女神は天秤を傾ける

「ちょ、ちょっと!」
「ああっ! なんだ、聞こえねー」

「もう少し速度をっっ」
「あん? 聞こえねー」


 嘘だ。
 絶対聞こえてる。


 先発した軍の後を追う、のが早馬だとは思わなかった。
 三人いるんだから、普通は馬車でしょ!?
 荷物もあるんだし。


 二人が厩から美しい白馬と凛々しい黒馬を連れてきたときは、絵になりすぎて一瞬だけ見惚れてしまったけれど、私が乗るとなったら別だ。

 淑女試験で乗馬は合格しているけれど、あれは優雅に歩くだけの試験。
 こんな激しい乗馬は初体験だ。

 
「もっと馬と呼吸を合わせろ!」
「む、無理ですっ。わかんなぃっ」

 落ちないようにイリが後ろで支えてくれるから落馬しないけれど、もうお尻は悲鳴を上げていた。
 馬の走りに合わせてお尻をあげていないといけないのに、鞍にゴチゴチとお尻を打ち付けてしまっていて、このままだと腫れ上がってしまうわ。

「できないなら、もっと俺に身体を押し付けてみろ」
「身体を?」


 くたくたの足を踏ん張って、ぎゅっと背中をもっとくっつけてみる。
 すると、腰を支えられたかのように馬とのタイミングがあってゆく。

「そうだ、それでいい。もう少し先まで行ったら休憩をとるからがんばれ」
「は、はいっ」

 イリがそんなこと言うなんて、珍しいわね。
 でもこの構図は、鬼教官とできない教え子みたいだけど。
 あと少し。
 それまでもって、私の脚とお尻。



「予定より遅れています」
 懐中にいれた時計を引っ張り出して、わざとらしく時間を確かめる。
「日が暮れてしまったら、ここいらは危なくて馬を出せないんです」
 チクチク、チクチクと。

「すみません」
 私のせいだ、私が重荷だ、と言いたいのだろう。
 私のせいだけど。
 でも、なんだか小姑みたいですよモアディさま。


 休憩だという目的地は、小さな集落だった。
 店もこの一軒だけのようで、食事から雑貨までそろえている。

「イリ、久しぶりだねぇ」
 お水を持ってきてくれた店主の女性は、イリに親しげにそう言った。

「上、空いてる?」
「ああ。好きに使いな。ゆっくりしていけばいい」
「ありがとう、ジア」

 お互いの名前まで知っているとは、親密度の深さがうかがえた。

「上になにかあるんですか?」
 適当に料理を頼んだ後、私は聞いてみた。

「俺が住んでいた部屋」

「えっ!?」
 さらっと返ってきた答えに驚く。

「イリがここに? ここはイリの故郷なの?」
「故郷…とは違うな。世話になった」

「そうなんだ」

 傭兵だったら、定住しないで住まいを転々としていてもおかしくない。
 出身はどこなのかな。
 少し日に焼けたような肌は、南の出を連想させるけど。

 出自なんて繊細な質問は、聞くのを憚られる問題だ。

「ここの名物は魚だ。すぐそこに大きな川が流れていて、大きな魚が釣れる」

 お酒をグイっと一気に飲んだせいか、イリは聞いていないことをしゃべる。
 こういう話題は嫌いじゃない。
 その人となりを知る機会でもあるから。

 乗馬に疲れ果てた身体はとても重くて眠いけれど、せめて今は会話を楽しもう。