笑
痛いとかは?大丈夫?」

「と、といれ行きたい…し…、ちょっと…痛いかも…なんか…、こわい」

「ああ…笑じゃあ辞めとこうね、気持ちいい所だけしようね」

私の泣きそうな表情と声色に、妙に嬉しそうにする彼は優しく諭すように動きを変えた。

こんなに理性が、意識が保てないのはいつぶりだろうか。人って過度な快感を与えられると声すら出せなくなるのか。

「あ…、ぅ…」息を吐く際に漏れる小さな声しか出なかった。酒と薬を大量に摂取した時のような感覚だった。

「俺のこと好き?好きって言って。好きでしょ?」

「すき…、すき、すき」何も考えられない頭でうわ言のように繰り返した。

睡眠不足からか慣れない環境のストレスからか、朝から動悸が酷い。

「なんかさ、動悸が」
「あ〜酷い?」
「うん」

ベットの際に座った自分を後ろからぎゅっと抱き締めて、そのまま2人で後ろ向きに倒れた。

「薬…薬飲みたい」耐えきれずに立ち上がろうとした私を抱き締める力を更に強めた。
ここ数日オーバードーズを繰り返していることでそれの禁断症状だと考えたのか、冗談めいた言い方で「まだだめ!」と引き留められた。

けれど「もう無理限界、飲まないと死ぬ」ともがき始めた私を見かねて、「わかったわかった、いーよ笑」と言ってようやく離してくれた。

震える手で処方薬を取り出す。その辺に転がっていたペットボトルを拾い、一気に飲み干した。

「飲めた?」振り向くと彼がこちらを見ていた。返事をする余裕も無く、仰向けに寝転がる彼の上から抱き着いて、「ちょっとしたら落ち着くはずだから背中撫でて」と耳元で死にそうな気分のまま呟くと「いいよ」とだけ言って、私の背中を何度も摩った。