今年の夏も猛暑になりそうな気配がする六月。講義が終わったという実紅と駅で待ち合わせて、久しぶりにデートをすることになった。
地下鉄の改札から出てきた実紅と手を繋いで、駅ビルへと移動する。
「どこ行きたい?」
「暑いからお茶にしたい!」
喫茶店に入り、アイスティーを二つ注文した。実紅は額に汗をにじませている。
「もしかして走ってきた?」
「え!? え、と、うん」
恥ずかしそうに少しうつむくと「だって一ヶ月ぶりだもん」と可愛いことを言ってくれる。
実紅は大学、俺は仕事が忙しく、会う時間を作ることが難しい。それでも、こまめに連絡を取り合っている。実紅が心配するから、というのは建前で、本当は俺のことを考える時間を増やしてほしいからだった。
大学に入ってからの実紅は本当に楽しそうだ。高校ではできなかった友達と出会ったり、好きな分野の勉強に没頭したりと、下手したら俺を忘れてしまいそうだった。
まあ、俺の心配のしすぎではあるのだけれど。
俺の元へ走ってきてくれる実紅に対し、もう少し信用しないとな、と反省した。
「大学は人生の夏休み」なんてフレーズを聞いたことある。しかし、実紅を見ているとそうでもないようだ。
一、二年生のうちに取れる必修科目は取って、卒業に必要な単位も計算して講義を選び、いわゆる時間割は自分で作成することになる。楽しようと思えばいくらでもできるが、三、四年生は研究に時間を費やすため、なるべく一、二年生で単位を取っておくのが一般的だと説明してくれた。
今日は唯一、実紅のスケジュールにゆとりのある曜日。そして、俺の休みが被ったことでようやくデートができたのだ。
一時間も話していればティータイムの雰囲気からディナーに変わっていくのを感じる。夜は別のお店を予約しているので、会計を済ませて店を出た。
「司くんの仕事は順調?」
「どうだろ……まだ見習いの中でも下っ端だよ」
歩きなれた道を進むと、看板が見えた。ちょうどディナーの営業が始まったところだ。
扉を開くと、聞きなれた声が出迎えてくれる。
「お~! 実紅、司くんいらっしゃい」
「お父さん、ただいま! お腹すいたよー」
「ははは、二人とも座って」
実紅のお父さんに迎え入れてもらい、二人で席につく。メニューを眺めていると、厨房から声がかかった。
「司来てるなー。忙しくなるから、お前も厨房入れ!」
「えぇ……今日、休みんだけど?」
先輩とのやり取りを見ていた実紅は、楽しそうに笑っていた。
「ふふ、司くんがタジタジなの、見慣れないなあ」
デートは久しぶりだけど、実のところ顔を見るだけならほぼ毎日なのだ。これでも寂しいなんて弱音は吐けない。今日は久しぶりに実紅の笑顔がたくさん見れて幸せだ。
高校を卒業したら、ケンカやスポーツの道を極める者は多い。アングラな仕事でなくても、ボクサーとか格闘技なんかにスカウトされることもある。特に、トップになった生徒は一生、自身の強さを極める道を選ぶことがほとんどだ。
しかし、俺は皇前のトップになったことで、自分が得た強さの証明ができた。それがゴールだった。
進学するつもりはなかったので、就職先を探していた。なりたいものはなかったけれど、尊敬できる人はいた。
黒羽との最終決戦のあと、殴られた傷もまだ癒えていない、肩も骨折したままで、実紅のお父さんのお店を訪ねた。お父さんは、ひどく顔をしかめていたが俺を店内に通し、椅子に座らせた。
「……白雪くん、どうしたの?」
「おと……えっと、てん、店長、に話があって来ました」
「ふふふ、なんだろう」
俺は黒羽との戦いがあったこと、そこで負った傷だったことを伝えた。実紅のお父さんは、うんうんと穏やかに話を聞いてくれたものだから、皇前に来た理由まで話していた。
「……そうか、本当に強いんだな白雪くん」
「ありがとうございます」
「僕は、今の話を聞いて『ムダなケンカ』だったとは思わない。
素直に、おめでとう」
俺はまた、「ありがとうございます」とくり返した。そして、本題に入った。
「以前、『ご飯ならいつでも食べに来ていい』と言ってくれましたよね」
「あぁ、言ったね」
「それって、俺がここでご飯を『作る』のはダメですか」
誰かに何か教えを乞うのなら、この人がいいと思っていた。
実紅のお父さんは驚いた顔をした後、遠回りでしか伝えられなかった俺の言葉を受け止めてくれた。
「こう見えて、料理には厳しいよ? 大丈夫?」
「はい……!」
俺は「よろしくお願いします」と頭を下げた。皇前の生徒が見たら、特に美園なんかは「ダサい」と幻滅するだろうか。でも、俺はこの選択に納得していた。
実紅には、卒業式でも話さなかったので、はじめて店で会ったときはひどく驚かれた。
まあ、その反応が見たくて言わなかったんだけど。
テーブルにパスタが運ばれてきた。店内のライトに照らされて、実紅の胸元ではネックレスが光っている。
このネックレスを見ると、いまだに思い出す高校の思い出がある。はじめて実紅の家に行ったときのことだ。理性の糸が切れて、いやがる実紅を押し倒していた。
俺が冷静になれたのは、このネックレスが目に入ったからだった。俺にとっては、あの部屋に実紅のお母さんが突撃してきたのと同じだった。実紅には怖い思いをさせてしまって反省しているのと同時に、実紅を守っているのは俺一人じゃないことも分かった出来事だった。
ネックレスの飾りは、あの頃から少し変わっている。三つの名前の入ったタグと、一つの指輪だ。
指輪は初任給で俺がプレゼントしたものだ。実紅に変な虫がつかないように、との気持ちで贈ったが「まだ着けるのは恥ずかしい」と指は空のままである。
ちなみに、ペアリングになっている。俺も仕事柄、いつもは着けていられないので、実紅と同じくネックレスに通した。
指輪を見る度に、未来を語った自分の言葉、実紅の言葉を思い出す。
『えっと、司くんは卒業後どうするの?』
『実紅と暮らす』
『……将来、誰かを殴ることも、殴られることもない家族になりたいね』
有言実行してみせるから、あと数年待ってて、実紅。
自然と頬が緩んだ俺に、「幸せだね」と実紅が笑った。
完
地下鉄の改札から出てきた実紅と手を繋いで、駅ビルへと移動する。
「どこ行きたい?」
「暑いからお茶にしたい!」
喫茶店に入り、アイスティーを二つ注文した。実紅は額に汗をにじませている。
「もしかして走ってきた?」
「え!? え、と、うん」
恥ずかしそうに少しうつむくと「だって一ヶ月ぶりだもん」と可愛いことを言ってくれる。
実紅は大学、俺は仕事が忙しく、会う時間を作ることが難しい。それでも、こまめに連絡を取り合っている。実紅が心配するから、というのは建前で、本当は俺のことを考える時間を増やしてほしいからだった。
大学に入ってからの実紅は本当に楽しそうだ。高校ではできなかった友達と出会ったり、好きな分野の勉強に没頭したりと、下手したら俺を忘れてしまいそうだった。
まあ、俺の心配のしすぎではあるのだけれど。
俺の元へ走ってきてくれる実紅に対し、もう少し信用しないとな、と反省した。
「大学は人生の夏休み」なんてフレーズを聞いたことある。しかし、実紅を見ているとそうでもないようだ。
一、二年生のうちに取れる必修科目は取って、卒業に必要な単位も計算して講義を選び、いわゆる時間割は自分で作成することになる。楽しようと思えばいくらでもできるが、三、四年生は研究に時間を費やすため、なるべく一、二年生で単位を取っておくのが一般的だと説明してくれた。
今日は唯一、実紅のスケジュールにゆとりのある曜日。そして、俺の休みが被ったことでようやくデートができたのだ。
一時間も話していればティータイムの雰囲気からディナーに変わっていくのを感じる。夜は別のお店を予約しているので、会計を済ませて店を出た。
「司くんの仕事は順調?」
「どうだろ……まだ見習いの中でも下っ端だよ」
歩きなれた道を進むと、看板が見えた。ちょうどディナーの営業が始まったところだ。
扉を開くと、聞きなれた声が出迎えてくれる。
「お~! 実紅、司くんいらっしゃい」
「お父さん、ただいま! お腹すいたよー」
「ははは、二人とも座って」
実紅のお父さんに迎え入れてもらい、二人で席につく。メニューを眺めていると、厨房から声がかかった。
「司来てるなー。忙しくなるから、お前も厨房入れ!」
「えぇ……今日、休みんだけど?」
先輩とのやり取りを見ていた実紅は、楽しそうに笑っていた。
「ふふ、司くんがタジタジなの、見慣れないなあ」
デートは久しぶりだけど、実のところ顔を見るだけならほぼ毎日なのだ。これでも寂しいなんて弱音は吐けない。今日は久しぶりに実紅の笑顔がたくさん見れて幸せだ。
高校を卒業したら、ケンカやスポーツの道を極める者は多い。アングラな仕事でなくても、ボクサーとか格闘技なんかにスカウトされることもある。特に、トップになった生徒は一生、自身の強さを極める道を選ぶことがほとんどだ。
しかし、俺は皇前のトップになったことで、自分が得た強さの証明ができた。それがゴールだった。
進学するつもりはなかったので、就職先を探していた。なりたいものはなかったけれど、尊敬できる人はいた。
黒羽との最終決戦のあと、殴られた傷もまだ癒えていない、肩も骨折したままで、実紅のお父さんのお店を訪ねた。お父さんは、ひどく顔をしかめていたが俺を店内に通し、椅子に座らせた。
「……白雪くん、どうしたの?」
「おと……えっと、てん、店長、に話があって来ました」
「ふふふ、なんだろう」
俺は黒羽との戦いがあったこと、そこで負った傷だったことを伝えた。実紅のお父さんは、うんうんと穏やかに話を聞いてくれたものだから、皇前に来た理由まで話していた。
「……そうか、本当に強いんだな白雪くん」
「ありがとうございます」
「僕は、今の話を聞いて『ムダなケンカ』だったとは思わない。
素直に、おめでとう」
俺はまた、「ありがとうございます」とくり返した。そして、本題に入った。
「以前、『ご飯ならいつでも食べに来ていい』と言ってくれましたよね」
「あぁ、言ったね」
「それって、俺がここでご飯を『作る』のはダメですか」
誰かに何か教えを乞うのなら、この人がいいと思っていた。
実紅のお父さんは驚いた顔をした後、遠回りでしか伝えられなかった俺の言葉を受け止めてくれた。
「こう見えて、料理には厳しいよ? 大丈夫?」
「はい……!」
俺は「よろしくお願いします」と頭を下げた。皇前の生徒が見たら、特に美園なんかは「ダサい」と幻滅するだろうか。でも、俺はこの選択に納得していた。
実紅には、卒業式でも話さなかったので、はじめて店で会ったときはひどく驚かれた。
まあ、その反応が見たくて言わなかったんだけど。
テーブルにパスタが運ばれてきた。店内のライトに照らされて、実紅の胸元ではネックレスが光っている。
このネックレスを見ると、いまだに思い出す高校の思い出がある。はじめて実紅の家に行ったときのことだ。理性の糸が切れて、いやがる実紅を押し倒していた。
俺が冷静になれたのは、このネックレスが目に入ったからだった。俺にとっては、あの部屋に実紅のお母さんが突撃してきたのと同じだった。実紅には怖い思いをさせてしまって反省しているのと同時に、実紅を守っているのは俺一人じゃないことも分かった出来事だった。
ネックレスの飾りは、あの頃から少し変わっている。三つの名前の入ったタグと、一つの指輪だ。
指輪は初任給で俺がプレゼントしたものだ。実紅に変な虫がつかないように、との気持ちで贈ったが「まだ着けるのは恥ずかしい」と指は空のままである。
ちなみに、ペアリングになっている。俺も仕事柄、いつもは着けていられないので、実紅と同じくネックレスに通した。
指輪を見る度に、未来を語った自分の言葉、実紅の言葉を思い出す。
『えっと、司くんは卒業後どうするの?』
『実紅と暮らす』
『……将来、誰かを殴ることも、殴られることもない家族になりたいね』
有言実行してみせるから、あと数年待ってて、実紅。
自然と頬が緩んだ俺に、「幸せだね」と実紅が笑った。
完

