「親父は外出中だ。残念だったな。言っておくが親父もさすがにもう手を引くと言っていた。沙也加は四面楚歌だ」

 沙也加は怒ってガラガラとスーツケースを引いて部屋を出て行った。

「……兄さん……」

「まあ、座れよ」

 僕は兄の前に座った。

「お前といつになったら和解できるのか、正直親父と俺は悩んでた。俺は親父を憎みたかったよ。母さんが俺から遠ざかったのも親父のせいだ」

 兄のこんな愚痴話は初めて聞いた。

「祐樹。今まで色々悪かったな。俺は能力だけじゃなく、やる気もあるお前にここを継いでもらった方がどれだけよかったか、今でも親父に反抗できなかった自分を後悔してる。本当は俺が辞退したかった。お前の方がこの会社を愛していたと思うからだよ」

「兄貴……」

「お前が家から逃げるように出て行ったのはしょうがないが、俺は母さんだけじゃなく、たったひとりの弟も失うのだけは嫌だった。昔は仲が良かっただろ。全部親父のせいだ」

「いや、兄さん。僕も大人げなかったよ。今思うと申し訳ない。そんな風に思ってくれているなんて気がつかなかった。母さんのことは独占しているようで心苦しくもあった」

「俺がお前の立場でもきっとつらかったと思う。お前が壊れそうになっているのを見る度、何度も迷った。こんなことやめようと親父に言おうと思ったんだ。でも昔からお前に劣等感があって、父さんに褒められると煽られて流されてしまった。本当に後悔してる」

「兄さん……」

「祐樹。あちらに移る話も佐伯の叔父から聞いているが、父さんもそう遠くなく名誉職に代わると思う。お前があちらを引き継ぐことになれば、本格的に提携や資本統合を目指してもいいと思っている」

「兄さん、気持ちは分かったがそのことはまだ口に出すな」

「ああ。それと本山さんのことだが、近いうち皆で会おう。あちらのご両親も含めてご挨拶しよう。そうじゃないと彼女が可哀そうだ。秘密裏の結婚なんて、あちらの両親からしたら娘を取引のカタに取られていると勘違いされるぞ」

「それはない。僕らが両想いなのはよくご存じだ。でも周囲に理解してもらうには、結婚公表はコンペが終わってからにしようと思っている。先に入籍したのは彼女を誰にも取られたくない僕のエゴだ」