「凛乃せあ。もしかしてだけどさ、あんたってトイレ掃除好きなの?」
個室の中にいたので外の様子はわからなかったが、わざわざ顔を出すまでもなかった。
誰なのかすぐにわかる。
私をフルネームで呼んだのは、同じクラスの親友、紫門美咲だ。
いつものように金色に染めた髪の毛を、頭の天辺でお団子にして、薄くて形の良い唇には棒付きのアメがくわえられているんだろう。
「ンなわけないでしょ! 紫門美咲」
私は便器をタワシでこする。
見事に遅刻したため、罰としてトイレ掃除をする羽目になったというわけだ。
「ヒマなら手伝え!」
「ヤなこった。てか、モーニングコールしたげたでしょ。二度寝したわけ?」
「してない!」
「じゃ、なんで九時過ぎに登校してんのよ」
「それは……」
正義の味方をやってた──なんて話をしたら、呆れられるかな?
「ひょっとして、せあ。通学途中にお婆さんを助けてあげたら、イケメンの孫に求婚されたとか?」
「惜しい! 道に迷ってたイケメンを助けたら、なんと異世界からの転生者だったの。一緒に異世界まで行ってた」
「で、その転生者とヤッてたから遅刻したわけか」
私は慌てて個室から顔を出す。
予想通り美咲はアメをくわえている。
真っ赤なリップを塗った唇の端を持ち上げ、そこから白い棒が飛び出ていた。
「な、な、何言ってんの!? ヤッてないって!」
「真っ赤な顔しちゃって。せあって絶対処女だよね」
「悪かったわね……」
「怒るな怒るな。『王子』のためにとってあるのは知ってるって」
「べ、別にそういうわけじゃ……」
「おーい」
不意にトイレの入り口の方から声がしたので、そちらに視線を向ける。
「ゲッ!」
永久輝旬が入って来るところだった。
私は慌てて個室の中に引っ込む。
「おっと、噂をすればせあの『王子』さまのお出ましか」
「なに? 俺の噂してたの?」
「まあね。せあ、いるよ」
こら!
「てか、ここ女子トイレなの知ってる? 王子さま」
「女子トイレって」
旬はあたりを見回した。
「小便器あるから男子トイレじゃね?」
「去年まではね。宙皇館高校が男子高だったから、トイレのリフォームが間に合ってないのよ」
「なるほど。てか、トイレより先に制服じゃね? 女子だけ私服なんて不公平じゃん」
「いや、私服はこのままでいい。制服は間に合わなくて問題なし」
「で、せあは?」
「そっちの個室」
おもむろにドアが開け放たれる。
「おっ!?」
旬の口がまん丸になるが、すぐに口角が持ち上がるのだった。
「その覆面、『ニャングスター』だな? しかも限定品。手に入れたってわけか」
「お、おっす……」
「で、覆面に合わせて髪の毛も染めてきたってわけか」
「ま、まあね……」
旬が上級生相手に「ニャングスター」の必殺技である「飛びつき式腕十時ニャん子固め」をしているのを見て、「もしや」と思って話しかけた。すると案の定、旬もまた女子プロレスラーのファンであることがわかってい意気投合し、そのまま付き合うことになったというわけだった。
「似合ってるね」
「あ、ありがとう……」
正直、拭き雑な気分だ。
今の私はゴム手袋をしてトイレブラシを持った状態だ。さぞかし間の抜けた顔になっていたことだろうが、せめてそれを隠すために、慌てて覆面を着用しているのだ。
(褒められてる……だよね?)
旬はさわやかな笑顔を作って個室に入って来る。
「精が出ますな。俺の姫様は」
赤みがかった髪に、吊り上がった目。一見すると怖そうだが、今は目を細めているため年齢よりもずっと幼く見える。このギャップにいつもキュンとさせられるのだ。
「な、何か用?」
「ツレないなぁ。彼氏が恋人に会いに来ちゃダメなわけ?」
「悪くないけど……」
「よかった。実は『オハヨ』って言いに来たのと──」
旬は後ろ手でドアを閉める。
「あと、キスしにきた」
「こ、こんなところで!?」
「ダメ?」
旬の唇が迫って来る。鼻先が触れ合うくらいの距離だ。
私はトイレブラシを握りしめる。
「美咲。旬のヤツ見なかったか」
またトイレの外から男子生徒の声がした。
旬はうなだれるように頭をもたげ、私の頭に寄り添って来る。
「なんだよ……いいところだったのに」
旬の手が私の頬に触れる。
「ごめんな。キスはまた後で」
旬はそう言うと個室から顔を出す。続いて私も個室の外を見る。
やって来たのは風城涼だ。
銀色の長い髪の毛をなびかせ、こちらも旬同様、ためらいもなく女子トイレに入って来る。
どこか中性的な雰囲気のある涼は、旬に負けずの劣らず美形男子だ。ところが当人は容姿にコンプレックスがあるらしく、ルックスの話題は禁句らしい。
「ちょっと風白!」
美咲が憮然としている。
どういうわけかこの二人、犬猿の仲なのだ。
「馴れ馴れしく美咲なんて呼ばないでくれる? てか、ここ女子トイレなんだけど!」
「知ってる」
「だったら──」
涼は美咲の頭に手を置く。
「ちょっと、急用なんだ。後でゆっくり相手してやるから待ってろ」
「誰がアンタなんかに!」
怒る美咲を無視して、涼は真っすぐ旬のところにやって来る。どういうわけか表情は険しく曇っている。普段から決してにこやかな表情を浮かべているタイプではないが、それでもこの日はただならぬ雰囲気が醸し出されている気がした。
「どした? 涼」
「どしたじゃねえよ。今朝、亜段駅の近くで花瑞学園の人間がヤラれたらしいぜ」
ん? 亜段駅?
旬の表情がにわかに曇る。
「誰に?」
「噂じゃ、宙皇館の生徒って話だ」
「マジ!?」
「先に言っとくが、俺は面倒なことに巻き込まれるのはごめんだからな」
「なんで俺に言うのさ」
「この宙皇館高校の頭はお前だろ」
「頭って……俺たちはまだ一年なんだけど……」
「今さら下級生ぶっても無駄だ。入学式の時に絡んできた三年を片っ端からぶっ飛ばしたんだからな。それ以来、先輩たちはお前に一目置いてるんだ。つまり事実上、お前がここのトップなんだよ」
「ちょっと風白!」
美咲だ。
「何他人事みたいに言ってんのよ。アンタだって入学式の時に永久輝たちと一緒に三年生を殴ってたじゃない」
「俺は自分に降りかかった火の粉を払っただけだ。手当たり次第にぶっ飛ばしてた旬や『真斗』と一緒にするな」
「何カッコつけてんのよ!」
「事実だ」
涼は旬に向き直る。
「とにかく、花瑞とモメたってことが本当なら一体どういうことになるかわかってるよな?」
「休戦協定が破棄される……」
「そういうことだ」
「あの……」
私がおずおずと手をあげると、全員がこちらを向いた。
「休戦協定って?」
「せあ、知らないの!?」
旬と涼の間から美咲が顔を出す。
「バカたちが無暗にケンカしないようにっていうルールのことよ。そうでしょ? 風白先生」
「そうだ」
美咲の話を引き継ぐように、涼が口を開く。
「宙皇館と花瑞学園は長年抗争を続けてきたんだが、所かまわずやり合うもんだから、中坊や通行人なんかが巻き込まれることも少なくなかった」
そこで、と旬の肩に手を置く。
「コイツが花瑞の頭である三年の天海さんと会って、街中では暴れないよう取り決めをしたんだ。やるなら神社裏の森で両校の立会人を一人ずつ出し、必ずタイマンってな。それが休戦協定だ」
「ケ、ケンカはするんだ……」
「だが、今回のことがきっかけでまた血で血を洗う抗争になりかねない」
「そ、そんな大げさな……」
「いや、大げさどころか、控え目に言ってるつもりだ。何せ花瑞の天海さんは男気がある人だが、融通が利かないところがある。約束を反故にしたってことになれば、全面戦争になるかもな。しかもだ──」
涼の端正な顔が苦痛に歪む。
「やられた相手ってのが、旬の幼馴染の山田だ」
オサナナジミ?
私の頭の中でその言葉が渦巻く。
ぶっ飛ばしたあの丸刈りが、旬の幼馴染!?
「せあ」
美咲に肩を叩かれて、私は体を震わせる。
「大丈夫? 顔色が真っ青なんだけど」
「え? べ、別になんでも……」
ど、どうする?
正直に話す?
で、で、で、でも……旬の『親友』を私がぶっ飛ばしたって知られたら……。
私は頭を抱える。
(確実に嫌われる!!!)
「おっ、こんなところにいたのかよ」
次にやって来たのは、先ほど涼の口から出た『真斗』だ。
やはりこちらもヅカヅカと入って来る。
美咲はもう注意するのは諦めたらしい。うつむいて頭を振っているだけだった。
「聞いたか? 旬。今朝のこと?」
「真斗。お前遅刻したんじゃなかったの? なのになんで知ってんのさ」
「亜段駅でちょっとした騒ぎになってたからな」
彼の名前は常和真斗。
黒色のクセのある髪の毛。細身ではあるが、まくり上げた袖から覗く腕は筋肉質だ。こちらも廊下を歩くだけで女子から黄色い歓声が上がるほどのイケメンだ。
顔を突き合わせて話す三人はまさに少女漫画の1ページ。
いや、表紙にできるかも!
呑気に見惚れる私。
美咲もまた三人から目が馳せないようだ。憎まれ口を叩きながらも、やはりコヤツもイケメンが好物らしい。
うんうん、気持ちはわかるぞ。
(はあ……去年まで男子校だったから、てっきりむさ苦しい男ばっかりかと覚悟してたけど。ここに来て良かった!)
そん夢心地な気分はすぐに吹っ飛び、一気に現実の世界に引き戻されるのだった。
「そうそう、凛乃」
「なに?」
「花瑞の山田をぶっ飛ばしたヤツ、見たんだろ?」
「へ?」
自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。
「な、なんで知ってんの!?」
そう言った後で、ヤベッ! と思った。
トボけておけばやり過ごせたのに!
私のバカ!
「亜段駅って俺んチの最寄り駅なんだよ。で、そこらじゅうで『宙皇館と花瑞がケンカしたらしい』って噂になっててな。野次馬のおっちゃんたちの中の一人が、路地から出て来る『ピンク頭の姉ちゃん』を見たって言うんだ」
「あのねえ」
美咲が口をはさむ。
「ピンク色に染めてんのはせあだけじゃないでしょ? この学校だけでも何人いると思ってんのよ」
ナイス、美咲! さすがは親友!
「でもこれ、凛乃だろ?」
真斗はスマートホンの画面を見せる。全員がそれを覗き込む。
私は開いた口が塞がらなかった。
そこに写ってるのは見紛うことなく、『ニャングスター』の覆面を被ったこの私だ。
「たまたま写メを撮ってた人がいてさ。画像を送ってもらったんだ」
いつもクールな涼がにわかに色めき立つ。
「なら、凛乃。山田をヤッたヤツが誰か見たらわかるか?」
「おっ、それ名案。後で凛乃を連れて校舎を回ろうぜ」
「ああ。旬、お前もそれでいいな」
「まあ、せあがいいならいいけど」
どうやら私の青春は、終わったらしい……。
個室の中にいたので外の様子はわからなかったが、わざわざ顔を出すまでもなかった。
誰なのかすぐにわかる。
私をフルネームで呼んだのは、同じクラスの親友、紫門美咲だ。
いつものように金色に染めた髪の毛を、頭の天辺でお団子にして、薄くて形の良い唇には棒付きのアメがくわえられているんだろう。
「ンなわけないでしょ! 紫門美咲」
私は便器をタワシでこする。
見事に遅刻したため、罰としてトイレ掃除をする羽目になったというわけだ。
「ヒマなら手伝え!」
「ヤなこった。てか、モーニングコールしたげたでしょ。二度寝したわけ?」
「してない!」
「じゃ、なんで九時過ぎに登校してんのよ」
「それは……」
正義の味方をやってた──なんて話をしたら、呆れられるかな?
「ひょっとして、せあ。通学途中にお婆さんを助けてあげたら、イケメンの孫に求婚されたとか?」
「惜しい! 道に迷ってたイケメンを助けたら、なんと異世界からの転生者だったの。一緒に異世界まで行ってた」
「で、その転生者とヤッてたから遅刻したわけか」
私は慌てて個室から顔を出す。
予想通り美咲はアメをくわえている。
真っ赤なリップを塗った唇の端を持ち上げ、そこから白い棒が飛び出ていた。
「な、な、何言ってんの!? ヤッてないって!」
「真っ赤な顔しちゃって。せあって絶対処女だよね」
「悪かったわね……」
「怒るな怒るな。『王子』のためにとってあるのは知ってるって」
「べ、別にそういうわけじゃ……」
「おーい」
不意にトイレの入り口の方から声がしたので、そちらに視線を向ける。
「ゲッ!」
永久輝旬が入って来るところだった。
私は慌てて個室の中に引っ込む。
「おっと、噂をすればせあの『王子』さまのお出ましか」
「なに? 俺の噂してたの?」
「まあね。せあ、いるよ」
こら!
「てか、ここ女子トイレなの知ってる? 王子さま」
「女子トイレって」
旬はあたりを見回した。
「小便器あるから男子トイレじゃね?」
「去年まではね。宙皇館高校が男子高だったから、トイレのリフォームが間に合ってないのよ」
「なるほど。てか、トイレより先に制服じゃね? 女子だけ私服なんて不公平じゃん」
「いや、私服はこのままでいい。制服は間に合わなくて問題なし」
「で、せあは?」
「そっちの個室」
おもむろにドアが開け放たれる。
「おっ!?」
旬の口がまん丸になるが、すぐに口角が持ち上がるのだった。
「その覆面、『ニャングスター』だな? しかも限定品。手に入れたってわけか」
「お、おっす……」
「で、覆面に合わせて髪の毛も染めてきたってわけか」
「ま、まあね……」
旬が上級生相手に「ニャングスター」の必殺技である「飛びつき式腕十時ニャん子固め」をしているのを見て、「もしや」と思って話しかけた。すると案の定、旬もまた女子プロレスラーのファンであることがわかってい意気投合し、そのまま付き合うことになったというわけだった。
「似合ってるね」
「あ、ありがとう……」
正直、拭き雑な気分だ。
今の私はゴム手袋をしてトイレブラシを持った状態だ。さぞかし間の抜けた顔になっていたことだろうが、せめてそれを隠すために、慌てて覆面を着用しているのだ。
(褒められてる……だよね?)
旬はさわやかな笑顔を作って個室に入って来る。
「精が出ますな。俺の姫様は」
赤みがかった髪に、吊り上がった目。一見すると怖そうだが、今は目を細めているため年齢よりもずっと幼く見える。このギャップにいつもキュンとさせられるのだ。
「な、何か用?」
「ツレないなぁ。彼氏が恋人に会いに来ちゃダメなわけ?」
「悪くないけど……」
「よかった。実は『オハヨ』って言いに来たのと──」
旬は後ろ手でドアを閉める。
「あと、キスしにきた」
「こ、こんなところで!?」
「ダメ?」
旬の唇が迫って来る。鼻先が触れ合うくらいの距離だ。
私はトイレブラシを握りしめる。
「美咲。旬のヤツ見なかったか」
またトイレの外から男子生徒の声がした。
旬はうなだれるように頭をもたげ、私の頭に寄り添って来る。
「なんだよ……いいところだったのに」
旬の手が私の頬に触れる。
「ごめんな。キスはまた後で」
旬はそう言うと個室から顔を出す。続いて私も個室の外を見る。
やって来たのは風城涼だ。
銀色の長い髪の毛をなびかせ、こちらも旬同様、ためらいもなく女子トイレに入って来る。
どこか中性的な雰囲気のある涼は、旬に負けずの劣らず美形男子だ。ところが当人は容姿にコンプレックスがあるらしく、ルックスの話題は禁句らしい。
「ちょっと風白!」
美咲が憮然としている。
どういうわけかこの二人、犬猿の仲なのだ。
「馴れ馴れしく美咲なんて呼ばないでくれる? てか、ここ女子トイレなんだけど!」
「知ってる」
「だったら──」
涼は美咲の頭に手を置く。
「ちょっと、急用なんだ。後でゆっくり相手してやるから待ってろ」
「誰がアンタなんかに!」
怒る美咲を無視して、涼は真っすぐ旬のところにやって来る。どういうわけか表情は険しく曇っている。普段から決してにこやかな表情を浮かべているタイプではないが、それでもこの日はただならぬ雰囲気が醸し出されている気がした。
「どした? 涼」
「どしたじゃねえよ。今朝、亜段駅の近くで花瑞学園の人間がヤラれたらしいぜ」
ん? 亜段駅?
旬の表情がにわかに曇る。
「誰に?」
「噂じゃ、宙皇館の生徒って話だ」
「マジ!?」
「先に言っとくが、俺は面倒なことに巻き込まれるのはごめんだからな」
「なんで俺に言うのさ」
「この宙皇館高校の頭はお前だろ」
「頭って……俺たちはまだ一年なんだけど……」
「今さら下級生ぶっても無駄だ。入学式の時に絡んできた三年を片っ端からぶっ飛ばしたんだからな。それ以来、先輩たちはお前に一目置いてるんだ。つまり事実上、お前がここのトップなんだよ」
「ちょっと風白!」
美咲だ。
「何他人事みたいに言ってんのよ。アンタだって入学式の時に永久輝たちと一緒に三年生を殴ってたじゃない」
「俺は自分に降りかかった火の粉を払っただけだ。手当たり次第にぶっ飛ばしてた旬や『真斗』と一緒にするな」
「何カッコつけてんのよ!」
「事実だ」
涼は旬に向き直る。
「とにかく、花瑞とモメたってことが本当なら一体どういうことになるかわかってるよな?」
「休戦協定が破棄される……」
「そういうことだ」
「あの……」
私がおずおずと手をあげると、全員がこちらを向いた。
「休戦協定って?」
「せあ、知らないの!?」
旬と涼の間から美咲が顔を出す。
「バカたちが無暗にケンカしないようにっていうルールのことよ。そうでしょ? 風白先生」
「そうだ」
美咲の話を引き継ぐように、涼が口を開く。
「宙皇館と花瑞学園は長年抗争を続けてきたんだが、所かまわずやり合うもんだから、中坊や通行人なんかが巻き込まれることも少なくなかった」
そこで、と旬の肩に手を置く。
「コイツが花瑞の頭である三年の天海さんと会って、街中では暴れないよう取り決めをしたんだ。やるなら神社裏の森で両校の立会人を一人ずつ出し、必ずタイマンってな。それが休戦協定だ」
「ケ、ケンカはするんだ……」
「だが、今回のことがきっかけでまた血で血を洗う抗争になりかねない」
「そ、そんな大げさな……」
「いや、大げさどころか、控え目に言ってるつもりだ。何せ花瑞の天海さんは男気がある人だが、融通が利かないところがある。約束を反故にしたってことになれば、全面戦争になるかもな。しかもだ──」
涼の端正な顔が苦痛に歪む。
「やられた相手ってのが、旬の幼馴染の山田だ」
オサナナジミ?
私の頭の中でその言葉が渦巻く。
ぶっ飛ばしたあの丸刈りが、旬の幼馴染!?
「せあ」
美咲に肩を叩かれて、私は体を震わせる。
「大丈夫? 顔色が真っ青なんだけど」
「え? べ、別になんでも……」
ど、どうする?
正直に話す?
で、で、で、でも……旬の『親友』を私がぶっ飛ばしたって知られたら……。
私は頭を抱える。
(確実に嫌われる!!!)
「おっ、こんなところにいたのかよ」
次にやって来たのは、先ほど涼の口から出た『真斗』だ。
やはりこちらもヅカヅカと入って来る。
美咲はもう注意するのは諦めたらしい。うつむいて頭を振っているだけだった。
「聞いたか? 旬。今朝のこと?」
「真斗。お前遅刻したんじゃなかったの? なのになんで知ってんのさ」
「亜段駅でちょっとした騒ぎになってたからな」
彼の名前は常和真斗。
黒色のクセのある髪の毛。細身ではあるが、まくり上げた袖から覗く腕は筋肉質だ。こちらも廊下を歩くだけで女子から黄色い歓声が上がるほどのイケメンだ。
顔を突き合わせて話す三人はまさに少女漫画の1ページ。
いや、表紙にできるかも!
呑気に見惚れる私。
美咲もまた三人から目が馳せないようだ。憎まれ口を叩きながらも、やはりコヤツもイケメンが好物らしい。
うんうん、気持ちはわかるぞ。
(はあ……去年まで男子校だったから、てっきりむさ苦しい男ばっかりかと覚悟してたけど。ここに来て良かった!)
そん夢心地な気分はすぐに吹っ飛び、一気に現実の世界に引き戻されるのだった。
「そうそう、凛乃」
「なに?」
「花瑞の山田をぶっ飛ばしたヤツ、見たんだろ?」
「へ?」
自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。
「な、なんで知ってんの!?」
そう言った後で、ヤベッ! と思った。
トボけておけばやり過ごせたのに!
私のバカ!
「亜段駅って俺んチの最寄り駅なんだよ。で、そこらじゅうで『宙皇館と花瑞がケンカしたらしい』って噂になっててな。野次馬のおっちゃんたちの中の一人が、路地から出て来る『ピンク頭の姉ちゃん』を見たって言うんだ」
「あのねえ」
美咲が口をはさむ。
「ピンク色に染めてんのはせあだけじゃないでしょ? この学校だけでも何人いると思ってんのよ」
ナイス、美咲! さすがは親友!
「でもこれ、凛乃だろ?」
真斗はスマートホンの画面を見せる。全員がそれを覗き込む。
私は開いた口が塞がらなかった。
そこに写ってるのは見紛うことなく、『ニャングスター』の覆面を被ったこの私だ。
「たまたま写メを撮ってた人がいてさ。画像を送ってもらったんだ」
いつもクールな涼がにわかに色めき立つ。
「なら、凛乃。山田をヤッたヤツが誰か見たらわかるか?」
「おっ、それ名案。後で凛乃を連れて校舎を回ろうぜ」
「ああ。旬、お前もそれでいいな」
「まあ、せあがいいならいいけど」
どうやら私の青春は、終わったらしい……。

