季節は十月に入り、夏の香りを残しつつ、風は冬を迎え入れる準備をしているようだった。それでもまだ、太陽は元気に私たちを照らしている。
 体育祭、勝負事が好きなヤンキー生徒たちにとっては一番盛り上がる学校行事だ。反対に、ぼっちで黙々と勉強をしてきた私にとっては少し苦痛でもある。
「今日はケンカはなし。正々堂々、競技で勝負だ」
 他の学校ではまず聞かないであろう宣誓の言葉に、生徒たちは「オオー!!」と雄たけびをあげた。

「えっと、次の競技は……」
 晴天の元で始まった体育祭だが、私は私で忙しかった。というのも、参加競技は一つだが、体育祭の実行委員でもあるため準備に放送にと仕事は絶えない。
 実行委員は学級委員長が自動的に選ばれる。つまり、四組の実行委員は私と白雪くんだ。
「カラーコーンを……あっちか」
「おい」
「あ、白雪くん。ごめん、バトン運んでくれない?」
「……司」
「え?」
 白雪くんは不機嫌そうな顔で、私からカラーコーンを奪った。
「名前で呼んでって言わなかったけ?」
「う……そうだけど、なんか」
 仲のいい男友達でも、苗字にくん付けはめずらしくない。そもそも、私と白雪くんは仲がいいのだろうか。
 白組の目印である白い帽子をかぶった白雪くんが無言で見つめてくる。圧力と羞恥を感じ私はもぞっと口を開いた。
「司、くん」
「ふふ、」
「……なんで笑うの!」
 手持ち無沙汰になった私は、カラーコーンを並べる司くんの後を追った。しれっとバトンも持ってきている。別に、足を擦りむいたくらいでどうってことないのに。
「しら……司くん、手伝うよ」
「ケガ人は座ってて」
 そうは言われても急に仕事がなくなるのは困る。クラスの席に戻ってもやることはないのだし。
「あのさ、どうして『白雪くん』て呼ばれるの、いやなの?」
 ふとした疑問だった。しかし、司くんは「なんでって……」と言葉に詰まった。
「どっかのお姫様みたいで、弱そう、だから」
 予想外に子どもっぽい理由に、ちょっとだけ可愛いと思ってしまったのはナイショだ。司くんも自覚があるのか、耳が赤くなっている。
「司くん、キレイだからピッタリの苗字だと思うけどなあ」
「キレイって、男に言うか?」
 カラーコーンを全て並び終え、第一走者にバトンを渡していく。その時、友達らしき人たちに「司、顔赤くね?」と、いちいちからかわれる司くんが可愛かったのもナイショだ。

 午前の部、最後の競技は二人三脚だ。あれから練習を重ね、スピードは私に合わせてもらうことになった。まぁ、司くんには申し訳ないが、それ以外の選択肢はなかったのだ。
 ペアを変えるよう説得しても首を縦には振らなかった。「他の奴だと気を遣うから」の一点張りだ。
 四組からは、今まで一切話してこなかった生徒からも声援が聞こえる。応援の他にも「女の子いんじゃん!」という浮かれた声も聞こえたような聞こえなかったような。
「緊張してるのか?」
「するでしょ……普段、目立たないようにしてるのに、全校生徒の前にいるんだもん」
「それもそうか。でも、練習通りにやれば大丈夫」
 その言葉がガチガチだった体をやんわりとほぐしてくれた。いや、司くんの含みの無い笑顔に癒されたのかもしれない。
「いくぞ」
 パァン、とスタートの合図が鳴り、五組が一斉に走り出す。いきなりタイミングが合わずにスタートを失敗する組、途中で紐がほどけた組、言い争いが始まった組……私たちは「いち、に、いち、に」とテンポを崩さずに進んだ。
 後半になると、他の組の様子を気にする余裕はなかった。司くんの声に合わせ、ゆっくりながらも走り続けると、はるか遠くに思えたゴールテープは私と司くんが破っていた。
「一位は、四組! 白雪、鏡ペア!」
 実行委員のアナウンスで、グラウンドはわぁっとさらに盛り上がった。
「はぁ、はぁ……司くん、やっ」
「よくやった、実紅!」
「えぇ!? まってまって!」
 司くんが私に抱き着いた。おもちゃを貰った子どものようにキャッキャッとはしゃいでいる。足首は結ばれたままなので、下手に動くとバランスを崩して倒れそうだった。私は必然的に司くんの体操服をギュッと掴むことになり、離れたくても離れられない。
「つ、つかさく……」
「頑張ったな」
 耳元にそう言い残すと、司くんの体は離れてしまった。嬉しそうに目を細める姿にドキッとしたのは、さっきまで走っていたせいだろうか。


 昼休み、私はすばやく図書室へと身を隠した。ここで飲食をしていいのかは不明だが、今日だけは許してください。司くんとのハグは、もちろん全校生徒に見られており、他の生徒の目が痛いのだ。
「ていうか、実紅って呼んでくれたよね……」
 今日もお父さんのお弁当は美味しい。なのに、胸がいっぱいで箸が進まなかった。
「あ、やっぱりここにいた」
「へ……司くん?」
 開けっ放しの窓を乗り越え、司くんがこちらに歩いて来た。
「なんで分かったの?」
「さぁね」
「あ! ねえ!」
「……うるさい」
 ぶにゅ、と頬を挟まれて、上手く話せない。今日の司くん、なんだかテンションが高いな。他の生徒とは違う、なんて勝手に思っていたけれど、司くんも高校二年生で、体育祭とかちゃんと楽しみにしているタイプなんだ。
「静かに質問してくれる?」
「さっき、実紅って呼んでくれた、よね?」
「うん。イヤ?」
「……イヤじゃ、ない」
 むしろ嬉しかった、とは言わないでおいた。いや、恥ずかしくて言えなかった。菓子パンを頬張る司くんを見ていると、やっぱり私のお腹は空かないのだった。


 午後の部も後半戦へと差し掛かった。次の競技は、借り物競争だ。
 司くんは何を引くんだろう、と実行委員のテントから見守る。
「始まりました! 三学年合同の借り物競争です! 借り物のお題は、『赤』と『青』の二つの紙を引いてできた物や人になります!」
 赤には物や人物、青にはオマケの課題が書かれている。グラウンドからは「連れてきた三学年と、じゃんけんで三勝するまでゴール禁止!?」「メガネを、ドリブルしながらゴール? 無理だろ!!」となかなかの盛り上がりを見せている。
 司くんは、黙って二枚の紙を見つめていた。いったい、どんな無理難題を引き当てたのかとハラハラする。
「え、えぇと……二年四組の白雪司が、実行委員の方に向かってきます!」
 司くんは難しい顔をして、グラウンドに背を向けずんずんとこちらに向かってきた。
 おかしいな、私と目が合った気がする……。
「実紅」
「……はい」
 目の前に立った司くんは、大きく深呼吸をする。すると、覚悟を決めたように私の腕を引いた。
「わっ」
 立ち上がった私の肩と太ももに手が添えられると、グンと上に持ち上げられた。
「よし、まだ誰もゴールしてないな」
「え、このまま行くの!?」
 近くにいた先生が、おお、と小さく感動していた。
 じゃなくて、止めてほしい!
「仕方ないだろ、お題が『自分より弱いやつを、お姫様抱っこしてゴール』なんだから」
「間違ってないけどさぁ……」
 恥ずかしくないの!?
 抗議したい気持ちを抑えて、走り出した司くんの首へと腕を回す。想像以上に近くて頭が沸騰しそうだ。
 汗臭くないかな、重たいよね、誰がこんなの書いたの、と思考がグルグルと回っていた。
「司くん、ごめん、重たいよね」
「あぁ、めちゃくちゃ重い」
「め、めちゃ……!?」
「ふっ、ウソだよ。軽すぎる」
 色白で細身の体からは想像できないくらい、たくましい一面にドキドキと心臓がうるさい。赤い顔が見えないように、そっと司くんの首筋に頭を寄せた。
 ゴールがもっと遠くだったらいいのに、なんて思いながら。


「全部一位だったね」
「当たり前だろ」
 グラウンドには、片付けをする実行委員と先生だけが残っていた。
 体育祭は白組の勝利。四組は、二年生でも優勝した。けれど、私は借り物競争の後からあまり記憶がない。リレーも司くんが活躍したはずだけど、夢をみているかのようにあいまいだ。
「学校のトップになりたいんだ。体育祭だって、勝ちにいかないでどうする」
「へぇ……」
「なに?」
「いや、勝ち負けとか関係なく、純粋に楽しそうに見えたけどなあって」
 図星だったのか、司くんは乱暴に私の頭を撫でた。

「ここでトップになった人って『人気と権力を得る』ってウワサだけど
司くんは、トップになってどうしたいの?」
「そうだな……人気は他人の評価だから俺にはどうもできないけど……」
 司くんは「権力か、」と続けて、しばらく沈黙を守った。
 私も頭を働かせてみる。
 ヤンキー高校で権力を持つなら『気に入らないやつをパシリに任命する』とか『授業をサボっても怒られなくする』とか『ケンカの相手に選ばれたら拒否できないようにする』とか?
 しかし、司くんの答えは意外なものだった。
「弱いやつばっか相手にして、強くなった気でいる生徒を退学にするかな」
「……なんか、平和的? だね?」
「変?」
「いいと思うけど」
 気に入らない生徒を退学、なら分かるけれど、ようは卑怯な生徒を辞めさせたいということだろう。
 ……平和、ではないのかもしれない。でも、いくら想像しても出てこない答えだった。やっぱり、司くんはその手でどれだけケンカを重ねていても、本当は優しい人なんじゃないかと思ってしまう。
 しかし、この言葉の真意を、私はまだ半分も分かっていなかった。

「ケンカの実力だけじゃない。運動も、勉強も、とれるもの全部トップ目指してる」
「なんで?」
「その方がカッコつくだろ」
 傾いてきた太陽が優しく司くんを照らす。もしかしたら、司くんだけじゃない他の生徒も、ただケンカをしたくて来てるんじゃないのかも。みんな目指す理想像があるのかもしれない。
「……でも、勉強は私が一位だよね?」
「だから、そのうち俺がとるから」
「いいけど……『自分より弱いやつ』ってお題ダメじゃない? 私、司くんより上だし」
「は? 亀みたいな二人三脚してたやつが俺より強いわけないだろ」
「そ、それは、司くんもペアなんだから一緒じゃん!」
「君ねぇ……あわせてやったんだから、感謝して」
 捨て台詞のように言い放つと、司くんは別の場所へ手伝いに行ってしまった。
 司くんは『王子様』ではなかったけれど、こっちの顔を知らなかったらこんなに仲良くなれなかっただろう。

 私、今の司くんが好きなんだ。