女神は天秤を傾ける

「なかなかに難しいわね、これ」
 買っておいたパンを、庭のカジの実を絞ってつくったジュースで流し込み、支度にかかる。

 今まではマリが髪を巻いてくれていたけど、髪も着付けも自分でしなきゃいけないから忙しい。
 この前は街で頼めたけど、庭を突っ切るだけなんだからわざわざ街には出られない。
 もう悪戦苦闘で巻いて結った髪に、りぼんと羽を飾る。
 用意されたドレスは、色味は地味だったが仕立てのいいものだった。
 私に恥をかかせたいだけなら、寸足らずや奇抜なドレスを用意すると思うけど、変ね。

「うん、まぁまぁにはなったわね」

 せめて、精いっぱい小奇麗にしておきたい。あの親子と会うのなら。

 着飾りはしたけれど。

 それにしても気が重い。
 こんな身なりを整えて、何があるっていうの?
 新しい家族の紹介?
 それだけとも思えない。

 クリアリに意見を聞きたかったな。
 もう寝てると思ったから、また呼び出せなかった。

 罠が口を開いて待っている。
 そうわかっているのに、行かないといけない。
 私が行かなかったら、あの使用人が罰せられる。


 黒い何かが胸の中で固まって、ずしりと重い。
 嫌だ行きたくない。
 
 いくら離れとはいえ、屋敷まではそう離れてはいない。
 重い脚を引きずって歩いても、すぐついてしまった。

 こういう時、普通に扉を開けていいのかしら。
 少し前までは自分の家なのだから、自由に出入りできたけれど今は違う。
 もう私の家は、私の家じゃない。

 目の前の扉だって、お母さまが気にっていた鳥をあしらったノッカーではなく、金色が新しい扉に似合わないものに変わってしまっていた。

「え? なぜ?」

 扉を叩くのを躊躇っていると、後ろからくる馬の蹄の音がして振り返る。
 白馬に乗った男性が見えた。

 あの白い軍服、ローブの金刺繍。

「ユハスさま!?」

「リーディアさま、待たせてしまいましたか?」

 驚いている私の前に、馬から飛び降りる。
 翻ったローブに一瞬見惚れてしまった。


「ユハスさまも、お父さまに呼ばれていたのですね」

 私の言葉に、ユハスさまは少し照れて頭をかいた。

「リーディアさまが、私を出迎えに出てくれていたと勘違いしてしまいました」

 いつもキリリとした顔立ちだから、そんな顔不意打ちもいいところですユハスさま。
 ぽうっと熱くなる頬を、冷たい自分の指で挟んで鎮めた。
 それなのに、それなのに、すっと私に手が伸びてきて頬に熱い手が触れる。

「こんなに冷えてしまって、すみません。まだ朝方は冷えますね」

「ユ、ユハスさまのせいでは、せいではないです」

 動揺して、言葉が重なってしまう。
 触れたままの手のひら、とても熱い。

「あの、あの……」

 手を放してください、と言うのはユハスさまの機嫌を損ねてしまわないかしら。
 でも、心臓がもう痛いくらい跳ねてしまって困る。


「ま、待ち合わせをしていたわけではないのですから、お気になさらずに」

 私が冷えたのは、薄着で髪をまくのに奮闘したせいなのだから。

「春を迎えましたが、この辺りはまだ冷え込む日もあるでしょう、気を付けてください」

 にこりと微笑まれて、すっと手が引いた。

「はい、ありがとうございます」

 優しい温かい手だった。
 この手が、私を殺すために剣を握ったのに。
 すっと降ろされた手を、複雑な胸が見送る。

「今日はなにか頼みごとがあるとか」

「頼み事ですか?」

 なんだろう。直々にの場面に、私は立ち会ったことがあったかしら。

「とにかく中へどうぞ。厩舎のものを呼びますわ」
「お頼みします」
 また甘やかに微笑んで、ユハスさまは近くの木に馬を繋いで帰ってきた。

 ギイと扉を開けると、カツカツと急ぐ靴音がする。
 ヒールだから、あの子だろう。

「お姉さまあっ!」

 その声は私より少し高く、甘えたような声だった。
 男の人には、心地よく響く声なのだそうだけれど、私には胸をざわっと不安にさせる音。

「クミン、落ち着きなさい」
 
 私に飛びつきそうなぐらいに距離を縮めてきたクミンを、後ろからゆっくり歩いてきた母親ハモラが制した。

「ようこそ、カイゼン家へ。ユハスさま」
 クミンの隣に並ぶと、ハモラは深く頭を下げた。

 浅黒い、南国特有の肌に似合う太陽のような色のドレス。
 派手な色だけど、この人には合っていた。

「お招きありがとうございます」
 ユハスさまが礼儀正しく返す。



「お姉さま、どうですか? このドレス。街で一番の仕立て屋であつらえさせたものなの」

「…………」


 なぜ私に意見を求めるの?
 正直に言っていいなら、似合わない。
 なぜブルーを選んだの? 季節にもまだ早い。

「素敵ですよ」

 なにも言わない私の代わりに、ユハスさまはそう褒めた。
「え、えぇ。美しいレースですね」

 いけない。
 ここで険悪な空気を作るのは得策ではない。
 私が少しでもクミンを下げるようなことを口にしたとたん、クミンは大げさに泣きだしてユハスさまやお父さまの気をひく行動に移るだろう。


「そうでしょ、そうでしょ? こんな街の服屋なんてと思ったけど、仕立てがいいわ」

 引っかかる。
 クミンの発した「こんな街」と言う言葉に。

 私の大好きな街よ。

「なんていう店だったかしら……お姉さま知ってる? えっとぉ」

 クミンは、かわいらしく指を顎に当てて首をかしげる。
 ユハスさまは、そんなクミンを見つめていた。

 嫌だ。嫌だ嫌だ。

 黒々とした感情が、沸々と込み上げてくる。


 「あたまにね、『ダ』が付いたような…、ドだったかな」

 そのお店が気に入ったのなら、なぜ記憶しておかないのかしら。
 イライラした。

「『ダリア服飾店』よ、クミン」
「あ、そうそう! ダリアだとかって言ったわね」

 ハモラの助けに、パンと手を叩いてあわせた。

「私、物覚え悪くて、すぐ忘れちゃうの、あは」

 あはって、ちょっと天然を演じているのだろうか。
 クミンがこんな態度をとると、その場にいた男たちは「いえいえ、女は頭脳明晰でなくていいんですよ」と返されてホッとしたように胸をなでおろして見せるまでがいつもの流れだった。

 女に知性はいらないと言われたのに、それに気づかないというの? と、その光景を見て思ったものだわ。
 いま思えば、馬鹿を演じていたのだけれど。


 だけど、店の名前を聞いて嫌味を口にしなくて良かったと思った。

 ダリア服飾店はキリカの叔母さんの店だ。
 この似合わない色、もしかして私のためにしてくれたことかもしれない。
 叔母さんは、すごく努力の人だった。
 旅好きで、いろいろ見分して、それをデザインに活かしているという。
 
 このあとまた仕事の依頼をしに行く予定だから、会ったらお礼を言おう。
 まったくクミンには似合っていない色のドレスに、ちょっとすっきりしました。