キャロットナイト~その男、甘くて最強~

 「目立ってない、目立ってない――――」

 私はマスクの中で小さく呪文を唱える。

 入学式から3日目。

 そろそろ私に慣れてよ。
 ほら、こんなに地味ですよ。

 女子だというだけで、珍しくも何ともないよ。

 だからいい加減、じろじろ見るのはやめて……。

 「青山さん」

 突然背後から声をかけられて、私はビクンと肩を震わせた。

 慎重に後ろを振り返ると、まるでモデルのようなイケメンが微笑んでいる。

 「どこに行くの?」

 廊下のど真ん中で、どこに行くのもないだろう。
 移動教室に決まってる。

 私はイケメンに心持ち斜めに向き直ると、伊達眼鏡越しに彼を観察した。

 燃えるような紅い髪に薄緑色の瞳。

 シャツの第二ボタンまで外し、そこから覗く素肌は透けるように白い。

 ハーフだろうか?

 私と同じクラスの一番後ろの席の男子だ。

 右耳に細いチェーンのピアスをしてるが、うん、大丈夫。
 これは武器にならない。


 「3時限目は理科室だよ。そっちは視聴覚室」

 イケメンは、ふふっ、と柔らかく笑う。

 その穏やかな笑顔に、緊張感でいっぱいな胸の中がぽかっと温まる。

 ああ、ダメダメ!

 気を緩めちゃ、ダメよ繭!

 まだ彼が、敵か味方かわからないんだから。

 彼は右手にバインダーと教科書、筆箱を持っている。

 けれど右利きじゃない。
 左利きだ。

 その証拠に右手に腕時計をはめている。

 荷物を持たず、利き手の左手をいつでも使える状態にしているなんて……。

 この男、できる。


 「一緒に行こうよ。ほら、こっちこっち」

 彼は自分の来た方向を指さすと、元来た廊下をスタスタと歩き出した。

 「あ、ちょっと待って」

 なんて歩幅の広い男の子だ。

 まあ、背が高いから仕方ないけど。

 どうも私は方向音痴らしい。理科室に行くつもりが正反対の方向に突き進んでいた。

 この男子にはぐれたら教室にも帰れないかもしれない。

 背の低い私は、ちょこちょこと小走りで彼の後を追う。

 すると案の定、廊下のあちこちから陰口が聞こえてきた。

 「あれが今年入った、たった1人の女子かよ?ひでぇブス」

 「マジで、わざわざ見に来て損したわ」

 彼らは2、3年生だな。

 いいぞいいぞ!
 そのまま私に興味なくして、自分の教室に帰れ。

 「三つ編みおさげとか、昭和かってぇの!」

 「おい、待て。あの女子の前を歩いてるヤツ、あいつはまさか……」

 「やべえ、あいつ……ろわ……だ」

 え?ロバ???

 私は足を止めて、男子たちを見た。

 『ろわ』と聞こえた気もするけど、それでは意味がわからない。

 「青山さん、ついておいでよ。どうかした?」

 「え、その……あの男子たちがあなたのこと、ロバって……」

 私はいつの間にかそばに戻ってきたイケメンに、ありのままに話してしまった。

 すると彼は、緑の瞳をすっと細める。

 「へぇ、ロバねぇ……」

 彼の周囲の温度が一気に下がった気がした。

 やばい、と思った時にはもう遅かった。

 陰口を叩いていた2人は、有無を言わさず5、6人に囲まれてどこかへ連れて行かれた。

 「うわっ!チャイム鳴った!行くよ。青山さん」

 彼は青ざめる私の手首を優しくて握ると、廊下を走り出す。


 この人、とっても危険だ。

 私はそう直感しながらも、なぜか彼の手を振りほどけなかった。