「あんた、司さんのナンなんすか」
 司くんにも負けないくらいキレイな男の子が、じとっと私を見つめる。
 静かな図書室に、めずらしく訪問者がきた、冬。

 司くんを好き、と自覚してから二ヶ月が経った。けれど、何かが変わったわけではない。私は学校のテストに、模試にと、勉強漬けになっていた。大学進学を目標とする以上、恋に浮かれてばかりもいられないのが現実だった。
 一方の司くんは、なんだか最近、生傷が絶えない。腕に、頬に、おでこに、擦り傷や血がにじんでいた。保健室に行くよううながすも「こんな事で行ってたらキリがない」と一蹴されてしまうのだった。
 そのくせ、私の近くをうろちょろするものだから、私はケガばかりが気になってしまう。
「集中したいときは、図書室に限る……」
 頭の中の司くんを薄めるため、私は図書室にこもる時間も増えたのだった。

 勝手に図書室の暖房を入れる。相変わらずひとりぼっちの静かな図書室は、居心地はいいけれど、前まで感じなかった寂しさも募る。
「だめだ、集中しないと」
 この気持ちは冬のせいだ、と気合を入れ直した。

 なかなかめくられない参考書、凡ミスが続く問題、続かない集中力。テストや模試の疲れが重なっていることも分かっている。
 でも、それ以上に、やっぱり気になってしまうのは司くんのことだった。
「図書室きてもこれじゃあ、もう……」
 冷たい机にコツンとおでこを置いた。
 好きなのに何も分からない。距離も縮まっていない。体育祭のとき、絶対に仲良くなれたと思ったのに、私だけだったのかな。お祭り騒ぎに、司くんも浮かれていただけなのかな。
「私のこと、やっぱり邪魔なのかな……」
 司くんは勉強でも一位になりたいと言った。それは、学年一位の私は邪魔な存在とも言っていたようなものだ。ずっと疎ましく思われていたとしてもおかしくない。優しいだけの司くんでなくなった今、私に冷たくするのも簡単だろう。
 沈んでいく思考に、大きなため息が出た。
「そうだよ、あんた邪魔だよ」
「え?」
「あんた、司さんのナンなんすか」
 気づけば目の前にいた金の長髪が目を引く男の子。お人形さんみたいに造形が整っておりすごい美人さんだ。
 しかし、その顔をゆがませて、不機嫌そうな顔で私を見ている。
「……えと、誰?」
「……一年の美園瑞希(みそのみずき)っす」
 美園くんは乱暴にイスを引くと、私の隣に座った。そして、私を見定めるように、全身にジロジロと視線を滑らせる。
 当たり前だが、一年生に知り合いはいない。どうして私のことを知っているのだろう、と緊張が走った。
「鏡実紅……先輩っすよね」
「うん」
「もう一度聞きますけど、司さんとどういう関係?」
 司くんの友人だろうか。質問の真意は分からないままだったが、司くんとの関係を表す言葉を探した。探してみて、そんなの私が知りたいと思った。
「……クラスメイトだよ」
「ふぅん」
 納得いかないような返事だったが、話は先に進んだ。
「あんたが惚れてるってのはあってる?」
「……そうだね」
「はっ、やっぱり」
 美園君は軽く笑う。釣り合わない、身を引け、と続くかと思いきや、続く言葉は意外なものだった。
「司さんかっこいいもんな。純粋に強いし、怒ると迫力あるし、頭の回転も早くて……」
「美園くんも、司くんが好きなんだ……?」
「好きっていうか……司さんは、オレの憧れなんだよ。司さんがいるからココに来たんだ。
やっと、司さんの視界に入れるくらいの実力はついてきたのに……」
 美園くんは嬉々として語っていた言葉を止め、私をにらんだ。
「あんたが絡んできてから、司さん、なんか変だ」
 キレイな顔でにらまれると、他の生徒とは違う圧を感じた。
 どうしよう、動けない。あぁ、今、私、怯えている。
 美園くんから明確に敵意を感じる。シャーペンを握る手が震える。足が硬直する。彼がどんな人なのか分からない。
 どうやって身を守ろうか考えていると、美園くんのスマホが鳴った。
「…………チッ……」
 すぐに電話を切り立ち上がる。私は、助かった、と密かに胸をなでおろす。
 美園くんは私の顔を覗き込むと、得意気に言う。
「知らないならかわいそうだから、教えてあげるよ先輩。
司さん、彼女いるからね」
「あ……」
 知らなかったんじゃない。私、忘れてた。


 一晩明けても、美園くんの言葉が頭から離れないまま、家を出る時間になった。
「実紅、最近がんばりすぎじゃないか?」
「えー? だーいじょうぶだよ、お父さん。三年生になったら、もっとがんばらなくちゃ」
「実紅ががんばりたいなら応援する。でも、無理だけはしないでくれな?」
「うん、ありがと」
 ひとり親で裕福な家庭ではないのに、進学が叶ったのはお父さんのおかげだ。私が大学進学を希望するのも、大学を出た方が社会人になったときの選択肢が増えると思ったから。
 青春だ、恋だ、と浮かれるのは間違っていたんだ。

 二年四組の前には、人だかりができていた。野次を飛ばす外野を避けて教室に入ると、司くんが一人の男子生徒と掴み合っていた。
 司くんの、強く握られたこぶしは、相手を殴ったせいで赤くなっている。二人とも制服が乱れていたが、もう司くんしか手をあげていない。
「弱いなぁ、お前」
 そう言い捨てると、掴んでいた男子生徒のYシャツをパッと話した。
 ケンカに勝ったのは司くんだ。けれど、ケガの数は同じくらいに見えた。横目で司くんの様子をうかがいながら席に着く。
 心配だった。聞きたいこともたくさんあった。
 痛くないの? ケンカの理由は何? 今日こそ保健室に行ってくれない?
 言葉はあふれるのに、声にならない。いや、私が心配するなんて身の程知らずだったのだ。それは、彼女の役割だったに違いない。
 そっと、司くんの机に絆創膏を置いた。私の気持ちがバレないように。司くんは何も言わなかった。

 冬休みも目前となり、冬は深みを増していく。
 司くんとは相変わらずだ。これ以上、私の気持ちが大きくならないように、恋心が雪に埋もれることを願った。苦しくないと言ったらウソになる。
 図書室での勉強を終え、帰路につくと分厚い雲が空を覆っていた。気分が沈むな、と思いながら見上げていると、女の子の声がした。
「ねぇ、あなた鏡さん?」
「……は、はい。そうですけど……」
 校門に寄りかかっていたその子は、お尻まで隠れるダッフルコートを着ていた。吐いた息が白い。
 長く伸びた髪がゆるやかに巻かれ、時折、冷たい風に揺らされている。ダッフルコートの下からちらりと見えたスカートは他校のものだった。
「そっか。どうしよっかな」
「えっと……用件は……?」
「ごめん、とりあえず一発殴りたい」
「は?」
 ぶん、と大きく開いた右手を振りかぶる女の子。やけに冷静な頭で「これがビンタか」なんて思いつつ、私は防衛本能でギュッと目をつむった。
 しかし、いくら待っても手のひらは頬に当たらない。恐る恐る目を開けると、息を切らした司くんが、女の子の右手を掴んでいた。
「つか……」
「司!? なんでいるのよ!」
「こっちのセリフだよ! 他校でケンカふっかけるな!」
「だって……」
 私など眼中にないまま、二人の会話は続いていた。司くんが興奮気味の女の子をなだめた。女の子が落ち着くと、司くんが私に言った。
「君は……一人で帰れるよね」
 言い残して女の子の肩を抱いて去っていった。女の子はきゅっと可愛く自分の腕を司くんの腕に絡ませている。
「あ、彼女、か……そっか」
 緊張がとけて、思わずアスファルトにへたり込んだ。
 殴られそうだったのは、被害者は、私なのに、司くんは彼女の肩を持った。それがとっても悲しくて、悔しかった。
「寒いなあ」
 冷えたアスファルトのせい? いつもより強い風のせい? ひとりぼっちなせい?
 ボロボロの心に寒さが沁みて、アスファルトに涙が落ちた。