キリカの生活する家の扉は、店の裏にある。
 なので私は、まずキリカの家の鐘を鳴らした。
 たまにキリカも店番をしているから、誰も出てこないなら店の方に回らないといけない。


「リーディア!?」

 のぞき窓から私の顔を確認して、キリカが飛び出てきて抱き着いてきた。
 抱きとめると、なんて温かいの。
 キリカのぬくもり。


「キリカ、お久しぶりね」


 幽閉中に手紙をくれていたけれど、会うことは叶わなかったから数年ぶりね。
 キリカは、数日ぶりだから私の挨拶に変な顔をしたけれど。
 長い髪のこの頃のキリカ、とても懐かしい。

 私も少し若くなったけど、キリカも幼くなったわね。
 ちょっと頬がふっくらとしている。

「あぁ、リーディア顔色が悪いわ。ねぇ、入って。お茶でも飲みましょう」

 私の顔に手を伸ばし頬を挟んで確かめる。顔をのぞき込んで心配してくれる。

 昔からそう、キリカってお母さんぽいところがあるのよね。
 懐かしさに泣きそうになるけれど、ここで泣いたら変なのでぐっとこらえた。


「遅くなってしまったけど、これ」

 私は、キリカが淹れてくれたお茶を一口飲むと細長い箱を取り出した。
 白い箱に、ブルーのリボンがかけられている。

「来てくれて、ありがとうね」

「……お気持ち受け取ります」

 キリカは常套句を口にして、受け取ってくれた。
 箱を見て、中身を察して辛そうな顔をする。
 ブルーのリボンは、葬式に出てくれた人への返礼品に巻く色だから。


「大丈夫? リーディア……その……」
「キリカの耳にも入っちゃってる?」

 お父さまの再婚のこと。

「本当なの? だってまだ……」

「お母さまが亡くなってから、まだ浅いものね」

 街の人たちは噂好きだ。
 夫人が亡くなってすぐに新しい人が来るとなれば、いい話のタネだ。

 あることないこと、話しは流れているのだろう。

「公爵のお仕事のため、と聞いているわ」

 お父さまとは、葬式以来会っていないけれど。

 その忙しい「仕事」のため家には寄り付かない人だった。
 でも、あの親子が来てからはずっと家にいたけどね。

 考えたらいろいろおかしかったのに、気づかなかった。

 私は、そういう意味でもお母さまに守られていたんだろう。

「お父さまは忙しい人」で済まされていたから。
 お母さまの言葉を、ずっと信じてしまった。

「その、お相手が国外の方というのは?」

 けして興味本位というわけではなく、心配からキリカは聞いてきた。

 相手のことなんて、どこから漏れていたのだろう。
 当事者の私だって、知らなかった。

 そう、まるでお母さまが亡くなる前から準備されていたかのように事が進んだ。
 再婚だというのに、式まで派手に挙げて。

「12歳になる娘さんといらっしゃるそうよ。明日」

「明日!?」

 キリカが驚きの声を上げる。
 一度目は、私も同じ反応だったな。

 マリが辛そうに私に話してくれたっけ。お父さまの口からじゃなく。
 私に正式に紹介されるのは、もっと後だ。

 学園に登園するときに遠目でお父さまといるところを見たけど、ちょっと肌の濃い南国出身がわかる親子だった。
 とても美しい人ではあったけど、なにか違うと思った。

 ドレスに身を包んでいても、貴族の立ち居振る舞いは身についていないようだった。
 所作が、言動が、雑で品がない時があった。

 お父さまが仕事で訪れた国で、酒場の歌姫をしていたと聞いたけど、それも噂でだから本当かは知らない。

「公爵様は色惚けた」と言われていたぐらいだけど、当人たちは強気で陰口した使用人に罰を与えた上に解雇したから、街の人も怖くて噂に挙げなくなった。

「私は大丈夫よ」

 私の代わりに泣きそうになっているキリカの手を握った。

「いつも味方になってくれてありがとう」
「当たり前よ!」

 叫んだ勢いで、キリカのうるんだ瞳から涙がこぼれた。

「リーディアはずっと私の友達だもの。友達の味方するのは、当たり前の話しじゃないっ」

「ありがとう」

 その言葉の通り、キリカはずっと私の友達でいてくれたわね。
 何通も、何通も、私を心配した手紙が届いた。

「あ、そうだ。キリカに聞きたいことがあるんだけど」

 私には懐かしい再会に、ここに来た本題を忘れていた。

「モアディさんて魔法師が……」
「モアディさま!? モアディさまがどうしたの!?」

 キリカの予想以上の食いつきに、私の方がびっくりしてしまった。

「ゆ、有名な方なの?」
「有名なんてもんじゃないわっ」

 バンと机をたたいて立ち上がったかと思うといったん部屋から出て行き、バタバタと一冊の本を持って戻ってきた。
 息が荒いのは往復のせいだけじゃないわね。

「これはね、正式には出版されていないものなんだけど」
「そ、そうなの?」

 キリカが声を潜めるから、私まで声が小さくなる。 
 深い赤の表紙には、本の題名さえ書かれていない。

「城の絵師が、私的に描いた画集なの」
「そんなのがあるの!?」
「シーーーっ」

 キリカは慌ててあたりを見回した。
 ここは店ではなく家の中だから他人はいないはずだけど、気を付けなければいけないものらしい。

 城の中のことは、表に出していけないというから、これは禁書に近しいわね。

「見て、ダーリアさまよ。ほんと素敵な人ね」

 表紙を開き、いちばん最初に描かれていたのは、第一王子だった。

 ダーリアさまは亡き王妃に似た美しい顔だけれど、幼い頃に王妃が亡くなったせいか気が弱く、自分の意見を持たないような人だった。

 結果、補佐官が言うまま秘密裏に他国と手を結ぼうとして失敗、それが反逆と取られて失脚してしまうけどね。

 幽閉場所が近かったから、たまに風に乗った王子の悲痛な叫びが聞こえる夜があった。

 それは謝罪の言葉だったり、命乞いだったり、王妃の名前呼ぶ声だったけど、いつの日からか聞こえなくなったということは、そう言うことなのだろうと察している。

 絵の中のダーリアさまはキリリと端正に描かれているから、複雑な気持ちになるわ。

 とても弱い人だったから。

「えっと……」

 キリカは、何枚か捲って「これよ」と私に差し出した。
 長い銀髪を後ろでまとめ、王立軍の衣をまとっている涼やかな目元はあの。

「モアディさまよ。神童と呼ばれ、軍の中でもトップクラスの魔法を使えるの」

 うっとりと歌い上げる。

「よく知ってるのね……お店にくるの?」

「まさかっ! あ、でも古い魔法書をお父さまが入手したときに、護衛を連れてきたことがあるわ」

 護衛……イリのことかしら?

「私は登園していて、会えなかったの」

 悔しい思いを隠さず、残念がるキリカ。
 モアディさんが王立軍の人だということは、確かなようだ。

「その時に、何かほかに面白いものが入ったら連絡して欲しいって、その護衛が連絡口になってるみたい」

 古物商と魔法師の付き合いはよくある話だ。
 身分が確かなら、手を組んでもいい?
 どのみち私一人では、道が開けないのだし。

「ねぇ、キリカ。便箋と封筒を貸してくれる? その護衛に渡して欲しいの」

「え?」

 キリカはきょとんとしたけど、連絡が欲しいと記した手紙を快く引き受けてくれた。

 それに、キリカには嬉しい頼まれごとだろう。
 憧れの人に繋がることだもの。

「私が用があるのはモアディさんじゃないのよ、護衛の人だから」

「任せてっ」

 きらりと瞳を輝かせたキリカの耳に、ちゃんと入ったかどうか……。

 それでも、思わぬつながりは私にも期待をくれた。

 何かが変わる。
 ただ泣いて暮らしても処刑が待っているだけだけれど、そんな未来は変えられるはず。
 繰り返すのは嫌。

 キリカも、ちゃんと動いてくれた。
 私のために。

 三日後、私のもとに手紙を咥えた夜鳴鳥《よめいちょう》が降り立った。
 足にくくられた文《ふみ》には、明日街のはずれの小屋に来るようにとイリからの返信が書いてあった。