それから、しばらくは平和な日々が続いた。
「何だよ。ちょっとくらいは懐いてもいいのに」
「目の前で、代わりに父親になる宣言をされたら懐かないわよ」
悪い人ではないのだろう。
あれからずっと、レックスはノアくんの気を引こうと躍起になっているが、残念ながらノアくんのご機嫌は良くない。
「正直に言ったまでだけどな。……けど、あんたにもそう懐いていなかった気がするぜ、エナ」
(……バレてる)
ユーリは、私のことを少なくとも全部は話していない様子だった。
確かめようにもこのところ彼は忙しそうで、たまにノアくんの無事を確認するくらいしか部屋に帰ってこない。
その時も「妃溺愛王子」になっているから、やはりはぐらかしていそうだ。
だからこそ、私に鎌をかけているのかも。
「大体あんた、随分丸くなったよな。まるで、別人みたいに」
「母でも家族でもない、いきなり現れた別人にノアが懐くの? あなたにだって、こんな感じなのに」
「それなんだよな。俺は、今のあんたに強烈な違和感を覚えるのに、当の親子があんたに好意を持っている。ま、ユーリは常に裏があるから、気にしちゃいないが。いくら双子レベルでそっくりだったとしても、坊っちゃんを他人が丸め込むのは無理だろうし。一体、どんな手を使って……」
完全に疑っていることを隠そうともしないレックスに、背中を冷たい汗が流れる。
当の王子様が溺愛モードだから、捕らえることはできないようだけど、別人であることは最早確信されている。
(本当に、ユーリと話さないと。どう動いていいのか分からない)
「近いぞ。妃から離れろ、レックス」
後ろから聞こえた声に、しげしげと間近で見ていた顔がすっと引いた。
ユーリが現れた扉は私の背中にあり、つまりレックスからは早くから姿が見えていたはず。
ここでも、ユーリの反応を探っているらしかった。
「まだ違うし、いいだろ。俺だって、未来のお妃様とお話ししてみたかったんだ」
「今更か」
「そ。今更だ。このところ、魅力的になられた気がしてな」
(やっぱり、レックスにはほぼ何も話してない……)
「……ははしゃ」
二人のやり取りを見て心の中で頷いた時、ノアくんが泣きそうな顔をして、座っていたベッドからこちらへトコトコ歩いてくる。
「ノア。大丈夫。父様は喧嘩してるわけじゃ……」
「あれ」
イヤイヤと首を振りながら私の足元まで来て、窓の方を指差す。
――と。
「……っ、レックス……!! 」
窓側にある何か、光っている。
咄嗟に、ノアくんを転がすようにレックスに預けた。
「……や……うわぁぁん……!! 」
「……!? 」
(イヤイヤじゃない。これは……)
「あれ」の次に、ノアくんが指差したのは。
「……っ、ユーリ……!! 」
泣き喚くノアくんに駆け寄ろうとしたユーリだった。
「エナ……!? 何……」
「……っ……」
ユーリに体当たりした私の背中に、何かが刺さる。
そんな音はしないはずなのに、脳内でズブッと嫌な音が聞こえて気づく。
(……弓矢……)
「……エナ……!! 」
「だいじょ……。ノアを連れて逃げ……」
痛みの上から重なるように、また違った感覚が襲ってきて力が入らない。
「エナ……!? ……っ、すぐ医師を呼べ! レックス……! 」
「分かってる……!! 」
ジルの悲鳴、ユーリとレックスの怒号が、どんどん遠くなっていくのと同時に、さっきまでの感覚が急激に消えていく。
「……ノア……」
なのに、ノアくんの泣き声だけとても近くて、涙が落ちていくことだけ、はっきりとしていた。



