Simple-Lover







旅館でヒナが部屋を出て行った後

ヒナと引き離されたってストレスが、旅先で出会った友人を大事に扱うことよりも上回って、結構強く「部屋に帰れ」と言ってしまったあの時。

それでも友香里は「えーいいじゃん。もう少し話をしようよ!」と怯まず。羽純がそれを宥めて、俺に申し訳なさそうに「ごめんね」と出ていった。

…羽純には悪いことしたかなって思ったけど。
羽純をフォローする余裕なんてなかった。

と言うか、フォローしてたら、もっと大変なことになってたんだって、ヒナを見つけて思った。


枝垂れ桜の下で、何やら楽し気に話をしている相手はあの『ハヤカワ』で。


…俺と旅行に来てんのに、電話かける先『ハヤカワ』なんだ。


なんて、身勝手な感情が沸々と湧き起こったあの時。
ついさっきまで散々ヒナに嫌な思いをさせといて、こんな感情…

つか、“ハヤカワ”に電話かけたのだって、結果的に部屋を追い出した俺のせいなのに。
部屋に連れ戻して、何だかんだ言いながら、露天風呂にも入れさせて。
全部、自分の不安と独占欲を満たすため。

本当にどうしようもないヤツだって、自分で自分に呆れたけど。


俺が触れるのをいつも通り受け入れてくれてはいるけれど、どこか憂いの雰囲気を出しているヒナに不安が払拭できなくて、結局朝までずっと、ヒナを自分の腕の中に閉じ込めてた。


次の日、朝早くから大浴場に出掛けて行ったヒナは帰ってきたら、やっぱりニコニコはしてるんだけど、何となく元気がなくて。


…昨日言われたこと気にしてんだろうな、ヒナのことだから。


そんな俺の考えはどうやらビンゴだったようで。


旅行から帰って2日後くらいだったと思う。

高校の友達とランチしてくる!とメッセージが来て…そこから数日、ヒナは何故か「忙しい」と会ってくれなくなって。
まあ…昼間に会えなくても夕飯時にお邪魔しちゃうってのも、俺とヒナの両親の関係を考えればありだったけど…。


『重たくない?!』


…あんな事があった後だし様子を見ることにしていたら。


3月最後の土曜日。数日ぶりにヒナの部屋に行った俺に、にっこり笑いながら塾のパンフレットを見せてきて


「来週からここに行くことにしたの!」


…やっぱ気にしてたんだ。友香里が言ったこと。


「いいじゃん、今まで通り俺が教えてあげるよ?」と喉まで出かかってグッと堪えた。


おじさんとおばさんと話し合ってヒナが考えて決めたこと。
それなのに、俺が反対するのは、自分本位過ぎる。
こう言うことでヒナが俺の言葉に影響されるのは、ナシでしょ。

腹の中がわからないように、いつも通りの笑顔で、ニコニコしているヒナの頭を撫でる。


「すごいじゃん。ヒナ、やる気だね」
「うん!頑張るよ!ちょっと帰りが遅くなるけど…お父さんとお母さんが迎えに来てくれるって言ってくれてるから。お仕事したあとに一つ手間を増やしちゃうけど…だからこそ、頑張ろうかなって思って!」
「おー。大人じゃん。」
「本当?!大人??」


俺が褒めると、目を細めて嬉しそうにくふふと笑うヒナ。


…ヒナは自分がどんなにすごい人間か分かってないんだよね。
いつだって、真っ直ぐで素直。だからこそ、友香里みたいに良いことも悪いこともはっきり言うヤツには傷つけられたりするけど、それも自分に吸収できる所があるかもって考える。
それって実は誰でもできることじゃないし、凛としてて強い人間だからだって俺は思ってる。


抱き寄せたその華奢な体は、なんの違和感もなく俺の腕の中に収まっていてくれて、ついでにちゃんとその細腕で俺を抱き寄せてくれる。


まあ…この一年はヒナが受験勉強に専念できるように色々我慢かな。


そう思ったけれど、ヒナのその温もりに、癒されふと思いついた妙案。


“じゃあ、おじさんやおばさんの代わりに迎えに行っちゃえば良くない?”


…“ヒナと会わない”って選択肢は俺の中に無いかも。


次の日の夕方、ヒナの家に行って、既に帰宅していたおじさんとおばさんに、ヒナの迎えを買って出る。おじさんは、二つ返事で「それはヒナが喜ぶね」と言ってくれて、おばさんは「ヒロ君だって忙しいのに…」と恐縮し、だったら週の何回かはお願いしようかしらと言ってくれた。

まあ…「春休みは毎日行きます」って説得したけどね。


俺の迎えに驚いた後、どことなく憂鬱な顔をするヒナ。
「俺が大変だ」とかって言うけど。俺にとっちゃヒナと会えなくなる方が一大事なんだけど。
それに、ヒナが夜道を一人で歩いてるのなんて、絶対心配でしょうがないから迎えに来た方が心配も減るし。

ヒナも、最後には俺が迎えに行くことを承諾してくれて、春休みは毎晩会うことができていた。


…けれど。
学校が始まるとそう言うわけにはいかなくて。


一番大きいのは、朝一緒に行けなくなったこと。
授業のカリキュラムの関係で、少し早めに出なきゃいけなくなって、帰りもバイトが入ったりしていて。
結局、水曜日位しか迎えに行けなくなった。


土日もバイトが入ったりするし…ヒナの勉強の邪魔になるのも嫌だから、家に行くのも控えたりしてるし…。
正直、自分が受験の時より数倍しんどい。


自分が受験の時は自分が会いたいタイミングでヒナの所に行ってたし。
ヒナがテスト期間中は、ヒナも一緒に勉強するって口実で、朝から晩まで一緒に居たりもできてたし。
俺にとっては、それが癒しになってて、勉強に集中できてたから…。











大学2年生になったヒロにいは、朝から授業の日がほとんどになって、朝一緒に通学できなくなった。
小学校の時からずっと、“通学はヒロにいと一緒”っていうのが私の日常だったから。
とても、心細くて、寂しい感じがしたけれど。


…これが普通なんだよね。
本当に私、ヒロにいに頼り過ぎていた…というか、守られ過ぎていたんだな。


満員電車と格闘しながら、そんな風に考える日々。
今までも、ヒロにいのことはずっと考えて思い出していたけれど、会える時間が限られたら、ますますヒロにいが恋しくなって。
水曜日の夜が本当に楽しみになった…けど。


本当は、無理して水曜日にお迎えに来てくれているって知ってるから、申し訳ない気持ちでいっぱいで。

けれど、お父さんもお母さんも忙しいし、水曜日もお願いします!とは言えなくて。

どうしようかな…と思っていた矢先。


「…何か、最近帰り間際になると集中力切れるね。どした?」


西山先生が、授業終わりにそんな風に声をかけてくれた。

…凄いな、西山先生。よく見ている。
お迎え時間が近づいてくると、ケアレスミスが増えてくるから気をつけていたのに。


テキストをカバンに仕舞いながら、苦笑い。


「いえ…ちょっと送迎問題が。」
「ああ、帰り道?」
「そうなんです。危ないから一人で帰って来ちゃダメって親に言われてて。」
「じゃあ、毎日ご両親が迎えに来てるの?」
「そうなんですけど…うちの両親仕事で結構忙しいから、申し訳ないなあって…」
「なるほどね…確かに毎日のことだと、そういう気持ちも起こらなくはないか。つか、偉いな山本さん。両親にそこまで気を遣えるなんて。」
「いや…その…一日だけは、違うんですけどね。」


西山先生は、話を聞くのがとても上手だから、ついつい、一番気になっている水曜日についても口にしてしまう。


「へー!彼氏すごいね。」
「……。」
「何、嬉しくてモチベーション上がるんじゃないの?山本さんとしては。」
「まあ…私はもちろん嬉しいし、両親にとってもありがたい話かなとは思います。もともと、私が生まれた時からずっと一緒にいる人なので…両親も安心して任せられると思うから。」
「彼氏、幼馴染なんだ。」
「そう…ですね…。」


「なるほどね…」と少し考え出した西山先生が、口角をキュッとあげて私を見る。


「まあ、さ。とりあえず一個ずつ解決していこうか。」
「一個ずつ…。」
「そう。まずは、ご両親の負担を軽くすることで山本さんが勉強に集中できる環境を作るって所から。」
「どう…やって…」
「手っ取り早いのは、塾通いを減らしてその分家庭教師をつけるとか、授業の時間を一個早めるとか…」
「授業時間を早めるのは塾長に相談したんですけど、やっぱり一つ前はほとんどが小学生か中学生だからどうかな…って。」
「まあ、確かにね。中学生はともかく、小学生がいると少し騒がしかったりするしね。」
「家庭教師は…考えてみます。」
「そうだね。」

「で、」と西山先生が、自分も上着を着て、リュックを背負う。


「とりあえずはさ、もっと簡易的な方法で行ったらいいかなって。」


もっと簡易的…??

小首を傾げた私に、ふわりと目を細めて優しい笑顔。だけどちょっとだけ、何というか…面白そうな表情を見せる。


「俺が送ってくよ。家庭教師をどうするか決まるまで。」
「えっ?!」


驚き過ぎて、思わず大きな声をあげてしまうと、塾長はじめ、残っていた先生方や生徒さん達が一斉に振り向いた。


「山本さん?どうしたの?」


塾長と数名の先生や知り合いになった生徒が何事かと寄ってくる。


「い、いえ…その…」


しどろもどろになってる私の反応が面白かったのか、さらに楽しそうな表情の西山先生。


「すみません。俺が、『送ってく』って言ったら驚かれちゃって。山本さんの家の方、俺帰り道なんですよね。山本さんがご両親に迎えに来てもらうのが、頻繁だから悪いって言うから。」
「そういえば、そんなこと言ってたわね…。」


塾長が心配そうに私を見ると、今日、一緒のグループで勉強していた友美ちゃんが、キョトンと小首をかしげる。


「ヒナちゃん、送って貰えば?だって帰り道ならどうせ大体通る場所なんだしさ。私も、加藤先生と一緒に帰ってるよ?」


…え?そうなの?


塾長を見ると、ニコリと笑う。


「山本さんが嫌でなければね。方向が違うのにわざわざ送るのは違うと思うけれど、同じ方向ならば一緒に帰るのはいいんじゃないかなとは思うけど。」
「こう言う所が、小規模塾の良いところだよね!なんて言うか、アットホーム!」


友美ちゃんの隣にいた、妙ちゃんという子も「私も方向一緒の先生と帰ってるよ!」と笑う。


そっか…このご時世。先生達だって、途中まででも誰かと一緒の方が心強いのかもしれない。お互いに。


その日は、西山先生が「一応ご両親にご挨拶をしておこっか。」と言ってくれて、迎えに来ていたお母さんに挨拶。
恐縮したお母さんに、ついでなのでと笑って了解を取り付けてくれた。


「意外とさ、こう言う授業外の時間でコミュニケーション取るのも大事かなって俺は思ってて。ほら、大学の話とか、世間話って、塾内では限界があるでしょ?」


次の日から、一緒に歩く帰り道。

今まで、早川とかクラスの男子とか…部活の先輩とかとは話したことがあったけれど、ヒロにいより年上の大学生の人とかと沢山話す機会ってなかったから、ちょっと不思議だな…。


なんて思いつつ。


大学の話をたくさん聞かせてくれたり、逆に「今時の女子高生ってどんな感じなの?」なんて聞いてくれたり。
何だか話しやすくて、結構盛り上がる。


ヒロにいと話す時とはまた違った距離感だな…。
近過ぎない距離だからこそ、素直に自分の思ってることを言えるってこともあるんだなって、送り迎えのことを西山先生に相談して良かったと思った。

きっとヒロにいに相談していたら、「じゃあ、やっぱり俺が迎えに行く」って言い出しかねない。
それは、“ヒロにいを卒業する”と頑張っている今、本末転倒になるし、忙しい毎日を送っているヒロにいに無理を強いることにもなるから。


『解放してあげて欲しい』


羽純さんの言葉をふと思い出した。


『ヒナにも同じことが言えるよね』
『そろそろ、してもいいかもね、“ヒロにいからの卒業”』


…ヒロにいにも私の知らない世界があるわけで。私も同じ。
それぞれに世界があって、お互い自立した関係で…それが大人としての付き合い方なのかな。


そんな風に思ったからかもしれない。
水曜日にわざわざヒロにいにいうことでもないかなって思って特に話題に出さなかった。


そのことで、ヒロにいが不機嫌になるなんて思っても見なかったから。











ヒナと週一ペースでしか会えなくなって丸1ヶ月。
5月の中旬になろうかという、木曜日。
バイトで遅くなった帰り道、珍しく徒歩で帰っていて、家まで後少しと言うところで、見つけたヒナの後ろ姿。


「ヒ…」


偶然会えた事に嬉しくなって、声をかけようとしたけれど、そのまま固まった。


月明かりと街灯に照らされて、笑うヒナ。
その笑顔の先には…隣を歩く知らない男。


いや…どっかで見たことある気がする。でも、思い出せない…。

まあ、どっちでもいいわ。
見た事あろうがなかろうが。問題は、何でヒナがあんな楽しそうに話をしながら、夜道を男と歩いてんだって話で。


警戒心丸出しのまま、近づいてって、改めて「ヒナ」って声をかけたら、一瞬驚いたヒナは、「ヒロにい!」って笑顔に変わる。


「バイト帰り?」
「うん…まあ…」


そいつのことを気にして見ると、細めの目がニコッと余裕の表情で軽く会釈される。
長めの前髪をセンター分けしてて、ツーブロックの短髪。さらりとした黒髪が街灯に照らされて艶をもっている。

背丈は俺と変わんないけど…何だろう、少し大人な感じがして大きく見える。
俺より体格がいいからか?


「ヒロにい、こちら塾の講師の西山先生だよ!西山先生、こちらはヒロにいです!」
「どうも初めまして。西山と言います。」
「初めまして…。」


俺は『塾の講師が何で一緒にいるんだよ』って、表情を険しく…というか、完全に眉間に皺寄せて睨んだけれど。
そんな俺にも変わらず西山さんは微笑む。


「ちょうど、帰り道が同じ方向だったので、週に何度か送らせてもらっているんです。」


ちょ、ちょっと待ってよ。
それ…いつからの話?

会えなくなってたとはいえ、水曜日は俺、迎えに行ってたよね。
でも、ヒナからはそんな話一度も出てなかった……。


「そうですか」と少しため息まじりに言うと、ヒナの手を取る。


「…じゃ、こっからは俺が一緒に帰りますんで、大丈夫ですよ。家が隣同士なんで。行こ、ヒナ」
「え…?う、うん…」


何で、そんな困惑して…つーか、迷惑そうな表情すんだよ。
そんなに、西山さんと居たいわけ?


ムスッとしながらヒナの手を引っ張る俺とは裏腹に、相変わらず優しい表情のままの西山さんは、ヒナに微笑む。


「じゃあ、俺はここで。山本さん、また塾でね。」
「は、はい!ありがとうございました。」


少し、西山さんが手を挙げると、ヒナも嬉しそうな顔で控えめに手を振る。


…何その、伝わり合ってる感じ。
めちゃくちゃ嫌なんだけど。


「…ほら、行くよ、ヒナ。」
「う、うん…」


無理矢理前を向かせて、ヒナの手を握ったまま歩き出す。


明かに不機嫌な俺に、ヒナが困ってるのがわかるけど。
俺からしたら、受験勉強頑張ってるはずのヒナが男と楽しそうに歩いてたんだから、不機嫌になって当然でしょうがって話でさ。


「…何、浮気?」
「っ?!そ、そんな分けないじゃん!そんなこと、西山先生に失礼だよ!」


…すげームキになんじゃん。
そして、『西山先生に失礼』ってさ。西山先生がその気だったらヒナはいいってことなわけ?


「俺に迎えに来てもらうのは、嫌そうなのに、塾の先生に送ってもらうのは嬉しいんだ。」
「ち、違うよ!西山先生、たまたま同じ帰り道だったからついでにって…」
「…俺らと別れた後、来た道戻ってったけど、あの人。」
「え?!うそ!」


慌てて振り向こうとしたヒナをまた、引っ張った。


…大手ってわけじゃなくたって、それなりに塾には沢山生徒がいるわけで。
特定の生徒を『帰り道が同じだから』って理由で送るとか……どう考えたって下心あるに決まってんだろ。

何でそんなこともわからないかね、ヒナは。


「今週の土曜日、バイトもないから、ヒナんち行くわ。」
「あ…えっと…土曜日は朝から塾に行こうかと思ってて…。」
「………。」
「ご、ごめん…」


…や、俺は別にヒナに謝ってほしいわけじゃなくてさ。


「…いつから送ってもらってんの?」
「5月の連休明け位からかな…。お父さんとお母さんが仕事が今忙しくなっていて、大変そうだって話を西山先生にしたら…『帰り道が同じ方向だから送るよ』って…」
「おじさんとおばさんの仕事が忙しくなったんだったら、俺に相談すればいいじゃん。」
「ヒ、ヒロにいには言えないよ!」
「何で?」
「な、何でって…だって…」


くちごもるヒナに、ふうとため息。


まあ、理由は何であれ、俺には言いたくなかったけど、西山さんには気軽に話せたってことでしょ?


「…わかった。もういい。」
「え?」
「や、ヒナが俺が関わる事でストレスなら、水曜日の迎えもやめる。」
「そ、そう言うことじゃない…」
「じゃあ、どう言う事なんだよ。」
「そ、それは…だから……ヒロにいに負担をかけたくなくて…」
「………。」


…またそこか。
結構根深く残ってんだね、ヒナの中で。


「俺は、ヒナと居て負担なんてかけられたこと一度もないけど。」
「そ、そんな事ないよ!いっつも負担ばっかりかけてるもん…。」
「だから、俺には迎えに来てほしくないって?」
「そ、そうだよ…だって、疲れてるのに…」
「西山先生だって同じじゃん。仕事の後でしょ?」
「ち、違うよ。自分が帰る『ついで』だもん。」


や…だからさ。
その『ついで』がね?下心があるからだつってんだよ。

そうは思うけど、おそらくそれをヒナに言ったところで、「そんなわけない」って言われて終わりだろうなって思った。

その位…気を許してる表情だったから、ヒナの西山先生に向ける笑顔が。


「…ヒナはさ。どうしたいわけ?」
「え?」
「や、俺が迎えに行かなくなりゃ、多分ほとんど会えなくなるでしょ?それで良いと思ってるの?」
「そ、そうじゃない…けど…。」


受験勉強に集中しなきゃいけないヒナに、こんな風に迫ったらいけないって頭のどっかではわかってる。俺が一番ヒナを理解して、支えなきゃいけないのに…どうしても、苛立って仕方ない。

…付き合いだしてからずっと感じてはいたけど。
俺がヒナをいっくら大切にしても、好きだって示しても、ヒナはどこか俺の「好き」を信じきれていなくて、幼馴染としての愛情なんじゃないかって…。

それはまあ、幼馴染としての関係の方が、遥に長いわけだからね。わからなくもないけど。
でもさ。
『好き』の感情なんて、どっちだって良いんだよ、俺にとっちゃ。


“ヒナと居たい”


ただ、それだけなんだから。


もう一回、大きく息を吐き出して、自分を落ち着かせる。


「…ヒナ。俺はヒナが受験生でも、そうじゃなくても、ヒナと会いたいし、一緒に居たいって思う。だから、そのために時間を作るのは負担ではないから。」
「……。」


まあ、すぐに話を理解してくれるとは思ってないけど。


「…とりあえず、水曜日は迎えに行ってもいい?」


優しくそう聞くと、俯いたまま、小さくこくりと頷いた。


まあ…今はこれで良しとするかな。


ヒナの家の前までくると、少しその体を引っ張って抱き寄せて、おでこ同士をくっつける。

「んじゃ、ヒナ。浮気してるバツとして、チューして。」
「え?!い、今?!」
「うん。今。ここで。早く。」
「う、浮気なんてしてない…」
「そ?」

鼻をすり寄せて、「ほら早く」と言う俺に困り顔のヒナ。気まずそうに、上目遣いに俺を見た後、その尖った唇を俺に近づけて唇同士をくっつけた。


「ヒ、ヒロにい…」
「んー?」
「……好き。」
「……。」
「…です。」
「くっ」
「なっ!」


辿々しいヒナの言葉に、嬉しくなって顔がにやける。
「人がせっかく言ったのに!」と怒るヒナの唇を今度は俺が強引に塞いだ。


まあ…ちょっとずつわかって貰うしかないか。

『ヒナと居たい』っていう、俺の極めてシンプルな、感情は。










いつも通り、西山先生と帰っていた木曜日の夜。


「ヒナ!」と後ろから追いかけてきたヒロにいに、偶然会えた嬉しさで、満面の笑みで西山先生を紹介した…けど。


ヒロにいは、笑顔も見せないで西山先生に「どうも」とだけ言うと、私の手を引っ張る。


ちょ、ちょっと…待って。
どうしてそんな態度を取るの?

西山先生に失礼だよ…。


西山先生は、特に表情は変えずに「じゃあ、俺はここで」って帰って行ったけど。


「…浮気?」


そんなわけないじゃん!
私が悩んでいることをいち早く気がついてくれて、手を差し伸べてくれたんだよ?そんなこと言うなんて失礼だよ!


一生懸命に説明しても、いまいち納得してくれないヒロにい。


挙げ句の果てに


「水曜日、迎えに行かない」って言い出した。


「会えなくなるけど、それで良いの?」と聞くヒロにいに、モヤモヤとした感情が芽生える。


…何言ってるの?そんなわけないじゃん。
できるなら、毎日会いたいよ。
だけど、ヒロにいが忙しいのもわかってるしさ…。せめて、ヒロにいに心配かけないように、お父さんとお母さんの負担を減らす方法を考えてただけなのに。


「ヒナの事で負担な事なんて一つもない」


そう言い張るヒロにいに、そんなわけないって言ってみたけどそれは否定されるだけ。


これが…羽純さんの言っていた、『麻痺している』ってことなんだろうか。


だとしたら、ちゃんと自覚はした方が良いかもしれないよね、ヒロにいも。
私のために時間を作るという事は、自分が労力をかけてるんだってこと。


でも…な。


家の前まで来て、「チューして」といきなり言い出したヒロにいの突然の甘えぶりに、困りながらも気持ちがキュッと掴まれる。

こうやって、ヒロにいと居られる時間や、ヒロにいとのやり取りが、私は大好きなのに。

やっぱり距離は取らなきゃダメなのかな。
そうしないと、お互いの気持ちがちゃんと見えてこないってこと?幼馴染というフィルターを外せないってこと?


その事実に寂しさを覚えて、思わず「好き」って言ったら、機嫌よく笑う声の後少し乱暴により引き寄せられて、噛み付くようなキスが降ってきた。

それに幸せと甘さを感じてまた少し、胸が痛くなる。

…ちゃんと理解はしている。ヒロにいの居ない私の世界をもっと広げていかなければいけないって。
だけど…どうしても、『ヒロにいとずっと一緒に居たい』って思ってしまう。