鍵盤から離した指先を膝の上に下ろし、背もたれの無い椅子の上で体を仰け反らせる。
「集中切れだわ」
そのままふらふらと一階に降りていく。そこには、氷菓を頬張るママの姿が。
「氷菓まだある?」
「ごめん最後の一個」
「甘いもん食べたーい」
「買ってきたら」
「…」
唇をちょっと尖らせて、千円札を受け取る。
服装と髪型を整えて、私は家を出た。
日焼け止め塗ったし、日傘も差してるし、ミニ扇風機も絶賛稼働中なのに、夏休みの間にクーラー漬けの生活をしているせいか、私の意識は太陽に抗うことも出来ずに朦朧としていた。
【暑い、暑い、暑い。甘いもんが食べたい〜】
さながらゾンビのように、残暑の日差しが照り付ける中を私はひたすら歩いた。
目的地の月雫堂の前に着き、バンドタオルで汗を拭う。私は和菓子が大好物なのだ。この月雫堂には、小学生の時にママについて和菓子を買いに来てから、今では一人でも訪れるほどずっと縁がある。
「こんにちは」
二枚目の自動ドアを潜った先は、まさに天国のような涼しさっ!
「あら、いらっしゃい。暑かったねぇ」
暖簾の奥から、雪子さんが顔を出した。
「本当です…」
雪子さんは月雫堂の店主で、同級生の大熊のおばあちゃんだ。
私が冷えていく汗を丁寧に拭いていると、大熊も奥から出てきた。
「お、中川」
大熊は私と同じ中学二年生だ。剣道に励むため親元を離れて、祖母である雪子さんのお家から中学校に通っている。私達の中学は、剣道の強豪校なのだ。
「和菓子食べたくなって、来た」
「おう。冷たいやつ、いっぱい食ってきな」
「とーぜん!」
私の頭の中は既に和菓子で埋め尽くされている。
「水羊羹と氷室饅頭ください」
雪子さんはにっこり微笑んだ。
「ここで食べていく?」
「えっと…氷室饅頭は持って帰ります。水羊羹は、ここで食べても良いですか?」
「ええ、もちろん。今、お待ちするわね」
雪子さんは暖簾の奥に移動した。
お店の長椅子に腰掛ける大熊の隣に座る。
「宿題どのくらい終わった?」
「俺、まだ全然終わってない」
「濃崎たちと勉強会しよー」
「いいけど、勉強したくねー」
「それは誰だってそう!」
大熊がお腹を震わせるように笑う。
「そういえば、夏休みあけに大会あるよね」
「おう」
「また、見にいく」
「…おう」
大熊の瞳が、優しく細められた気がした。
実はもう一個、聞きたいことがある。八月の終わりにある夏祭りについて。去年の夏は、濃崎陽と女子だけで夏祭りを満喫した。でも、
【今年は大熊と、行きたい…】
私と大熊は、女子剣道部に所属する濃崎に紹介される形で出会った。中一から今まで、最初は濃崎に誘われて私、濃崎、濃崎の彼氏の月守、大熊の四人で遊んでいたけど、段々と大熊に惹かれ、二人だけで話すことも増えてきた。
「ーお待ちどさん」
「お!ありがとうございます」
雪子さんが、二人分の水羊羹を私と大熊の真ん中に置く。
「え。俺もいいの?」
「丁度、おやつの時間だものねぇ」
そう言って、なぜか小さくをウインクした。
「いただいたます!」
待ち切れなくなった私は、大きめに切り分けた水羊羹を頬張る。
「んん〜美味しい〜」
微笑みながら暖簾の奥に消える雪子さんをじっと見送った大熊は、やっと水羊羹に手を付けた。
「ん、美味い」
「涼しい店内で冷たい和菓子を食べるの最っ高。幸福感が半端ないね」
「そうだな」
なぜか得意げな大熊が、口の端を上げて笑っている。その表情に、私の胸はどうしようもなく弾んだ。
【今、聞くしかない…】
大熊が水羊羹を食べ終わるのを見計らって、何気なく尋ねる。
「そーいえば、今年も夏祭りあるよね」
「…うん」
「誰と行くとか…決めた?」
「もちろん」
動揺して、私の視線は手元に落ちる。
「へぇ。誰と?」
なるべく自然にそう聞いたつもりだけど、内心平静を装うので精一杯だった。
「教えてもいいけど…そっち、座ってもいい?」
その視線は私の隣に空いた人一人分のスペースに注がれていた。
「…いいけど」
こんなに涼しい店内なのに急に汗ばんでくる気がして、頬にかかった髪を軽くかき上げる。
「ーずっと前から好きな人がいる」
思わず大熊の方に顔を向けると、真っ直ぐな眼差しの彼と私は至近距離で目が合った。
「初めて会った時は気まずかったけど打ち解けるとすごく話しやすいところとか、毎回の様に大会を観にきてくれて良い結果出せなくても褒めて応援してくれるところとか、誰よりも美味しそうに和菓子を食べるところとか…数え切れないくらい好きなところがある」
心臓の音も、店内のクーラー音も聞こえなくなって、ただ、大熊の声が耳に響いた。
「中川が好きだ。…夏祭り、一緒に行かないか?」
「行く」
大熊の頬が赤みを帯びる。
「好きだから…私も」
あまりの嬉しさに私の顔中に今までで一番の笑みが溢れ出す。大熊も、つられたように破顔していた。
「あー…暑いね、今年は。…水羊羹、もう一つ貰ってもいいかな?」
「今度は、飲み物も待ってくるよ。…まだ、話し足りないからな」
一瞬で心拍数が上がって、身体が火照る。尚も高い太陽が照らすアスファルトを透明な自動ドア越しに見つめながら、私はこの夏が終わっても冷めないであろう恋の熱を心地良く感じていた。
「集中切れだわ」
そのままふらふらと一階に降りていく。そこには、氷菓を頬張るママの姿が。
「氷菓まだある?」
「ごめん最後の一個」
「甘いもん食べたーい」
「買ってきたら」
「…」
唇をちょっと尖らせて、千円札を受け取る。
服装と髪型を整えて、私は家を出た。
日焼け止め塗ったし、日傘も差してるし、ミニ扇風機も絶賛稼働中なのに、夏休みの間にクーラー漬けの生活をしているせいか、私の意識は太陽に抗うことも出来ずに朦朧としていた。
【暑い、暑い、暑い。甘いもんが食べたい〜】
さながらゾンビのように、残暑の日差しが照り付ける中を私はひたすら歩いた。
目的地の月雫堂の前に着き、バンドタオルで汗を拭う。私は和菓子が大好物なのだ。この月雫堂には、小学生の時にママについて和菓子を買いに来てから、今では一人でも訪れるほどずっと縁がある。
「こんにちは」
二枚目の自動ドアを潜った先は、まさに天国のような涼しさっ!
「あら、いらっしゃい。暑かったねぇ」
暖簾の奥から、雪子さんが顔を出した。
「本当です…」
雪子さんは月雫堂の店主で、同級生の大熊のおばあちゃんだ。
私が冷えていく汗を丁寧に拭いていると、大熊も奥から出てきた。
「お、中川」
大熊は私と同じ中学二年生だ。剣道に励むため親元を離れて、祖母である雪子さんのお家から中学校に通っている。私達の中学は、剣道の強豪校なのだ。
「和菓子食べたくなって、来た」
「おう。冷たいやつ、いっぱい食ってきな」
「とーぜん!」
私の頭の中は既に和菓子で埋め尽くされている。
「水羊羹と氷室饅頭ください」
雪子さんはにっこり微笑んだ。
「ここで食べていく?」
「えっと…氷室饅頭は持って帰ります。水羊羹は、ここで食べても良いですか?」
「ええ、もちろん。今、お待ちするわね」
雪子さんは暖簾の奥に移動した。
お店の長椅子に腰掛ける大熊の隣に座る。
「宿題どのくらい終わった?」
「俺、まだ全然終わってない」
「濃崎たちと勉強会しよー」
「いいけど、勉強したくねー」
「それは誰だってそう!」
大熊がお腹を震わせるように笑う。
「そういえば、夏休みあけに大会あるよね」
「おう」
「また、見にいく」
「…おう」
大熊の瞳が、優しく細められた気がした。
実はもう一個、聞きたいことがある。八月の終わりにある夏祭りについて。去年の夏は、濃崎陽と女子だけで夏祭りを満喫した。でも、
【今年は大熊と、行きたい…】
私と大熊は、女子剣道部に所属する濃崎に紹介される形で出会った。中一から今まで、最初は濃崎に誘われて私、濃崎、濃崎の彼氏の月守、大熊の四人で遊んでいたけど、段々と大熊に惹かれ、二人だけで話すことも増えてきた。
「ーお待ちどさん」
「お!ありがとうございます」
雪子さんが、二人分の水羊羹を私と大熊の真ん中に置く。
「え。俺もいいの?」
「丁度、おやつの時間だものねぇ」
そう言って、なぜか小さくをウインクした。
「いただいたます!」
待ち切れなくなった私は、大きめに切り分けた水羊羹を頬張る。
「んん〜美味しい〜」
微笑みながら暖簾の奥に消える雪子さんをじっと見送った大熊は、やっと水羊羹に手を付けた。
「ん、美味い」
「涼しい店内で冷たい和菓子を食べるの最っ高。幸福感が半端ないね」
「そうだな」
なぜか得意げな大熊が、口の端を上げて笑っている。その表情に、私の胸はどうしようもなく弾んだ。
【今、聞くしかない…】
大熊が水羊羹を食べ終わるのを見計らって、何気なく尋ねる。
「そーいえば、今年も夏祭りあるよね」
「…うん」
「誰と行くとか…決めた?」
「もちろん」
動揺して、私の視線は手元に落ちる。
「へぇ。誰と?」
なるべく自然にそう聞いたつもりだけど、内心平静を装うので精一杯だった。
「教えてもいいけど…そっち、座ってもいい?」
その視線は私の隣に空いた人一人分のスペースに注がれていた。
「…いいけど」
こんなに涼しい店内なのに急に汗ばんでくる気がして、頬にかかった髪を軽くかき上げる。
「ーずっと前から好きな人がいる」
思わず大熊の方に顔を向けると、真っ直ぐな眼差しの彼と私は至近距離で目が合った。
「初めて会った時は気まずかったけど打ち解けるとすごく話しやすいところとか、毎回の様に大会を観にきてくれて良い結果出せなくても褒めて応援してくれるところとか、誰よりも美味しそうに和菓子を食べるところとか…数え切れないくらい好きなところがある」
心臓の音も、店内のクーラー音も聞こえなくなって、ただ、大熊の声が耳に響いた。
「中川が好きだ。…夏祭り、一緒に行かないか?」
「行く」
大熊の頬が赤みを帯びる。
「好きだから…私も」
あまりの嬉しさに私の顔中に今までで一番の笑みが溢れ出す。大熊も、つられたように破顔していた。
「あー…暑いね、今年は。…水羊羹、もう一つ貰ってもいいかな?」
「今度は、飲み物も待ってくるよ。…まだ、話し足りないからな」
一瞬で心拍数が上がって、身体が火照る。尚も高い太陽が照らすアスファルトを透明な自動ドア越しに見つめながら、私はこの夏が終わっても冷めないであろう恋の熱を心地良く感じていた。
