「父様」。
ノアくんがユーリをそう呼んだのはきっと初めてで、一瞬ぽかんとした後彼は私を見つめて、苦く笑う。
「……っ、ユー……」
ふわりと、それでいて見た者を捕らえて離さないような、甘いしっとりとした微笑だった。
「……っ、火です……!! ヴァルモンド殿が火を放ちました……!! どうぞ、お逃げを……!! 」
何か、もうどうしようもないものを感じ、それを否定したくて彼の名を呼ぼうとしたのに。
ヴァルモンドを追ってくれた兵の知らせに打ち消される。
「……行くぞ。ジル、妻を頼む」
「……ユーリ……!? 」
どうして、私は一緒に連れて行ってもらえないのか。
「お前は、妻子とともにここにいろ! 何で時期王様が……」
「王となるからこそだ。俺がその場にいなくてどうする」
「僕も行くよ。怪我人がでるかもしれない。この王様になる気満々の人は、そのくせ無鉄砲でしょう。力の安売りどころか、必要になりそうで怖い。僕は絶対、王様なんて嫌だからね。……生きて戻ってくれなきゃ困る」
『行くな』
そう言ってくれたのは、ユーリの方だったのに。
「安心してください、エナ様。僕が必ず、兄上をすぐに連れ帰りますから」
「エイン……」
「それにね。僕は今……ちょっとだけ、力を使ってみたい気分なんですよ。もちろん、使わずに済むならそれに越したことはないんですけど」
初めて見る、エインの笑顔。
いつもにこにこしていたけれど、何かを吹っ切ったような、爽やかで覚悟を決めた顔だった。
「……っ、だったら、私も……!! 」
「ダメだ」
唇を塞がれる。
そう察してから、わりと猶予はあったはずだった。
――なのに。
「ここで待てとは言わない。お前にはここで、やってほしいことがあるんだ」
「……え……? 」
そんなの嘘だと。
私をここに残らせる為にそれらしい理由を作ったのだと思ったし、それは間違いじゃないのだろう。
「ジルと一緒に、他の者を避難させてくれ。必ずボヤで済ませるが、念の為だ」
「でも……!! 」
「頼む。そういうのは、お前の方が向いている。……何だか分からなくても、頑張っているのを見ている人間はいる。どんな技能よりも、それは尊敬に値するものだ。それを見つける才能もな」
堪えきれず、涙が頬を伝うのすら許せなかった。
だって、泣いていると認めてしまえば、これから起こることを理解して、受けとめているということだから。
――ユーリたちは、みんな無事で帰ってくる。でも、私が彼らといられるのは、これが最後。
「信じろ」
何を、誰をとは言われなかった。
頷く代わりにぐいっと涙を抜こうとした手を、優しく包まれ、掌にそっと口づけられる。
「……っ、ユーリ、ノアくん……!! 」
ああ、ノアくんまで行ってしまうの。
私から離れて、背中を向けたユーリの手にぶら下がるノアくんを見て、堪らず二人の名前を叫ぶ。
「ははしゃ」
――大好き。
ノアくんは、泣いてなんかなかった。
少しだけ我慢しているように見えたけれど、笑って手を振ってくれる。
(それなのに、私が泣くの……? )
悲しい。でも、また――……。
(信じるよ。ユーリ、ノアくん)
だから私は、今私にできることを。
「……ジル。怯えている人たちを集めて。バラバラにならないように脱出しなくちゃ」
「はい。ですが、ヴァルモンド殿が通った道は使えません」
「ええ。私が先導するから、後ろで道順を……」
「いいえ」
きっぱりとした声で遮られ、一瞬言葉を失う。
(まさか、ここにきて怪しまれた……? )
しまった。
通路のことなんて、エナが知っていそうなことだったかもしれない。
でも、この局面で説明する時間は――……。
「私も隣におります。エナ様がどなたであろうと、私は貴女様と一緒に戦いたいのです」
「……っ、うん。ありがとう、ジル」
見てくれていた。
ずっと、知らないところで私を支えていてくれたんだ。
「聞いて、みんな……! 」
もしかしたら、どこかにもっと何も言わずに助けてくれていた人がいるのかもしれない。
だから、大丈夫。
そう声を張り上げたところで、急に視界がホワイトアウトした。
(まさか、こんなところで……? )
睡魔とも違う、何かに意識を強制的に引っ張られていくような感覚に襲われ、目を瞑るしかなかった。



