図書室で泣く実紅を抱きしめながら、彼女との記憶をたどっていた。

  ◇◇◇

 優しく接していたのは、正直なところ「俺に惚れてくれたらいいな」と思ったからだ。しかし、そこに恋愛感情はない。むしろ、邪魔だと感じていた。
 一年生のときから、テストで一位をとるのは鏡実紅だった。しかも全教科。全てにおいてトップを目指していた俺にとっては目障りで仕方ない。
 俺に惚れた後「白雪くんが一番じゃなきゃね!」と一位を譲ってくれないかと期待していた。

 実際、実紅が俺に好印象を抱いているのは明らかだった。落とすのも時間の問題、と思った矢先、クラス内での乱闘騒ぎが起こった。
 しかし、実紅は騒ぐクラスメイトを横目に、ケンカなんて知らん顔で帰っていく。俺は、一瞬で実紅のことを読み違えたのかと焦ったのだ。
 こいつ、本当は強いんじゃないか?
 俺と同じく、なにか目的があって大人しいふりをしている?
 そもそも、普通の女子高生がわざわざ皇前に来る理由はほとんどない。
 俺の思考回路は止まらない。彼女の動きを注視していると、突然、動かなくなった。何か起こるのかとこぶしをグッと握る。
 しかし、その表情は、ただビビっているだけに見えた。
「勘違いかよ……」
 さすがにこれ以上巻き込まれるのはかわいそうだったので、『優しい白雪くん』で助けに入った。まさか、恩を仇で返す女とは知らずに。

 彼女から貰ったネックレスが壊された。首に食い込む感覚のあと、はじけ飛んだ。俺の頭は真っ白だった。
 別に気に入っていたわけではないし、彼女とはいえ惚れこんでいたわけでもない。当時、皇前のトップだった男の妹だから、簡単にフるのも面倒だった。
 しかし、なにが困るって、玲奈は怒りっぽいのだ。理由はどうであれ、自分があげたプレゼントをつけなくなった彼氏に詰め寄ってくるのは容易に想像できる。
 結局、その日のうちに玲奈にバレて、想像通りに怒られた。あーうるさい。必死に謝っていた実紅に矛先が向くのは申し訳ないので、ケンカ中に引っ張られて壊れた、とだけ告げた。

 結局、実紅を落とすことなく、俺の本当の顔はバレてしまった。最初こそビビっていたものの、ああ言えばこう言う実紅との関係は心地よいし、真面目な性格も好印象だった。
 体育祭を通して、『優しい白雪くん』を演じていたときよりも仲は良くなったと思う。
 しかし、それが新たな問題を生んだ。実紅を狙う男子生徒が増えたのだ。狙うというのは、恋愛対象としてではなく、敵とみなされたということだ。さすがに、女に暴力で襲いかかる気はないと思うが。
 実紅が狙われる理由は一つ「白雪司は、どうやら鏡実紅という女を大事にしているらしい」というウワサが回っていたからだ。
 俺は当時、皇前の『二強』と呼ばれ始めていた。俺の足を引っ張りたいやつらなごまんといる。実紅は俺にとっての『弱点』だったわけだ。

 本を読みながら、イヤホンをしながら、無用心に歩く実紅を狙うやつら。あらかた、実紅を人質にして俺に不利な状況を作りたかったのだろう。
「だせぇことしなくても、呼んだらきてやるのに」
 朝から、実紅を狙う輩を先にボコしておく。結局、俺と戦うのだから、そのタイミングが少し早まっただけだ。
 しかし、いかんせん数が多い。全員、ビビって真っ向勝負を挑まないのだけど。実紅に群がるザコを倒しているうちに、ケンカの数は増えていった。

「保健室行かないの?」
 実紅の心配そうな顔に、情けなくなった。数は多いとはいえ、ザコ相手に傷ばかり作っている自分に。
 実紅から目を離すのが怖かったし、無駄に校内を歩かせるのもリスキーなので、保健室は断り、隣の席であることをありがたく思った。
 はじめは面倒だった。実紅がケガに触れるたび、心の中では「誰のせいで傷を負ったと思ってるんだ」と思っていた。
 しかし、だんだんとその優しさが温かくて気持ちよくなった。何も知らない無防備さにイラついたこともあったが、俺とのささいな会話で笑ってくれると嬉しくて、勉強に手を抜かない勤勉な一面を守りたいと思った。

 気づいたら「弱いから守る」のだではなく「好きな女を守りたい」に俺の心は変わっていた。その弊害が、玲奈の学校突撃だった。しかも、実紅に。
 どうして、どいつもこいつも実紅を狙うのか……。
 玲奈への気持ちは元々なかった上に、実紅への恋心に浮つくせいで、玲奈のフォローがおろそかになっていたのは確かだ。

 本当は、驚いて動けなくなった実紅を抱きしめてしまいたかった。けれど、玲奈の手前、それは許されない。玲奈に気持ちがバレないように取った行動が、置き去りにすることだったなんて、男として恥ずかしい。
 しかし、この日のおかげで玲奈と別れる決心がついた。結局、俺は守りたい女を守り切れずに、自分の手で傷つけたのだから。

 実紅に詰め寄る美園が目に入ったとき、今まで出たことのない力で鉄の棒を窓ガラスを振りかぶり、叩き割った。頭に血が上る。冷静さをなくさないよう、自分を抑えるのに必死だった。
 おかしいとは思っていた。朝、図書室で寝ているのは確認済みだったし、美園たちがいつも集まる視聴覚室には誰もいなかった。ふと、図書室に向かった実紅の後ろ姿と、朝の美園の姿が脳裏をよぎる。
「クソッ! あいつ……」
 考えるよりも先に、体が動くとはこのことか。その場に落ちていた棒を拾い、隣の校舎まで全力で走っていた。

  ◇◇◇

 少しずつ、実紅の呼吸が落ち着いてきた。このまま、離れたくないな。熱が冷めてきた頭で考えた。
 謝りたいことはたくさんある。もっと早く助けにこれなくてごめん。ザコ相手にケガばっかり作って心配かけてごめん。一人置き去りにして「大丈夫」なんて言わせてごめん。お母さんの形見のネックレス、勝手に触ろうとしてごめん。
 本当に謝り出したらきりがない。

 でも、謝ってばかりじゃ実紅に怒られそうだから、ひとつだけ。
「俺を好きになってくれて、ありがとう」