◇
「お疲れ様でしたー。」
バイトを終えた、午後10時半。
…今から帰れば日付変わる前にヒナに会えるはず。
急いで自転車にまたがった。
「あっ!ヒロ、待って!」
「ああ、舞。お疲れ。」
パタパタと走って来て、目の前に立つ。
「店長に私の事『送れ』って言われたの覚えてないの?」
…そうだっけ。
頭の中、全部ヒナの事だったからすっかり忘れてたわ。
今日はバレンタイン。
バイト代は割り増し。
しかも、遅番なら更にアップ。
そう言われて飛びついた。
舞を送るの込みだったっけね、そういや。
「あ~っと…駅まで…」
「普通家までじゃないの?店長に見つかったら大目玉だよ?
と言うか、私、そんなに遠く無いところに住んでるから。普段も自転車か歩きで来てるの。 」
クスクスと笑う舞は歩き出した。
…今日に限って、徒歩ですか。
まあ…俺の自転車の後ろに乗せりゃ、早い…には早いけど。
『ヒロにぃと二人乗り、好きなんだ!』
…まあ、無理だよね、乗せるのは。
諦めて隣を歩き出した。
煉瓦の道にさしかかると鮮明に思い出す、ヒナと“ハヤカワ”が並んで歩く姿。
…デートってわけじゃないだろうね。わざわざ俺のバイト先に来る位だから。
だけど、そんなとこについて来るぐらいだから。
『…バイトに戻った方が良いんじゃないんですか?』
まあ…普通に考えて好きなんだろうね、ヒナが。
だけど、俺の所に来るのについてきても平気な位、ヒナは早川を信用してる。
だったら、俺も信用すべきだって思った。
ヒナの“仲良しの友達”だから。
「…さっき尋ねて来てた子って、彼女?」
「ああ…うん。まあ。」
「可愛い子だったね。
でも…年下?
バイト先まで来ちゃうなんて…ヒロも大変だね。」
「あ~…まあ。」
信号が赤に変わって、横断歩道で立ち止まったら、目の前にスッと小さな紙袋が差し出された。
「バレンタインのチョコ。」
「さっき貰ったけど。」
「これはヒロにだけだから。」
舞が籠にストンとそれを入れる。
「…私は、バイト先に行くなんてことしないけどな。そんな…困らせる様な事…」
「でしょうね、舞は。あの人はあなたと違って色々困ったちゃんだからね。
すーぐ怒るし、泣くし、凹むし。」
「そっか…やっぱり大変なんだね…」
「まあでも、困った子でも、俺にとっちゃ大事なわけよ。」
怪訝な顔をして小首を傾げた舞に、籠から紙袋を持ち上げ、今度は俺が舞の前に差し出した。
「これは貰えない。」
舞が俺に苦笑い。
「酷いなあ…受け取ってもくれないなんて。
送ってくれたお礼って事で受け取ってよ」
「お礼なら、キャッシュでお願いします。」
「ゲスっ!」
「何とでも言ってよ。俺には今、金が必要なんだよ。」
「それでバレンタインにバイト入れたの?しかも遅番。」
「そうです。」
あーあ…と呆れた様に、紙袋を舞が俺からそっと取った。
「少しは期待してたのにな~。だから、店長に頼んでこの時間にシフト入れて貰ったのに。」
信号が青に変わり、舞は歩き出す。
「私、駅からタクシー拾って帰るから。もういいよ、ここで。早くしないと、一緒に居た男の子にとられちゃうかもよ?」
「うん、俺も大いにそれがある気がして、今、すっげー焦ってます。」
「もー!早く行きなよ!」
俺の背中をバンと叩いた舞は、足を速める。
「ヒロ、またバイトでね?」
「うん、お疲れ。」
ヒラヒラと手を振る背中がタクシーに乗り込んだのを確認すると、踵を返して、自転車を全速力でこぎ出した。
それでも家に帰り着いたのは、11時過ぎ。
すぐに、電話をかけてみたけれど……出ない。
リビングのドアを開け、目線を向けたダイニングテーブル。
あ……
そこには、小さな紙袋と皿に乗った丸いスポンジケーキ、それから、母さんの書き置き。
『ヒナちゃんが持って来てくれたわよ~』
この香り、紅茶…?
『美味そう』
『だ、ダメだよ、これは…』
そっと触ってみたケーキはまだ温かい。
もしかして…俺用にもう一個焼いたとか?
手に取った紙袋の中には小さな箱と一緒にカードが入ってた。
『ヒロにぃへ
バイトお疲れ様。
良かったら食べてください。ケーキは今日焼いたから、明日1日冷やした方が美味しいと思います。
今日はバイト先にいきなり行ってごめんなさい。』
「…ほんとだよ。
大人しく家で待ってればいんだよ、ヒナはさ。」
なんて言いながらも、口の端がにやける。
やっぱり、焼いたんだね、俺用に。
カードを袋に仕舞い、またスマホをかけた。
…出ない。
寝ちゃったかな。
とりあえず、メッセージ入れとくか。
『チョコもケーキもありがたく頂きます。また明日』
「……。」
一旦、スマホを閉じて、それからまたメッセージ画面を開いた。
それ見て思わず、含み笑い。
…既読になってるし。
『何だ、起きてんの?』
打ってみても来ない返信。
……既読無視。
『チョコもケーキも一人で全部食べさせて頂きます。』
…また既読無視。
『ヒナ?』
『まあじゃあ、返事しなくてもいいや。一応、言っとく。』
『好き』
……あ。
もう着信ですか、ヒナさん。
素直だこと。
もう、どうしようも無いほどだらしない顔のまま、通話をタップした。
「…もしもし?寝たかと思ってた。」
『ね、ね、寝て…ない!』
うるさっ!
ヒナの甲高い声に耳が対応出来ず、キーンって少し根をあげる。
「ヒナ、明日は?」
『…七時半に家出る。』
「じゃあ…一緒に行く?」
『……。』
「ヒナ?」
名前を呼んだら、「あのね?」と少しべそをかいた声に変わるヒナ。
『ヒロにぃは…私でいいの?』
「…何。それはつまり…ヒナは“ハヤカワ”がよくなったってこと?」
『は、は、早川?!ち、違うよ!よくなったとかそんなんじゃないから!そう、違うの!だからね?ほら、私比較的…なんて言うかな…髪がサラサラだから…』
……絶対何かあったな、“ハヤカワ”と。
「ヒナ、今、出てこれる?」
『お、お母さん達帰って来てるから…チョコは渡しちゃったし…』
まあ…無理に会いに行けないことはないけど。
夜遅くに行って、おじさんとおばさんの心証を少し悪くすんのは良くないよね…春休み間近だし。
ハヤカワのことは明日ゆっくり問い詰めよ。
「んじゃ、ヒナ、また明日?」
「う、ん……」
「………やっぱ今日?」
「えっ?!あ、あし……た……」
後ろ髪惹かれるように返事をするヒナに更に顔がにやける。
まあ…ヒナが“ハヤカワ”にどう揺れてもムダだよね。
他の男に渡すなんて、絶対しないから、俺は。
.



