御曹司は優しい 音色に溶かされる

一番評判がよかったのは音楽だった。

音楽プロデューサーとしてのジョシュの
名声もあがり、作曲家としてのゆりえの
名前も知れ渡っていった。

たった一つのミュージカルの成功が
こんなにも人々の人生を変えて行く
ものなのかと、ゆりえは驚くばかりだった。

主演女優はそのあと活躍の場を映画にも
広げていった。

ゆりえは、その後ボストンに戻り6月に
学校を卒業した。

ジョシュはミュージカルの成功でその後も
忙しく、ニューヨークに居を構えた。

とても広いフラットに住んでいるので
ゆりえと久美子をニューヨークに呼んで
しばらくフラットに住まわせてくれた。

久美子とゆりえはマンハッタンの
ジャズクラブにジャズを聴きに行ったり
もちろんミュージカルも沢山楽しんだ。

ジョシュはまた新しい仕事が入り、今度は
映画らしいのでロスに何度か打ち合わせに
行っていた。

ゆりえにテレビCMの作曲の依頼が
来たのだが、ジョシュの家にはピアノが
ないので思うようにできなかった。

スタジオを何日か借りて何とか曲を
作ったのだ。

すると今度はジョシュから映画音楽の
メインの曲の作曲の依頼もあったりして、
ゆりえは今後の自分の仕事としての作曲家
というポジションに向き合うことになった。

アメリカで本腰を据えて作曲家として
やっていくのか、日本に帰ってピアノを
教えたりジャズバンドを久美子と組んで
活動するのか、日本で作曲という仕事を
やってもいい。

ゆりえは贅沢な選択に迫られていた。

二年前日本から逃げるようにやって来た
ボストンでただ音楽の勉強ができる事が
嬉しかった。

そしてボストンでの日々が、心の傷を
癒してくれた今音楽を仕事として
やっていけることになり、戸惑うゆりえ
だったが、これからは一人で生きて
ゆかなくてはいけないのだ。

その生活の手段として音楽があるのなら
願ってもないことだ。