Simple-Lover





ヒロにいが免許の合宿から帰ってきた日の夕方。お母さんから、今朝会いにきたって聞いて連絡をしてみたけれどスマホに出なくて。
会えなくてごめんねってメッセージを送ったらそれには『大丈夫』ってスタンプが返ってきたけど、それ以降音沙汰がなかった。


…もしかして、家庭教師を増やしたことをよく思ってないのかな。
でも、これは必要なことだって私が判断したことだし。そこを言われるなら、私はヒロにいにちゃんと説明するつもりだったんだけど…。


何度か連絡してみても出ないし、メッセージも既読になるのが、朝送って夜かその次の日。しかも、だいたいスタンプとか一言くらいな感じで。


う〜ん…勉強に集中したいのにな。
流石にここまで態度が変わるとどうしたもんかと思ってしまう。

もしかして…羽純さんの方へ行ってしまったのかもとも思ったけれど、だったら私に会いに来ないだろうしな…とどことなく冷静に分析してる自分も居て。


「…何か山本さん、脱皮した?」
「やっぱりそう思います?」


家庭教師の日、勉強の合間に、私が西山先生に近況をお話ししたら、そう言って面白そうに眉を下げる西山先生。
美味しそうに、自ら差し入れと称して持ってきたシブーストをパクリと一口頬張った。


「マジで美味い。これ。」
「ですよね!何個でもいける!」
「確かに。」


私に相槌打ちながら、コーヒーを一口飲むと、長い足をくみ、椅子にもたれてんーっと伸びをする。


「何か、落ち着かないね。山本さんと彼氏。」
「うーん…。幼馴染で一緒に沢山居た分、何かわかった気になってヒロにいは今、こうしたいのかなとか、勝手に想像してた所があったのかもって、反省したり。」
「なるほどね。幼馴染って複雑なんだね。」
「今まではそう思いませんでしたけど、確かに複雑かもしれませんね、お互い長く一緒に居た分。」


西山先生は、「そっか」と相槌を打つと、今度は机に乗ってた模試の結果を手に取り目を通し始める。


「…とにかくさ。いよいよ受験まであと数ヶ月って所まで来てるわけだから。まずは勉強に集中しようか。
気になることは今みたいに話すことで発散できるなら俺も聞くし、その為にこの前みたいに友人に会いに行きたいなら、その時間は確保するように勉強のカリキュラムも組むし。
とにかく勉強以外の気になる事をできるだけ頭の中に残さないこと。わかった?」
「はい!ありがとうございます!」


私…本当にラッキーだよね。西山先生と出会えて。

私の為に色々考えてくれる西山先生にも、西山先生を家庭教師として呼んでくれている両親にも感謝して、頑張って今は勉強しないと。

そう気合を入れて過ごした夏休みは過ぎ、新学期が始まり、9月最初の模試も何とか乗り越えた後の月曜日。


「おかえり。ヒロくん、来てるわよ。」


リモートで家に居たお母さんが、部屋からひょっこり顔を覗かせる。


「さっき尋ねてきてね。まだ学校から戻ってないって言ったら、また来ますって言ったんだけど、どうせだから上がって待ってたら?って誘ったの。リビングに居るわよ。」
「そっか…」


私が何となく憂鬱な顔をしたのがわかったのかもしれない、お母さんは、クスリと柔らかく笑う。


「ちゃんと話をした方がいい時もあるかもね。いくら通じ合ってる、理解してるって思ってても。新たな発見があるかもしれないし」


…お母さん。もしかして気がついてる?私とヒロにいに何かあったって。


そう思ったけれど、お母さんはそのまま「じゃあね、仕事だから」ってまた部屋に消えて言ってしまった。


とにかく…私も話をしたかったから。

リビングに行くと、ソファに座るヒロにいの後ろ姿。ふわふわの髪がすっこしだけ寝癖みたいに立ってて、思わず頬が緩む。
そっと近づいて、後ろからその跳ねてる髪を指で触れた。
久しぶりのヒロにいの髪の感触に気持ちがスッと癒される。


「…ヒロにい、大学は?まだ始まらないの?」
「や…今日からではあるんだけどさ。」

そんな私の手をヒロにいの手がぎゅっと握ると、下から私を柔らかい笑顔で見上げる。

「ヒナに会いたいなーって思って、最後の授業サボった。」
「…ダメじゃん。」

ムッと唇を立てて見せたら、困った様に眉を下げるヒロにいは、握っていた手を離すと、ソファから立ち上がる。


「…ヒナ、少しだけ話せる?」


穏やかだけれど、少し距離を感じるその言い草に、何となくよぎった不安。


何だろう…私と別れたいとかって話を、ヒロにぃがこのタイミングでするとは思えないんだけどな。


それとも…変わってしまった?優先が羽純さんになった?


「な、何…?」
「あ〜…うん。ヒナの部屋、行っても平気?」
「う、うん…。」


…確かに。

ここで話をしない方がいい気がする。私、そんな話されたら、また泣くだろうし。

お腹に力を入れながら一緒に行った部屋。

ドアを閉めた途端に、ふわりと背中から包まれた。


「ヒ、ヒロにい…?」
「……。」


何も言わずにただ、ぎゅっと力を込めて私を包む腕。
それに安堵を覚えて、緊張が解けた。


羽純さんとのことなのかと思ったけれど。
やっぱり、ヒロにいは今の私にそんな話はしないよね。 
いつだって、私の事を考えてくれてるもん。

でも…だったらちゃんと私も話をしないとな。家庭教師を増やした事。


「あ、あのね?その…家庭教師を増やした事、報告せずにごめんね?」
「………。」
「その…ね?私が法学部に入る為には、もっと勉強時間が必要で…だったらその時間、西山先生に居てもらう方が勉強が捗るし効率が良いと思ったの。」
「………。」


ずっと黙って聞いているヒロにいがどう考えてるのか…全くわからない。
でも、大好きなヒロにいの腕の中を久しぶりに味わって思った。


どんなにヒロにいの事で不安になっても、結局ヒロにいの腕の中が一番安心するんだな、私…。


「ヒ、ヒロにい…その…わがままなのはわかってるけど…」
「………。」
「………私も、ヒロにいにくっつきたいから、一旦離れてくれやしませんか。」
「…………。」


ぎゅっと更に力がこもる。


「…やだ。」
「な、何で…イタっ!」

首筋にいきなり歯を立てられて、そこにチクリと痛みが走る。


「ヒ、ヒロにいのバカ!痛いじゃん!離して!」
「やだ。絶対やだ。」


懸命に抜け出そうとして、暴れようとしてもヒロにいの力に叶うわけもなく、そうしたら今度は同じ場所にふわりと唇が触れた。


「…ヒナ。」
「な、何…。」
「好き。」


サラリと言われたその言葉が、身体中に痺れを起こす。
私の動きは簡単に止まり、力が抜けて、鼻の奥がツンと痛みを味わった。


「…ごめん、色々バカで。」


その言葉に、ヒロにいが何かを聞いて、そしてここに来たって悟った。


目頭が熱くなって、目の前がぼやける。
思わず唇に力を込めた。


「ヒロにいはバカじゃない。」
「どっちなんだよ。」


クッと笑う声が嬉しくて、涙が溢れてきそうになって。それを口をへの字にして抑える。


「…こっち向く?」
「向かない!」
「何で?」
「向かないからだってば!」


そう言って今度は、腕を解いて振り向かせようとするヒロにいに必死に抵抗。
けれど、あっさり体を向けさせられて、そのキラキラなブラウンの瞳が私を優しく覗き込む。


「…口がすげーへの字。」


眉を下げてふわりと笑うヒロにいに心がキュウっと音を立てて、そのまま吸い込まれるようにぎゅっとくっついた。


「…ヒロにいのバカ。振り向きたくないって言ったのに。」
「や、振り向きたいって言ったじゃん、その前に。」
「違う!このタイミングじゃない!」
「あ〜はいはい。すみませんでしたね。」


そう言ってくふふと笑いながらまた、私をヒロにいの腕が包み込んで、その手のひらが頭を撫でる。
その感触が、柔らかくて嬉しくて、目を閉じたまま、今度は頬が緩んだ。


「…ヒナ、俺さ。ちょっとこっからまた忙しくなりそうで。」
「うん…。」
「水曜日も西山先生に送ってもらえたりする?」
「西山先生に送ってもらわなくても、送り迎えは大丈夫だよ。」
「……そっか。」


「わかった」とだけ言って、それから少し私を自分から離すと今度は、おでこ同士をコツンとつけるヒロにい。
そのままふわりと唇が重なる。


「…ヒナ、受験頑張って。」
「うん…。」


何だろう…何でこんなに寂しそうな表情をしてるんだろう…。


「ヒ、ヒロにい…」
「ん〜?」


鼻をすり寄せてくれるヒロにいの表情はいつも通り柔らかい。でも…どこか憂いを帯びていて、それがどうしてなのかはわからなかった。

結局、羽純さんとの事の詳細は話がなかったけれど。


ヒロにいの立場を考えれば、お母さんとかから私がスランプになったって言うのはいずれ耳に入ること。そしてそれが自分が原因なんじゃないかって悟ったのかもしれない。

そして、その上で…私に会いに来てくれた…って事だよね。


よ、よし…。


自ら、口を近づけて、今度は私がヒロにいの唇に自分のをくっつける。

ヒロにいの目が驚きに満ちて見開いた。


「か、彼女…だもん。い、いいじゃん!」


恥ずかしくて頬が熱を持つ。伺うように上目遣いにヒロにいを見たら、フッと目を細めて唇の両端をキュッとあげて笑う。


「うん、良いんじゃない?別に。彼女なんだし。」
「そ、そうだよ…。」
「でも、ダメ。」
「え?…んんっ」


次の瞬間、腰から抱き寄せられて、少し乱暴に唇を塞がれる。何度も、何度も…角度を変えてキスを繰り返すヒロにいのシャツをキュッと握りしめて、息苦しさを纏いながらも、一生懸命それを受け入れた。


「…ヒナ、浮気すんなよ。」
「しないし。するわけないし。」


漸く解放された唇に、息苦しさが残る。けれど、言われた言葉にムッとして、自分はどうなんだと言わんばかりに、唇を尖らせて見せたら、また眉を下げるヒロにい。
コツンとおでこをまたつけた。


「…や、うん。その…色々ごめん。反省してます。」
「……。」
「…ちゃんとするから。絶対。信じて。」


…ヒロにいらしいな。
具体的に言い訳をしない。いっつもそう。謝るところは謝って、端的に言う。

長年一緒にいなかったら、『言葉足らず』『ちゃんと説明しろ』って思ってたかも。
だけど、私は違う。

一緒にずっと居たからこそ、ヒロにいの誠意がそこにあるってわかる。

だからね、信じるよ。
信じるに決まってる。


だって、世界一大好きな…相沢裕紀だもん。

おでこを離して、ぎゅうっとまたヒロにいの胸元に顔を埋めた。


「…ヒナ?」


またその手のひらが私の頭を優しく滑り出す。


頭の上にヒロにいのほっぺたが触れる感触がする。
それも心地よくて、また目を閉じた。


「…ヒナってば。」
「…しばらく会えないって、ヒロにいが嫌な事言うから、充電中。」


ふふって柔らかく笑う声がまた上から降ってくる。


「…彼女だもん。充電。」
「うん、その通り。」


そう言うと、更に私を包む腕に力がこもる。


「…ヒナは俺の彼女。」


そう言った後は、特にお互い何も喋ることもなく、しばらくそうやって抱き合っていた。


…どうしてしばらく会えなくなるのか、忙しくなるのか…それはわからなけれど。
本当は、ヒロにいに会える日がたくさんあると良いなと思うけど。

でも、私はずっとヒロにいの温もりを覚えてて、信じてるから。

私は、私で、受験勉強を頑張ろう。
ちゃんと、笑顔で春を迎えられるように…。











“…相沢君は?“彼氏として”山本さんにどうすべきだと思う?”



西山さんと話をした後、しばらくは中庭に佇んで居て。30分ほどした所で、フウと漸く一つ息を吐くことができた。


…友香里にあれこれ聞くのもありだけど。
今それを聞いて、友香里を攻めても何の解決にもならない。


羽純の言ってた“ドタキャン”と西山さんからの話を総合すると、友香里は当初から俺と羽純を二人きりで合宿に参加させるつもりだったっぽいし。元々友香里は俺と羽純をくっつけたがってたんだかっら、俺が怒った所で、大体返ってくる言葉は想像がつく。


そして、それを嗜めた所で、何の意味もない気がする。
むしろ、躍起になってヒナにまた接触すんじゃねーのとすら思う。


俺が、どうすべきか…
そりゃ、ヒナを守らないといけないでしょ、彼氏として。


色々と頭の中を整理して、やるべきことを考える。
それから、ヒナの家に行くと、おばさんが優しく「家に上がってヒナを待ったら?」と言ってくれた。


…俺は味方が多いよね。
だけど、そこに甘んじてあぐらをかいているからこんな事になったのかも。


部屋に入れてくれて、抱きしめた俺を拒否する事なく受け入れてくれるヒナ。
俺のせいで勉強すら手につかなくなったのに…「充電!」なんて言ってくれて。


改めて、自分が何にも考えてないダメな奴だったって思った。


ヒナ…本当、情けない位未熟でごめん。
でも、こっから頑張るから。


決意を新たに、ヒナを覆う腕にさらに力がこもる。


…今はとにかくヒナが受験に集中できるって事が最優先。

そのための即効性ある策は…

“邪魔な者は近づけない”

…つまり、少なくともヒナの受験が終わるまでは、"俺自身"が距離を取ること。ヒナからも、羽純からも。

羽純と友香里の側には居て、見張ってるって方法もあるかもとは思ったけれど、それだと余計に友香里は俺と羽純をニコイチと盛り上がり、ヒナに接触するリスクがあると思った。


…荒療治に出るのもね。
本当は、今すぐ二人を呼び出して、文句言ってやりたい感じだけど。そんな荒療治をしてしまったら、それこそヒナに矛先が行きかねないから。


受験が終わるまでは平穏を取った方が良いよね…。


家庭教師の時間が近づいても、くっついて離れない俺に、ヒナも文句を言わずずっとくっついてくれている。


“「西山先生がもうすぐ来る時間だから離れて!」と言わない。”


そんな些細な事で、思わず頬が緩んだ。


まあ…うん。
しばらく会えないとか嫌だけど、めちゃくちゃ嫌だけど…。

仕方ない。受験が終わるまでは。
とにかく…俺は、ちゃんと“今のヒナ”を守るって事に集中しよう。


そう、固く誓ったその日から、バイトを増やし、忙しいってていで大学の友達とも付かず離れずで距離を取る。


あまりにも朝から晩まで働いてる俺に舞は「どうした?」って面白そうに笑ってて、早川は「マジで車買う気じゃないっすか」って苦笑い。


「ヒナ、オープンカーが良いって。」
「はあ?!それ叶えるんですか?!つか、軽の何つったっけ…」
「コペンとかミニクーパーとか…あるけどね。」
「それ、いくらなんだっつー話ですよね、軽でも…げっ!たかっ!」


カフェの閉店まで入っていたバイトの帰り、3人で話しながらの並木道。スマホで俺と一緒にオープンカーを検索し出した早川のやりとりを、舞があははと楽しそうに笑った。


「いいじゃん!ヒナちゃんにはその位貢いどいた方がいいよ、絶対。」
「うん、俺もそう思う。」
「や…思っていいんですか、そこ。つか、舞さん、ヒナに甘くなってません?実際あいつに会ったら。」
「そりゃそうでしょ!めっちゃ良い子だったもん、ヒナちゃん。あれはモテるよ。可愛いし、素直だし…ってまあ、そう育てたのは紛れもなくヒロなんだろうけど。」
「そうかもね。つか…二人ともごめん。そしてありがとうございました。」


信号で立ち止まった時に、改めて二人に頭を下げる。


「そうだそうだ!もっと謝れ!」
「いや…寧ろ飄々としててくださいよ。俺、なんか相沢さんに頭下げられるの苦痛かも。」


両極端な二人の意見に、思わず頬が緩む。

…この二人にしばらくは頭が上がらないかも。


車の免許のスケジュールの関係上、バイトに再び入り始めたのが、つい先日。そこで二人から聞いたヒナの話。
早川だけじゃなくて、舞も時間を作って話をして寄り添ってくれたって聞いて。
舞を巻き込んだ早川の考えも、それに応えた舞にも、心から感謝した。


この二人がヒナと話をしてくれなかったら、今頃どうなっていたか…。


それはどうやら、この二人だけではなくて。
西山先生が、ヒナに『今会いたい人に会いにいけ』と言ったとも聞いた。

どうやら、ヒナは色々な人に会いに行って話をしたみたいで。その上で俺を信じて待つって結論を出したらしい。

まあ…当然その中に渦中の俺は含まれて居なくて。


『“あれから”山本さんに会った?』

西山先生がなぜ友香里にそう聞いたのかも合点がいった。


要は…友香里とヒナの関係性がどうだったのかを知っときたかったってことなんだと思う。
そして、ヒナに会っていないと友香里が答えた事で、友香里はヒナにとって親しい人ではないのに、傷つくと明らかな話を待ち伏せしてまで言いにきたってことが確定。
西山先生の中で俺に対して話をすることは揺るぎないものになった。


「つーか、どうすんですか?これから。その…俺が言うのも何ですけど、ちょっと友香里って人怖いかも。」
「うん…確かに。度が行きすぎてるっていうかね。」

早川と舞が、うーんと二人して腕組み。


「まあ…そうなんだけどさ。事の発端は俺だし。友香里は俺と羽純っていう同じクラスの人をくっつけたがってるっっつーかね…」
「だからそれですよ!」
「それだって!」


今度は、二人揃って俺にツッコミ。


「…うん、二人が仲良しなのはわかった。」
「はあ?!やめてよ。他の女に執着してる男なんて、興味ないし。」
「や、俺…別に誰にも執着してねーっすよ。」
「自覚なし?!やばっ!」


…うん、自覚なしは相当重症かもよ、早川くん。
あれだけ、若菜、若菜って…


「そういや今日は平気なわけ?若菜ちゃん。」
「あ〜…はい。最近は割と。夏休みに、ヒナが遭遇して…あいつ意外と弁が立つんですね、ああいう時。ヒナの冷静な物言いに先生がやられて、それ以来、あんまり近づいてこなくなったんですよ。」
「えー!ヒナちゃんかっこいい!見たかった!」


舞は更にテンションが上がってニコニコしながら、「じゃあ、私こっちだから!」と自転車にまたがって颯爽と去っていく。

残った俺と早川。


「…俺じゃあ、なんか食い止め切れなかったから。ヒナには感謝しかないです、今。」


そう言った早川は、本当に嬉しそうな顔をしてて、自分が追い詰められてる時にもそうやって誰かのために戦えるヒナを俺も改めて凄いって思った。


まあ…ヒナがそういう人間だってもちろん俺は知ってましたけどね。


ぶうとほっぺたを膨らまして「ヒロにい!」って怒るヒナを思い出したら、思わず顔がニヤける。それを悟られたくなくて、空を見上げた。


「…俺がこんな事言ったらあれなんですけど、根本は羽純さんにある気がするんですよね。つか、相沢さんの事だからもうわかってんじゃないんですかね、それ。」


2度目の信号待ちで並んだ早川も一緒になって空を見上げる。


「あ〜…まあ…。ただ、何となく確証が掴めなくてさ。」
「やっぱり、そうなんですね。」
「うん。まあ。」


羽純に最初に違和感を抱いたのは、旅行で偶然会った時で。それまで俺が接してた羽純の印象では、わざと日にちを被せようとかそんな常識はずれの事しないと思うんだけどって思った。
でも…友香里の勢いに負けたんだろうなってその時はそれしか考えなかったけど。

流石に、一人で免許合宿に現れて、それを友香里が歪んだ形でヒナに知らせて…っていうと、本当に友香里だけの問題か?って勘繰る所が今はある。


「とはいえ、今はヒナに近づけさせないって方に全振りしてるから。全く確証なしだけど。確かめようがないっつーかね。」
「まあ…仕方ないっすよね、今は。あいつマジで法学部入るために頑張ってますしね。」
「うん。なるべく、何事もないように過ごさせてあげないと。でも、当事者よりもさ、周りの方が見えてる事もあるだろうしね。気がついた事あったらまた教えて。」
「や…うん、教えますけど…気持ち悪いんで、あんま素直に俺と話をしないでください。」
「俺はいつでも素直だから。よろしくね?ハヤカワくん?」
「マジでやめてくださいって!」


本気で嫌がる早川をハハって笑う。


最初は警戒しかしてなかったけど、やっぱり早川ってイイオトコだわ。


…逃がした魚は大きいかもよ?ヒナ。
まあ、今更だし。
今後も、言い寄ってくる魚は全部逃して頂きますけど。


そんなことを考えながら帰宅して。
ヒナから「バイトお疲れ様!」って入ってるメッセージに「ヒナもお疲れ」って返信してシャワーを浴びる。


ついこの前、しばらく離れないとなんて思ったのに、もう会いたくて辛いんですけど。

ガシガシと頭を洗いながら、ふうとため息。

や…身から出た錆だし。
俺は俺の役割を全うしないと、だよね。


改めてそう、決意…したにもかかわらず。


季節も進んで、秋が深まってきて、2ヶ月もすると、ヒナ不足もいいところで、結構ヘロヘロ。


今まで生きてきて、こんなにヒナに会えない期間てよく考えたらなかったもんな…。
自分が受験の時なんて、何だかんだ自分に都合よく会ってたし。
不足すると自分がこんなにガタガタになるんだって改めて知ったわ。


気がつけば思考がヒナを思い出すことに行ってしまって、バイトでも気をつけないとミスしたり、授業も聞いているようで聞いていなかったりってことが増えたりって…


「…大丈夫なわけ?最近。あんま食堂にも来られてなかったじゃん。」


学食で久しぶりにクラスの仲間とお昼を食べ始めたら、敦弘が心配そうに俺を見る。


「あ〜うん。まあ…それなりに。」

苦笑いの俺に友香里が相変わらず俺の隣に座る羽純の向こうから、目を爛々と輝かせて身を乗り出した。


「なになに?!元気ないの?!」


…いや、誰のせいでこうなってんと思ってんだよ。

なんて、心の中で多少イラついては見たものの。
いやいや、元々は俺のせいじゃんて省みる。


「まあ…ちょっとね。バイトがマジで鬼のように入ってるからさ。課題を昼休みに図書館で終わらせないと間に合わなくて。」
「いよいよ、ヒナちゃんと別れるとか?!それでバイトたくさん入れて合わないようにしてるとか?まあ、それが妥当だよね…腐れ縁の解消なんだろうし。ヒロ、頑張って!応援してるよ!」
「ゆ、友香里…」


羽純が友香里を制して、「大丈夫?」と心配そうに俺を見る。


「今日もバイト?」
「や?今日は久々の休み。」
「ねえ、じゃあさ、気分転換に皆んなでごはんでも行かない?」
「あっ!いいね、それ!行こうよ!」
「俺も、乗った。行こうぜ、ヒロ。」

友香里と圭人が乗ってくると、敦弘も「だな」と笑顔を見せる。


まあ…そうだな。たまにはそれも良いかも。羽純とはちょっともう一度じっくり話がしてみたかったから。良い機会かもしれない。

誘いに乗って。行った先のお店。
大学の最寄駅にある、最近できたっていう、ベトナム料理のお店。


敦弘の近況やら、友香里の饒舌な話っぷりに大いに笑って、それはそれで楽しかった…けど。

あんまり羽純と話ができなかったな…なんて成果なしで少しため息。

道をトボトボと歩き出したら、「ヒロ、待って!」と羽純が後から追いかけてきた。


「途中まで一緒に帰ろうよ。」
「一緒の方向だっけ?」
「うん。」
「そっか。んじゃ、行こ。」


俺に促されて、一緒に歩き出す羽純は、やっぱりふわりと笑顔。


「…二人で話すの、免許合宿以来かな。」
「あ〜そうかも。俺が結構バイトとか入れて忙しかったしね。最近は?授業とか、諸々大丈夫なわけ?」
「うん!だいぶね。相変わらずだけどまあ、四苦八苦してでもやらないわけにいかないから。」
「まあ…そうだよね。」


俺が相槌を打ったところで、ぴたりと足を止める羽純。
それに、俺も一歩先で足を止めて、振り向きざまに、「ん?」と首を傾げた。


「あ、あの…さ。その…今、ヒナちゃんと本当に距離を置いてるの?」
「ああ…うん…まあね。」
「そっか…だったらちょっと安心したかも。」


そう言って再び笑顔になる羽純。


「…何で?」
「ほら、私、合宿の時に言ったでしょ?麻痺してる、側から見てる私は悔しいって。」
「そういや、そんな事言われたっけね。」
「だからね?一歩引いて、ヒナちゃんを見られる環境になったんだったら良かったのかなって。」


横から少し冷たい風が吹いてきて、羽純のふわふわとした髪を揺らす。それを羽純自ら指ですくって自分の耳にかけた。


「…ヒロは、今までヒナちゃんの為にって頑張って来たんだから。もう、解放されても良いと思う。
ずっと一緒に居たから、寂しいって気持ちが今はあるかもしれないけどさ。
私、今までヒロにはたくさん助けてもらったから。今度は私がヒロを支えたい…かななんて。だから、いつでも誘って!付き合うから。私も誘うね!」


照れくさそうに頬を緩めそう言う羽純。


“解放”…ね。

やっぱり俺とヒナが距離を置いていることで、羽純と友香里は納得してんだな。


そう思うと、その表情と言葉に、どことなく目論みと期待があるように見えてしまう。


まあ…羽純の本当の考えなんて羽純から聞き出さない限り確定はしないけど。それを今出来るわけじゃないし。


“ヒナと俺が距離を取る”作戦で、とりあえず、ヒナに接触したりってことが起きないであろうことに、心の中で安堵。


まあ…この作戦も一時的なものだよな。
いずれ、今の状態を友香里は特に焦ったく思いそうだし。

距離感を少しずつ微調整して、ヒナに目がいかないようにしないと。


そんな俺の考えがバレないように、顔色は変えずに、いつものテンションで穏やかに羽純と会話を続ける。


「…羽純に支えたいなんて言われる日が来るとは。情けない。」
「はっ?!え?!何で?!」
「自覚なし…。羽純、無理しないで良いから。」
「だ、大丈夫だよ!ほら、私…ちゃんと車の免許も取れたでしょ?」
「あ〜うん、そうだね。うん、ありがとう。」


そう言ったら、また羽純は嬉しそうに笑う。


まあ…今の所はこんな感じで大丈夫かな。

とにかく、受験が終わるまで。
羽純と友香里に勘付かれないまま、ヒナと距離を置かないと。