Simple-Lover





ヒロにいと1日中一緒に過ごした初めての伊豆はどこに居ても、何をしていても予想を遥に超えて楽しくて。
いっぱい笑って、いっぱいドキドキして、嬉しくて、あっという間に時間が過ぎた。


…けれど。
夜になって宿に帰ろうと言うところで、思い出してしまったお部屋に露天風呂がついているってこと。


ヒロにいも全くその話題に触れなかったし、私もどんな感じなのか写真でしか見たことのないものに何となく実感がなくて、ヒロにいと色々な所で楽しんでいる間は忘れてさえいた位。


でも、いざ宿に行くとなったら、急に現実味を帯びてきてしまって…緊張が走ってしまう。


宿に向かおうと言って急に緊張し始めたヒロにいはただ「ん?」と小首を傾げていたっていつも通り。


「もしかして、まだ見たい所あった?良いよ、行こっか。」


わ、私が変なこと想像していると言うのに…ヒロにいは優しい!


こ、こんな所で動揺して足を引っ張ってる場合じゃないよね!お、大人になるんだ、私!


覚悟を決めて入った部屋は、10畳ほどの和室で、シンプルモダンな作り。畳が新しいのかとても良い香がして、その先には、縁側と露天風呂…なんだけれど、その向こうに大きな桜の木が寄り添い満開の花をさかせてそれが綺麗にライトアップされていた。


す、すごい!
めちゃくちゃ綺麗で素敵!


荷物を置いたら、思わずフラフラと縁側の方に寄っていく。

暗闇に薄桃色の花がこれでもかと言うくらい咲き、ライトによってその暖かさをより顕著にしている。
昼間の遊歩道の桜も綺麗だったけど…夜桜もすごく綺麗…


見惚れていたら、体がふわりと包まれた。


「…気に入った?」
「う、うん…凄い素敵…」
「そ?だったら良かった。」


ヒロにいの腕に包まれてこんな綺麗な夜桜を見るなんて、私…凄い贅沢…なんて思っていたら。


「…露天風呂一緒に入ってお花見する?」


鼓膜に息を吹き込むような甘い掠れ声。
それに反応して、顔が熱を持った。
思わずピクリと肩を揺らし体を強張らせてしまう。

そんな私をクスリと笑う声が耳元ですると思ったら、首筋にちゅっと唇をつけられる。


「ヒナ…。」

囁くような柔らかい甘い声が耳に注ぎ込まれて、思わずまた「んっ」と体を強張らせた。


お、おかしいな。
ヒロにい…今まで全然そういう話してなかったし、雰囲気もなかったのに…。

もしかして、これが大人の余裕というやつなのでは。
それなのに、私…ずっと一人で動揺して…。は、恥ずかしい!
やっぱりここは余裕な感じで「そうだね、そうしようか」って返すのが大人なのかな…。

待って、でもそう返したらそのまま露天風呂に入るってことだよね。

……。
…………。
…む、無理!


ああ…私、大人になれない。


「俺のワガママ聞いてくんないの?」


ヒロにいがこうやって求めてくれているのに…応えられない…。
自分が情けなくて、鼻の奥がツンとする。



ごめんね、ヒロにい。彼女にしてくれたのに、ずっと甘えっぱなしで。
早く大人になれるように、頑張るからね…。


そんな風に思っていたら、出会った人。


「ヒロ!良かった!会えた!」


ショートボブの髪が艶やかな美人とふわりと柔らかいウェーブがかった長い髪のかわいらしい人。
二人の女の人がヒロにいを見つけて笑顔で目の前まで来た。

大学の…友達…。

目の前で憎まれ口を平気で叩き、ポンポンと会話するヒロにい。

いつも…私が見ている表情とちょっと違うな…。
なんていうか、知っている人じゃないみたい。

なんて、少しばかり疎外感を抱いていたら、ショートボブの友香里さんが、私ににっこり笑って「一緒にご飯食べようよ!」と。


ヒロにいは、「嫌だ」ってはっきり言ってくれてたけど、それは多分私が知らない人達で遠慮するだろうって思ってのこと。
いつだって、ヒロにいは私を優先してくれるもん。

でも…ね。それも少しずつ変えていかないと、大人になろうって決意したんだし。


「大人な付き合い大事だよね!彼氏の友達と仲良くするのも必要だよ!」


…そうだよね。
ヒロにいの友達なんだから、ヒロにいの立場も考えてここは私がちゃんとしないと。
それにこれなら私大人な対応できそう。頑張れる!


去っていく友香里さんと羽純さんを追いかけて行こうとしたヒロにいを慌てて止める。

大丈夫…ご飯を一緒に食べる時間くらい、二人きりじゃなくたって、他の時間はずっと二人きりなんだから。
全然大したことない…はず。


大浴場の露天風呂で、圧巻の桜を見ながら頑張ろうと改めて決意を固め。


よし!大人への第一歩だ!


そう意気込んで挑んだ夕食…だったんだけど。


「や…何でこの並び?」
「えー!だって!羽純とヒロが隣同士じゃないと、私が気持ち悪いんだもん!」
「ゆ、友香里…」
「陽菜ちゃんだってずっとヒロと1日中一緒に居たんでしょ?別にいいよね?少しくらい。」


ヒロにいと私の部屋に夕食がセットされて程なくして来た友香里さんと羽純さん。
私の隣にヒロにいが腰を下ろすと、「陽菜ちゃんは私と隣ね!」と私を立たせて、ヒロにいの隣に羽純さんを座らせる。


ヒロにいの前には友香里さん、私はヒロにいの斜め前という並び。

ヒロにいから一番遠くなっちゃった…。
ヒロにいと一緒に美味しい夕食をゆっくり食べたいなって思ってたのにな…

少しだけ目頭が熱くなったけれど、いけない、いけないと笑顔を作る。

そうだよ、これも大人への第一歩だし。
友香里さんは「私、陽菜ちゃんといっぱい話したいから」って言ってくれているんだし…。



「そう言えばさ、あの課題ってさ…」
「ねえ、羽純とヒロは、購買のカツサンド試した?」
「ラグビー部の先輩の〇〇さんが…」
「選択Bの先生がさ…」


主に友香里さんが話をふる感じだけど、全然、話がわからない。
大学の話なんだろうけど…。


私と話したいと言っていた割に、私に何か聞いてくることもないし、ヒロにいが、「ヒナ、これうまいよ。好きでしょ。あげよっか」とか話しかけてくれるけど、なんせ斜めでのやり取りだから、続かない。
すぐにまた友香里さんが、「そう言えばさ!」と話題を変えてしまう感じで。

ヒロにいも「ああ、あれね」って相槌打ったりしていて、それなりに楽しんでるのかなと思ったら、頑張らなきゃと引き攣る顔を一生懸命笑顔に変えて相槌打って、とりあえず目の前の料理を食べ続けた。


何か…一人で食べてるみたい。
というか、一人で食べてる時の方が、自分のペースでゆっくり食事を味わえる分全然良いかも。

大人な対応って大変なんだな…というか、私が未熟なんだな…きっと。


ネガティブな思考で弱気になってしまったんだと思う。
一生懸命作っていた笑顔を一瞬だけ消してしまった。


「…ごめんね、陽菜ちゃん。大学の話はわからないよね。」


目の前に居た羽純さんが、優しく私にそう話しかけてくれて、私もハッとする。


い、いけない…つい笑顔を作るのを忘れてしまっていた。


途端、友香里さんが「ああ、ごめん!つい盛り上がっちゃって」とカラカラ笑う。


「い、いえ…。私も来年は受験生なんで、参考になるし、大学が楽しい所なんだなーってわかって嬉しいです。」
「そっか、受験…。じゃあ、今は受験生になる前にいっぱい楽しまないとね。」


羽純さんはニコッと笑うと、右頬にエクボができる。
さっきは、髪を下ろしていたから可愛い感じがしたけれど、今は浴衣で、緩く髪をアップにしていて、とても色っぽい感じ…。それに比べると私、だいぶ子供だな、やっぱり。


「…どこ受験するの?やっぱりヒロも居るしうちの大学?」


そうしようかなって思ってるって私が言い出す前に友香里さんが「えー!」と口を開いた。


「流石に、ヒロが居るからってことで自分の進路は決めないでしょ!そこまで行くと重たくない?」


ドキッと思わず音を立てる。


そ、そっか…そうだよね。
私のことなのに、「ヒロにいが居て安心!」って決めちゃいけない…よね。というか、ヒロにいからしてみたらそんなにベタベタされたら、鬱陶しいし、重たい…よね。


「や…俺は別に、ヒナの好きにすれば良いんじゃない?って思うけど…まあ、ヒナ、とりあえず勉強頑張んないとね。」
「そう言えば、陽菜ちゃんの勉強ってヒロがみてるんだっけ。
え?!もしかして受験勉強もヒロが見るの?!それは頼り過ぎじゃない?!っていうか、責任かけすぎじゃない?!」
「ゆ、友香里…色々言い過ぎだよ?」
「ほんと。大きなお世話だわ、マジで。」

ヒロにいはそう言って目を細め、羽純さんは私に申し訳なさそうに友香里さんを嗜めたけど、言われてみればその通りだって思った。


なつみとさあちゃんはだいぶ前から予備校に通っている。私は、ヒロにいと一緒に居たいって邪な考えで、ヒロにいから勉強を教わり続けてて…それだけヒロにいの時間を奪ってる。

その上、受験まで付き合わせるって…。

私…こういう所が子供なんだ。
考えが至らない、ヒロにいの大変さとか気持ちを想像できない。


全然…だめだ…な。


落ち込みかけた私に、羽純さんが「陽菜ちゃん」と優しくまた話しかける。


「これから受験なんだから、色々なことゆっくり考えたらいいと思うよ?」
「羽純はやっぱり優しい!だからヒロはいっつも羽純を気にかけて一緒にいるんだよね!」


……え?


「ちょ、ちょっと友香里…」
「えー!本当のことじゃん。何かと、ヒロって、羽純、羽純ってさあ…」


思わず、ヒロにいの方をみたら、「あー…」と苦笑いしたまま目線を泳がせる。


「だって、羽純は色々鈍臭いし。困ってんだったら助けるでしょ、誰だって。」
「いや、だからさ!羽純が困ってるのをいち早く察知しすぎなんだって!」
「そう?普通だと思うけど。友達が困ってりゃ助けんでしょ。」
「だって、私が困ってても『頑張れ』くらいのもんじゃん!」
「友香里は助ける必要ないし。」
「何それ!最低!」


友香里さんも羽純さんもそれで笑ってたけど、私は…もう、笑顔なんて作れる余裕は残ってない。


『友香里さん“は”』ってことは、羽純さんの事は気になってるって事だよね。
なるべく一緒に居て…困ってるのを一番に助けてあげてる。


心配…なんだろうな。
気になる…んだろうな、“羽純さんが”。

他の友達とは違うんだ、きっと。

ズキズキと気持ちが痛くて。
どうしても、「すごい!さすがヒロにい。友人をそんな風に助けてあげられて!」なんて思えない。


「…ごめんね、陽菜ちゃん。友香里が変なこと言って。」


羽純さんが私を慰めるように優しくそう言うのに、「い、いえ…」と引き攣る顔を懸命に笑顔にするのが精一杯。


「陽菜ちゃんだって、彼女として、ヒロが大学でどうしているか知りたいよねえ?」


友香里さんは相変わらず飄々と明るくそう言ったけど。
もう…これ以上は聞きたくないかも。


「まさか、ヒロが自分以外の女子と関わってないなんて思ってないよね?いくら何でも。というか、陽菜ちゃんも一緒でしょ?」
「一緒…?」
「そうだよ!ヒロ以外の男の子とだってたくさん絡んでて色々な出会いがあるわけじゃん!高校生だし、余計にね。
幼馴染なんてずっと一緒に居ると視野が狭くなりそうじゃん。勿体無いと思うな〜」


幼馴染…『なんて』

何となく、ヒロにいとの関係を否定された感じがして、悲しくなる。目頭が少し熱くなって視界がぼやけた。


「…友香里、マジでうっさい。そんなことまで言われる筋合いないんだけど。」


途端、ヒロにいがムスッとしながらそう言葉を挟む。


「え?!ごめん、ごめん!ちょっと言いすぎたかも!」


友香里さんは笑いながら、そう言って謝ってる。


「とにかく、飯も食い終わった事だし、そろそろ解散で良くない?」
「えー!もう少し話したいよね?羽純!」
「え…や…でも…」
「ほら、ヒロ、羽純が話したいってさ!」


そう言われて、「あーもう…」って困ったような顔になるヒロにい。


羽純さんが話したいと思ってたら、強く「部屋に帰れ」って言わないんだ…。


なんだかモヤモヤとしてしまった自分が嫌になる。
このままここに居たら、どんどん歪んで醜くなりそう。
そんな姿、ヒロにいに見られたくない。


とりあえず食事も終わってるし、私…一旦出て行こう。


「あ、あの…私ちょっと売店を見に行きたいので、行ってきますね。皆さんでもう少しお話しされたらいかがでしょう」
「はっ?!ヒナ?あのさ…」


私が立ったのを慌てて追いかけて立ち上がる「ヒロにい!」と笑顔で制した。


「…せっかく大学の仲良い友達に会えたんだから、ゆっくりしたらいいよ。」


「ね?」と強めに念を押す私に目を見開くヒロにいの綺麗な大きな黒目がちの瞳が揺れた気がしたけど。
それを知らんぷりして、お財布と携帯だけ持って廊下に出ると足早に歩いた。


.



売店を通り過ぎて、一生懸命に中庭を歩いて、たどり着いた一番大きな枝垂れ桜の木の下。
その下の竹製のベンチに腰を下ろし、スマホを見ると、インスタにあげた桜に、さあちゃんとなつみからイイネのスタンプと「楽しんで!」とコメント。


あ…早川も、イイネしてくれてる。


不意にバレンタインの時の事を思い出す。


『つか、お前が好き』


真剣にそう言ってくれた早川。

真っ直ぐな想いをぶつけてくれたのは嬉しかった。
でも…やっぱり私はヒロにいしか好きになれないって思ったあの時。
だから、ちゃんと私も誠意を持って断ったわけだし。


きっと…私は、いくら出会いがあったって、変わらない。
幼馴染だから…他に目がいかないことが勿体なくなんてない。

けれど、ヒロにいは違うかもしれない。
今は私が幼馴染だから大事にしてくれているけど、羽純さんを何よりも大事にしたくなったら私の側からは居なくなるかもしれない。

そこまで考えたら、そんな現実がいつか来るかもしれないのかと耐えられなくなって、視界が一気にぼやけて、涙がぽたんと落ちてきた。


私…子供だもんね。
羽純さんみたいに色気があるわけでもないし、お部屋の露天風呂も断っちゃったし。


『重たくない?!』


色々…ヒロにいに寄りかかり過ぎてるのも良くないんだろうな。

今日、羽純さんと話しして、思った。羽純さんはちゃんと私も気にかけてくれていて、けれどその場の雰囲気を壊さないようにしていて。空気は穏やかだけどちゃんと気を遣える人。

そんな素敵な人なら、ヒロにいだって惹かれるよ。
いつかそれが恋愛感情に変わる…いや、もう変わって来ているかもしれない…よね。


「そ、そんなの…嫌だよう」


こぼれ落ちた涙は、スマホを握る手にぽたんぽたんと落ちて、止めどなく後から後から溢れ出る。


どうして私はこんなにダメなんだろう。
どうして…素敵な大人になれないんだろう…。


ぼやけた視界の中でスマホを持っていたせいか、知らないうちにどこかタップしてたのかもしれない。
コール音がいきなり鳴り出して。数回後それが途切れる。


『…もしもし?』


スピーカーにもなっていたようで。


『どした?』


聞こえて来たのは…早川の声。
それに流れていた涙がピタッと止まる。


「…何で早川?」
『はっ?!お前がかけて来たんだろうが。相変わらずもじゃこだな、お前。』
「もじゃもじゃじゃないし。」
『はいはい…つか、お前、ヒロにいと旅行行ってんじゃないの?良いのかよ、俺に電話なんてかけて』
「…。」


思わず、言葉を詰まらせ、鼻水をずずっと啜ったら、早川は何かを悟った様に『あー…そう』とそれだけ言うと、『そっち桜綺麗なの?』と話題を変える。


「…今、枝垂れ桜にかくまってもらってる。」
『おお…すげえな、枝垂桜。』
「すごいよ!めっちゃ綺麗。もうね、大浴場の露天風呂の所なんてね…」


私が見た綺麗な桜とアジ丼が絶品すぎたと言う話を楽しそうに聞いていた早川が、『ヒナ』とスマホの向こうから優しく呼ぶ。


『なんだ、元気じゃん。』
「え?」
『や?もしかしてヒロにいとケンカでもして、チャンス?!って思ったのに。』
「そ、それは…」


気まずくなって口ごもった私に、スマホの向こうの早川はクッと少し笑う。


『まあ、ちゃんと話すれば?ヒロにいだって、わかってくれんでしょ。ヒナの話ならさ。』
「…言われなくても、俺は聞くし。
そもそもケンカしてないんでいらぬ心配です。」


え……?


頬の横をスッと丸っこい指が通り、スマホの通話終了をタップする。

びっくりして見上げると、口をへの字にして目を細め、不服そうに小首を傾げているヒロにいが居て、そのまま私の隣にすとんと腰を下ろした。


「い、いつの間に…」
「ちょっと前に来たけど、誰かさんが“ハヤカワ”とめちゃくちゃ楽しそうに会話してたから俺の存在に気が付かなかっただけです。」
「そ、それは…」
「売店に行ったかと思って見に行ったら、居ないんだもん。」
「ご、ごめん…なさい…」
「や?悪いのは俺だし。」


ふわりと身体を横から包まれる。


「…ごめん。無理させて…つか、嫌な思いしたよね。色々言われて。」


穏やかなその言葉に、力が抜けてまた目頭が熱くなって…ポタポタと落ちてくる。


「わ、私…」
「…うん。」
「こ、子供で…。でも…だから、いっぱいヒロにいに寄りかかってるから…い、言われて当たり前…」
「……。」


多分、友香里さんの言ってることに嘘はなくて、全部本当のことで。それをストレートに言っただけ。
だから余計に、気持ちにズシンと響いたんんだと思う。

これから先…ヒロにいが、私よりも羽純さんがいいと思う未来が来るかもしれないんだよね。
いや、本当はもうすでに惹かれているけれど、幼馴染という籠に私が閉じ込めているからヒロにいは出られなくなってるのかもしれない。

震える腕を持ち上げて、ギュッとヒロにいを抱き寄せた。

ヒロにい、ごめんね。
でも…やっぱり私は、ヒロにいが大好きで、一緒に居たいって思っちゃう。

好きな人の背中を押してあげられないなんて自己中の子供なのかもしれないけど…それでもすぐには大人になれない。


キュッと唇を一度噛み締め、ヒロにいを抱き寄せている腕に少し力を込めて引き寄せた。
それに反応するかの様に、ヒロにいがふうと少し息を吐く。


「…ヒナ。俺が一番嫌だと思うこと知ってる?」


ヒロにいが…嫌なこと??


腕を解かれ、思わずその顔を見たら、少し眉を下げて今度はおでこ同士をこつりとくっつけるヒロにい。


「…ヒナが居なくなること。」


え…?


「わ、私…?」
「そうです、あなたです。」
「い、居なくなるって…だって…」
「何だよ。」
「わ、私が居ない方が、3人でゆっくり話ができるかと…痛っ!」


ヒロにいがうりゃと言いながら、くっつけたおでこをぐりぐりとする。


「俺がいつ、ヒナを追い出してまであの二人と話したいって言ったよ。つか、最初っからヤダって言ってたよ?俺。」


…まあ、確かにずっとヒロにいは『俺は嫌だ』って言ってた。それを私が引き留めて良いじゃんって言ったんだし。


「で、でもそれは…私に気を遣ってのことかと…」
「そんなの当たり前じゃん。ヒナがつまんないと思うことしてどうすんだよ。俺は、ヒナと旅行に来てんだよ。他の人なんてどうでも良いし、どう思われようといい。」
「そ、そういうわけには…。」
「良いんだってば、それで俺は。」


だって…羽純さんのこと、大切にしてるんじゃないの?
だから、夕食の時も、羽純さんの隣に座って特にそれ以上何も言わなかったし…。


「…確かに、羽純のことは結構気にかけてる。」


心の中を見透かされたのかと思ってドキッと鼓動が跳ねて、思わず上目遣いでヒロにいを見たら、その瞳が暗闇の中でも綺麗に光っている。

そこに捉えられて目が離せなくなった私に、ヒロにいは少しまた眉を下げてからふわりと唇同士をくっつけた。


「…あの人、色々本当に大変そうでさ。授業とか…色々。皆んなが普通に要領よくやれることも一生懸命やらないとできなくて。で、手伝えることあればと思って声かけてた。そこに他意はないよ。つか、絶対あり得ない。」
「あり…得ない。」
「そうです、あり得ませんよ?そんなの当たり前じゃん。ヒナ以外に邪な気持ちなんて抱かないでしょ、絶対。」
「わ、私…には…」
「ヒナに対しては、いつだってあわよくばと思ってますけど、今も。」
「い、今…?」


ヒロにいに抱きついていた腕を解いて離れようとした私を今度はヒロにいの腕が捉えて、抱き寄せる。


「…言っとくけど、辛くなって"ハヤカワ”に電話とか、言語道断だから。」
「そ、それは…間違えてかけちゃったみたいで…」
「ふーん…無意識ねえ…。」
「ほ、本当だってば…」
「意識的にかけててたまるか。つか、無意識だって嫌です。間違えんな、そんなの。」
「ご、ごめんなさい…」
「やだ。絶対やだ。」
「ひ、ヒロにい…」


拗ねた様に、ぎゅうっと私の首に顔を埋めるヒロにい。


「…ヒナ、わがままでも、子供でも、俺はずっとヒナが好きだから…居なくならないで。」
「うん…。」
「…じゃあ、部屋一緒に戻ってくれる?」
「うん…」
「…戻ったら、一緒に露天風呂入ってくれる?」
「うん…ってえ?!」

慌てて離れようとしけれど、ギュッと余計にヒロにいの腕に力が入ってそれを拒否される。


「ヒナに拒否権はありません。俺のこと置いてけぼりにした上に“ハヤカワ”とスマホ越しにイチャイチャしてた。」
「し、してない!」
「やだ。入る。」


半ば引きずられるように部屋に戻ると、なんだかんだと言いくるめられて入ったお部屋の露天風呂。


「バスタオル…」
「ちょっ!ひ、ヒロにい剥がさないで!」
「え?何?何か言った?」
「ひ、ヒロに…んんっ」

体に巻いているバスタオルを取ろうとするヒロにいの手と格闘していたら、唇を塞がれて。そこから何度も何度もキスが降ってくる。
そこに息苦しさを覚えたら、はらりとお湯の中でバスタオルが解ける。

そんな私の体を、抱き寄せ更にキスを重ねるヒロにい。

しばらくそうしてキスを繰り返していて、頭の芯がぼーっとしてきた頃、ようやく唇が解放されて、鼻先をすり寄せられた。


「…ヒナ、俺のこと好き?」
「ん…。」


暖かな湯気と余韻の残る息苦しさで、ふわふわとする。


「ちゃんと言ってよ。好きって。」
「す…き…」


発することができた言葉が嬉しかったのか、それともこの状況にのぼせてしまっているのかはわからないけれど唇が震えて鼻の奥がツンとする。


…ヒロにいが大好き。
それはずっと変わらない…ううん、もしかしたらどんどん好きが増して行っているんじゃないかって思う。


再び重ねた唇に幸せを感じているはずなのに、目頭が熱くなる。


お風呂から上がっても、眠りに落ちるまでずっとずっとお布団の中でヒロにいと触れ合っていたけれど。


『重たくない?!』


友香里さんに言われた言葉と、羽純さんの笑顔が何度も何度も頭をよぎっていた。



『ヒナ、居なくならないで』


…幸せいっぱいのはずなのに。
どうしてか、気持ちに靄がかかった感じがする。


次の日の朝、大浴場の露天風呂から、桜が綺麗に咲いている風景をぼーっと眺めふうとため息。

もくもくと立ち昇る湯気に霞む桜とそのさきの青い空。
どことなく空気が澄んでいるのを感じて、気持ち良さに身を委ねて一度目を閉じた。
そのまま、肩まで身体を一度沈める。


…そろそろあがろうかな。


大浴場の脱衣所にあるアメニティを使わせてもらってお肌を整え、浴室を後にしたら会った人。


「あ…陽菜ちゃん。おはよう。」
「羽純…さん…。おはようございます。」
「昨日は、押しかけてしまってごめんね?」
「い、いえ…」


…あまり会いたくなかったかも。


「昨日さ、陽菜ちゃんが出て行ってからヒロにすぐ追い出されちゃった。」
「そ、そうだったんですね…。何かうまく気を使えなくてすみませんでした。」
「ううん!違うのそういうことが言いたいんじゃなくてね!ごめんね、私話し方が下手くそで…」

私が謝ると、羽純さんは慌てて恐縮して横に手を振る。


「気を遣っていなかったのは私達だから。その…“いつも”の大学のノリになっちゃって…」


気持ちが、余計にズンと沈むのを感じた。

”いつもの”……か。


「でも、陽菜ちゃんが出て行って、ヒロが怒って私達を追い返して…心配になったんだ。」
「あ…いえ…。すぐに迎えに来てくれたので…」

私がそう言うと、羽純さんは眉を下げて少し困り顔。


「うん…それはね、そうなんだと思うんだけどね?だから心配で。」


だから…心配??


私が少し首を傾けキョトンと見ると、羽純さんは少し目を細めて微笑む。


「…ヒロって優しいでしょ?それに更に、幼馴染で仲が良いと言う感覚が混ざるから。」
「ま、混ざる…」
「うん…。『ほっとけない』んだろうなって。」


それは…その通りだ。
ヒロにいは昔から私に対して過保護だった。
どんな時も私を優先してくれる、優しいお兄ちゃん。

恋人になってもそれは変わらない。ずっと、ずっと、大切にしてくれていて…


「陽菜ちゃんが“大切”なのは見ていてよくわかるの。でも、それが執着って感じに思えちゃって…。“幼馴染”に囚われているのかなって心配になったから。」


羽純さんに確信をつかれたのだと思う。

ドキリと少し音を立て、思わず口をグッと力を入れてつぐんだ。
そんな私をみて、羽純さんは少しその優しい瞳を揺らす。


「ヒロの陽菜ちゃんへの愛情は…恋愛感情なのかな?それとも、人としての愛情?」
「そ、それは…」


その柔らかい表情から、一瞬笑顔が消えた。


「…解放してあげて欲しい。ヒロを。目を覚まさせてあげられるのは陽菜ちゃんだけだと思う。」


鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。


「…失礼します。」


そう言ってその場を離れるのが精一杯だった。


…心のどこかでわかってた。ヒロにいは、私を確かに好きでいてくれている。

けれどそれは…長年一緒にいて、ヒロにいが私を恋とかそんなんじゃなくて…幼馴染でずっと一緒に居たからこその愛情で。

だから…余計に最初は嬉しかった。
恋人にしてくれたんだ、私の事を恋愛対象にしてくれたんだって…。


『混ざってしまっているのかなって』


ヒロにいの中で、恋愛感情と人としての愛情が、混同していて…私に恋愛感情を抱いていると錯覚しているってこと?


「ああ、ヒナおかえり。つか随分長くない?風呂…。溶けてるかと思った。」


部屋に戻ると、柔らかい笑顔で出迎えてくれて、私を自分の腕で包みこむヒロにい。


「…朝の風景が綺麗すぎて、そのままお湯になって居座ろうかと思った。」
「ダメだってば。居なくなるなつってんじゃん。」

そっと私もその背中に腕を回して引き寄せて、その胸元に顔を埋めたらくふふと優しい笑い声が降ってくる。
それにまた鼻の奥がツンと痛みを覚えて目を閉じた。


解放…か。
私があまりにも近くに居過ぎることで、ヒロにいは見逃していることがたくさんあるのかな。
それは…ヒロにいのためにならない…ってことだよね。


少しグッとお腹に力を込める。


私が、変わらなきゃ。
今みたいに、ヒロにいにおんぶに抱っこで甘えているだけじゃだめ…だよね。

小さく「よし」と決意。


「…ヒロにい、私頑張るね。」
「何?もっかい、入る?部屋の露天風呂。」
「…そこじゃない。」
「他にヒナが頑張らなきゃいけないことなんてあったっけ。」


相変わらずぎゅーっとくっついてくれているヒロにいの落ち着いた心音が気持ちを前向きにしていく。


…大丈夫。きっと変わった先でも私はヒロにいが大好きだ。

それは、絶対に自信があるから。


「ご飯、あじの干物ある?」
「うん。用意されている中にはあるね。」
「じゃあ、頑張って食べないと!」
「ああ、そこね、『頑張る』は」


楽しそうに笑うヒロにいの声。
これからもずっと聞いていられるように…ヒロにい、私頑張るからね。
ちゃんと自立してヒロにいに寄りかから頭に、自分の足で立てるように…。


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