溶けてしまいそうなくらい暑い夏。
それでも心は冷たかった。
私は1人でいるのが好きだった。
みんなでワイワイ話すのよりも、遊ぶのよりも。
そして秋や冬のような、しっとりとした季節が好きだ。
そんな私の、暑い夏のある日の話。
* * *
ギラギラと照りつける太陽が眩しい。
ミーンミーンと鳴いている蝉がよけいに暑さを倍増させている気がする。
「......暑い」
暑すぎる。
全国の中学生が待ち望んでいたであろう夏休み。
私も本当ならクーラーの効いた部屋でゴロゴロしていたはずだった。
午前中までの部活が終わって家に直行したいところ。
でもそれができないのには理由があるのです。
それは約40分前に遡る...
* *
「怖い話?」
「そ。みんなで陽介の家に集まって怖い話するの」
あ、紹介が遅れました、改めまして秋倉咲です。
中学2年生で青春真っ盛りかと思いきや彼氏もいないで寂しいインドア女子なのであります。
普通の公立中学校の美術部に入っています。
美術部といってもおしゃべりしながらお絵描きするだけというまったりのんびり部活。
「咲も行かない? 怖い話聞いて涼しくなりたいじゃん」
私の目の前に来て楽しそうに話すのはクラスメイト兼友達の柚月。同じく美術部。
涼しくなりたいなら家でゴロゴロしてればいいのに...
とか思ってしまう私とは対照的に柚月はアウトドア派。
1度でいいからアウトドア派の気持ちになってみたいものです。
「......家にいたい」
「え〜? 家って暇じゃん」
「怖い話の方が暇」
どうやらクラスのみんなで陽介(クラスのお調子者の男子)の家に集まって怖い話をするらしい。
来た人全員がなにかしらの怖い話をしなければならないらしい。
なにその超絶にめんどうくさそうな集まり。
「咲も来なよ。暇でしょ?」
確かに毎日暇です。
暇とか言うと親に「宿題やれ」って言われるけど宿題はやりたくないので。
「その集まりって全員来るの?」
「用事がある子以外はほとんど来るらしいよ」
用事があると言って逃げたいが今さっき暇と言ってしまった。
なにをしているんだ約3秒前の自分。
言わなければ行かなくて済んだかもしれないのに。
「咲も行くってことでいい? それじゃ私、用事あるから帰るね!」
とかなんとか言って柚月は帰った。
「え、ちょっ...、」
どうやら私は参加することに決まってしまったらしい。
「怖い話かー......」
怖いものとかは別に平気。
でも人に話せるような話なんて知りません。
インターネットで調べてもいいけど有名な話しか出てこないはず。
どうすればいいのだ。
* *
今、私は学校帰りに寄り道をして人通りの多いところにいる。
私は今から怖い体験をしにいこうと思います。
怖い話なんて知らないし、どうせなら自分が体験したほうが説得力もあるから体験しようという所存だ。
...無駄に高いプライドが嫌だと思わなくもない。
ということで人通りの少ない暗い路地に行きます。
昔はここも商店街として賑わっていたらしいんだけど、どんどんお店が潰れていって寂しくなってしまったんだって。
よし、と決意を胸に1歩踏み出す。
「うわぁ......」
まだまだ明るい時間帯なのにこんなに暗い。
埃っぽい、ジメジメとした空気。ところどころにある植えてある草木も茶色に変わったり幹が折れたりしている。
薄暗く光もなにも入ってこない、人間で例えると生気がないようなところ。
「.........ッ」
ピチャン、という音がした......気がする。
びくり、と体が震える。
こんなところで怖がっていては来た意味がない。
音がしたところでなにも怖がることはないはずなのに。
なにか、怖い体験をしてから帰らないと。
ピチャンという音がしたところを見ると古いなにかのお店だったであろうところから水が地面のコンクリートに垂れていた。
水って、雨水?
ここはほとんど誰も通らないから人工的にする人はいないはず。
けれど雨なんて最近降っていないし、そもそもここは半透明な屋根(今は古くなっていて黄ばんでいる)が付いているから雨が入りこむこともない。
ここの地面には、水たまりのようなものもある。
...これって怖い体験なのかな。
でもこれだけだと内容が薄いよね。
いやでも早く自分の部屋でゴロゴロしたい。
「帰ろっかなぁ......」
思ったよりも自分の声が反響したけれど、ボソリと私が呟いたその時だった。
ズルズル......ピチャ、
......え?
背後から水分をたっぷりと含んだような、這いずり回っているような変な音が聞こえる。
ヒュウ、と私を凍らそうとしているかのような冷たい風が吹く。
前に続いている道が霞んで見える。
まずい、と思った。
なぜかはわからないけれど、そう思った。
本能的に早く帰ったほうがいい、と感じる。
なにかがおこる前に早く帰ろう。
1歩後退りして、今まで来た道を引き返す。
とにかく、ここから帰らなければ、抜け出さなければいけない。
なるべく足音を立てないように、走る。
きっと私史上最速で走ってる。
さっきからずっと這いずり回っているような音が響いてる。
近づいている気もしなくもないけれど残念ながら私は耳が特別良いわけでもないし、気配に敏感でもない。
「ハァッ......ッ...」
脇腹が痛い。ふるえて、何度も足がもつれる。
だんだんと音が大きくなっている、と思った途端に金縛りにあったように体が動かなくなる。
呼吸が震える。
冬でもないのに吐き出した息が白く見える。
気霜っていうんだっけ、なにかで言っていた気がする。
そういえば人はピンチに陥った時には走馬灯を見る、って言うけどほんとかなぁ......
どうでもいいことは考えられるのに、体だけが動かない。
ふわりとした、生ぬるい風が吹いた気がした。
*
「......びっくりした...」
呆気なく金縛りはとけた。きっと、実際に金縛りにあったのは10秒くらいだ。
こんなところで私の人生が終わるかと思った。
ズルズル、というような音も聞こえなくなってるし早く家に帰りたいので元来た道を引き返す。
みんなに話す怖い話はどうしようか。
インターネットで調べるしかない。「怖い話 マイナー」とでも調べればみんなが知らないような話が出てくるはずだ。
......はじめからそうすればよかった、無念。
てくてくと歩いていく。
変な音がしたり金縛りにあったりしたのでまだ私の中で警戒心は強い。
ぼんやりと光が見えた。
特に気にしていなかったが辺りが霞みがかっているんだ。
警戒していたのに、霞みがかってきたことに気がつけなかった。何故。
ぼんやりとした光がだんだん近づいてくるのがわかる。
いや、私が近づいているんだ。
光って、なんの光?
はた、と考え立ち止まる。
人口の明かりのような気もするけど一体誰が?
きっと太陽の光、日光がどこからか入り込んでいるんだと無理やり結論づける。
もう少し近づいてみる。
細長い四角い形をしている物から光を放っているのだ、とわかった途端に霞が晴れた。
チカ、と一気に入ってくる明るさが眩しくて一瞬目を瞑ってしまう。
「.........え、」
無意識に私の口から驚きの声がこぼれた。
光を放っている細長い四角い形の物は、電話ボックスだった。
中には隅の方に緑色の公衆電話が置かれている。もちろん四方のガラスは透明なので中が丸見えだ。
最近は公衆電話も撤去されているから、公衆電話は久しぶりに見た気がする。
この公衆電話とボックスは、場違いな気がした。
ここは古く、木製の店などが腐っているような商店街だ。
それなのに公衆電話とボックスは新しく、埃や砂すら被っていない。
ガラスも本当に透明で中が見える。
異様なほどに光を放っているように見えてしまうし、これ以上近づくのが恐怖だ。
どうしようか、と考える。
元きた道を引き返しているので、帰るにはどうしても公衆ボックスの前を通り過ぎないとだめなのだ。
仮に他のルートがあったとしてもここを通るのが一番手っ取り早いはず。
でもこれ以上異様な雰囲気の公衆電話とボックスに近づきたくない。
公衆電話とボックスさえなければ、さっさとここを出れるのに。
公衆電話の方からガチャ、という音が聞こえた気もしたが憎らしい気持ちになって公衆電話とボックスを睨みつける。
ここを通るか、通らないか。けれどこのまま突っ立っているわけにもいかない。
今の私にとって究極の二択だ。
むう、と唸る。
公衆電話とボックスがなくなれば一番良いのに。
まぁもちろんそんな奇跡が起こるはずもなく、今も光を放ち続けている。
ピロリン♪
「えッ、」
場違いなほどの明るい通知音に私は軽く三メートルも飛び跳ねた。
あ、違う間違えた。三センチメートルだ。
三メートルも飛び跳ねたら超人になってしまう。
いやそんなことよりも。
そういえば、と思う。
私は学校帰りだ。なので通学用のカバンを持っている。
つまり、スマホを持っているのだ。
今の通知音は私のスマホから響いたもの。
もっと早く気がつけばよかったのに。
スマホがあるだけで安心感がある。
もしかしたら家にいる親が帰りの遅い私のことを心配してメッセージを送ってくれたのかもしれない。
とりあえず親に助けを求めよう。
それでここまで迎えに来て貰えばいい。
中学生にもなって、と怒られるかもしれないがこんなところにずっといるのよりは断然ましだ。
さてと、とスマホを開くと電話の通知が来ている。
えーと、着信元は...
《 12:31 公衆電話からの着信です》
「.........ッ」
ヒュ、と息を呑む。
公衆電話。
何度見てもそう書かれている。
そういえばさっき、あの公衆電話からガチャ、という音が聞こえた。
気のせいかなと思っていたけれど、もしかして受話器を手に取る音?
ジッと公衆電話のほうへ目を凝らす。
けれど誰もいないし、入った形跡すらない。
いや、そもそも目の前の公衆電話とは限らない。
他の、普通に街中にある公衆電話から誰かがかけたのかもしれない。
どういうことなんだろう、と考えている時だった。
ガチャ、ツー
パッと公衆電話の方を見る。
また聞こえた。
聞き間違えなんかじゃない。
すぐそこにある、公衆電話から聞こえた。
でも電話ボックスの中には誰もいないのに。
固まる私をよそにまたスマホからピロリン♪という通知音がした。
急いで開くと《 12:32 公衆電話からの着信です》と通知が来ている。
まだ切られていないので、電話に出ることができる。
電話に出るか出ないか。
迷ったけれど、スマホをぎゅ、と握りしめて通話ボタンをタップする。
「......」
相手からはなにも聞こえない。静寂がただ訪れるだけだ。
なんなの、と思う。
すぐそこの電話ボックスの方を見るけれど誰もいないし。
「...テ......ゲテ...ニゲ.........ミタ...ル......」
急に雑音と女の人の声らしきものが聞こえ始めた。
すごく聞き取りにくいし、何より雑音が酷すぎてなにを言っているのかがわからない。
なにを、伝えようとしているの?
聞き返したいけど声が出ない。
聞きたいことがたくさんあるのに。
どこから電話をかけているの。
どうして私の連絡先を知っているの。
貴方は、誰?
ツーツーツー、と音が鳴り、あっという間に電話が切れてしまった。
すぐそこにある公衆電話からガチャ、という受話器を置いたような音が聞こえた。
電話ボックスの中には相変わらず誰もいない。
人がいる気配もなく、公衆電話が置いてありボックスは無機質な光を放っているだけ。
こんなことってある?
そもそもこんなところに公衆電話とボックスがあること自体おかしいんだ。
とにかく親に迎えに来てもらおうとメッセージを送ろうとする。
さすがに電話はこの体験をした後だときつい。
「.........嘘、」
メッセージアプリを開いた途端に画面が真っ暗になった。
間違えて電源を切ってしまったのかな、とまた電源をつけようとすると電源がつかなかった。
充電がなくなった?
いや、そんなはずはない。さっき開いていた時は十分にあったはずだ。
どうして、と思う。
連絡手段も途絶えた?
通学用カバンを漁るが他の連絡できる機材はない。
学校から借りているパソコンならあるが連絡はできない。
ついでに電源をつけてみたけどそのパソコンもつかなかった。充電があったかもわからないけど。
一体どうすればいいんだ。
こんなところで人生終わらせたくない。
その時。
キィ、という短く、軋んだような音が響いた。
「......開いてる」
電話ボックスの扉が開いている。
今の音は電話ボックスの扉が開いた音だったんだ。
誰が?と思う隙もなくおどろおどろしい音が響いた。
ヒタ...ヒタ......
電話ボックス内からなにかが出てくる。
どきりとして、背筋が凍る。
さらりとした長い黒髪が見えた。
女の人? 黒いローブを身に纏っていて、不気味だ。 決して人と言えるような見た目ではないけれど、その人は靴を履いていない。
顔色も真っ白でドロドロしている感じ。
「...ダ......チュウ......ク...タ.........」
なにを言っているのかわからない。
でも、聞き返したらだめだ。
人ならざるものに話しかけて、なにが起こるかわかったものではない。
死にたくない。
だから今、私にできることは...
「逃げる、こと」
ぼそりと呟いた私を見て、ニタリと相手は笑った。
「.........ケテ......ル...」
もしもこの人に捕まって、食べられたとしても。
なにもしないよりもなにかして食べられた方がまだマシだ。
ふぅー、と息をはき出す。
いける。
そう思って、目をギュッとつむり走り出す。
この人と公衆電話とボックスの前を通り過ぎる。
パチン、と今まであった明るさが消えたので後ろを振り返るとと電話ボックスとその中の公衆電話が消えていた。
あの人も、追いかけては来ない。
目を凝らすとあの人はもういなくて。
さようなら、と心の中で言って、また走り出す。
ところどころに水溜りがあって、そこに足を踏み入れるたびにピチャピチャ音がする。
私は、ここの少し不気味だけれど冷たくひんやりしている空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
* *
この日のことは、誰にも話していない。
言おうか何度も迷ったけれど、きっと誰にも信じてもらえないと思ったのだ。
あの日は結局、走って汗だくになって家に帰った。
スマホも家に帰ったらちゃんと使えた。
でも、公衆電話からの着信も通話履歴も、なにも残っていなかった。
___じゃあ、あの日のできごとはなんだったのだろう。
机の上に置いたスマホがピロリン、と音をたてる。
「? 誰だろ」
これは、”これから”起こる私の恐怖の始まりの合図だった。
___本当の恐怖は、ここから始まるんだよ。
そうだよね、秋倉咲ちゃん...?___
窓の外から、不気味な女性がにたりと笑い、こっそりとこちらを見ていた。
それでも心は冷たかった。
私は1人でいるのが好きだった。
みんなでワイワイ話すのよりも、遊ぶのよりも。
そして秋や冬のような、しっとりとした季節が好きだ。
そんな私の、暑い夏のある日の話。
* * *
ギラギラと照りつける太陽が眩しい。
ミーンミーンと鳴いている蝉がよけいに暑さを倍増させている気がする。
「......暑い」
暑すぎる。
全国の中学生が待ち望んでいたであろう夏休み。
私も本当ならクーラーの効いた部屋でゴロゴロしていたはずだった。
午前中までの部活が終わって家に直行したいところ。
でもそれができないのには理由があるのです。
それは約40分前に遡る...
* *
「怖い話?」
「そ。みんなで陽介の家に集まって怖い話するの」
あ、紹介が遅れました、改めまして秋倉咲です。
中学2年生で青春真っ盛りかと思いきや彼氏もいないで寂しいインドア女子なのであります。
普通の公立中学校の美術部に入っています。
美術部といってもおしゃべりしながらお絵描きするだけというまったりのんびり部活。
「咲も行かない? 怖い話聞いて涼しくなりたいじゃん」
私の目の前に来て楽しそうに話すのはクラスメイト兼友達の柚月。同じく美術部。
涼しくなりたいなら家でゴロゴロしてればいいのに...
とか思ってしまう私とは対照的に柚月はアウトドア派。
1度でいいからアウトドア派の気持ちになってみたいものです。
「......家にいたい」
「え〜? 家って暇じゃん」
「怖い話の方が暇」
どうやらクラスのみんなで陽介(クラスのお調子者の男子)の家に集まって怖い話をするらしい。
来た人全員がなにかしらの怖い話をしなければならないらしい。
なにその超絶にめんどうくさそうな集まり。
「咲も来なよ。暇でしょ?」
確かに毎日暇です。
暇とか言うと親に「宿題やれ」って言われるけど宿題はやりたくないので。
「その集まりって全員来るの?」
「用事がある子以外はほとんど来るらしいよ」
用事があると言って逃げたいが今さっき暇と言ってしまった。
なにをしているんだ約3秒前の自分。
言わなければ行かなくて済んだかもしれないのに。
「咲も行くってことでいい? それじゃ私、用事あるから帰るね!」
とかなんとか言って柚月は帰った。
「え、ちょっ...、」
どうやら私は参加することに決まってしまったらしい。
「怖い話かー......」
怖いものとかは別に平気。
でも人に話せるような話なんて知りません。
インターネットで調べてもいいけど有名な話しか出てこないはず。
どうすればいいのだ。
* *
今、私は学校帰りに寄り道をして人通りの多いところにいる。
私は今から怖い体験をしにいこうと思います。
怖い話なんて知らないし、どうせなら自分が体験したほうが説得力もあるから体験しようという所存だ。
...無駄に高いプライドが嫌だと思わなくもない。
ということで人通りの少ない暗い路地に行きます。
昔はここも商店街として賑わっていたらしいんだけど、どんどんお店が潰れていって寂しくなってしまったんだって。
よし、と決意を胸に1歩踏み出す。
「うわぁ......」
まだまだ明るい時間帯なのにこんなに暗い。
埃っぽい、ジメジメとした空気。ところどころにある植えてある草木も茶色に変わったり幹が折れたりしている。
薄暗く光もなにも入ってこない、人間で例えると生気がないようなところ。
「.........ッ」
ピチャン、という音がした......気がする。
びくり、と体が震える。
こんなところで怖がっていては来た意味がない。
音がしたところでなにも怖がることはないはずなのに。
なにか、怖い体験をしてから帰らないと。
ピチャンという音がしたところを見ると古いなにかのお店だったであろうところから水が地面のコンクリートに垂れていた。
水って、雨水?
ここはほとんど誰も通らないから人工的にする人はいないはず。
けれど雨なんて最近降っていないし、そもそもここは半透明な屋根(今は古くなっていて黄ばんでいる)が付いているから雨が入りこむこともない。
ここの地面には、水たまりのようなものもある。
...これって怖い体験なのかな。
でもこれだけだと内容が薄いよね。
いやでも早く自分の部屋でゴロゴロしたい。
「帰ろっかなぁ......」
思ったよりも自分の声が反響したけれど、ボソリと私が呟いたその時だった。
ズルズル......ピチャ、
......え?
背後から水分をたっぷりと含んだような、這いずり回っているような変な音が聞こえる。
ヒュウ、と私を凍らそうとしているかのような冷たい風が吹く。
前に続いている道が霞んで見える。
まずい、と思った。
なぜかはわからないけれど、そう思った。
本能的に早く帰ったほうがいい、と感じる。
なにかがおこる前に早く帰ろう。
1歩後退りして、今まで来た道を引き返す。
とにかく、ここから帰らなければ、抜け出さなければいけない。
なるべく足音を立てないように、走る。
きっと私史上最速で走ってる。
さっきからずっと這いずり回っているような音が響いてる。
近づいている気もしなくもないけれど残念ながら私は耳が特別良いわけでもないし、気配に敏感でもない。
「ハァッ......ッ...」
脇腹が痛い。ふるえて、何度も足がもつれる。
だんだんと音が大きくなっている、と思った途端に金縛りにあったように体が動かなくなる。
呼吸が震える。
冬でもないのに吐き出した息が白く見える。
気霜っていうんだっけ、なにかで言っていた気がする。
そういえば人はピンチに陥った時には走馬灯を見る、って言うけどほんとかなぁ......
どうでもいいことは考えられるのに、体だけが動かない。
ふわりとした、生ぬるい風が吹いた気がした。
*
「......びっくりした...」
呆気なく金縛りはとけた。きっと、実際に金縛りにあったのは10秒くらいだ。
こんなところで私の人生が終わるかと思った。
ズルズル、というような音も聞こえなくなってるし早く家に帰りたいので元来た道を引き返す。
みんなに話す怖い話はどうしようか。
インターネットで調べるしかない。「怖い話 マイナー」とでも調べればみんなが知らないような話が出てくるはずだ。
......はじめからそうすればよかった、無念。
てくてくと歩いていく。
変な音がしたり金縛りにあったりしたのでまだ私の中で警戒心は強い。
ぼんやりと光が見えた。
特に気にしていなかったが辺りが霞みがかっているんだ。
警戒していたのに、霞みがかってきたことに気がつけなかった。何故。
ぼんやりとした光がだんだん近づいてくるのがわかる。
いや、私が近づいているんだ。
光って、なんの光?
はた、と考え立ち止まる。
人口の明かりのような気もするけど一体誰が?
きっと太陽の光、日光がどこからか入り込んでいるんだと無理やり結論づける。
もう少し近づいてみる。
細長い四角い形をしている物から光を放っているのだ、とわかった途端に霞が晴れた。
チカ、と一気に入ってくる明るさが眩しくて一瞬目を瞑ってしまう。
「.........え、」
無意識に私の口から驚きの声がこぼれた。
光を放っている細長い四角い形の物は、電話ボックスだった。
中には隅の方に緑色の公衆電話が置かれている。もちろん四方のガラスは透明なので中が丸見えだ。
最近は公衆電話も撤去されているから、公衆電話は久しぶりに見た気がする。
この公衆電話とボックスは、場違いな気がした。
ここは古く、木製の店などが腐っているような商店街だ。
それなのに公衆電話とボックスは新しく、埃や砂すら被っていない。
ガラスも本当に透明で中が見える。
異様なほどに光を放っているように見えてしまうし、これ以上近づくのが恐怖だ。
どうしようか、と考える。
元きた道を引き返しているので、帰るにはどうしても公衆ボックスの前を通り過ぎないとだめなのだ。
仮に他のルートがあったとしてもここを通るのが一番手っ取り早いはず。
でもこれ以上異様な雰囲気の公衆電話とボックスに近づきたくない。
公衆電話とボックスさえなければ、さっさとここを出れるのに。
公衆電話の方からガチャ、という音が聞こえた気もしたが憎らしい気持ちになって公衆電話とボックスを睨みつける。
ここを通るか、通らないか。けれどこのまま突っ立っているわけにもいかない。
今の私にとって究極の二択だ。
むう、と唸る。
公衆電話とボックスがなくなれば一番良いのに。
まぁもちろんそんな奇跡が起こるはずもなく、今も光を放ち続けている。
ピロリン♪
「えッ、」
場違いなほどの明るい通知音に私は軽く三メートルも飛び跳ねた。
あ、違う間違えた。三センチメートルだ。
三メートルも飛び跳ねたら超人になってしまう。
いやそんなことよりも。
そういえば、と思う。
私は学校帰りだ。なので通学用のカバンを持っている。
つまり、スマホを持っているのだ。
今の通知音は私のスマホから響いたもの。
もっと早く気がつけばよかったのに。
スマホがあるだけで安心感がある。
もしかしたら家にいる親が帰りの遅い私のことを心配してメッセージを送ってくれたのかもしれない。
とりあえず親に助けを求めよう。
それでここまで迎えに来て貰えばいい。
中学生にもなって、と怒られるかもしれないがこんなところにずっといるのよりは断然ましだ。
さてと、とスマホを開くと電話の通知が来ている。
えーと、着信元は...
《 12:31 公衆電話からの着信です》
「.........ッ」
ヒュ、と息を呑む。
公衆電話。
何度見てもそう書かれている。
そういえばさっき、あの公衆電話からガチャ、という音が聞こえた。
気のせいかなと思っていたけれど、もしかして受話器を手に取る音?
ジッと公衆電話のほうへ目を凝らす。
けれど誰もいないし、入った形跡すらない。
いや、そもそも目の前の公衆電話とは限らない。
他の、普通に街中にある公衆電話から誰かがかけたのかもしれない。
どういうことなんだろう、と考えている時だった。
ガチャ、ツー
パッと公衆電話の方を見る。
また聞こえた。
聞き間違えなんかじゃない。
すぐそこにある、公衆電話から聞こえた。
でも電話ボックスの中には誰もいないのに。
固まる私をよそにまたスマホからピロリン♪という通知音がした。
急いで開くと《 12:32 公衆電話からの着信です》と通知が来ている。
まだ切られていないので、電話に出ることができる。
電話に出るか出ないか。
迷ったけれど、スマホをぎゅ、と握りしめて通話ボタンをタップする。
「......」
相手からはなにも聞こえない。静寂がただ訪れるだけだ。
なんなの、と思う。
すぐそこの電話ボックスの方を見るけれど誰もいないし。
「...テ......ゲテ...ニゲ.........ミタ...ル......」
急に雑音と女の人の声らしきものが聞こえ始めた。
すごく聞き取りにくいし、何より雑音が酷すぎてなにを言っているのかがわからない。
なにを、伝えようとしているの?
聞き返したいけど声が出ない。
聞きたいことがたくさんあるのに。
どこから電話をかけているの。
どうして私の連絡先を知っているの。
貴方は、誰?
ツーツーツー、と音が鳴り、あっという間に電話が切れてしまった。
すぐそこにある公衆電話からガチャ、という受話器を置いたような音が聞こえた。
電話ボックスの中には相変わらず誰もいない。
人がいる気配もなく、公衆電話が置いてありボックスは無機質な光を放っているだけ。
こんなことってある?
そもそもこんなところに公衆電話とボックスがあること自体おかしいんだ。
とにかく親に迎えに来てもらおうとメッセージを送ろうとする。
さすがに電話はこの体験をした後だときつい。
「.........嘘、」
メッセージアプリを開いた途端に画面が真っ暗になった。
間違えて電源を切ってしまったのかな、とまた電源をつけようとすると電源がつかなかった。
充電がなくなった?
いや、そんなはずはない。さっき開いていた時は十分にあったはずだ。
どうして、と思う。
連絡手段も途絶えた?
通学用カバンを漁るが他の連絡できる機材はない。
学校から借りているパソコンならあるが連絡はできない。
ついでに電源をつけてみたけどそのパソコンもつかなかった。充電があったかもわからないけど。
一体どうすればいいんだ。
こんなところで人生終わらせたくない。
その時。
キィ、という短く、軋んだような音が響いた。
「......開いてる」
電話ボックスの扉が開いている。
今の音は電話ボックスの扉が開いた音だったんだ。
誰が?と思う隙もなくおどろおどろしい音が響いた。
ヒタ...ヒタ......
電話ボックス内からなにかが出てくる。
どきりとして、背筋が凍る。
さらりとした長い黒髪が見えた。
女の人? 黒いローブを身に纏っていて、不気味だ。 決して人と言えるような見た目ではないけれど、その人は靴を履いていない。
顔色も真っ白でドロドロしている感じ。
「...ダ......チュウ......ク...タ.........」
なにを言っているのかわからない。
でも、聞き返したらだめだ。
人ならざるものに話しかけて、なにが起こるかわかったものではない。
死にたくない。
だから今、私にできることは...
「逃げる、こと」
ぼそりと呟いた私を見て、ニタリと相手は笑った。
「.........ケテ......ル...」
もしもこの人に捕まって、食べられたとしても。
なにもしないよりもなにかして食べられた方がまだマシだ。
ふぅー、と息をはき出す。
いける。
そう思って、目をギュッとつむり走り出す。
この人と公衆電話とボックスの前を通り過ぎる。
パチン、と今まであった明るさが消えたので後ろを振り返るとと電話ボックスとその中の公衆電話が消えていた。
あの人も、追いかけては来ない。
目を凝らすとあの人はもういなくて。
さようなら、と心の中で言って、また走り出す。
ところどころに水溜りがあって、そこに足を踏み入れるたびにピチャピチャ音がする。
私は、ここの少し不気味だけれど冷たくひんやりしている空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
* *
この日のことは、誰にも話していない。
言おうか何度も迷ったけれど、きっと誰にも信じてもらえないと思ったのだ。
あの日は結局、走って汗だくになって家に帰った。
スマホも家に帰ったらちゃんと使えた。
でも、公衆電話からの着信も通話履歴も、なにも残っていなかった。
___じゃあ、あの日のできごとはなんだったのだろう。
机の上に置いたスマホがピロリン、と音をたてる。
「? 誰だろ」
これは、”これから”起こる私の恐怖の始まりの合図だった。
___本当の恐怖は、ここから始まるんだよ。
そうだよね、秋倉咲ちゃん...?___
窓の外から、不気味な女性がにたりと笑い、こっそりとこちらを見ていた。
