こういうとき、同世代の女の子はお母さんに相談したりするのだろうか。私は、ネックレスを見つめて小さく「どうしよう」とつぶやいた。もちろん、返事はない。
 冬休みに入った。司くんとはあの日以降、全く話していない。司くんの彼女がどうして私に会いに来たのか、聞きたかったし説明してもらいたかったけれど、司くんから他の女の子の名前が出てくることが怖くて、避けるように学校生活を送っていた。
「なんで、忘れてたんだろう」
 彼女の存在を忘れずにいられたら、好きになることもなかったのだろうか。ネックレスを壊しても、二人の関係は壊せなかった。
 あぁ、好きな人の失恋を願うなんて、最悪だ。

「あれ、琴音(ことね)から連絡きてる……」
 枕に顔を埋めていると、ブブっとスマホが揺れた。琴音は中学の友人で、今は私の第一志望校だった高校に通っている。隣町まで通学していたり、進学校のため授業のペースも早かったりと、別々の高校に通うことになってからは普段会うことはあまりできなかった。
「ふふ、元気そうでよかった」
 メッセージには《冬休みだし久しぶりに会いたい! 聞いてほしい話たくさんあるんだよ!》とテンション高めのスタンプも添えられていた。
 私は琴音の誘いにYESと答え、年内に二人で会う約束をした。


「実紅は大丈夫? 学校でいじめられたりとか、してない?」
「いじめはないよ」
 ケンカは毎日だけどね、とは言えなかった。琴音を心配させるわけにはいかない。
 昼から集まって、ファミレスでだらだらと話し始めてから三時間が経っていた。
 琴音は、勉強が大変とか、女子の派閥が面倒くさいとか、あの先輩がかっこいいけど狙ったら先輩に目をつけられそうで怖いとか、同じ学校の友達に話して筒抜けになったら困るような話を聞かせてくれた。
 苦労や困難はあるものの、それすら『普通の高校生』らしさに思えて、私は少しだけ羨ましいと思ってしまった。

「てか、琴音、制服なのなんで? 休みじゃなかったの?」
「あはは、めっちゃ今更!
いっこ補講になってたの忘れてたの〜……午前中に終わったからよかったけど……」
 皇前も一応『赤点ライン』はあるけれど、真面目に補講まで出るのは半分くらいだろうか。冬休みまで勉強と聞いたら、ものすごい拒否反応を起こす生徒が多そうだ。

「私ばっかり愚痴っててごめんね。実紅は本当に困ってることない?」
「……そうだなぁ」
 もしかして、司くんのことを相談するタイミングは今なんじゃないだろうか。お父さんにも、クラスメイトにも話せない、恋愛の話。
 ごく、と唾を飲み込んで、さっきまでより声量を落として琴音に問いかけた。
「もしさ、彼女のいる人を好きになっちゃったら、どうする……?」
 琴音はパチパチと大きな目を動かして、小さく「え、え……」とつぶやいた。
「あ、ごめん、変な話して……」
「初めて実紅から恋バナ出てきたー!!」
「へ?」
 琴音のテンションの上がりように、私はあっけにとられてしまった。
「えー、実紅が恋愛とか中学の頃は考えられなかったよねえ」
「そ、そう?」
「恋バナ聞きながら、暗記問題解いてたあの実紅が……」
 確かに、今までちゃんと好きになった人はいないかもしれない。かっこいいと思う男の子はいたけれど、恋愛の意味で好きか、と問われると正直分からなかった。
 もしかして、私の初恋って司くん……?

「で、えーと、その好きな人には彼女がいるの?」
「う、うん」
 琴音が言った『好きな人』というワードに、ドキッとした。気恥ずかしてくて、琴音の顔が見られない。これが、恋バナにイマイチ興味を持てなかった代償か。
「私はそういう経験ないしなあ……」
「そう、だよね」
「んー、でもさ、結婚してるわけじゃないんだし、チャンスは全然あると思うけど」
 チャンス……校門に一人取り残されたあの日が脳裏をよぎる。私にチャンスはあるのかな。本当は、あの日きっぱりフラれたんじゃないのかな。認めたくなかった現実が急に目の前を支配した。
「……まぁ、今私がどうこう言っても、実紅はその人のこと嫌いになれないと思うよ?」
 琴音は優しく微笑み、私の手を握った。「もちろん、相談してくれたのは嬉しいけどね!」と前置きをして続ける。
「このまま身を引くにしても、告白してみるにしても、実紅の納得がいく方法で彼の気持ちを確かめないと、きっと後悔するよ」
「……私、告白してもいいのかな」
「私は、実紅の味方だから実紅がしたいならしてほしいけど……彼女はいい気、しないだろうねえ」
 うーん、と二人で頭を抱える。彼女に悪いのはもちろんだが、司くんはどうだろう。彼女がいると知っている女の子から告白なんて、困るだけじゃないだろうか。
 
 しばらくの沈黙のあと、琴音が何かを思い出したように「あ!」と漏らした。
「私のクラスに、皇前の男子と付き合ってるって子いるよ」
「え、そうなの!?」
「その子にそれとな〜く探ってもらう? 冬休み中に別れたりとか、あるかもだし?」
 別れる、と聞いてほのかな期待を抱いた自分に幻滅する。司くんが彼女と別れたとしても、私と付き合ってくれる可能性は変わらないのだ。
 琴音はスマホで連絡を取ろうとして「あ、まだ補講中かな……」とつぶやいた。私は、もうすぐ空になりそうだったジュースを飲み干した。
 そういえば、私は司くんの連絡先すら知らない。声が聞きたくても、冬休み中は聞けない。最後にかけられた言葉が「一人で帰れるよね」なんて悲しすぎる。
「実紅、ごめん、今日の夜に連絡してみるね」
「ううん、ありがと。ほんと、できたら~でいいから! 全然、断ってもらっても……」
「何言ってるの! 使える手段は全部使うよ!」
 少し暴走気味だけど、琴音に相談してよかった。私には無い積極的な言動に、いくらか心が救われる。

 すっかり空になった容器だけが置かれたテーブルで、琴音との会話はつきない。
「皇前の男子と付き合ってる子、立花玲奈(たちばなれいな)って言うんだけどさ、彼氏の話題より……」
「呼んだ?」
 琴音がバッと顔を上げる。私たちのテーブルのすぐそばに、今入店してきたであろう女子高校生が立っていた。
「あ」
「……なんでここにいるのよ」
 忘れもしない。あの日、校門で私を待っていた女の子だった。ゆるく巻かれた髪も、短いスカートも、手に持っているダッフルコートも、見覚えがある。
 あの日は、制服がほとんど隠れていたので、琴音と同じ学校だとは気づけなかった。
 怪訝そうな表情の立花さんは、「琴音、奥つめて」と声をかけて私と向き合うように座った。
「……もしかして、実紅の好きな人の彼女って玲奈ちゃん、なの?」
「そう、です」
 青ざめる琴音とは反対に、立花さんはホットコーヒーに口を付けると、ほう、と一息ついた。そして、私を真っすぐ見つめる。
「私、もう彼女じゃないわ。ちゃんとフラれたから」
「……へ?」
 あの日、司くんは確かに立花さんと一緒に帰ったじゃないか。二人の仲睦まじい後ろ姿を、今でも鮮明に思い出すことができる。
 なのに、フラれた?
 数日前とは打って変わってしまった現実に、私は思考が追い付かなかった。そんな私を置いて、立花さんは話を続ける。
「好きな人がいるから、別れてほしいって。頭下げられちゃった。
司にそんなことされたら、もう仕方ないよね」
「好きな人って」
「ま、あなたでしょうね」
 立花さんはちょっとムスッとした表情で、頬杖をついた。
「それで、あの日、私を殴りに来たの?」
 視線をそらした立花さんの横で、琴音が「殴る!?」と動揺している。こんな形で巻き込んで、心配をかけることになって申し訳ない。今度会うときはおごるから、と心の中で琴音に謝った。
「違うわよ。あのときは、まだフラれてなかったし。
……司が、絆創膏してたのが気になって。いつも保健室から持ってきて使ってるやつとは違ったから。
多分、女だなって」
 これが、俗に言う『女の勘』だろうか。彼女の存在を忘れていた自分とは違いすぎて、もはや尊敬してしまう。
 絆創膏、確かに、司の机にそっと置いたことがあった。ぶわっと嬉しさがこみ上げる。こんなときに喜ぶのはおかしいけれど、司くんちゃんと使ってくれたんだ。
「あとは、体育祭でずいぶんとイチャイチャしてたって聞いたの。
司の友達から動画送られてきたりとか。名前もすぐ教えてくれたわよ。
で、とりあえず女子に声かけてれば会えると思って、あの日待ってたの。人の彼氏にちょっかい出すなって怒ってたから。
……ま、すぐフラれたけどね。ほんとヒドイわ」
「……ごめんなさい」
 知らないところで立花さんを傷つけていた。その事実が一番心を揺さぶる。もし、別れていたらと期待した自分を、心の底から恥じた。
「わたしも、未遂? とはいえ、暴力に走っちゃって怖い思いさせたと思うし……
ごめんなさい」
 ずん、と沈む空気は、賑やかな声であふれかえる店内には重すぎた。
 お互い、次の言葉を探していると、見かねた琴音が「じゃあ、これでチャラってことにしょう!!」と、なかば強制的に場の空気を変えた。
「そ、そうしよう……! いいかな、立花さん……?」
「ん。ま、私の方が負ったダメージは大きいけどね」
 立花さんのひとことで再び慌てる琴音。「冗談よ」と立花さんがしずめている。
 まさかの方法で、私の悩みの一つは解決したのだった。

 話は終わったが、席を立たず食事をはじめた立花さんに、琴音が問いかける。
「フラれたにしては、あんまり落ち込んでないね?」
「んー、そりゃ、悔しかったし悲しかったけど……私にはもっと大切な人がいるからいいの」
 彼氏だった人より、大切な人? 私は思わず首を傾げる。
 先ほどとは変わってニコニコと頬を緩ませる立花さんの横で、琴音が「ああ、その話……」と何かを察したようだった。
「わたしの一番はお兄ちゃんだもの! お兄ちゃんも、去年まで皇前に通ってたのよ。トップの座に一番長くいたのもお兄ちゃんだし、それに……」
「はじまった……」
 琴音が手で顔をおおってため息をついた。私は、立花さんのノンストップおしゃべりの迫力に押し負けそうだった。
「実紅、まじめに聞かなくてもいいよ。いつもの話だし」
 琴音がこそっと耳打ちをする。
「玲奈ちゃん、彼氏よりお兄ちゃんの話の方が多いんだよね」
「はぁ……」
「いわゆる、ブラコンってやつ」
 司くんはこのこと知っていたのだろうか。立花さんのマシンガントークに付き合う司くんを想像して、少し頬が緩んだ。

 立花さんの『お兄ちゃんのここがスゴイ!』トークは二十分ほどで終わった。ふう、と満足気な顔には達成感がにじみ出ている。
「司はさ、」
 急に出てきた司くんの名前に、私は思わず背筋が伸びる。
「強くて、優しくて、他の同級生よりちょっと大人びてて、お兄ちゃんみたいだなって思ったの。
だから、告白したの」
「……実際はどうだったの? 司くんとお兄さんは似てた?」
 私の問いかけに、立花さんは「あは」と軽く笑った。
「ぜーんぜん! 二人とも、全く別のステキな人だった」
 立花さんの笑顔は、誇らしげで、どこか切なそうで、私はうまく笑い返せなかった。

 午後四時をすぎると、外は夕日が夜を呼んでくる。暗くなる前に、私たちは解散することになった。
 店を出て冷たい風に吹かれると、立花さんが思い出したように私に言った。
「司の彼女は楽じゃないから、気を付けてね」
「え?」
「ん? いや、だって、あの白雪司よ?」
「……司くんが、え?」
 おそらく忠告だったであろう言葉。理解できない私を見た立花さんは「ウソでしょ」と大きなため息とついた。
「今、皇前でトップ争いしてるのは、白雪司と黒羽大河よ?
皇前ではめずらしくトップ不在で『二強』なんて呼ばれてるんだから。

既に、人気は肩を並べてるけどね……黒羽派閥と白雪派閥ができてるってウワサよ。

当たり前だけど、強ければ強いほど敵も多いの。
バカなやつらは、あなたを狙ってくるかもしれないんだから」
 立花さんは続けて「知らなかったの!?」と言い、私は無言で頷いた。司くんが、皇前のトップをとる可能性がある、ということ? 
 そもそも、司くんがケンカをしているところをあまり見たことがない。いや、傷だらけなのだからケンカはしているのか……。
 頭が混乱する。司くんがそんなに強いなんて知らなかった。確かに、トップになりたいとは言っていたが、あれはちゃんと現実味を帯びた話だったのか。
 そうすると、保健室での黒羽くんの言葉もしっくりくる。

『気を付けろよ』
『……そうじゃなくて、司の近くにいると色々と危ねぇだろ』
『知らないならいい。どうせ、俺が司を倒すしな』

 私がそばにいると司くんの弱点になりうること、自分が司くんのライバルだということ、黒羽くんが伝えたかったのはそういうことだったのか。
「ねぇ~~~~実紅、その人、大丈夫なの!?」
「……あなた本当に皇前に通っているのよね……?」
 二人の疑問に、私は力なくうなずいた。学校で一位二位を争う男の子に、告白なんてできるのだろうか。司くんが私のことを好きかもしれない、と分かったというのに気持ちは晴れない。
 一つ問題が解決して、また新たに問題が浮上する。降り積もる雪のように、キリがない。