「お…さん……蒼井さん」
 授業中にも関わらず、自分の席で船を漕いでしまっていた私を起こしたのは、隣の席の紅音くん。


「次、蒼井さんだよ。ここのページの五行目」
紅音(あかね)くんは、開いている国語の教科書の左にあるページを指差した。
 私は、彼のお陰でやり過ごす事ができた。


「紅音くんのおかげで助かりました」
 座った状態なので会釈くらいしか出来なかったけれど。

 言い訳をするならば、こうだ。
昼ご飯を食べた後に受ける最初の授業で、国語教師のゆったりとした声も相まって、つい眠くなってしまった。

「よかった」
 優しい笑みをこちらへ向けてくれた。

 ホームルームも終わると紅音くんはすぐにどこかへ行ってしまった。

「紅音くんって、休み時間とか放課後は何してるんだろう。すぐどっか行っちゃうよね」
 周りのクラスメイト、というか数少ない周りの女子生徒が帰り支度を整えながらそんな会話を繰り広げていた。
休み時間はわからないけれど、放課後は塾とかに通っているのだろうか?

 私は図書室へ行ってから帰ろうと、偶にしか行かない別の校舎へと足を踏み入れた。
どうやら、それが間違えだったらしい。

 図書室ではなかったが声が聞こえてきたのだ。何らかの部室として使われているのならば問題ない。

「で? うちの(かしら)に怪我させたこと、どう落とし前つけるわけ?」
 
 怪我させたということは、声を掛けられている方にも非があるのだろう。
「よせ、千翔(ちか)。このくらいどうってことない」
額に包帯を巻いた黒髪の男子生徒からそう呼ばれたのは、いつもと違う紅音くんだった。

「けど……」



「ねぇ君って何年生? 先輩? あんまりココ、近付かないほうがいいよ」
その空き教室へ入ろうとしていた金髪の男の子に声をかけられてた。

「あの、紅音くんって……」
 うちが元々はヤンキー高校だったことは知っていたが、まさか紅音くんまでそうだったなんて。

「あぁ、紅音先輩の同級生ですか?」

「あ、そうです」
 ぎこちなく返事をすると、更に衝撃的な言葉が帰ってきた。

「うちの番長……いや、"裏番"かな。」

紅音くんが裏では番長だなんて、正直信じられなかった。
「けどで、表番長の黒木(くろき)先輩……あ、あの黒髪の人なんだけど。あの人の事になると手つけられなくなっちゃうんだよね」

などと金髪の子は続けてくれたけれど、私にとってはそれどころではない。

 だって、イマドキのヤンキーってあんなに真面目に授業受けるの!?

私は、架空の作品でだって、真面目に授業を受けてるヤンキーを見たことはないから。

そういうのは更生してからだと思っていた。

「ヤンキーの割に真面目に授業受けてますね……」
 何を言えばいいのやらわからなくなって、ついそんなことを口に出してしまった。

「紅音先輩は俺にも言ってくるんだよ〜! 勉強しといて損はないって。けど、数学とかどこで使うの?って思うよね」

「あ、お会計とかの時に使えるやつは使えるけど」
と続けた。

「いつまで喋ってるんだ黄咲(きざき)、聞こえてるぞ」

未だに私が混乱していると、渦中の人である紅音くんが例の教室から出てきてしまった。

こちらに気付いた紅音くんは、いつもの笑顔を貼り付けて言った。
「蒼井さん、この事は誰にも言わないでね」

なんか、逆に怖い。
『言わないで』と言われたことよりも、言ったら何をされるのやら分からないために絶対に言えない秘密ができてしまったのだった。

「まぁ他の人も知ってる人はいると思うけどね」
 そんな言葉で、黄咲くんが水を差した。
個人的には、少しホッとしたけれど。

「俺はなるべく隠してる方だわ」
なんて紅音くんが反論していた。