Simple-Lover









「あ…おい…」


確証が得たくて、近くで見たい衝動に駆られ、早川から離れてカフェに近づいた。


窓一枚隔てて、見えるヒロにぃの楽しそうな笑顔。
隣に居る綺麗な女の人が、そっとヒロにぃの腕に触れ、笑う。


何か…お似合い。
やっぱりヒロにぃにはああいう綺麗な大人の人が似合うんだよね。


それは…わかってたけど。
だから、頑張って大人にならなきゃって…。


ふうと息を吐き出した。
途端、不意に顔をあげたヒロにぃと目が合った。


少し驚いてすぐに眉間に皺が寄る。
あの人と話していた今までの柔らかい笑顔が消えた。


…帰ろ。
別に仕事を邪魔したいわけじゃないから。
ただ、『大丈夫?』の意味が知りたかっただけだから。


何となく、寂しくなって目頭が熱くなる。
目線を静かに外して、歩き、早川の元へと戻る。


「帰ろ。」
「…おう。」


静かに早川と歩き出す。
煉瓦の敷き詰められた道に再びさしかかった時だった。


「ヒナ!」


後ろから聞こえて来た声で振り返る。


ヒロ…にぃ。


「あー…良かった、追いついて。」


走って来た…のかな…。


シャツの上から、ダウンを羽織った状態で少し息を切らしている。


呼吸を整えたいのか、一度フッと短く息を吐き、早川を一瞥する。


「あ…俺…ヒナの同級生で、早川って言います。」
「ああ…“ハヤカワ”君…ね。どうも。相沢です。」


それから、私の手首をグッと握った。


「…行くよ。」
「え…?ど、どこに…」
「俺のバイト先。俺が終わるまで控え室で待ってて。」
「い、いいよ…そんなの。ちょっと様子見に来ただけだもん。」
「もう暗いし、一緒に帰った方がいいでしょ。」
「で、でも…」
「大丈夫ですよ?俺が送ってくんで。」


早川がモメ出した私とヒロにぃの間に入った。


「…バイト、戻った方が良いんじゃないんですか?」


眉間に皺を寄せたまま、真顔の早川と少し目線を交わせていたヒロにぃはふうと深く溜息をついて、私の手首を開放する。


「…バイト終わったら連絡する。」


ポンと頭に少し厚めの丸っこいその手のひらが乗っかった。


「気を付けて帰んだよ?」
「うん…」


「じゃあね」とそのまま来た道を戻っていく。


「……行こうぜ。」


その小走りの背中を見送っていたら、早川が歩く様に私を促した。


それに、従い回れ右をして、再び歩き出す。
出した溜息は、フワリと白く夜空へ舞っていった。


「あー…っとさ。まあ…良かったんじゃね?」
「…何が?」
「や、だからさ…ここまで心配してお前を追いかけてきて、しかも自分のバイト先に連れてこうとしたって事は、真面目にバイトしてるだけって事だろ?」
「……ヒロにぃは昔から私に過保護だから。“彼氏だから”じゃないと思う。」
「そう…なんだ…」


煉瓦の道が終わり、横断歩道で立ち止まる。
早川の少し茶色の髪が、車のライトに照らされて光った。


「…私がまだすっごく小さい時からずっと。何だかんだ、遊んでくれるし面倒見てくれてたし。」


あんな優しくてかっこいい幼馴染みが一番近くに居たら、他へ目を向けようがない。
ずっと、ずっと、好きで、大好きで…辛かった。
どんなに想っても、ヒロにぃにとって私は幼馴染みでしかないんだろうって想ってた。


だから…凄く嬉しかった。


『お前は元々俺のでしょ?』

ヒロにぃが、私を彼女にしてくれた事が。


だけど…本当に良かったのか分からなくなってきた。


さっきカフェで見た、ヒロにぃと綺麗な女の人の絵面が鮮明に目に焼き付いてる。


「……ヒロにぃには、私なんかよりもっと良い人がいるのかな。」


早川が私を少し見て、また目線を赤信号へと戻した。


「…それはさ、お前にも言える事じゃない?」


早川を見た私に、ニッと口の片端をあげて笑う。


「男はこの世の中、ワンサカ居るわけじゃん。」


信号が青に変わると同時にポンッと頭に早川の掌が乗った。


「まあ…俺もそのうちの一人だし?」


ぐしゃぐしゃっとそのまま髪を思い切り撫でる。


「ちょっ…!」
「ほら、渡るぞもじゃ子。」
「もじゃ…誰のせい!」


長い足でとっとっとっと、軽やかに渡っていく早川を慌てて追いかけた。


「もう!やめてって言ったじゃんか!」


渡り終えて立ち止まり、口を尖らせ怒りながら髪を整え始めたら、ククッと含み笑いする早川。


「…何?」
「や?お前はその方がいいなーって思っただけ。」


頭のてっぺんの逆毛をその指でそっと直すと優しく笑った。


「元気な方が、お前らしくて可愛い。」


……私、早川に何言われた?


『可愛い』


いや…いやいや。
別に好きって告白されたわけじゃなし。
早川も私が落ち込んでるから、慰めようとね?
ほら…早川もモテるし、きっと女子の扱いが上手いから……


「帰るぞ、もじゃこ」
「もじゃこじゃないし。寧ろさらっさらだから」
「うん、知ってる。
お前の髪、触り心地良いから好き。」


その指が今度は少しマフラーを直す。


「つか…お前が好き。」


勢いよく走って来た車の作り出した風が、髪を少し巻き上げた。


……好き…?


「あ、あの…さ…」
「あ~…わかってるよ。お前には“ヒロにぃ”がいるもんな。」


ポンと頭に早川の手が乗る。
けれど、いつもみたいに、グシャッとはしない。


「…でもさ。“ワンサカ”の男の中の一人じゃん?」


「まあ…考えといて?」と歩き出す早川。


そこから家までは、そんな話があったの?と言う位サラッとしていて。
「じゃあな」といつもと変わらず笑いながら帰って行った。


……けど。
私…早川に告白された…んだよね。


思ってもみなかった展開に、一人ヘナヘナとソファに座って、クッションを抱え込む。


今まで散々からかわれてバカにされてたのに…


『本当に早川はヒナが好きだよねー!』

…なつみとさあちゃんはわかってたって事?


スマホがメッセージの着信を知らせてポケットの中で震えた。


あ…早川…


『おやすみ、もじゃこ。ちゃんと歯、磨けよ』


フッと思わず笑う。


『お前もな』


返信したらグッと親指を立てたスタンプが送られて来て、また笑う。


…告白はともかく。
今日、早川が隣に居てくれて良かったのは事実だよね。
一人で行って、ヒロにぃとあの人の仲良さげな所を目の当たりにしていたら、落ち込んで歪んで…ヒロにぃにあたっていたかもしれないから。


『ヒナ!』

追いかけて来てくれたヒロにぃを思い出した。


迷惑…かけちゃったな。


『暗いから一緒に帰った方がいいでしょ。』

ヒロにぃはいっつも、心配してくれて、私の事を大事にしてくれてるのに。
ああやって、自分の好奇心だけで押しかけて。
私…やっぱり子供だよね……。



笑い合う二人を思い出してツンと鼻の奥が痛くなる。
目頭が熱くなったのを、唇をキュッと締めて制した。


「…よし。」


キッチンに立って腕まくり。
それから、ボールと測りを取り出した。