「ひっ!」

 暗がりに立っていたから、思わず変なところから声が出てしまった。
 夜鳴鳥に括りつけた文にも、なにも返答がなかったから、私の作戦は失敗したものと思っていた。

 こんな夜更けの、私の恥ずかしいところを黙ってみていたなんて、なんて破廉恥野郎なの!?

「失礼なやつだな」

 窓を開けると、開口一番そう言われた。
 不機嫌に。

「ご、ごめんなさい」

 でも、こんな夜に窓の外に男が立っていたら、誰だってびっくりすると思うの。

「玄関からきてくれても……」

 怖いっていう女性のもとに、こんな登場の仕方をしたことをちょっと責めてみたけど、イリはまったく聞いていないような顔だった。

「連絡あればお茶の用意でもできたのに」

 追加で言ってみたけど、そんな気遣いはいらないと跳ねられてしまった。
 いや、私に気をつかって欲しいんですが!

「どうぞ」

 なにも用意できないけど、中へ促すと今度は大真面目な顔で、
「こんな時間に女性一人の部屋には入れない」
 なんて言うから驚く。
 ならなんでこんな時間に来たのよ。

「そんなことより、なにが起きたか説明しろ。襲われたというのはどういうことだ」

 夜鳴鳥よこせばいいのに、わざわざ来てくれたの?
 会うほどに、イリという男がわからなくなる。

「早く話せ、俺は簡潔な報告を求む」

「…………」

 腕組をして、まるで上官のよう。


「は、や、く!」
「は、はいっ」

 イリのイライラに耐えられず、私はあの日のことをできるだけ簡潔に話した。

 知ってるかわからないけど、ユハスさまの名前も出した。

 ユハスさまの名前を出したとき、眉が僅かにびくりと動いたので知っているってことだろう。
 城に出入りしているなら、知っていてもおかしくない。
 ユハスさまは優秀なんだから。

 報告を聞いて、イリは顎に手を当てて考え込んでしまった。

「俺が……」

「え?」

 小さいつぶやきに聞きかえす。

「悪いが、俺は護衛になれない」

 そんなこと望んでいない。
 私は首を振った。

「あなたには、あなたの仕事がある」

 お金ができたら、護衛は雇うことができるし。

「あなたが私についてしまったら、モアディさんが困るでしょう。それに、あなたを雇うお金は私にはないし」

 国家の宝を護衛できる男を雇うには、いくらかかるだろう。
 想像もつかない。


「…………」

 またイリは考え込んでしまう。
 私は、せっかく来てくれたのだからと別の頼みごとを口にしてみた。

「城に、今年の冬は寒くなるとふれまわって欲しい」

 城でも、何人か死人が出た。
 城でお針子の師もしていたしていたキリカの叔母も。

 葬儀で泣きじゃくるキリカを、慰める言葉も見つけられなかった。
 そばにいることしか、私にはできなかった。

 先に寒くなると知っていたら、準備を早めてくれるかもしれない。
 もちろん、仕入れたものも買って欲しいけど。

「そんなのは容易いが、お前の身の危険はどうする」

「それは、お金ができたら――――――」

「その前に殺されたら?」

 嫌なことを言う。
 もう死にたくないから、出来ることをしているのに。

「だったら、俺は動けない代わりに、ここに結界を張らせる」

「え? 結界!?」

 突然の提案に戸惑う。

 結界は、教会や城に魔法師が術をほどこし、侵入者を感知したら発動する高等魔法だ。
 一般貴族に施されるなど聞いたことがない。

「そんな頼めないよ。大事じゃない」

「俺のせいでもあるから」

 イリは言った。
 なぜ私が殺されるのがイリのせいなの? なにを言いだすのかとふふっと笑いが出てしまった。

「イリってお人よし過ぎない? どうしてそこまでしてくれるの?」

 クリアリは、男が女に手を貸すのは下心があるからだって言っていたけど、部屋に入ることを遠慮したり、私を護ろうとしてくれたり。

 私に性的魅力は感じていないみたいなのに、どうしてかしら。

「お、俺は縁を大事にするたちなんだ」

 ちょっと言葉に詰まりながらイリは恥ずかしそうにふいっと横を向いた。
 照れ隠し?

 私に縁を感じてくれたのが本当なら、嬉しいけど。

「と、とにかく結界はすぐ張ってもらう。今夜はユーをここに飛ばすから来たら部屋に入れてやってくれ」

「ユー?」

「来てるだろ? ここには何度も」
「あぁ!」

 夜鳴鳥のことね。
 言葉足らずもいいところだわ。

 なんだろう、イリは女性との会話に慣れていない感じがある。
 きっと鍛錬しかしてこなかったのね。

 軍人と結婚したら、会話にならなかったというのはよく聞く話だ。

「じゃあ、俺は帰るぜ。あ、他に変わったことはあるか?」

 帰りかけたイリが、思い出したように振り返る。

「変わったこと?」

 変わったこととは、なにを基準に変わっているのだろうか。
 私がいまここにいるのがいちばん変わっていることだけど、天秤やクリアリのことももちろん話せないことばかり。

「あっ」

 これなら話せる。

「ユハスさまの妹のお茶会に呼ばれているので、参加して毛皮を売り込もうと思います」

 あなたにもいっぱい還元できるかもしれない。

「お前が直に!?」

 驚いたイリだが、「たくましい女だな」と笑った。

 たくましくならざるを得ない。死にたくないから。

 死んだら、お母さまを誰が殺したのか、私にありもしない罪を着せたのが誰か挙げられなくなる。

「生きたいので」

「…………」

 イリは私の置かれている立場が可哀そうという目をして、なにも言わずぽんと私の頭にその大きな手を置いた。

「あの……きゃあっっ」

 戸惑っていると、髪の毛をくしゃっと掴まれて乱された。

「思い詰めるなよ」

 慰めてくれているのだろうか。
 本当に不器用な人。
 でも、嬉しかった。





「どうしたの?」

 まだ朝靄の残る早朝だというのに、部屋の窓辺にいた夜鳴鳥のユーがキュキュッと鳴いている。
 それも部屋の扉に向かって。

 寝ぼけた頭が、一気にはっきりした。
 扉の外に誰かいる。

 外の鍵はしっかり閉めたから、侵入者ということだ。
 どうしよう、怖い。
 
 昨日の今日で侵入者!? なぜ私を狙うの。

 周りを見渡して、なにもない。
 襲ってきたら? これでもないよりは?

 私はテーブルの上の燭台の蠟を抜き取ると、針部分をむき出しにした。

 なるべくそぅっと扉の前に近づく。
 入ってきた瞬間、ブスっと刺してやるんだから!

 身構えると、扉の向こうからの声が届いた。

「それを置いてください」

「え?」

 その声に反応して、ユーがキュイキュイ鳴いて私の肩に飛んできた。
 それはまるで甘えているような声で。

 ユーの反応に、この声は……。

「モアディさん!? ど、どうやって中に!?」

「それはいい」


 いや、良くないですけど!?


 私が扉を開けようと取っ手にふれたとたん、「下がって!」と叫ばれてさっと手を引いた。

「ここから張ります。こんな時間に淑女の部屋に入るわけにはいきませんから」

「いや、時間よりどうやって中へ入ったかを……」

 イリといいモアディさんといい、なんなの? 似た者同士の主従なの?
 連絡なしのまるで不法侵入はよくて、部屋には入れないって。

「問題ない」

 …………ありありだと思いますよ。
 でもこれ以上言っても、聞いてもらえない感じ。
 話が通じていない。

「夜鳴鳥を抱いて下がって」

 え? ユー?
 ユーの方がわかっているのか、腕に飛んできてすっぽりと胸元に収まった。

「本来なら人払いをしてからかける術です。結界の領域内をすり抜けるとき、気分が悪くなります。夜鳴鳥はしっかり保護してくださいね」

「……はい」

 思い出した、というか身体が覚えている。
 幽閉の部屋、外の扉に触れただけで身体に走るあの気持ち悪い感じ。

 あの部屋には罪人が逃げ出さないよう結界が張られていたから、外につながる扉や窓に触れると「それ」が発動した。


 扉の外で詠唱がはじまる。

『闇に潜む魔から護り給え 闇に堕ちた者が触れるのを防ぎ給え 闇が触れる時報せ給え』

 低いのに澄んで通る不思議な声だった。
 扉を隔てているのに、はっきりと響き聞こえてくる。

 聞こえるというより、無理やり浸み込んでくるみたいで肌がざわりとした。
 詠唱が終わると、扉の隙間から強い光が部屋に漏れ入る。

「もっと下がって部屋の中央へ。夜鳴鳥の目を塞いでいてください。あなたも不快なら、目を閉じているといい」
 
 まるで私がどこにいるのか見えているかのよう。
 高位の魔法師って、壁をも見通せるの?

 私は戦慄で後ずさる。

 夜衣なのに、恥ずかしい。
 あ、だから入ってこないの? やっぱり見えてる!?

「うわぁ……」

 薄い紫の半球体の光りが扉を抜けてきた。
 それはどんどん広がり、すべてを包んでゆく。

 濃さを増した光りは、私の目の前に来る頃には黒に近くなっていた。

 これ、光魔法なの? 暗黒魔法みたいですけど!?
 怖いけど、身体が動かない。

 キュイキュイと不安げに鳴いたユーに、慌てて眼を私の手で覆う。
 私も続いて瞳をぎゅっと閉じた。

 それは音もなく身体を通り抜ける。
 なにか湿った液体が染み込んで抜けてゆく。
 とても、とても不快だった。

 通り過ぎたあとも、その気持ち悪い余韻が残る。

「急ぎだったので、仕方ありませんが不愉快な気持ちにさせてすみませんでした」

「え? いえいえっ!」

 謝罪に、全力で首を振った。
 モアディさんはなにも悪くない。

「こちらはお礼を言う立場です。私なんかのためにこんな高等魔法を……」

「縁は大事です。では、また」
「え?」

 ただの別れの挨拶?
 また、と彼は言い残して扉の向こうの気配が消えた。