今の言葉、今のユーリの表情をエナに見せて、聞かせてあげたい。
それは本心だったけれど、そう思った瞬間に胸が痛んだ。
「……お前の世界には、待っている人がいるのか」
「……両親くらいかな。お別れは言えてないし、むこうで私がどうなっているのかは気になってる。エナが中にいて、上手くやってくれてるのかなとか……もしかして、倒れて意識不明なのかなとか」
そのへんは、あまり考えないようにしてた。
仲良し親子とまではいかなくても、たまにというかしょっちゅううざったくなっても、やっぱり両親のことは心配で恋しい。
もう二度と会えないかもしれないとか、今頃意識のない私を発見して泣いているのかなとか。
そんなことが頭を過ぎりそうになるたび、ノアくんを抱きしめさせてもらっていた。
「来てもらえればいいのにな。待遇は約束するし、ご両親もお前に会えれば安心するだろう」
「無理だって分かってるくせに。私も未だによく分からないけど、そういう問題じゃなさそうよ」
私は何とか笑ったのに、ユーリから返ってきたのは優しい微笑だけ。
「分からないということは、可能性があるということだ。ここにお前がいること自体が証明している」
「それはそうだけど」
ユーリがこんなことを真面目に言ってのけるのも、それ以上笑ってくれないことも。
私の両親がこの世界に来たらという想像が、全然コメディになってくれないのも、同じく何かを証明してしまっている。
「だが、それだけじゃない。お前の世界に、待っている男はいないのか。……俺は、そう聞いたんだ」
「私にはね。……エナは、自分が帰れる日をきっと待ってる」
上から降ってくるユーリの視線に耐えられなくて俯いたのに、側にいるノアくんの丸い大きな瞳とぶつかる。
(……ダメ)
そう思った時には既に遅く、我慢しようと思う間もなく涙が落ちていった。
「そうじゃないかもしれない。エナは、あまりノアに関心を示さなかった。お前が何者か分からない以上言わなかったが、ノアがこんなに “エナの” 側から離れなかったことはないんだ」
「……そんな……。どう接していいか分からなかっただけかも」
「そうかもな。でも、違うかもしれない」
ユーリは狡い。
ううん、彼が狡くなる意味が理解できない。
エナがこの世界を好きではなかったと、ノアくんを愛していなかったかもしれないと――私がここにいていい理由を作ろうとするのはなぜなのか。
「ただ、俺がお前にこのままここにいてほしいと思っているだけだ。きっと、ノアも同じだろ。な、ノア」
(……狡すぎるよ)
そこでノアくんに振るなんて。
この会話の内容をちっとも分かっていないノアくんは、無邪気に「はい」と両腕を上げるから。
「……最悪……」
――もう、涙が止まってくれない。
「だな。悪いとは思っているが、俺はやめない。今のところノアを持ち出すのが一番有効のようだからな。最低で情けないが、使える手のうちで使うなら、効果が高いものを選ぶ。……考えてみてくれ」
「……どうして……」
私がここに居座って、ユーリに何の得があるのか。
「俺は、今のお前……英菜にいてほしい。そう思ってる。もっと早くに認めていたなら、ただの王子様になれていたのにな」
「……私が、ただの王子様なら好きになると思うの? 」
確かに、初対面のユーリは甘くて優しくて、格好いい王子様だった。
キュンともドキッととしたと思う。
でも、それだけだ。
「いや。そうじゃなかったから、好きになった。矛盾しているのは分かってる」
「な……」
あまりさらりと言われて、自分の耳を疑った方がしっくりくる。
空耳だと、聞き間違いにしてしまいたかったのに。
「そうじゃないと、嫉妬するわけがない。好きでもない女に他に男がいるからといって、自分のものだと主張するほど馬鹿な執着はしない」
ユーリの指先に涙を拭われ、びっくりして見上げた隙に額に口づけられる。
(唇にキスされると思った)
でも、唇に触れたのはユーリの指で。
私は、一体どうしたいんだろう。
――キスされると思った瞬間、それが唇だと恥ずかしい誤解をしたうえに、目を閉じるなんて。
「……おとなしいな」
「え……」
「いや。今のは確実に “めっ” の場面だろ。……って、ノア、寝てるのか」
本当だ。
夫婦喧嘩を聞くのも飽きて、眠っちゃったんだろうか。
「いい子だな。ととと母様がいちゃついてる時に寝るとか」
「……馬鹿」
かくんとなりそうな首を慌てて支えていると、ユーリが楽しそうに笑う。
(……本当に馬鹿だ……)
これが幸せだと、リアルに感じる私が一番。



