季節は進み、春になった。私たちは三年生になった。基本的に、皇前はほぼ全員が進級できるシステムのようだ。
 いつもなら静かな時間帯でも、今日はクラス発表を楽しみに待つ生徒で学校はそこそこにぎやかだ。私は後ろの方から背伸びをしてみるが、文字が小さくて確認できない。
「こっち」
 隣にいた司くんは、私の手を引いて前に進む。「白雪司だ……」「おい、そっちいけ」と他の生徒が道を作っていった。多少の居心地の悪さはあるものの、大人しく司くんのそばを歩いた。
 最前列でクラスを確認する。
「えーっと、あった。私、三組だ」
「俺も」
「あ、ほんとだ」
「……軽いな。俺は自分より先に実紅を見つけたけど」
「名簿順、上の方だからね」
 司くんは「そういうことじゃなくて」と言ってそこで言葉を止めた。
「ふふ、もちろん、私も同じクラスで嬉しいよ!」
 司くんと同じことで喜べることが、一番嬉しい。
 まだ残っている桜が、司くんの髪にふわりと落ちた。少し日焼けしたり、落ち葉を掃除したり、マフラーに顔をうずめて登校したり、司くんが隣にいて同じ時間を過ごせる三年生の生活に思いをはせた。

 教室に入ると、黒板に席順が書かれた紙が貼られている。
 皇前はいわゆる『仲の悪い』生徒同士が複数いる。先生たちは最大の配慮をもってクラスや席順を考えるが、クラス分けのみで解決しない場合もある。そのため、同じクラスでもなるべく席を離すこともあるのだ。
 まあ、それでもケンカは絶えないのだけど。

 私は二年生のときと同じで、一番前の席だった。これも、クラス内でケンカが怒った際になるべく巻き込まれないように、との先生の気遣いだろうか。
 司くんは、私の左斜め後ろの席だ。
「隣じゃなかったね」
「いいよ、別に」
 クラス発表のときの様子を見るに、もっとごねるかと思っていた。案外すんなりと受け入れた司くんに、少し拍子抜けする。
 しかし、席に着いてみてその理由はわかった。
「実紅、参考書が逆」
「あ、あれぇ……?」
 斜め後ろからの視線がジンジンと伝わってくる。四六時中、司くんに見つめられている気分で落ち着かない。
 これがわかっていての反応だったのか……。
 ちらり、と斜め後ろに視線をやると、嬉しそうに口角を上げる司くんがいた。

  ◇◇◇

 三年三組で浮かれているのは、白雪司と鏡実紅くらいだ。他の男子生徒は、今、皇前でトップに一番近い男と一年間同じクラスで過ごすことに、一抹の不安があった。
 誰もがこう思っただろう。「せめて、鏡実紅が違うクラスであれば」と。

 鏡実紅が白雪司のお気に入り、というウワサは、去年の体育祭後から学校中に広まった。鏡実紅を利用して、白雪司を潰そうともくろむ生徒も多数いた。結局、全て白雪司が先に潰してしまったのだけど。

 状況が変わったのは、今年の一月。『一年の美園瑞希が白雪司にやられた』とのウワサが出た。美園瑞希は白雪司に憧れていただけあって、一年の中では最強クラスだった。
 そして、ケンカの発端が鏡実紅であることもまた広がっていた。

 つまり、白雪司の『弱点』になりえた鏡実紅は、触れたら白雪司が爆発する、発火装置になっていたのだ。
 ここまで聞いて、鏡実紅を狙う生徒はグンと減った。彼女に手を出して、美園同様に全治一ヶ月のケガを負うくらいなら、白雪司に真っ向勝負で負けた方がまだメンツが保てるというものだ。

 いや、真っ向勝負で勝ってトップにならなきゃ意味がない。そのために、皇前にきたのだから。
 三年三組、窓際の席。朝からいちゃつく白雪たちを見て、一人の男子生徒は決意を再び胸に誓い直した。

  ◇◇◇

「あのさ、今度デートしない?」
 昼休み、相変わらず静かな図書室で、司くんに提案する。バレンタインのときから読んでいた小説は、もう終わりが近くなっているようだった。
「いいよ。どこか行きたいの?」
「行きたい場所は、特にないんだけど……」
「買ってほしい物があるとか?」
「それもない……」
 また私、司くんに遊ばれてる?
「休みの日も、会いたいなぁって、思って……」
 まだ自分の気持ちを司くんに伝えるのは勇気がいる。春の陽気で暖まった、心地のいい風がほてった顔を撫でた。司くんは「じゃあ、予定立てようか」と満足そうに私を見ていた。

 デートに誘ったのにはワケがある。もちろん、学校でだけでなく休日も会いたいのは本音に違いないのだけど。
 私は、今年から『受験生』なのだ。希望の大学はAO入試が無い上に、推薦は大学側が指定した高校からのみ受け付けており、私は共通テストと一般入試を受けるしかない。
 そうなれば、今まで以上に勉強に熱を入れたい。のんきに司くんに見惚れているのも、一学期までにしないといけない。

 司くんの要望は「実紅(とお父さん)の作ったお弁当が食べたい」とのことだった。四月も下旬、満開の桜とはいかないが葉桜は見れるんじゃないか、と市内の大きな広場がある公園でピクニックをすることになった。
 こういうのでいいんだよ……こういうので……。
 バレンタインのときに見せた、司くんの大人びた空気は私にはまだまだ早いのだ。


 デート当日、お父さんには「中学時代の友達とピクニックに行く」と伝えて、朝からお弁当作りを手伝ってもらった。慣れない作業に手こずりながらも、二人分のお弁当は完成。浮かれているのか、脳内では司くんのキラキラ輝く瞳が想像できていた。

「じゃあ、仕事行ってきます。実紅も気をつけてね」
「うん、ありがとう! いってらっしゃーい」
 お父さんを見送り、今度は身支度を整える。私服で会うのははじめてで司くんにあわせようにも難しい。
 無難に可愛くワンピースがいい? いや、座ってるしパンツのほうがいいのかな。気温はどのくらいだっけ? これ一枚じゃ寒いかな?
 止まらない一人会議で時間が過ぎていく。時計に目をやると、出発まであとニ十分。
「えええと、これで!」
 結局、一番最初に選んだワンピースに決めた。既にコーデを考える時間がなかった。
 全身鏡の前でくるりと回ってみる。袖や裾についたレースが、いつもより甘くて特別な雰囲気を出していた。ワンピースの淡いピンク色に合わせて、リップやアイシャドウもピンク色を取り入れた。
 あぁ、春休みの間に琴音にメイクを教えてもらってよかった。
「よし、間に合う……!」
 荷物を確認して、家を出た。青空とぽかぽかの太陽が私の背中を押してくれる。
 最寄りのバス停から二駅で、待ち合わせ場所の公園に着いた。

「えっと、司くんどこだろ……連絡したほうがいいかな」
 公園の中にある池の近くが待ち合わせ場所だ。司くんらしき人は見当たらない。
 時間はほぼピッタリだけど……来る途中で何かあった?
 メッセージを送ろうとして、肩をトントンと叩かれる。
「実紅お待たせ。ごめん、ちょっと離れてた」
「司くん……!」
 目の間には少し汗ばんだ司くん。
 私服はモノトーンを基調とした大人っぽいスタイルだった。正直、はちゃめちゃにカッコイイ。
 私は隣で浮いていないかと心配になる。
「これ、お弁当?」
「ふふ、そうだよ」
 司くんは「持つよ」と言って、お弁当の入ったトートバッグをひょいと手にかけた。
「ありがとう」
「こっちのセリフ。あぁ、あと」
 少し先を歩いていた司くんは、くるりと振り向き私の目を見て言った。
「おめかし、してくれたんだ。可愛いな」
 ド直球な褒め言葉に、私はただただ赤面するしかなかった。司くんの柔らかい笑みに心臓はギュッと掴まれて苦しいくらいだ。小さく「ありがとう」と繰り返す。
 体育祭のときも思ったけれど、司くんは案外わかりやすい。今日、浮かれているのは私だけじゃないみたい。

 公園の桜の樹は、すっかり桜が散り若葉が芽吹いているものもあれば、桜と若葉が寄り添うものも見られた。土曜日の昼だけどあまり混んでいない。みんな、花見はとっくに済ませたようだった。
「さっそくお弁当食べよっか」
 司くんはレジャーシートを敷いて、私を隣に座らせる。はじめてのデート、はじめての私服、はじめてのお弁当、緊張もしたけれど今はワクワクが勝っていた。
 あ、靴下まで気が回らなかったけど、穴が開いてなくてよかった……。

「全部美味い」
「お父さんのおかげだね」
「……まさか彼女のお父さんに胃袋掴まれるとは……」
 複雑な心境なのだろうか。しかし、言葉とは裏腹にお弁当を食べる手は止まることがなかった。
 甘い物が好き、だから菓子パンも食べる、のだと思う。けれど、ここまで全身で「美味しい」を伝える司くんに、司くんのご両親はお弁当は作らないのだろうか。気になったけれど、簡単に触れてはいけない話題な気がして、違う話をふった。
「どれが一番好き?」
 お弁当には、ポテトサラダやおにぎり、鶏の唐揚げ、卵焼き、トマトとチーズのサラダ、となるべく手作りで埋めてある。
「……コレかな。甘いくて美味しい」
 かなり熟考したのち、司くんは「選ぶのが難しい」と前置きして卵焼きを選んだ。
「形は歪だけど」
「うっ、練習します……!」
 あぁ、受験生じゃなければ学校に司くんの分のお弁当も持って行けるのに。毎日この笑顔が見れるのに。
 口の横に米粒をつけた司くんが可愛くて、しばらく見つめていた。

「ずっと気になっていたんだけど、実紅ってどうして皇前にきたの?」
 デザートのフルーツを口に運びながら、司くんは言った。
「そういえば先生以外知らないのか……」
 私は、中学三年生の悲惨な冬について司くんに話した。途中「えぇ」「まじか……」と、本気で私を哀れむ声が隣から聞こえてきていた。

「大変だったけど、皇前がなかったらもっと大変だったかもしれないし。感謝してるんだよ」
「……すごいな」
 司くんがここまで心の底から誰かを称賛する姿をはじめて見た。なんだかこそばゆくて、話題を変える。
「えっと、司くんは卒業後どうするの?」
「実紅と暮らす」
「へ?」
 突拍子もない発言に私は箸を落とした。
 進学とか、就職とか、そういうことを聞きたかったのだけど……
「すぐには無理でもね」
「そ、そうだね」
 家に帰れば司くんがいる、司くんを見送る、そんな日がくることを想像したことがなかった。同時に、最近、受験のことばかり考えていた自分には気づかないでほしいと願った。

 満たされたお腹で、そよそよと吹く心地の良い風を受け、太陽にあたっていると、睡魔が襲ってくる。お弁当作りのために早起きしたのも重なっていた。
 いや、デート中にねるのは……と閉じかけた瞼を意地でも開けてると、レジャーシートの上に司くんがごろんと寝ころんだ。
「ちょっと寝る?」
「でも、せっかくのデートだし」
「いいじゃん。俺は実紅の寝顔みれて幸せだし」
 そうなの? そういうものなの?
 戸惑う私の手に、司くんの手が重なった。
「たまには息抜きしな。ね」
 優しい声に誘われておずおずと私も横になる。睡魔が襲う理由に、勉強漬けの毎日があったこと、司くんにはお見通しのようだった。
「……あんまりこっち見ないでよ」
「実紅が寝たらキスしようかなって」
「え!?」
「ははっ、ウソ。したいけどね」
 本当に寝かせる気はあるのだろうか。そして、私はいつまで司くんの冗談に振り回されるのだろうか。それをイヤだとは思わないのは惚れた弱みというやつか。
 ドキドキとうるさい心臓の音を聞いていたら、いつの間にか眠っていた。意識が遠くなるなか、司くんがふわりとジャケットをかけてくれた。

「まってまってまって、司くんそれだけはやめて」
 一時間後、気持ちのいい眠りから起きた私は今年一番焦っていた。司くんの予想外の行動のせいで。
「なんでさ」
「恥ずかしいって……!」
 司くんが見せてくれたのは、今さっき撮影したであろう私の寝顔。が、設定されたスマホのロック画面だ。あまりにも恥ずかしすぎる行動に、私は必死にやめてくれと司くんを説得した。
「しょうがないな」
 しぶしぶといった様子で、司くんはスマホをいじり出した。写真、きっと一枚だけじゃないよな……とカメラロールを確認したい気持ちもあったが、司くんの行動が愛おしさ余ってであるならば嬉しい気持ちもあった。
「これでいい?」
 ロック画面は初期設定のものに変えられている。「うん」と返事をした私を確認し、司くんはロックを解除した。
「ちょ、司くん!!」
「壁紙なら誰も見れないでしょ」
 あはは、と楽しそうな司くんに私はすっかり絆されていた。画面の中で間抜け面で眠る私も、心なしか嬉しそうに見えてきた。

 その後、司くんが借りてきてくれたバドミントンで遊んだ。相変わらず運動音痴な私を、司くんは楽しそうに振り回す。
 シャトルが風に飛ばされることが増え、一時中断。眠っていた分、体力は回復していたので二時間くらい休憩を挟みながら遊んでいた。
「風が出てきたな」
「ちょっと日も暮れてきたね……」
 これは、そろそろ帰るタイミングなのか。
 私がそう察したとき、司くんも同じことを考えたようで「明後日、すぐ会えるから」と頭を優しくポンと撫でた。
 赤い髪が風に吹かれてうっとおしそうだ。

 荷物を片付けて、広場を後にする。公園内の歩道をあるいていると、まだ桜がたくさん残っている樹を見つけた。
「あ! 桜!」
 思わず駆け寄ると、司くんは追いかけてこなかった。
「司くん?」
「はい、撮るよ」
「え、いきなり!?」
「髪整えて、ピースして」
 司くんの的確な指示に従うと、シャッターが押される音がした。司くんのもとに戻って、写真を確認する。
「こういう写真を撮ってよ……」
「はいはい」
 そういえば、私は一枚も司くんの写真を持ってない。ツーショットもない。今なら撮れるのでは、と思い司くんにお願いしようとした瞬間、後ろから聞きなれた声がした。
「……実紅?」
「あ…………お父さん」

 言い訳は思いつかなかった。だって、私の隣にいるのは『中学時代の友達』にはとうてい見えないであろう男の子だからだ。さすがの司くんも、少し戸惑っているようだった。
「えと、お父さんどうしてここに?」
「……いや、その、今日は店、昼で閉めたから……今から帰ろうと思って。
そしたら、偶然、公園の外から実紅が見えたから…………」
 途切れ途切れにお父さんは言葉を紡いだ。「だから、一緒に、帰ろうかと……」そこまで言ってふう、と頭を抱える。
 忘れていた。お父さんのお店はこのすぐ近くなのだ。

 あぁ、こんなことになるならお父さんにちゃんと言っておくべきだった。悔やんでも遅い。ウソをついていた罪悪感に、私は縮こまる。
「今日、遊んでたのは、その子だけかい?」
「うん」
「お弁当もその子のため? あ、もしかして、バレンタインも……」
「……そうです」
 気まずい親子を見かねた司くんが口を開く。
「どっちも、すごく美味しかったです」
 お父さんは複雑そうな顔で「そうか……」と力なくつぶやいた。

「少し、頭を整理させて」
 お父さんがそう言ってから沈黙が流れた。あまりにも長い沈黙に感じたが、時計を見ればたった数秒のことだった。
「君は、実紅の彼氏ってことでいいのかな」
 お父さんは、司くんへ質問を投げかける。
「はい。実紅さんとお付き合いしています」
「…………学校は?」
 その質問に、私の心臓もイヤな鼓動を打った。きっと、お父さんが一番気にしているのはそこなのだ。
「皇前です」
「……そうか」
 今度は私がこの空気に耐えられなくなりそうだ!
 口を挟もうとしたとき、さっきまでの冷静さはどこへやら、お父さんは「お願いがある」と前置きし、矢継ぎ早に司くんへ言葉を投げる。

「娘に、実紅には、絶対に暴力をふるうな!」
「実紅の進学に邪魔になることはするな!」
「恋人なら、実紅のことはしっかり守れ!」
「ムダなケンカは控えろ!」
「ご飯ならいつでも食べに来なさい!」
「とにかく、君も実紅も傷つかないでほしい!」

 司くんはその全てに「はい」と真剣な声色で返事をした。私はお父さんの意外な言葉にかたまってしまった。
 息の上がったお父さんが、今度は私をロックオンした。
「彼の名前は?」
「なんでそこは私に聞くの……」
「あ、白雪司と言います」
 司くんが丁寧に自己紹介をしているうちに、お父さんは冷静さを取り戻したようだった。
「あの、交際に反対しないんですか?」
「僕がダメっていったら、白雪くんは別れるのかい?」
 冷静でいつも通りの優しい口調だが、なにか含みのある言葉に聞こえたのは気のせいだろうか。
「別れません」
 司くんの力強い返事に、お父さんは眉を下げて笑った。私はにやけるのを必死に我慢していた。

 家に帰ってお父さんと話すのがちょっとだけ気まずいけれど、この場は上手くまとまりそうだった。
 お父さんが「車を出すよ」と言って来た道を戻ろうとする。しかし、ガラの悪い四人組が道をふさいでいた。
「よぉ、白雪司」
「……お前ら、まだいたの」
 私はとっさにお父さんの腕を引いて彼らから距離を取る。反対に、司くんは彼らに近づいていった。
 今日の柔らかい笑顔や思い出はウソじゃない。けれど、それは司くんの一面にすぎないことを忘れかけていた。司くんは皇前でトップになってもおかしくない存在だ。

「学校まで来なかっただけ、お利口さんか」
「あぁ!? テメー年上なめとんのか!」
「いや、昼にコテンパンにされたのにまた来るなんて、やっぱりお馬鹿さんかもなぁ」
「っるせぇ!!!!」
 一人の男が司くんに向けてこぶしで殴りかかろうとする。しかし、司くんはひょいと軽やかに避けてみせる。今度は他の男が横から蹴りを入れる。だが、司くんの左手に掴まれてしまい、バランスを崩して倒れた。
「おい、逃げんなや」
 イラついた男が司くんの胸ぐらをつかむ。司くんは無言のまま、相手の胸ぐらを掴み返した。先に攻撃に出たのは男の方だ。司くんの頬にパンチが二発入る。私は思わず目をそらした。
「おい、なんで反撃してこない?」
「こんなケンカ、ムダだから」
 司くんは男をグッと自分の方に引き寄せ、すぐに反対方向へと投げた。男は尻もちをついて鋭い目つきでこちらを睨む。劣勢なはずんの男は、なぜかニヤリと笑った。
「後ろががら空きだな」
「っ!?」
 突如、私の後ろに別の男が現れた。そうだ、こちらは司くん一人なのに対し、向こうは四人組なのだ。男は乱暴に私の腕を引くと「テメーも道ずれだ」と笑った。
 殴られる!
 そう悟った瞬間、男の顔はゆがみ、一瞬で視界から消えた。
「っぐ、がは……」
「……実紅に触るな」
 その一撃は、司くんが受けた二発のパンチより明らかに強いと私でも分かる。殴られた男は動けなくなっていて、だらしなく開いた口からはコロンと折れた歯が地面に落ちた。他の男たちは先ほどまでの威勢もなくなり、緊張感が走る。
 すると、意外な人物の声がその場を切り裂いた。
「も、もしもし警察ですか!!!! けけ、ケンカがあって、今すぐ来てください!!!!」
 もはや叫びにも近い声を出したのは、怯えて地べたに座り込んでいたお父さんだった。『警察』と聞いた男たちは途端に焦り出す。
「このおっさん……!」
「くそ、引くぞ!」
 負傷した男を背負って逃げていく後ろ姿は、なんだか憐れに思える。

 緊張が解け、私もへとへとと地べた座り込んだ。黒羽くんと立花さんの忠告を、もう一度胸に刻もうと決意した。
「大丈夫ですか!? あのっ、警察って」
 左頬が赤くなった司くんがこちらに駆け寄ってくる。
「ごめん、ウソなんだ~。呼んだら白雪くんも危ないかと思って」
 お父さんは少し震えた声で「まぁ、正当防衛だけどね」と付け足した。
「ありがとうございます。あと、謝ることがあって」
「え? なにかな」
 司くんは怯えたお父さんに目を合わせるようにしゃがんだ。
「すみません。実紅さんが危なかったので、一発だけ入れました」
 お父さんは緊張がとけたように、ふは、と笑った。
「実紅を、『しっかり守って』くれてありがとう」

 車で送る、と言ってお父さんはお店の駐車場へと戻って行った。私は近くの自販機で水を買い、ハンカチを濡らして司くんの頬に当てた。
「ごめん。実紅が来る前に処理したんだけど」
 待ち合わせ場所に、司くんがいなかったことを思い出す。あれは私より後に来たんじゃなくて、彼らの相手にするために「ちょっと離れてた」のか。
「ううん。私もごめん、いきなりお父さんに会わせちゃったし……」
 司くんも困ったよね。というか、困っていたよね。
 反省していると、明るい口調で返事が聞こえた。
「いずれはご挨拶に伺うんだから、問題ないよ」