街中がキラキラを増すこの時期、手を繋いで歩くカップルも心なしかいつもより多い気がした。塾の帰り、イルミネーションを横目に家へと急ぐ。
今日はクリスマスだけど、司くんからの連絡はない。というか、冬休みに入ってから一度もない。私から連絡もしていない。
司くんがお見舞いに来た日、未遂で終わったとはいえ私はものすごい体験をした。司くんがああなったのは、私のせいでもある。無用心に男の子を部屋にあげてはいけないと勉強になった。
司くんを家に誘ったとき、複雑な面持ちだった理由が今では分かる。
冬休みまでの学校生活は、あからさまに距離を置かれていた。「黒羽とやる前に鍛え直してくる」と言って、司くんは別の生徒とケンカをしてばかりだった。怖がっていた私に気を遣ったのか、今はそばにいたくないのか、その両方か。本当の理由は分からずじまいだ。
私はひっそりと、司くんのケンカの様子を見ていた。五人を相手に、息を乱さず最低限の攻撃で圧勝していた。
もし、司くんに殴られそうになったら私はどう感じるだろう。無理矢理、体を触られるより怖いのだろうか。少なくとも、立花さんや美園くんに襲われたときより、司くんに押し倒されたことの方が怖かったのは確かだ。
「雪だ……」
今年はホワイトクリスマスになるかも、とテレビで天気予報士が言っていたのを思い出す。公園で遊ぶ子どもたちは、嬉しそうに空を見上げていた。
冬は、やっぱり好きになれない。一人になってしまう季節だから。制服の上から、ネックレスに手を当てた。
交差点を渡り、家までの直線路に入ると、家の前に誰かが立っているのが見えた。
配達かな? それにしては、車が見当たらない……
「……え、司くん?」
どんどん白くなる景色の中、赤い髪がはっきり見えた。
思わず走りだすと、司くんが私に気づいて、柔らかく笑った。
「はぁ、はぁ、なんで……」
「……実紅に渡したい物があって」
そう言うと、司くんはカバンから小さな箱を取り出し、私に差し出した。
「開けていいの?」
「うん」
磁石でくっついた蓋を開けると、腕時計が入っていた。シルバーを基調に時計盤は薄いピンクになっている。サプライズに驚いていると、司くんが雪を払いながら話してくれた。
「好きな色が分からなくて、春に着てたワンピースの色に似たのを選んでみた。
受験で時計持ち込めるって聞いたから、よかったら使って」
「……使う、ありがとう」
泣きそうになった私の頭を、司くんが優しく撫でてくれた。
「受験、がんばって」
「うん。私、何も用意してなくて、ごめん」
「いいよ。去年、実紅から告白してくれたお礼も兼ねてるから。
付き合って一年の記念日は、受験で忙しいだろうし」
そうだ、来月で付き合って一年経つのだ。ということは、私は去年も泣いてたのか。思い出して、今、目の前に司くんがいる幸せを噛みしめた。
少し話せる? 司くんの問いかけに頷くと、二人で公園に戻った。
「黒羽との最後のタイマンが決まった」
「いつ?」
「実紅がテストを受ける日」
「土日じゃない!?」
「いやぁ、俺も実紅と一緒に戦いたくて。
ダメもとで土曜を提案したら、黒羽はいいよって言ってくれたし」
問題は黒羽くんの予定とかではなく、学校が開いてないことなのだけど……。
常日頃から、塀を飛び越えて登校する生徒もいるくらいだし、土日に学校に忍び込むくらい彼らには簡単なことなのだろう。
「それで、実紅に聞いてほしいことあがって」
司くんのまとう空気が変わった。真剣な表情に本題はこっちだと気づく。
「俺が皇前でトップになりたい理由、知ってほしい」
私は静かにうなずいた。
「俺の両親、父親のDVが原因で離婚してるんだ。
今でも覚えてる。俺が小さい頃から、母さんは俺を守って殴られてた。
中学に上がってすぐ……だったかな、
母さんに手を上げてる父親を、俺がはじめて殴った。
そしたら、そいつ簡単に動かなくなってさ。……ちょっと怖かった。
ずっと、想像してたし枕とか殴って練習もしてた。けど、はじめて人を殴るのは勇気が必要だったよ。
倒れた父親を見てさ、母さんが泣きながら『ありがとう』って言ったんだ。
あー、俺が母さんを救う方法は暴力なんだってわかって、複雑だったけど母さんが喜ぶならいいかって。
結局、その後すぐに離婚して、母さんは精神的に不安定だから実家に帰って、俺は父方のじいちゃんの家に引き取られた。
父親は……どこにいるのか知らない。じいちゃんたちも縁切ったみたいだし。
平和になったし、母さんも徐々に元気になっていったけど、俺はどうしても暴力で解決したことが正しかったのか、分からなくて……。
苦しくて、どうしようもなくなって、じいちゃんに全部話した。そしたら、
『お前の暴力は、人を守るための力だから、自分をあまり責めるな。
だが、どうしても苦しいままなら、守るために強くなった力が一番強いと証明してみろ』
って、なんか予想外のアドバイスされてさ。
じいちゃんから皇前のことを教えてもらって、絶対ここでトップになるって決めたんだ」
司くんは最後に「ま、母さんの前ではこんな姿見せられないけどさ」と付け足した。
「……話してくれて、ありがとう」
「いいえ。こちらこそ、こんな話聞いてくれてありがとう」
まぶたを閉じると、苦悩する幼い日の司くんがありありと浮かんできて、また泣きそうになった。と、同時に、去年の体育祭での言葉を思い出した。
『弱いやつばっか相手にして、強くなった気でいる生徒を退学にするかな』
皇前の生徒に、自分の両親を重ねて見ることがあったのだろうか。司くんを優しくさせるのは、誰かを守りたいと強く思った経験があったからなのだと気づいた。
「……将来、誰かを殴ることも、殴られることもない家族になりたいね」
「それ……プロポーズ?」
「え!? あ、いや、想像の話!」
顔に熱が集まってくる。司くんは、ちょっと嬉しそうに「いいね」とつぶやいた。
でも、司くんが新しい家族を作るとき、変わらず隣にいたいと思うのは本当だ。そんな未来がちゃんと来ると信じたい。
「私、司くんがトップになれるって信じてる」
「うん」
「だから、がんばって」
握った司くんの手は、いつもとは違いひどく凍えていた。「実紅の手、あったかいな」とほころぶ顔。司くんの柔らかい表情を久しぶりに見て、私も安心していた。
「……ところで、実紅」
「ん?」
家まで送る、との司くんの言葉に甘えて家路を二人で歩く。雪はほとんど降ってきていない。
「勉強はちゃんと集中できてる?」
それは、あの日の司くんの行動が邪念になっていないか、という問いだろう。
「だ、大丈夫!」
「……本当に?」
「本当! ほら、塾の小テストも満点!」
カバンから100点と書かれたテスト用紙を見せると、司くんはホッと白い息を吐いた。
あれから二、三日は私も混乱していた。しかし、思い出す方がだんだんと恥ずかしくなり、考えないようにと勉強にのめり込んだ結果、集中して取り組むことができている。
一種の、修行というか瞑想に近いものになっていた。
……こういう事の勉強は、受験が終わってから、いや、大学生になってから? 司くんと一緒にスピードを合わせて知っていきたい。
「じゃあ、また学校で」
「うん、またね」
「あ、待って実紅」
玄関先まで来たところで、司くんが私の手を握った。
「……仲直りのキスだけ、していい?」
「へへ、いいよ」
ローファーの先端に力を入れて、約二十センチ上の司くんに近づいた。少しカサついた唇がひどく愛おしく思える。
今日はクリスマスだけど、司くんからの連絡はない。というか、冬休みに入ってから一度もない。私から連絡もしていない。
司くんがお見舞いに来た日、未遂で終わったとはいえ私はものすごい体験をした。司くんがああなったのは、私のせいでもある。無用心に男の子を部屋にあげてはいけないと勉強になった。
司くんを家に誘ったとき、複雑な面持ちだった理由が今では分かる。
冬休みまでの学校生活は、あからさまに距離を置かれていた。「黒羽とやる前に鍛え直してくる」と言って、司くんは別の生徒とケンカをしてばかりだった。怖がっていた私に気を遣ったのか、今はそばにいたくないのか、その両方か。本当の理由は分からずじまいだ。
私はひっそりと、司くんのケンカの様子を見ていた。五人を相手に、息を乱さず最低限の攻撃で圧勝していた。
もし、司くんに殴られそうになったら私はどう感じるだろう。無理矢理、体を触られるより怖いのだろうか。少なくとも、立花さんや美園くんに襲われたときより、司くんに押し倒されたことの方が怖かったのは確かだ。
「雪だ……」
今年はホワイトクリスマスになるかも、とテレビで天気予報士が言っていたのを思い出す。公園で遊ぶ子どもたちは、嬉しそうに空を見上げていた。
冬は、やっぱり好きになれない。一人になってしまう季節だから。制服の上から、ネックレスに手を当てた。
交差点を渡り、家までの直線路に入ると、家の前に誰かが立っているのが見えた。
配達かな? それにしては、車が見当たらない……
「……え、司くん?」
どんどん白くなる景色の中、赤い髪がはっきり見えた。
思わず走りだすと、司くんが私に気づいて、柔らかく笑った。
「はぁ、はぁ、なんで……」
「……実紅に渡したい物があって」
そう言うと、司くんはカバンから小さな箱を取り出し、私に差し出した。
「開けていいの?」
「うん」
磁石でくっついた蓋を開けると、腕時計が入っていた。シルバーを基調に時計盤は薄いピンクになっている。サプライズに驚いていると、司くんが雪を払いながら話してくれた。
「好きな色が分からなくて、春に着てたワンピースの色に似たのを選んでみた。
受験で時計持ち込めるって聞いたから、よかったら使って」
「……使う、ありがとう」
泣きそうになった私の頭を、司くんが優しく撫でてくれた。
「受験、がんばって」
「うん。私、何も用意してなくて、ごめん」
「いいよ。去年、実紅から告白してくれたお礼も兼ねてるから。
付き合って一年の記念日は、受験で忙しいだろうし」
そうだ、来月で付き合って一年経つのだ。ということは、私は去年も泣いてたのか。思い出して、今、目の前に司くんがいる幸せを噛みしめた。
少し話せる? 司くんの問いかけに頷くと、二人で公園に戻った。
「黒羽との最後のタイマンが決まった」
「いつ?」
「実紅がテストを受ける日」
「土日じゃない!?」
「いやぁ、俺も実紅と一緒に戦いたくて。
ダメもとで土曜を提案したら、黒羽はいいよって言ってくれたし」
問題は黒羽くんの予定とかではなく、学校が開いてないことなのだけど……。
常日頃から、塀を飛び越えて登校する生徒もいるくらいだし、土日に学校に忍び込むくらい彼らには簡単なことなのだろう。
「それで、実紅に聞いてほしいことあがって」
司くんのまとう空気が変わった。真剣な表情に本題はこっちだと気づく。
「俺が皇前でトップになりたい理由、知ってほしい」
私は静かにうなずいた。
「俺の両親、父親のDVが原因で離婚してるんだ。
今でも覚えてる。俺が小さい頃から、母さんは俺を守って殴られてた。
中学に上がってすぐ……だったかな、
母さんに手を上げてる父親を、俺がはじめて殴った。
そしたら、そいつ簡単に動かなくなってさ。……ちょっと怖かった。
ずっと、想像してたし枕とか殴って練習もしてた。けど、はじめて人を殴るのは勇気が必要だったよ。
倒れた父親を見てさ、母さんが泣きながら『ありがとう』って言ったんだ。
あー、俺が母さんを救う方法は暴力なんだってわかって、複雑だったけど母さんが喜ぶならいいかって。
結局、その後すぐに離婚して、母さんは精神的に不安定だから実家に帰って、俺は父方のじいちゃんの家に引き取られた。
父親は……どこにいるのか知らない。じいちゃんたちも縁切ったみたいだし。
平和になったし、母さんも徐々に元気になっていったけど、俺はどうしても暴力で解決したことが正しかったのか、分からなくて……。
苦しくて、どうしようもなくなって、じいちゃんに全部話した。そしたら、
『お前の暴力は、人を守るための力だから、自分をあまり責めるな。
だが、どうしても苦しいままなら、守るために強くなった力が一番強いと証明してみろ』
って、なんか予想外のアドバイスされてさ。
じいちゃんから皇前のことを教えてもらって、絶対ここでトップになるって決めたんだ」
司くんは最後に「ま、母さんの前ではこんな姿見せられないけどさ」と付け足した。
「……話してくれて、ありがとう」
「いいえ。こちらこそ、こんな話聞いてくれてありがとう」
まぶたを閉じると、苦悩する幼い日の司くんがありありと浮かんできて、また泣きそうになった。と、同時に、去年の体育祭での言葉を思い出した。
『弱いやつばっか相手にして、強くなった気でいる生徒を退学にするかな』
皇前の生徒に、自分の両親を重ねて見ることがあったのだろうか。司くんを優しくさせるのは、誰かを守りたいと強く思った経験があったからなのだと気づいた。
「……将来、誰かを殴ることも、殴られることもない家族になりたいね」
「それ……プロポーズ?」
「え!? あ、いや、想像の話!」
顔に熱が集まってくる。司くんは、ちょっと嬉しそうに「いいね」とつぶやいた。
でも、司くんが新しい家族を作るとき、変わらず隣にいたいと思うのは本当だ。そんな未来がちゃんと来ると信じたい。
「私、司くんがトップになれるって信じてる」
「うん」
「だから、がんばって」
握った司くんの手は、いつもとは違いひどく凍えていた。「実紅の手、あったかいな」とほころぶ顔。司くんの柔らかい表情を久しぶりに見て、私も安心していた。
「……ところで、実紅」
「ん?」
家まで送る、との司くんの言葉に甘えて家路を二人で歩く。雪はほとんど降ってきていない。
「勉強はちゃんと集中できてる?」
それは、あの日の司くんの行動が邪念になっていないか、という問いだろう。
「だ、大丈夫!」
「……本当に?」
「本当! ほら、塾の小テストも満点!」
カバンから100点と書かれたテスト用紙を見せると、司くんはホッと白い息を吐いた。
あれから二、三日は私も混乱していた。しかし、思い出す方がだんだんと恥ずかしくなり、考えないようにと勉強にのめり込んだ結果、集中して取り組むことができている。
一種の、修行というか瞑想に近いものになっていた。
……こういう事の勉強は、受験が終わってから、いや、大学生になってから? 司くんと一緒にスピードを合わせて知っていきたい。
「じゃあ、また学校で」
「うん、またね」
「あ、待って実紅」
玄関先まで来たところで、司くんが私の手を握った。
「……仲直りのキスだけ、していい?」
「へへ、いいよ」
ローファーの先端に力を入れて、約二十センチ上の司くんに近づいた。少しカサついた唇がひどく愛おしく思える。

