遣らずの雨 上

『送ってやれなくてすまない‥。
 泊まっていってもいいのに、本当に
 帰るのか?』


ドクン


「はい‥‥ま、毎日飲む薬があるので、
 今日は帰ります。」


免疫抑制剤も持ってきていないし、
今日は気持ちがいっぱいいっぱいで
追いつかないからいきなり泊まるなんて
私にはハードルが高過ぎる


誰かと恋愛なんてしない人生を
選んできたから、経験すらない私を
酒向さんはどう思っているのかな‥‥


『明日、体調が良ければ一緒に
 【むらせ】に行かないか?
 ずっと新名とまた行きたいと思って
 いたんだ。』


酒向さん‥‥‥


たった2回だけど一緒に食べた時の
あの楽しい時間がまた訪れるかと
思うだけで胸が苦しくなる‥‥


離れないと‥‥離れなきゃ周りを
不幸にしてしまうという考え方しか
出来なかったし、これからもずっと
そうだと思ってたのに、この人は、
いつも真正面からぶつかって来てた。



「はい‥行きたいです。」


泣きすぎて酷い顔をしてると思う‥‥。


それでも、初めて素直に答えられて
いる事が嬉しく感じ、笑顔で酒向さんを
見上げた。



『それじゃあその後明日はうちに
 泊まりにおいで。
 一緒にご飯を作ろう。』


タクシーが到着するまでの間、
玄関の小上がりで並んで座る私の
肩を抱き寄せた酒向さんに、今まで
隠していた気持ちがブワッと出てしまい
顔に熱が集中していく


「‥ま‥また来ても良いんですね‥。
 そういう経験がないので、よく
 分からないんです。」


『‥‥‥これから沢山出来るよ。』


沢山‥‥か‥‥。


それを1人ではなく酒向さんと
出来る事がやっぱり嬉しいんだと思う。


強がっていたのかもしれないし、
自分は1人でも大丈夫だと言い聞かせて
来たから、こうして誰かにもたれる
安心感にさえ愛しさが込み上がる


「あっ!タクシーが来たみたい‥んっ」


上を向いた瞬間に軽く唇を啄まれると、
手を引かれて外に行き、何事もなかった
かのように運転手さんと話し始めた


‥‥‥ナチュラル過ぎてどう対応して
いいかも分からない‥‥。
これが‥‥みんな普通なのかな‥‥?


『また明日‥ゆっくり休んで‥‥』


「はい‥おやすみなさい。」


バタンと閉じられたドアの向こうで
小さく手を振る酒向さんに同じように
手を振り、家に着くまでの車内で
1人その幸せを噛み締めていた‥‥


この先どうなるかなんて分からないけど
今は素直に前に進んでみたい‥‥。
そう思えた。