「これ、迷惑賃として受け取ってください――!」
次の火曜日、早朝クラスの後。
更衣室から出てきた陣を手招きして、サブスタジオに呼んだ。
南青山スタジオは二つスタジオがあり、広々とした開放的なメインスタジオの他、少人数用の狭いサブスタジオもある。
朝のクラスではサブスタジオは使っていないので、急いで陣を呼び入れて、菓子折りを入れた小さな紙袋を手渡した。他の生徒の前で堂々と渡すわけにはいかないから。
「七瀬センセー、これ」
「先日は大変お世話になったので。ほんの心ばかりですが」
昨日、六本木に最近できたばかりのフランス菓子店へ乗り込み、話題の最新スイーツをゲットしてきたのだ。
「これからお仕事なのに荷物になってしまうかもしれませんが、お仕事中の気分転換にでもなればと思って……」
「これって、六本木にできたお店のですよね。ちょっと気になってたんです、ありがたくいただきます! なんか、かえって悪いですね」
遠慮されるかと思ったが、すんなり受け取ってもらえたのでほっとした。突き返されても困ってしまうし、きっと陣も、そう思って受け取ってくれたのだろう。
「七瀬センセーは食べました?」
「はい! 自分用にも買ってみましたが、めちゃくちゃ美味しかったんです! 陣さんにもぜひ食べてほしくて」
「それは楽しみです。では遠慮なく」
サブスタジオから出て、帰る陣を受付まで見送ったのだが、きれいに磨かれた革靴を履いた陣が振り返った。
「センセー、余計なお世話かもしれませんが、無理してないですか? 聞いてる限り、結構な大ごとだと思うんですが、あまりにいつも通りすぎてかえって心配です。仕事中だから通常運転は当たり前なのかもしれませんけど」
「お陰さまで元気ですよ。私には話を聞いてくださる方がいましたし、心を落ち着かせる方法も知っています。それが何もなかったらちょっと怖いなと思いますが、今、私が持っているものは、全部ヨガを通じて得られたものです。とても恵まれていると思いますし、感謝でいっぱいです」
もちろん、話を聞いてくれた人とは陣のことである。彼に向かって合掌すると、陣は苦笑した。
「七瀬さんがもったいないな」
「……?」
どういう意味だろうと首を傾げたが、陣は踵を返しつつ手を振った。
「では、また次のレッスンで! お菓子、いただきます」
「またお待ちしてますね。いってらっしゃい」
陣の後姿を見送ると、いつも心がほんわかする。この穏やかな気持ちをずっと維持していられればいいのに、どうしてそれができないのだろう。
そして、陣には醜態ばかりさらしているので気まずいはずなのに、会うたびにうれしくなっている自分がいる。
きっと、彼が太陽のような人だからだろう。
結局、宗吾には何も言えないまま、探るような毎日が続いている。自分の気持ちに素直になるのは、とても難しいことだった。
素直になった後、宗吾からどんな言葉を投げつけられるか、それを思うだけでくじけそうになる。
おまけに、日が経つにつれて、あの日の光景が幻だったようにも思えてくる。
こうなると、もう事を荒立てたくないと思い、七瀬も保守的になってしまうのだ。
しかし、宗吾との関係がぎくしゃくするのは、決まって普段と違う出来事があったときだ。
珍しく仕事帰りに外食に誘われて、喜んで行ったら店に置き去りにされた。
仕事中の宗吾を駅で見かけたというイレギュラーを、何の他意もなく彼に告げたら、怒鳴られ、缶ビールを壁に投げつけられた。
出張と偽って女性とデートしていたことは、七瀬が彼に何も指摘していないから問題なく済んでいるが、名古屋のワークショップの件ではチクッと言われている。
それからイレギュラーは発生していないから平穏な毎日を送っているが、名古屋から帰って来たときに、また騒動が起きそうな気がして気が気ではなかった。
自分にも悪いところがあったから――と反省するが、宗吾の望むままにヨガ講師をやめて趣味に徹するのは考えられない。
「……レッスンしよ!」
この後は渋谷スタジオでレギュラークラスがあり、夜はまた南青山スタジオでクラスを受け持っている。
空き時間も自分のインストラクションを見返して勉強しなければならないし、思い悩んでいる場合ではないのだ。
◇
次の火曜日、早朝クラスの後。
更衣室から出てきた陣を手招きして、サブスタジオに呼んだ。
南青山スタジオは二つスタジオがあり、広々とした開放的なメインスタジオの他、少人数用の狭いサブスタジオもある。
朝のクラスではサブスタジオは使っていないので、急いで陣を呼び入れて、菓子折りを入れた小さな紙袋を手渡した。他の生徒の前で堂々と渡すわけにはいかないから。
「七瀬センセー、これ」
「先日は大変お世話になったので。ほんの心ばかりですが」
昨日、六本木に最近できたばかりのフランス菓子店へ乗り込み、話題の最新スイーツをゲットしてきたのだ。
「これからお仕事なのに荷物になってしまうかもしれませんが、お仕事中の気分転換にでもなればと思って……」
「これって、六本木にできたお店のですよね。ちょっと気になってたんです、ありがたくいただきます! なんか、かえって悪いですね」
遠慮されるかと思ったが、すんなり受け取ってもらえたのでほっとした。突き返されても困ってしまうし、きっと陣も、そう思って受け取ってくれたのだろう。
「七瀬センセーは食べました?」
「はい! 自分用にも買ってみましたが、めちゃくちゃ美味しかったんです! 陣さんにもぜひ食べてほしくて」
「それは楽しみです。では遠慮なく」
サブスタジオから出て、帰る陣を受付まで見送ったのだが、きれいに磨かれた革靴を履いた陣が振り返った。
「センセー、余計なお世話かもしれませんが、無理してないですか? 聞いてる限り、結構な大ごとだと思うんですが、あまりにいつも通りすぎてかえって心配です。仕事中だから通常運転は当たり前なのかもしれませんけど」
「お陰さまで元気ですよ。私には話を聞いてくださる方がいましたし、心を落ち着かせる方法も知っています。それが何もなかったらちょっと怖いなと思いますが、今、私が持っているものは、全部ヨガを通じて得られたものです。とても恵まれていると思いますし、感謝でいっぱいです」
もちろん、話を聞いてくれた人とは陣のことである。彼に向かって合掌すると、陣は苦笑した。
「七瀬さんがもったいないな」
「……?」
どういう意味だろうと首を傾げたが、陣は踵を返しつつ手を振った。
「では、また次のレッスンで! お菓子、いただきます」
「またお待ちしてますね。いってらっしゃい」
陣の後姿を見送ると、いつも心がほんわかする。この穏やかな気持ちをずっと維持していられればいいのに、どうしてそれができないのだろう。
そして、陣には醜態ばかりさらしているので気まずいはずなのに、会うたびにうれしくなっている自分がいる。
きっと、彼が太陽のような人だからだろう。
結局、宗吾には何も言えないまま、探るような毎日が続いている。自分の気持ちに素直になるのは、とても難しいことだった。
素直になった後、宗吾からどんな言葉を投げつけられるか、それを思うだけでくじけそうになる。
おまけに、日が経つにつれて、あの日の光景が幻だったようにも思えてくる。
こうなると、もう事を荒立てたくないと思い、七瀬も保守的になってしまうのだ。
しかし、宗吾との関係がぎくしゃくするのは、決まって普段と違う出来事があったときだ。
珍しく仕事帰りに外食に誘われて、喜んで行ったら店に置き去りにされた。
仕事中の宗吾を駅で見かけたというイレギュラーを、何の他意もなく彼に告げたら、怒鳴られ、缶ビールを壁に投げつけられた。
出張と偽って女性とデートしていたことは、七瀬が彼に何も指摘していないから問題なく済んでいるが、名古屋のワークショップの件ではチクッと言われている。
それからイレギュラーは発生していないから平穏な毎日を送っているが、名古屋から帰って来たときに、また騒動が起きそうな気がして気が気ではなかった。
自分にも悪いところがあったから――と反省するが、宗吾の望むままにヨガ講師をやめて趣味に徹するのは考えられない。
「……レッスンしよ!」
この後は渋谷スタジオでレギュラークラスがあり、夜はまた南青山スタジオでクラスを受け持っている。
空き時間も自分のインストラクションを見返して勉強しなければならないし、思い悩んでいる場合ではないのだ。
◇
