女神は天秤を傾ける

 ガタガタガタ。
 空気ごと震えるように微震。ここ数日は、日に何度も起きるようになった。

 普通だったら気づいていない、体感しない空気の振動、これが前兆だと知っているのでわかる。

「先生!」

 授業終わりに、地学の先生を呼び止めた。

「どうしました? リーディア・カイゼン。なにかわからないところがありましたか?」

 かけていた眼鏡のふちを上げなおし、ギヤン先生は私を見下ろす。
 私が知る中で、いちばん背が高いから私はいつも首が疲れてしまうのよね。

「噴火の前兆ってあるんですか?」

 知らないふりで尋ねる。

 蔵書室で下調べしたけど、火山は噴火の前に少なからずもなにか動きがみられるらしい。
 ギヤン先生なら、私の引く補助線に気づいてくれないだろうか。

「きみが噴火に興味があるとは知りませんでしたよ」

 また眼鏡をくいとあげる。
 ギヤン先生の、なにか話しはじめるときによくやる癖だ。

「来たまえ、私の部屋で説明しよう」

 キラリ、眼鏡の奥の細い目が光った気がした。
 これは……覚悟しよう。



「なんですか、この手紙……」

 ギヤン先生の私室。本や書類が散乱していて机が見えない。
 その机の上から、先生は封筒を4つ手にして私によこした。

 乱暴に開封した封筒の宛名はギヤン先生だけど、送り主はそれぞれ別の人の名前だった。

「私には、各地に情報を送りあっている仲間がいる。その仲間からの報告だ」

「報告…ですか?」
「ああ」

 先生はうなずいて、書類の下に埋もれていた分厚い本を取り出した。

「噴火は突然起こるものではない。空振や地割れが発現し、まず敏感な動物が騒ぐ。ガスが漏れ出ていれば草木も枯れる。近くなると、体感できる地鳴りや落石なんかも増える」

 一気に捲し立てられた。

 ギヤン先生、得意分野になると早口になるのよね。
 眼鏡の奥が光ったから、これはいっぱい話を聞くことになるなと思ったけど、部屋に入ってすぐこれか……。

 気を引き締めて、興味を持って話を聞かなくちゃいけない。
 地学は淑女には関係ないと、授業を少し聞き流していたのを後悔した。

「これを見なさい」

 先生は壁に貼ってある地図の前に、私を立たせる。
 その地図は3つの大陸を描いているものだったけれど、手描きのようだった。

 真ん中の大陸が、私たちのイリーナ大陸。いちばん大きい。

「ここはどこだ?」

 問われて、私は湖の下にある土地を指さした。
 聞き流していても、それ位はわかる。

「正解だ」

 先生は、当たり前だとフンと鼻を鳴らす。
 いまの問題が、玄関だったようだ。

 地図の前、私に椅子を用意すると先生は指し棒を手にした。
 これから特別授業が始まる。

「その手紙の贈り主は、この4か所の異変を報せてきた」

 指し棒で、トントンと4つの印が付いた場所を先生は指した。

「え……」

 てっきり過去の出来事のあった場所だと思っていたが、よく見ればインクも新しい。
 最近付けたものだった。

「この4カ所に、線を引く」

 長い物差しを取り出すと、先生は地図に4本の線を引いた。
 点を繋ぐのではなく、その延長にあるもの。

「ドレナ山!?……確か活火山でしたね」

 そう、そのドレナ山が噴火するのだ。

 ドレナ山は通称「眠り姫」と呼ばれていた山で、活火山といわれているが何百年もその兆候はなかった。
 標高も低く、湖を望む温泉があることから麓は観光地としてにぎわっている。

「まさかドレナ山が!? いつ? いつ噴火するんですか!?」

 派手に驚いて、印象を強くする。
 先生は、私の大げさな反応に嬉しそうに続けた。

「いつかなどと暢気に構えている場合ではない。もう山から動物は逃げ始めている。ガスも出るぞ。木が枯れているからな」

 なんで嬉しそうなんだろう、は置いておいて、私は要所要所でうなずきそして驚いた。

 ふりをした。

 ドレナ山の噴火は確かに被害は出るけれど、噴石は人家までは届かず、流れ出した溶岩は湖を半分埋めてそこでとどまったが、村が一つ巻き込まれることになる。

 噴火での死者は、少なかったけれど出なかったわけじゃない。
 事前に避難出来たら少しは……。

「このこと、現地の人は知ってるんですか?」

 私の疑問に、先生はうつむいてしまった。

「先生? 事前にわかってるなら避難をすればいいですよね」
「だめじゃ……」

 うつむいたままの言葉は、さっきまでの勢いはなくなっていた。

「誰も信じんのじゃ」

「え? 噴火するのに!?」

 避難と言われても、簡単じゃないことはわかる。
 でも、命の方が大事じゃないの?
 私は大事だよ。

「麓の村の村長に手紙を書いたが、笑われたよ。ずっと眠っている山だから、いま危ないと言っても誰も信じん」

「でも……」

 有識者が訴えてもだめなのに、私が噴火すると言っても、もっと信じてもらえない。
 どうすればいいの、噴火は本当なのに。

 二人してうなだれてしまった。
 なにか大きな事がないと動かない。

「竜でも現れれば、みな財産も持たずに逃げるだろうがの」

 どこか自嘲気味につぶやいて、先生は私から手紙を取り上げた。

「いまきみが噴火のことを聞いても、私はなにもできない。私は無力だ」

 無力だ、無力だ、とぶつぶつ口の中でつぶやきを繰り返す。
 柱に頭をぶつけだしそうだ。


「すみません……」

 しおれてしまった姿に、なんだか申し訳なくなってしまった。

「いや、地学に興味を持ってくれたのは嬉しいよ。それより……」

 先生が、扉の方に視線を移す。

「外が騒がしいな」

 言われて気づいた。
 バタバタと、廊下を走る音がする。

「なにごとかしら」

 私は立ちあがり、部屋の扉を開けると部屋の前をあわただしく走り抜ける影が。

「廊下を走るな!」

 背後で先生が叫んだ。

「す、すみませんっ」

 廊下を走るな、なんて初等の時以来聞いた𠮟責だったけれど。
 ギヤン先生の声に立ち止ったのは、生徒ではなかった。

「先生!?」

 魔法科学の先生が、廊下を走って?
 さらに向こうからも先生が速足で歩いてくる。

「ギヤン先生も早く! 緊急招集が出ましたよ」

「緊急招集!?」

 先生まで廊下を走るほどの緊急ってこと?

「な、なにが?」
「なんか城から早馬が……あっ……」

 ギヤン先生の問いに思わず答えかけて、目の前の私に口を閉じてしまった。

「リーディア・カイゼン。すまないが、質問はまた後日にしてくれ」

「は、はい」

 ギヤン先生も、廊下を走るような速度で歩いて行ってしまった。

 城から早馬? 緊急招集?
 心当たりはあるけれど、私の記憶の時期とずれている。

 
 王子が失脚するのは、噴火の後だったはずなのに。