遣らずの雨 上

『紗英‥‥』


「お父さん‥‥紗英はもういないよ。
 あの日心臓が止まって空に旅立って
 行ったでしょ?」


ツラそうな表情をしたお父さんを
心配させないように笑顔を向ける。


苦しむのは私だけでいい‥‥。
お母さんに会えなくても平気。
幸せじゃなくてもいい。


『紗英‥‥‥名前まで変えなくても
 ‥‥‥皐月はそんなことを望んで
 はいないはずだ。
 ‥‥まさか‥母親に?』


「違う!‥‥違うよ‥‥。
 お父さんに紗英って呼んでもらえて
 ‥‥嬉しいよ‥‥ありがとう‥。」


目に涙を溜めるお父さんに、
泣くのを堪えて窓の外を眺めた。


10年前、心臓が弱り日々生死を
彷徨っていた時、
私の双子の妹が下校中事故にあい、
救急で運ばれてきたものの、頭を
強く打ったことで脳死宣告をされた。


植物状態とは違い、延命措置をとった
としても数日しか生きられない妹の
心臓が私に移植されたと知ったのは、
手術が終わって目を覚ました後
1月以上が経過してからだった。


元気で飛び回り、明るくて美人な皐月
は、もうこの世にはいない‥‥‥。


私のここに自分の心臓を置いたまま、
妹は遠い空へと旅立ってしまったのだ


もっと生きたかったはず‥‥。
沢山いい人達と出会って、恋をして、
素敵な人と結婚もして子供を産んで、
色々したかったはずなのに、私が
生き残ってしまった‥‥‥。


それから私のお母さんとお父さんは
喧嘩ばかりで、
親権こそお母さんになったけれど、
お金などは全てお父さんが出していた
ことも知っている。


病院代、学費、生活費など全部‥‥‥。


お母さんは、皐月が亡くなってからは
人が変わってしまったかのように、
私の方を一切見なくなり、祖父母が
私のことを【紗英】と呼ぶ度に、
皐月が私のせいで死んだと精神的に
病むようになり、誰も私の名前を口に
しなくなった‥。


だから‥‥18歳の時に家を出るのと
同時に、紗英という自分ともお別れ
したく名前を変えた


他の名前でも良かったのに、
私の中で生きている皐月を思うと
他の名前なんて考えられなかったのだ



今の私が生きていられるのは皐月が
私に心臓をくれたから‥‥。


だから皐月として生きる。
それを決めたのは自分の意思だよ‥。


誰にも言えない話をお父さんに
話せたことで、心が少し軽くなった
気がする‥‥
紗英って名前を付けてくれたのに
ごめんね‥‥お父さん‥‥‥。